第132話 夢


 「こう、あんまり焦るんじゃないよ。 煮物ってのはじっくりやるもんだ」


 「でも出来栄えとかわかんなくねぇ? 確認する為につつくとか、駄目なの?」


 「馬鹿だね、そんな事して崩れたらどうするんだい? 確かめたいなら、一つ犠牲にするつもりでやんな。 ソイツは皿には並ばない味見用だ。 そんで味見をすればするほど小さくなり、他と染み込む具合が変わっていく。 コレがどういうことか分かるかい?」


 「他のデッケェ肉よりすぐ味が染みるから、いくら味見をしたところで終着点がわからなくなる……」


 「良く分かってるじゃないか、こう。 料理人ってのはね、そんなに逐一味見なんぞしないんだよ。 最後に確認するくらいで良いんさ、私達が作る様な一般飯じゃ余計に。 だから、大人しく待ちな」


 「でもよ、“婆ちゃん”。 味が薄かったら足しゃ良いが、濃かった場合どうすんだよ? 煮物じゃそっからの調整なんぞすぐ出来ないだろ?」


 そんなセリフを吐いてみると俺の隣に並ぶその人は、う~んと悩んだ後。

 ニカッと笑って人差指を立てるのであった。


 「米を大盛りに盛ってやれば良い! いくら塩辛くても、米がありゃ食える!」


 「適当だなぁ……」


 「馬鹿だねぇ、こう。 適当って奴が一番難しいんだ。 本だのなんだと眺めりゃコレっていう“決まった”味付けは出来る。 でも、ソイツは本を書いた人間の“好み”にあった味付けなんだよ。 こうに恋人が出来たとして……出来たとして、だ! もしも“不味い”と言われたらどうする? “旨い”に変えてやりたいじゃないか。 だったら、そのレシピからアレンジするのはお前だよ? この“適当”が出来ない奴は、料理なんぞ出来ないよ」


 「なぁ何で今二回言った? なぁ婆ちゃん、何で二回言った?」


 「気のせいだよ! 細かい事気にする漢は嫌われるよ!」


 いつも、こんな調子だった。

 俺に料理の基礎を教えてくれて、食いたいモノがあれば知らない料理でも頑張って作ってくれた。

 そんな、俺の婆ちゃん。

 親や兄弟に期待されていなかった俺は、自然とそっちに入り浸る様になった。

 ダメダメで、何にも無かった俺を。

 いつだって満面の笑みで迎えてくれた婆ちゃんと並んで、俺はいつも飯を作っていた。

 西田と東もコッチの家に遊びに来て、皆で飯を食いながら笑い合って。

 それで――。


 「ご主人様?」


 南の声に、ハッと意識を取り戻した。


 「すまん、ちと居眠りしちまった」


 ハハッと笑いながら南に顔を向ければ、彼女は随分と心配そうな顔を向けて来る。

 現在は船の上。

 二人して甲板に腰を下ろし、釣り糸を垂らしている所だったというのに。

 どうしたのだろうか?

 すぐにでも泣きそうな顔でこちらを覗き込んでいる。

 何か心配をかける様な事をしてしまっただろうか?

 それとも、何かトラブルでも起きたのだろうか?

 なんて事を考えながら、首を傾げていると。


 「泣いて、おられるのですか?」


 「はい?」


 訳の分からない言葉が、南の口から飛び出した。

 涙を流した記憶など、“こちら側”と“向こう側”を合わせても結構昔の事だ。

 一番近いモノで、泣きアニメを見て三馬鹿で号泣しながら酒を飲んだくらいなもので。

 そう考えると、結構最近の記憶なのか?

 とりあえずまぁ、彼女が何を言っているのか良く分からないでいると。

 スッと身を寄せて来る南。

 今は分厚い海賊服を着ているので、体温までは感じられないが。

 それでも、なんとなく暖かいと感じてしまうのは何故なのだろうか。


 「冷え切っております。 悪い夢でも見ましたか?」


 「悪い夢じゃない。 コイツは、良い夢だったはずだ」


 「そうですか。 であれば、幸せを失ってしまった夢ですか? “こちら側”ではよくある話ですが……“向こう側”では、違うのですよね」


 「どうかな……“向こう側”でもよくある話だ。 依存していた相手が、急に居なくなる。 居場所が急に無くなる。 良くある話だ」


 そう、良くある話なのだ。

 病気、事故、寿命。

 何処の世界に居ても、人は簡単に死ぬ。

 だからこそ、生き残った者はその過去を引きずって生きるのだ。

 忘れようとしても忘れられない過去。

 忘れたくないと願う過去を引きずりながら。

 思い出すたびに、引きずる程に身を削る様な想いに苛まれる。


 「その人は、ご主人様にとって大事な方でしたか? 失いたくないと願う程、大事な“家族”でしたか? その方の為に、貴方が戦う程……大事な方でしたか?」


 南の言葉に、何も考えず静かに一つ頷いた。

 だって、なぁ。


 「俺が今みたいに……今でも弱っちいが、それでもだ。 今くらいに動ければ、助けられたかもしれねぇ人だった。 そん時の俺は、唖然として見ているだけだったんだよ。 見てる目の前で、死んじまった。 だから、どうして助けられなかったのかなって。 そんな事を、たまに思っちまう。 そんだけだ」


