第203話 名前 2
たどり着いたのは裏庭。
その途中に先程俺が選んだ物と同じ花が咲いており、再び「やっちまった」という気分になりながらも、その場所に踏み込んでみれば。
「……」
とても、静かな空間が広がっていた。
そして視界に映るのは、いくつも並んだ墓標。
アナベルさんは無言のまま墓に花を供えてから膝を折り、祈りを捧げ始める。
もう、どれくらい経っただろうか?
俺達の間には無音の時が流れ、彼女の後ろで可能な限り音と気配を消したまま待機していた。
誰の墓なのかも、この人達が彼女にとってどんな存在だったかも知らない俺には、今の時間を邪魔してはいけない気がしたのだ。
「何も、聞かないんですね」
ポツリと、アナベルさんが呟いた。
何と答えてみたものかと色々頭を捻ってみたが……結局何も浮かんでは来なかった。
世のイケメンさん達ならサラッと言葉が出てくるのかもしれないが、生憎とそんな特技は持っていない。
だからと言っていつもの調子で声を上げる気にもなれず。
「聞いて良いなら、教えて欲しいけどさ。無理にとは言わねぇよ。誰だって踏み込んで欲しくない所ってのはあるもんじゃん?」
なんて、ちょっと臭い台詞を吐いてみれば。
クスッといつもの微笑みを洩らす彼女が此方を振り返った。
「もしもそういう事情なら、連れてきたりしませんよ。さっきも言った通り、これは私の自己満足なんです。ニシダさんからすれば、迷惑な話かもしれませんが……多分、悪食の誰かに知っていて欲しかったんだと思います。大っぴらに話すような楽しい話ではありません、でも誰かに……“家族”に知ってもらいたかった。秘密にしたままなのが、多分苦しかったんです」
そう言って、魔女様は少しだけ寂しそうに微笑むのであった。
――――
私には、魔女になる前の記憶が無い。
ある日突然目覚めたかと思えば、その時にはもう魔女だった。
とある人物から施しと“過去の仲間達からの贈り物”を頂いて、なんとかギリギリの生活を送って来ただけなのだ。
贈り物の中には、ここに眠る皆からの言葉が綴られていた。
私の事を“家族”だと認めてくれている人たちから、温かい言葉の数々を受け取った。
だからこそ、彼等を裏切らない為にも“生きていく”のだと心に決め、誰に何と言われようと生き足掻いて来た。
魔女という存在は恐れられ、忌み嫌われ、食べ物一つ買うのにだって苦労した程。
お店に入れば露骨に嫌な顔をされ、露店によれば怒鳴られて追い払われる事なんて何度も経験した。
最初の頃は酷く落ち込み、泣きながら保存食を齧った事もあった。
でもこのままじゃいつまで保つか分からない。
だからこそ私は、我儘な態度を取る事に決めたのだ。
恐ろしいのなら、存分に怖がれば良い。
追い払いたいなら、実力を持って排除してみろ。
無理やりそんな風に考え、胸を張って歩く様にした。
少なくとも、人前では。
その結果、私はより一層恐れられる形にはなったが……それでも食べ物を売ってくれる所は増えた。
まるで脅しつけている様で非常に心苦しく、申し訳ない気持ちにはなるが。
それでも食べ物が必要だったのだ。
生きていく為には、生活する為にはどうしても必要な事だった。
でも、それと同時に。
一人になると不安になるのだ。
「私は……なんなの?」
昔の仲間達の手紙には、とても温かい様子が描かれていた。
皆が私の事を認めてくれていて、私も皆の事が大好きだった。
それが文字列から感じ取れる程、とても心安らぐ手紙だったというのに。
彼等の事が、何も思い出せないのだ。
そして、今の街の様子。
とてもではないが、この手紙に書かれている“アナベル”という人物と私が同一人物と思えない程だ。
「私は……誰なの?」
鏡に向かって問いかけた所で、怪しく輝く赤い瞳の女が此方を見ているだけで、答えはくれない。
魔女だ何だと言われても、事実自らの心はそんなに強いモノでは無いのだ。
理由も分からず嫌われれば落ち込むし、店の人に怒鳴られれば普通に怖い。
しかもそういう対応が“当たり前”という認識の世界で、私は生きている。
最初の内はまだ“辛い”というだけで何とかなった。
意識を変えてからは、“まだ大丈夫”と言い聞かせる様になった。
だが数年もそんな事態が続けば、誰だって摩耗していくのだ。
強い魔女を演じている時は、まるで自分ではない他人の悪口を言われている様に感じ始め、一人になった途端現実の傷みが心に押し寄せて来る。
一体私が何をしたというのか。
覚えている限りでは何もしていないのに、皆が皆私の事を嫌う。
そう考えればキリキリと胃は痛み、思いつめれば思いつめる程せっかく買えたご飯だって美味しいと思えなくなる。
それに……もしかしたら。
私が居たせいで、過去の仲間達に不幸が襲い掛かったのだとしたら?
