第153話 南


 随分と、懐かしい夢を見た。


 「まぁ、これくらいですかね。嫌なら他で売ってくれて構いませんよ?」


 「い、いえ! これで十分です!」


 もうしっかりと顔も覚えていないが、私の父親は嬉しそうな顔で私を売り払った記憶だけは残っている。

 受け取ったのは、少ない金銭。

 だというのに彼は嬉しそうにソレを手にして、私を置いて行った。

 後で知った話だが、私は望まれない子供だったらしい。

 遊び半分で獣人を抱いた時に出来てしまった子供。

 母は私を彼の元に置いて姿を消したそうだ。

 だからこそ、売れる状態になったらさっさと売り払ったと言うだけの話。

 ギルドの解体場で働いていたらしい父親から教わった技術は、“解体”のみ。

 売られるであろう私に、同情した職場の皆様は様々な魔獣の知識を教えてくれた。

 これだけは、楽しかった記憶がある。

 そして文字の読み書きは父から貰った本で必死に覚えた。

 技術を与えてくれたのも、本を与えてくれたのも、奴隷として売る際に少しでも高くする為という理由だった様だが。


 「猫人族は体力もねぇからなぁ……」


 つまらなそうにこちらを眺める奴隷商人達。

 その視線にも、随分と慣れた。

 と、思っていたのに。

 空気が周囲に伝染し始めた。

 あの子は売れ残る、だから私達よりも下なのだと。

 そういう空気が、私の捕らわれている檻の中でも充満し始めた。

 最初はまだ良かった。

 声を掛けて来てくれる奴隷仲間も居たし、気に掛けてくれる獣人の子達も居た。

 だから、まだ心を保っていられた。

 一人じゃない、そう思えたからこそ暗い檻の中でも生きて来られた。

 だというのに。


 「あの猫人族を貰う」


 「よろしいので? あまり役に立つ技術は持っていませんよ?」


 「構わん」


 そんな会話と共に、私は買われた。

 その一言と共に、仲間だと思っていた皆からの視線は一変した。

 妬み、恨み。

 良く分からない感情がドロドロに混じった様な瞳をこちらに向けて、静かに睨んでいたのだ。

 怖い。

 とんでもなく怖かった。

 父親に売られた時でさえ、こんな絶望は覚えなかった。

 元より期待などしていなかった人から引き剥がされる行為と、信じていた人間から急に掌を返したかのような感情の変化。

 どうしたって、後者の方が怖かったのだ。

 だって、昨日まで仲良くしていたのに。

 ついさっきまで、助け合おうとしていたのに。

 だというのに、“買われた”事により私は彼女達の“敵”になってしまった。

 もう買われたのだ、ここに居なくても良いのだ。

 だから、気にしなければ良い。

 そう自分に言い聞かせた所で、ゾッと冷える背筋の寒気は、いつまで経っても抜けてはくれなかった。


 ――――


 「お、お許し下さい! お願いです、もうコレ以上は!」


 「獣人の分際で、私に意見するのか? この害獣どもが。良い声で鳴け、叫べ。私を楽しませろ」


 主人の声と共に、棘と鉄の糸が張り巡らされた鞭が部屋の隅に縛られている獣人を傷付けていく。

 私は、その光景を震えながら見ている事しか出来なかった。

 何度も何度も、裸に剥かれた獣人の女性が鞭で叩かれる。

 悍ましい光景を、私は……ずっと目に焼きつけさせられた。

 何を言っても許してくれない。

 獣人は人族よりも下の存在で、下等生物で、こうやっていたぶられながら生きていくんだ。

 そんな“常識”を植え付けられてしまう程、酷い光景を何度も目にした。

 コレが、私を初めて買ってくれた主人。

 地獄から掬い上げ、次の地獄へと放り込んだ人物。

 彼のニヤけた視線が気持ち悪くて、楽しそうに笑う声が恐ろしくて。

 ペタンと耳を閉じたまま、どうにかいたぶられる彼女の悲鳴を聞かない様に努力した。

 明日は私の番かもしれない。

 目の前で鞭に叩かれているあの人が“駄目”になったら、次は私が叩かれる番なのだ。

 その事実がありありと感じられるこの状況が恐ろしかった。

 買われた時のままのボロ布を身に纏いながら、体に力を入れてひたすらジッとしていた。

 不満を買っちゃいけない、下手に動いちゃいけない。

 もしも何か一つでも彼の気に障る事をしたら、明日からは私が“あの場所”に立つんだから。


 「おい」


 「……は、はい!」


 急に声を掛けられて思わず視線を上げれば、彼の“憂さ晴らし”が終わったらしい。

