第142話 北


 「やっと寝たか。 最後まで見張りするつもりでいやがった」


 「これくらいで潰れるんだから、やっぱりかなり“効いて”たんだろうね」


 西田様と東様が呆れた視線を向ける先には、毛布に包まったご主人様が。

 兜だけは外しているものの、鎧は着たまま静かな寝息を立てていた。

 参っていたのだろう。

 ご主人様達は、いつだって“自由”だ。

 でも、自由とは我儘をまき散らす行為とは違う。

 どこまでもルールがあって、コレと決めた事を破らない範囲で楽しむ。

 そのルールの中、ご主人様はいつだって気を張っている様に見えた。

 自分だけは、いつでも仲間の為にと。

 絶対に誰よりも頑張ろうとするのだ。

 無意識なのか、本人も気にした様子さえ見せないが。

 それでも、周りには分かる。

 彼が誰より頑張って、誰よりも私達に気を使い。

 そして守ってくれている事が。


 「本当にお疲れさまでした、ご主人様」


 そう言ってからズレた毛布を戻してあげる。

 普段ならこんな事をすれば、すぐにでも目を覚ましそうなのに。

 今日だけは身動きもせず静かな寝息を立てていた。


 「あぁ~その、なんだ。 こうちゃんも王族二人も寝入っちゃったから、っていったらアレだけどさ。 一応さっきの“サキュバス”が擬態した人の話、しておいた方が良いと思うんだ」


 「本人が眠っている所で何をって思うかもしれないけどね。 多分本人はいつまで経っても語らないと思うから。 だから、僕達から話すよ。 今後似たことが起こった時に、北君を僕達だけで守れるように」


 口元に微笑みは浮かべているものの、お二人共悲しそうな笑みを浮かべていた。

 良いのだろうか?

 私は、ご主人様に言ってしまった。

 “いつか聞かせてください”と。

 その答えを、お二人から聞いてしまって良いのか?


 「“クラン”ってのは家族なんだろ? だったら、俺達は家族だ。 だから知っておいて欲しい、この先も俺らが俺らでいる為に。 もしもまた、こうちゃんがぶっ壊れそうになった時にさ。 何も知らないまま声を掛けるって、辛いだろ」


 「聖女コンビは“悪食”ではないけどね、それでも仲間だと思ってるから……聞いて欲しいな。 北君の“大事な人”の話。 僕らにとっても、凄く大事な人だったから」


 お二人はグラスを傾けながらも、優しくも悲しい笑みを浮かべている。


 「しかし……こういう話は直接本人の口から……」


 『猫娘、それは逃げだよ。 いざという時、それこそ生死の境目って時に何も知らずに言葉を紡ぎたいかい? 私から見ても“悪食”は常にギリギリを生きている。 聞かせてくれると言うなら、知る事が出来る時に聞いておくべきだ』


 「っ!」


 思わず、息をのんでしまった。

 もしもこの先、ご主人様達の誰かが命の危機に晒されたとしよう。

 考えたくも無いが、誰か一人が命を落としてしまったとしよう。

 その時、私は残った彼らに思いつく綺麗事を並べるのか?

 三人の内の誰かが、腕の中で静かに息を引き取ろうとしたその瞬間。

 私は何も知らぬまま、彼らに最後の言葉を送るのか?