あり得ないと思いたいが、過去を知る者が居ないのだ。
だらこそ、絶対とは言い切れない。
そんな事を考え始めてしまった時は、決まって皆の手紙を読み返して心を落ち着かせた。
もう擦り切れる程読み返しているので、所々読めなくなって来てしまったが。
この手紙に励まされ、生きる事を止めずに過ごして来た。
だが、それも限界が近いのかもしれない。
人は一人では生きていけない。
私は魔女だが、その言葉を噛みしめる様に呟いてみれば、胸の奥から広がって来るのだ。
不安と悲しみ、そして寂しさが溢れ出して来る。
「誰でも良い、私を助けて……」
こんな言葉、いくら呟こうと誰にも届かない。
「私を見て……」
いくら嘆こうが、この願いは叶わない。
「私に、意味を頂戴……」
私は魔女。
アナベル・クロムウェルという名の、“ただの魔女”。
人々に忌み嫌われ、誰からも愛されない存在。
それが分かっているのに、一人になると駄目なのだ。
明日は新しい本でも買って来よう。
自分の事を考えない様にする為に、他の事に集中していられる様に。
未だ晴れぬ暗闇を胸に抱えながら、長くて辛い毎日を私はずっと生きていたのであった。
――――
「記憶が、無い……かぁ。確かにそりゃ辛いわな、しかもそんな状態だったら。俺なら間違いなく耐えられねぇ気がする」
彼女の話を聞いてから、ポツリと呟いてみれば。
「どうですかね。皆さんなら、何だかんだ言って変わらない気がしますけど」
そう言って寂しそうに笑うアナベルさん。
しかしそれは買い被りってもんだ。
何たって俺は、“向こう側”でさえ一度は諦めてしまいそうになったのだから。
こうちゃんと東が助けてくれなければ、俺はココには居ない。
三人の中で、一番弱いのは間違いなく俺だ。
二人の様な“芯の強さ”と言えるモノが、俺には無い。
だからこそ彼女の言っている“弱さ”は理解出来るし、彼女の事を“強い女性だ”とも思えた。
誰かに助けて欲しいのに叫べなくて、誰かに見て欲しいのに想いを自らの内に閉じ込めてしまう。
そして、自分に“意味が欲しい”。
その言葉には、非常に共感する事が出来た。
何者でもなく、彼女の様に絶望的状況に立たされた訳ではない俺が、そんな言葉を吐くのはおこがましいかもしれないが。
それでも、俺だって同じ事を思った事がある人間なのだから。
「でも、本当に嬉しかったんですよ? 皆さんがプロポーズしてくれた時」
「ブフッ!」
思わずむせ込みながら、気まずくなって視線を逸らしていれば。
クスクスと笑う彼女は懐かしい思い出に浸る様にしながら、近くの墓石を撫でている。
「今まで誰にも必要とされなかった私を、貴方方は求めてくれた。それに他の皆だって、私に普通に話しかけてくれた。最初は戸惑ってばかりでしたけど、本当に嬉しかったんです。勢いだけで喋っている感じはありましたけど、それでも私をクランに……家族に入れてくれた」
思い出すだけでも恥ずかしくなるが、多分“こちら側”に来て一番調子に乗っていた時だったと思う。
段々仕事に慣れて来て、仲間も増えて。
専用装備なんて作って貰っちゃったりして、更には命の危機を退けたすぐ後だったのだから。
皆、とにかくテンションが高かったのは記憶している。
そんでもって、見た事も無い絶世の美女とも言える魔法使いが目の前に現れれば、まぁうん。
「こんな話をしたのは、悪食の中でもニシダさんが初めてです。ここに連れて来たのも、ですが。やはりどこか恐れていたんだと思います……記憶も無くて、自分が何なのかも分からない魔女。今では仲間だと思って貰っていると自信を持って言えますが、その信頼があるからこそ余計に過去を晒すのが怖かったんです。そんな事で離れていく人たちじゃないと分かっていても……弱いですね、私は」