 縛られた全裸の獣人女性はボロボロと涙を流しながら、体中が腫れあがっていた。

 思わず目を逸らしたくなる様な光景。

 しかし、それは許されない。


 「コレを洗っておけ。明日また“使う”からな」


 「は、はい」


 そう言って主人が出て行った後、彼女に駆け寄ってみれば。


 「私が死んだら。次はアンタだよ……」


 全身傷だらけの彼女から、そう告げられてしまったのであった。


 ――――


 これからは新しい地獄が始まるのか。

 そんな風に思っていたと言うのに、終わりは呆気なく訪れる。

 私を買った貴族、彼が国外に出かける時に事件は起きた。

 魔獣に襲われたのだ。

 普段鞭で叩いていた獣人を、暇つぶしで彼が“抱いている”時だったと思う。

 馬車の隅っこで大人しくしていた私の耳には、確かに聞こえてきた。

 獣たちの雄叫びが。


 「あ、あの……」


 「少し大人しくしておけ、もう少し成長したらお前も相手にしてやる」


 嬉しくも何ともない御言葉を頂き、口を噤んだ。

 次の瞬間、私達の乗っていた馬車が激しい衝撃を受ける。

 横から何かに突き破られるかのような、押しつぶされるかのような衝撃。

 私が座っていた方とは逆の扉が、車内にめり込む様にして空間を圧迫して来た。

 その衝撃を真横から受ける主人と、彼に跨っていた獣人の女性。

 魔獣だ。

 そう理解した時には、彼らの体を魔獣の角が貫いていた。

 あぁ、これはもう駄目だ。

 何てことを簡単に理解してしまうほど、見事なまでに串刺しにされた二人。

 彼らの姿を目に焼き付けながら壁に張り付いていれば、急に浮遊感が襲って来た。

 街道脇の森から襲って来た魔獣。

 ソイツの攻撃により、私の乗った馬車は街道から外れた場所まで弾き出されてしまったらしい。

 ボロボロになった馬車から這い出してみれば、そこはもう戦場と言う他なかった。

 多くの者達が逃げ惑い、護衛をしていた者達もみるみる内に人数を減らしてく。

 “逃げなくちゃ”。

 本能的に、そう思った。

 ただひたすらに足を動かした。

 一刻も早く、この場所から離れなければ。

 それだけを思って、たどり着いた先は。


 「奴隷……か?」


 私を地獄に落した“元家族”が居る、私を違う地獄に放り込んだ“飼い主”が居たその国だった。

 ココしか知らないから、ココ以外に行くところがないから。

 結局、私は戻って来てしまった。

 “イージス”へと。


 「あの……助けて下さい」


 そこから事態が動くのは早かった。

 貴族の馬車が魔獣に襲われた、コレは結構な問題だったらしい。

 なんでも他の貴族達も同行して、他所の国へと向かう途中だったんだとか。

 この時は知る由もなかったが、あの場には多くの貴族が居て、更にはその多くが命を落とす事件になったそうな。

 門番に助けを求めた私は主人の家族の元へと引き渡され、“新しい家”でその事を淡々と聞かされた。


 「皆、死んだらしい。だというのに、お前だけは生き残った」


 「申し訳……ありません……」


 「奴隷なら主人を守るべきでは無いのか? 命に代えてでも、盾になるべきとは考えなかったのか?」


 「申し訳ございません……」


 主人の兄弟であったらしい“新しいご主人様”は、非常に冷たい目をこちらに向けて来た。

 そして、目の前の床に置かれる良く分からない物体。

 器に入っているから、多分食べ物なのだろうが……コレは、なんだろう。

 変色したパンや、クズ野菜ならまだ分かる。

 でも見た事もない様な、ゴミの様な物までスープの中に浮かんでいるのだ。

 ムワッと広がる嫌な臭いを感じながら、我慢してその器を眺めて居れば。


 「食え、施しだ」


 「え?」


 「俺は兄貴の様に獣人をいたぶって性的快楽を満足させる趣味はない。だからお前は明日売りに行く。良かったな? これでお前にとっては全て元通りだ」


 「えっと、あの。その……」


 「食え」


 髪の毛を掴まれて、器の中に顔面を押し付けられる。

 臭い、不味い、苦しい。

 そんな言葉を洩らす訳にもいかず、ジッと耐えていれば。


 「全く、とんだ疫病神も居たものだ。あんな兄でも、それなりに役に立っていたというのに……よりにもよって、お前だけが唯一の生存者とはな。国の兵士達にもいらんことをベラベラと喋り、挙句の果てに我が家に転がり込んでくるとは」