 ハハッと軽い笑いを浮かべてみれば、南は俺の兜抑えて自身としっかり向きあわせる様に固定して来た。


 「“そんだけ”、じゃありませんよ。 ご主人様の家族であり、大切な人です。 だからこそ、そんなに悲しい顔を浮かべているのでしょう? ご主人様達は皆、悲しい顔は兜に隠しますから。 だから取らないのでしょう? その黒兜を。 それこそ、“仲間達”に見せない為に」


 「そんな立派なもんじゃねぇよ」


 「そうですね、ご主人様方はそういう方たちです。 嬉しい顔は見えるのに、悲しい顔や疲れた顔は兜に隠す。 ご主人様達が見せる表情は、いつだって幸せな感情か、兜です」


 「随分と極端な人物になったもんだ。 なんだよ表情兜って」


 「分かりやすくて好きですよ? 私は」


 南はそんな事を言いながらスッと掌で俺の兜をなぞり、柔らかい笑みを浮かべる。


 「私は、貴方方が居たからこそ“幸せ”になりました。 ですが、ご主人様達は幸せと言うより“自由”という言葉が近いです。 ソレを楽しんでいらっしゃる事は分かっておりますが……たまには、お休みも必要かと」


 「結構休んでいる気はするんだがな、今だってこうしてゆっくりしてる訳だし」


 「体は動かなければ休まります。 しかし、心は違います。 ご主人様方に必要なのは、心の休暇かと思います。 私が言うのもなんですが、忙しかったですから。 お疲れさまでした」


 その一言と共に、南は俺の頭を膝の上に持って行った。

 そして。


 「何も考えず、もう一度眠って下さい。 たまには休む事も大事です、そして……おやすみなさいませ、ご主人様」


 スッと瞳を閉じさせる様に、兜の隙間を塞がれてしまった。

 問答無用に真っ暗闇になる兜の中。

 なんというか、久しぶりだ。

 “こっち側”に来てからは、常に何かに怯えていた気がする。

 周囲から迫る魔獣、敵意。

 それら全てに反応出来るように、それこそ片目を開けて寝るレベルに警戒していた気がする。

 それすらも普通になり、皆と笑い合い。

 狩りをして、食って、金を稼ぐ。

 “こちら側”に随分と馴染んで来たと思っていたのだが。


 「“私達”がお守りいたします。 なので、少しだけ。 ゆっくりとお休みくださいませ。 私は、“貴方”が育ててくれた“悪食”ですから。 全て任せて、何も考えず。 眠って下さい。 そして、今度ばかりは思い切り笑える様な“幸せな夢”を見て下さいませ」


 南の言葉と同時に、瞼が下がっていく。

 普段しっかりと眠っている筈なのに。

 やはり、どこか警戒していたのだろうか?

 敵意を感じれば目が覚め、俺ら以外の物音が聞えればすぐさま起き上がる。

 そんな環境で、一年程暮して来た。

 ソレが“こちら側”に馴染んで来た証だと思っていたが、“こちら側”を警戒し続けていた結果とも言えるのだろうか?

 だからこそ、今は非常に落ち付く。

 今俺を“守ってくれる”と言っている仲間は、非常に頼もしい上に……とても暖かい。

 そして、外敵も少ないだろう地域の海の上。

 だったら……少しくらい、“眠っても”良いのかもしれない。


 「毎日お疲れ様です、ご主人様。 大丈夫、大丈夫ですから。 少しくらいゆっくりと休みましょう? 頑張り過ぎです、ご主人様は。 大丈夫ですよ、起きた時には皆様いらっしゃいます。 貴方が全部守らなくても、“悪食”は皆強いです。 皆が皆を守ります、ですから。 たまにはゆっくりと眠って下さい。 夢が夢として見られるくらいに、もしくは夢も見ない程の深い眠りについてください。 大丈夫です、誰もいなくなったりしませんから」