 そんなのは……絶対に嫌だ。

 適当な綺麗事や、美しいとされる言葉だけで見送って見ろ。

 私は多分、私自身を許せなくなる。

 私達はいつだって、何処だって。

 泥臭くなりながら、血なまぐさくなりながらも。

 皆で共に生きて来たのだから。


 「教えてください、ご主人様の過去を。 そして、皆さまにとっての“大切な人”の話を」


 迷うな、前に進め。

 “彼ら”に近づく事を、今更何を恐れる事がある。

 辛い過去があったなんて当たり前だ、人間誰でも生きていれば悲しい過去くらいあるはずだ。

 いつだって笑いながら過去を話す彼らから、今日だけは“痛み”を聞く事になろうとも。

 それは、私達“家族”が受け止めなければいけない事実であり、背負って来た“過去”なのだ。

 だったら私は……一緒に背負ってあげたい。


 「お願いします、西田様、東様。 私に、聞かせてください。 ご主人様の“傷”を」


 スッと頭を下げてみれば、彼等は私の頭に手を置いて柔らかい微笑みを浮かべていた。


 「そう畏まる事はないさ、良くある話……そうだな。 良くある話なんだよ、テレビやネットのニュースで良く見かける様な、ありきたりな話だ」


 「でも、当人にとっては“良くある話”ではないよね。 とっても特別で、特殊で。 苦しくて、泣き叫びたくなるような……痛くて、辛い話だよ」


 そんな言葉を呟きながら、お二人は語り始めた。

 お酒を飲みながら。

 それでも、ちっとも酔えないという雰囲気で。


 ――――


 「ほら、こう! お前の誕生日だからね! 豪華にしてやったよ!」


 豪快に笑う“俺達”の婆ちゃん。

 そんな風に思えるくらいに、俺たちはこうちゃんの婆ちゃんの家に入り浸っていた。

 小中高と、それこそ毎日の様に。


 「婆ちゃん普通誕生日って言ったらケーキとか鳥じゃねぇ? 何で魚の角煮なんだよ?」


 「旨けりゃいいんだよ! それとも何かい? カジキマグロはもう飽きちまったかい? 結構良い値段するんだよコイツは。 はぁぁ……そうか、それじゃ片付けるか……」


 「ストーップ! 絶対食う! 俺らコレ超好きなの知ってるだろ!? しかも今日の滅茶滅茶デカいじゃねぇか! 絶対食う!」


 「だったら食いねぇ! お前達、宴の時間だよ!」


 「「うえぇぇぇい!」」


 馬鹿みたいなテンションで、俺たちはドデカイ肉に齧り付いた。

 旨い、いつだってこの家の食事は旨い。

 こうちゃんと、こうちゃんの婆ちゃんが作ってくれる飯は、最高に旨い。

 毎回毎回飯を食わせて貰っているのも悪いからって、ガキの頃に食費を持って行った事もあった。

 でも、彼女は笑うんだ。


 「おや、西坊は随分とお金持ちだね? 両親から貰ったのかい? だったら……すぐポケットに仕舞っちまいな。 そのお金で三人揃って菓子でも買っておいで」


 なんて、ニカッと笑みを浮かべる様な人だった。

 とにかく遊べ、とにかく楽しめ。

 そして食べろと言う人だった。

 でも。


 「お前達また喧嘩して来たのかい? まぁぁったく、仕方ないね。 ホラおいで、救急箱出して来るから」


 俺らが怪我して帰って来た時は、呆れた口調ながらも随分と心配してくれる人だった。

 そんでもって、俺たちの治療をしながら。


 「何度でも言うけどねぇ……よく聞くんだよ?」


 それこそ何度も聞いた。

 耳にタコが出来るんじゃないかってくらいに。


 「男の子なんだ、喧嘩したって良い。 ぶん殴って、ぶん殴られて。 ソレで人の痛みが知る事が出来るんなら安いモンだ。 それを知らない人間の方が多いからねぇ……でも、ちゃんと加減するんだよ? 大怪我させたり、大怪我してきてもわたしゃアンタ達を叱りつけるよ? それから、絶対に“殺しちゃ”駄目だ。 相手がどんなに憎たらしいと思っても、間違っても“殺す”事だけは許さないからね? 人が何かを殺して良いのは、食う時だけだ。 忘れるんじゃないよ?」