 そう言ってから、彼は靴の底で私の頭を更に器へと突っ込んだ。

 窒息してしまうのではないかと、本気で思う程に。


 「いいか、よく聞け獣人。貴様らに価値はない、荷運び程度しか出来ないお前達はゴミだ。カスだ、人族に這い寄るウジ虫だ。その事をよく胸に刻んでから、今後を生きるんだな。貴様の様なゴミのせいで、私は多くの金を払う事になったのだからな」


 結果から言えば、前の主人が横領や違法な人身売買。

 その他諸々を行っていたせいで、罰金が残った家族に課せられたらしい。

 それが判明した原因となったのが、先日の事件。

 そして、私はまた奴隷商に戻された。

 今度は以前よりも“問題のある”奴隷として。


 「アンタ、前のご主人様の所で何かやらかしたんだって?」


 クスクスと小馬鹿にした笑い声を上げて来る奴隷達に囲まれながら、膝を抱いてジッとして過ごした。

 もう嫌だ、こんな世界。

 何度そう思った事だろうか。

 でも、生きた。

 日に二回だけ運ばれてくる不味い食事を喉の奥に押し込んで。

 死んでなんかやるものか、生きるんだ。

 私の人生、常に誰かの都合で振り回されて来た。

 このまま死んでなんかやるものか。

 ただそれだけを思って、ひたすらに生きた。

 同じ檻の中に居る奴隷達から食事をひっくり返されたり、唾を吐きかけられたり。

 それ以上の事だって平然とあった。

 それでも、食べた。

 生きる為に。

 なんてことを続けていたある日、奴隷商人達の叫び声が聞こえて来たのだ。


 「お客さん困りますって! ウチは葬儀屋じゃないんですよ!?」


 「ちょっと怪我した程度だろ!? いいじゃねぇか! 俺達もコイツを売って来ないと色々不味いんだよ!」


 そんな声と共に、部屋の中に放り込まれた少女。

 彼女の顔には、見覚えがあった。

 奴隷になった最初の頃、私に声を掛けてくれた人だった。

 短い時間ではあったが、共に励まし合ったその人だった。

 そして、私が買われたあの日。

 とても冷たい視線を向けて来た彼女。

 その彼女がヒューヒューと浅い呼吸を繰り返しながら、こちらを見ていた。


 「あ、あの……」


 彼女もまた、買われていたのか。

 奴隷は買われても良い人生は望めない。

 囮にされたり、道具の様にコキ使われたり。

 もしくは何かの捌け口になったりと色々だ。

 その全てを受けたのだろう。

 目の前で転がる彼女は、とてもじゃないが感情が残る人間とは思えない瞳を私に向けていた。


 「次は……アンタかもね」


 ニッと口元を釣り上げながら、彼女は息を引き取った。

 怖かったのだ。

 私達“奴隷”には、こんな最後しか待っていないという事実が。

 だからこそ否定した、否定し続けた。

 必死に生きて、せめて“普通”に死ねるようにと。

 周りから何を言われようと、どれだけ心が壊れようと。

 私はその日その日を生きる為に、汚れたパンでも齧りついた。

 月日は残酷なまでに経過し、檻の中に居る奴隷達の中で最年長になって。

 いつまでも売れ残る私に、誰もが軽蔑の感情を向けながら侮蔑してきたとしても。

 私には、“生きる”しかなかった。

 そんな時だ、“彼等”が来たのは。

 随分と軽い雰囲気で、山賊の様な恰好で。

 あの人たちは、私を選んだ。

 そして。


 「飯を食う前はな、“いただきます”って言って手を合わせるのが俺らの習慣なんだ。こうやって……」


 「「いただきます!」」


 私に、食べ物をくれた。

 食べた事もない程の量のお肉に、野菜にスープ。

 ついさっきまで、地面に落ちたパンを貪っていたはずなのに。

 この日この瞬間から、全てが変わった。

 食事はお腹いっぱい食べさせてくれるし、それに。


 「こうちゃんが言っている事も分かるよ。でも、あんな子にサバイバル生活は無理だって――」


 「確かに、西君の言う通りだよ――」


 「ばっかやろう。そもそも何のために“解体”が出来る子を選んだと思ってんだ。残して行くのに不安があるのなら、連れて行って役立ってもらった方が本人としても気が楽だろうが。あと絶対連れて行った方が肉いっぱい食える。金だけ渡して街で一人で留守番って、かなり気が滅入るとは思わんのかお前らは」


 この人達は、私の事をしっかりと“人”として認めてくれるんだ。

 随分と大きな声で秘密の会議を繰り広げる彼らに、思わず微笑みが漏れてしまった。

 私の在り方を本気で話し合ってくれる彼等の声に、食堂の入り口で聞き耳を立てる。

 あぁ、そうか。

 こういう人達も居るんだ、この世界には。

 そんな事を考えながら、彼らの前に飛び出していくのであった。



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