寂しそうな顔を浮かべて笑う彼女に、ズキッと胸の奥が痛む。
俺達は、そんな顔をして欲しい訳じゃない。
家族の中に隠し事があっても良いじゃないか、言えない秘密なんか誰にでもある。
出来る事なら教えて欲しいという気持ちはあるが、それでも。
それが“傷”である以上、全て晒せとは言いたくない。
隠すなら隠すで構わない、俺だって皆に全部過去を語って聞かせた訳じゃないんだ。
だから、無理に語ってもう一度傷付く必要なんかない。
それでも彼女が聞いて欲しいと言うのなら、俺は。
俺が言われて一番嬉しかった台詞を、彼女にも送ろう。
「弱くなんかねぇよ、アナベルさんは。そんな色々抱えてんのに、いつでも俺らに付き合ってくれた。死にそうになりそうなヤバい時だって、ウチにはすげぇ魔女様が居るから絶対大丈夫だって、皆最後まで諦める事無く武器を振り回せるんだ。アナベルさんは……“強ぇよ、俺なんかよりずっと強ぇ”」
言葉を紡いでみれば、彼女はポカンとした表情で此方を見上げていた。
なははっ、やっぱ俺が臭い台詞言った所で決まらねぇや。
でも、ここまで言ったんだ。
今更引っ込めずに、最後まで恥ずかしい台詞を吐いてみようじゃないか。
「悪食はさ、今居る皆揃って悪食なんさ。異世界人の集団に奴隷の獣人、ギルドの受付嬢に元貧乏教会のシスター。おかしな物ばっか作るドワーフに、超スゲェ魔女様。誰が欠けても、悪食じゃねぇ。皆が居なきゃ、ここまで生きて来られなかった。過去なんか関係ねぇとは言わねぇけどさ、変なこだわりとか枠組みは取っ払っちまって良いんじゃねぇかな? 例え記憶が無かろうと、アナベルさんが隠し事してても、俺達は同じクランの家族だ。アンタはアナベル・クロムウェルで、悪食一番の魔法使いで。今は見てくれる人も、意味をくれる奴等もいっぱい居る。だからその、何つぅか……助けて欲しい事があれば何でも言ってくれ、どんな事でも、超どうでも良い事でも、助けて欲しいなら手を貸すからさ」
言ってみてから、思い切り恥ずかしくなってガリガリと首を掻いた。
慣れない事はするもんじゃないなマジで。
こういう台詞は似合わないから、普段から皆で馬鹿やってるってのに。
なんて、視線を逸らしていれば。
「私にはもう見てくれる人も、一緒に居てくれる人も、意味をくれる人だって居る。言いたくない事は言わなくて良いし、それでも助けてって叫べば助けてくれる人が居る。そう言う事ですよね? 随分と、私にばかり都合が良い関係に思えてしまいます」
「そんなもんだろ、家族って。少なくとも、俺が“家族”だって思った連中は皆そうだったよ」
などと声を返してみれば、いつの間にやら立ち上がった彼女の額がコツンと音を立てて俺の鎧にぶつかって来た。
「ありがとうございます……私は、“悪食”で良かった」
何と声を掛けて良いのか分からずに、ジッとしていれば。
少し時間が経った頃に、赤くなった目元を擦りながら彼女は顔を上げた。
それはもう、いつも通りの柔らかい笑顔で。
「ニシダさんって、実は結構口が上手いですか? 普段交渉とかをキタヤマさんに任せてるのって、苦手だからじゃなくて状況を楽しんでません?」
「さぁ~どうかね? 俺は三馬鹿の一人だから、難しい事はわかんねぇや」
「もう、すぐそうやって……でも、貴方に同行をお願いして良かった気がします」
なんて、少しだけ照れくさそうに笑う魔女様。