 俺の兜の視界を遮りながら、南は静かに語り掛けてくれた。

 まるで、子供を寝かしつけるみたいに。

 凄いな、きっとコレが睡眠を誘導する効果って奴なのだろう。

 普段だったら絶対眠らない環境、状況だというのに。

 俺はゆっくりと瞼を閉じた。

 そして、随分と深い眠りに落ちるのであった。

 夢さえ見ない、深い深い眠りに。

 ただ、ほんの少しだけ。

 ウチの死んだ婆ちゃんが、満面の笑みを浮かべながら飯を作る光景が一瞬だけ見えた気がするんだ。


 ――――


 「お疲れ様でした、船長……その」


 「もう、何も言うな……頼む」


 船の上だというのに、陸で着る筈の黒鎧に身を包んで甲板に転がる俺に、隊長さんが声を掛けて来る。

 その表情はもう、なんも言えねぇよと言いたげだったが。

 南によって随分と深い眠りについた俺は、そりゃもうぐっすりと寝入ってしまった。

 東と西田に、勝手に鎧に着替えされられても起きない位には。

 そんでもって。


 「こうちゃん、ギルティ」


 「北君はアレかな? 膝枕マニアなのかな? じゃ、餌役頑張ってね」


 「お前等ぁぁぁぁ! いくらこの辺に大物は居ない“だろう”って言ってもコレは流石にねぇって!」


 「えっと、一応欠損しても治せますから!」


 『マジで大物が来たら引き上げてあげるから大丈夫だよ! 多分!』


 「今だけは嬉しくねぇ一言だよ聖女様ぁぁぁ!」


 黒鎧で簀巻きにされ、更には船からポイッとされた。

 まるで浮きの様に浮かぶくらいには調整してもらえたが、俺の下半身どころか胸から下は完全着水状態。

 しかもグングン進む船の後ろなのだ。

 水しぶきも凄いし波も凄い。

 こんな状態で何かが釣れる訳ねぇだろうが! なんて、叫び散らしていたのだが。


 「何でこうなっちまったかなぁ……いや、嬉しいには嬉しいんだけど」


 「まさか、“渡り蟹”の大群が食い付いて来るとは……」


 船に引きずられる俺に、小物が大量に食いついたのだ。

 前に海老を確保した時の様な状態で。

 その名を“渡り蟹”。

 足と足の間に膜の様な水掻きが付いており、大群で泳ぐらしい。

 蟹なのに、蟹なのに泳ぐのだ。

 そんな奴等が丁度近くを通りかかったらしく、俺は大量の蟹に襲われた。

 海老の時の恐怖再来。

 体中をわしゃわしゃと這うソイツ等は、アホかと言う程俺に取りついて来た。

 小物といっても、“向こう側”で言えば結構なデカさの蟹なのだ。

 ダンジョンで非常にお世話に……今思い出しても腹立たしいが、お世話になった蟹様。

 以前は食えなかったソレが、実食可の状態で目の前に大群で現れたとなればどうなるだろう。

 当然、奴等を釣る為に俺は何度も海に放り投げられる事になるのだ。

 簀巻きにされた状態で。


 「あぁぁぁクソッ。 まだ体をワサワサ這われている気分だ……」


 「アレは拷問に近いですね……」


 俺の事を心配してくれるのは隊長さんのみ。

 他のメンツは俺にくっ付いて来た蟹さんにトドメをさしたり、マジックバッグに仕舞う事に夢中になっていた。

 ついて来た商人親子ですら、今では嬉々として蟹にトドメをさしておられる。

 食いたくて仕方ないんだなありゃ。

 そんな訳で、何度もキャッチアンドリリース(俺だけ)された結果。

 見事に酔った。

 めぇぇっちゃくちゃ気持ち悪い。

 バンジーからのどんぶらこ、更には全身わさわさ攻撃である。

 もう駄目だ、俺は海の藻屑となる。


 「ご主人様、大丈夫ですか?」


 アホな事を考えながら甲板に大の字に寝転がる俺に、作業を終えた南が覗き込んで来た。


 「すみません、おかしな事になってしまって。 でも、以前のアナベルさんの気持ちが分かった気がします。 もう一回膝枕、しますか?」


 「マジで勘弁してください殺されてしまいます」


 隣に座って膝をポンポンし始める南に、思わずご遠慮したいと告げた瞬間。


 「あぁ……なるほど。 船長、もうワンセット行きますか?」


 「止めろ馬鹿、本気で死ぬわ」


 今さっきまで心配してくれていた筈の隊長さんが、頬をピクピクさせながら親指でグッと船の後ろを指さした。

 マジで勘弁してくれ。

 しかしながら……今日は随分と豪華な飯が食えそうだ。

 それだけは、餌になった甲斐があったのだろう。

 というか、そう思うしかない。

 いや、それ以外は考えない様にしよう。


 「とにかく、今日は蟹だ! 蟹を食うぞ! 腹いっぱいになるまで食い尽くしてやらぁ!」


 大の字に転がったまま大声を上げれば、周りから「うぉぉぉ!」という雄叫びが返って来る。

 とにかく、この気持ち悪さが引いてから調理を始めよう。

 今の状態のまま海鮮料理とか作り始めたら、マジで吐きそうだ。

 うえぇぇ、とか言いながら甲板でゴロゴロしていた所。


 「“リザレクション”」


 『治ったね? 治ったよね? 気持ち悪さ。 さぁ蟹を食べようか』


 「鬼か貴様ら」


 一発で色々な酔いを醒ましてくれた聖女コンビが、とてもとても良い笑み浮かべているのであった。


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