 詭弁だ。

 正直、そうも思った。

 でも、この人の言葉はスッと胸に入って来たのだ。

 だからこそ、喧嘩をする時でも俺たちはどこまでも手加減しながら相手を殴った。

 その結果負ける事になっても、全身ボロボロになっても。

 “間違っても”殺さない様に。

 タガが外れて、やり過ぎる事もあったが。

 俺たちは三人なのだ。

 一人がやり過ぎれば、後の二人が止めれば良い。

 そんな事を続けながら、俺たちは生きて来た。

 自由奔放に、とにかく楽しんで。

 多分、それが周りからは気に食わなかったのだろう。

 学生時代には、とにかく喧嘩を売られたものだ。

 もしかしたら、“ソレ”が原因だったのかもしれない。


 「こうー!」


 「あれ? ばぁちゃーん! どしたー! その大荷物!」


 高校時代最後の日、その帰り道だった俺らは皆して婆ちゃんに向かって走り寄った。

 そして。


 「アンタらの卒業祝いだよ! まぁったく、重くて仕方ない。 手伝っておくれ――」


 その人が、そう呟いた瞬間。

 現実は非現実に変わった。

 横から、車が突っ込んで来たのだ。

 俺たちの婆ちゃんを、壁に押し付ける形で。

 結果から言えば、調子に乗った若者の無免許運転だったらしい。

 たまたまそこに居たからというだけの、不幸な事故。

 “よくある話だ”。

 だが、当人達からすれば。

 新聞の載る数行程度の話では済まないのだ。


 「救急車! 救急車呼ぶ! 東、車どうにかできねぇか!?」


 「やってみる! お婆ちゃん!? 今退かすからね、大丈夫だから。 絶対大丈夫だからね!」


 俺と東がバタバタと動き回る中、こうちゃんだけは茫然と立っていた。

 手に持った卒業証書を地面に落とし、肩にかけたバッグを取り落とし。

 そして。


 「あぁぁぁぁぁ!」


 「こうちゃん! 待て!」


 「北君ダメだよ! それどころじゃない!」


 頭を振りながら降りて来た運転手に、こうちゃんが思いっきり殴り掛かった。

 それこそ、“ぶっ殺すんじゃないか”って勢いで。

 いつもとは違う、何処まで鋭い一撃をかまそうとしている。

 その光景を見た瞬間に、ゾッと背筋が冷えた。

 アレはダメだ。

 多分相手が死ぬまで止まらない。

 そんな風に思ったその時の事だった。


 「こう! 止めな!」


 力強い言葉が響き渡り、彼はピタリと拳を止めた。


 「……言っただろう? 殺して良いのは食う時だけだって……それ以外は――ゲホッ。 殺さなきゃ誰かを守れない時だけって所だ。 格好つける男なら……そん時くらいは本気になるだろうさ」


 俺と東が腕に抱いたその人が、ヘッと笑いそうな勢いで声を上げていた。

 口から血反吐を吐きながら、何処までも苦しそうな呼吸で。


 「婆ちゃん!」


 寸前で拳を止めたこうちゃんも俺達の元へと駆け寄り、婆ちゃんの事を覗き込んだ。

 もう駄目だ。

 そう分かってしまうくらいに、彼女の半身は“壊れていた”。

 こんな事ってあるだろうか?

 俺らみたいな三馬鹿を、どこまでも明るく、そして愛してくれたこの人が。

 何故“よくある事故”で死ななければならないんだ。

 俺たちは彼女の血で制服を紅く染めながらも、その人の紡ぐ言葉に耳を傾けた。


 「アンタ達はさ、上手じゃないんだよ……生きる事が。 でも、三人なら生きていける。 楽しむ事が出来る。 人が増えれば可能性も増える。 案外、悪くないもんだよ。 家族ってのは……」


 俺たちは、家族というモノにあまり良い思い出が無い集まりだ。

 俺なんか出来損ない呼ばわりだし、東だって似たようなものだ。

 そしてこうちゃんに至っては……家族から見放されたからこそ、婆ちゃんの家に住んでいる。

 それくらいに、俺たちは“家族”というモノに縁が無かった。


 「ちゃんと、生きるんだよ……バカ共。 お前らは、私の……大事な――」


 “家族だよ”。

 その言葉は、声になっていなかった。

 でも、ちゃんと聞こえた気がしたんだ。

 こうちゃんだけじゃない。

 俺と東に向かっても、婆ちゃんはそう言ってくれた。

 俺たちを、“家族”と認めてくれた。

 それがたまらなく嬉しくて、そして。

 この瞬間がどこまでも、世界の終わりなんじゃないかってくらいに悲しかったんだ。

 俺達三人は今日。

 家族を失ったのだから。


 「ずあぁぁぁぁぁぁ!」


 「こうちゃん止めろ! 婆ちゃんが悲しむ!」


 「ダメだよ北君! 殺しちゃ駄目だ!」


 多分、コレがこうちゃんの“縛り”。

 “殺すな”。

 誰かを守る為に仕方なく。

 もしくは。

 “食べる”為に。

 それ以外の目的では、絶対に殺すな。

 だからこそ、俺らのリーダーは“殺し”を嫌う。

 特に、人に関しては。

 こんな世界に来て、常識がガラリと変わった今の状況だからこそ、一度は話し合った事があった。

 “人”を殺せるようになるべきだ、と。

 でも結局駄目だった。

 周りが平然と武器を向けて来ても、彼は武器ではなく拳を向ける。

 “殺さない”為に。

 それが、俺たちのリーダーなのだ。

 北山公太。

 彼は誰も殺さない。

 いや、殺せない。

 殺せるのは、食べる相手と害意の塊とも言える魔物のみ。

 だれかを助ける為、殺さないと仲間の誰かが死ぬ。

 その状況にならないと、多分こうちゃんは“殺せない”。

 だから、俺たちがフォローしてやらねぇと。

 どこまでも真っすぐに突き進む彼を、誰にでも手を差し伸べてしまう彼を。

 支えてやれるのは、俺たち“家族”だけなのだから。

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