駄目だって、この距離でそういう事を言うのは。
男だったら皆勘違いしちゃうからソレ。
という訳で、少しだけ体を離してから。
「俺はここの人たちの事は何も知らねぇけどさ、礼ぐらいは言っておかねぇとな」
そう言ってから、墓石の前に膝を下ろして手を合わせた。
どうか安らかに。
ありきたりな言葉しか思い浮かばないが、それでも。
「アンタ等の大切な家族は、今度は俺等が死ぬまで守るからよ。安心して眠ってくれ」
それだけ言って立ち上がってみれば、振り返った先に真っ赤な顔の魔女様がそっぽを向いて待っていた。
……ありゃ? また余計な事を言っただろうか、俺。
「死ぬまで守るって……それ、普通ならプロポーズですからね」
「あぁ~確かに。でもま、同じクランだし。結果そうなるんじゃねぇの? 知らんけど」
「またすぐそうやって軽く流そうとする! 悪い癖ですよ! って、あぁもしかして。ニシダさんって、感情を隠そうとしている時余計に軽くなります? さっきまでの雰囲気なら、“知らんけど”なんて絶対言わなそうでしたよね?」
「……」
「沈黙は肯定と受け取りますよ? 今ちょっと照れてますね? 照れてますよね?」
「さぁて、そろそろ帰ってメシの準備始めねぇと。夕飯に間に合わなくなっちまう」
無駄にデカい声を上げながら早足でその場を後にする。
「ちょっとニシダさん逃げないで下さいよ! 良いじゃないですか、私だって自分の事を教えたんですから、ちょっとくらい教えてくれても。ニシダさーん?」
「あーあーあー、聞こえねぇー」
二人揃って馬鹿やりながら、裏庭から門に向かって歩いていく。
その際チラッとお店の方を振り返ってみれば。
“蒼碧の小物屋”。
やはり、どう見ても日本語。
そして商売する事を考えると、言っちゃ悪いがそこまで大きくはない店構え。
皆に愛された事実は残っている、過去の記憶が無い魔女。
更に言えば、王族とは何の関わりも無さそうな小物屋の裏に眠る過去の王族の墓。
俺の妄想ってだけで、なんの根拠もありはしないが。
「ニシダさん?」
急に黙った俺を不思議そうに眺めるアナベルさんは、やっぱり美人だ。
真っ黒い長い髪に、“真っ赤な瞳”。
余計な事を考えている影響なのだろうが、余計に彼女の顔立ちが“向こう側”寄りに見えてしまう。
以前鮫島が言っていた。
“向こう側”から物を取り寄せる能力持ちなどの異分子は、記憶を消す形で世界から排他されると。
それに俺達の武装の原案は、彼女が図面をひいていると聞いた事がある。
“こっち側”では、とてもではないが思いつきもしないであろう武装の数々。
俺のワイヤーや、東のブースター。
こうちゃんのガトリングドリルランスなんてモロに。
だとしたら……もしかしたら、あり得るのかもしれない。
だから何だという話ではあるが、それでも。
「蒼碧、あお、そう、へき、みどり……アオイとか、ミドリとか。その辺りなのかねぇ?」
「急に何の話ですか?」
「いんや、なんでもねぇ~」
「もう! すぐそうやって!」
ま、どうでも良いだろ、そんな事。
俺等にとって彼女はアナベル・クロムウェルであり、悪食の魔法使い。
魔女と呼ばれながらも、この国では思い切り羽を伸ばせる存在にまでなったのだ。
だったら、要らん事を掘り下げる必要は無い。
少なくとも、彼女が望まない限りは。
そんな、らしくもない事を考えながら。
俺達は揃ってホームへと足を向けるのであった。
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