第二部 1章

第110話 森に潜む獣


 「えっと、は? え?」


 思わず、そんな声が漏れた。

 だって仕方ないじゃないか、さっきまで僕は小説を読みふけっていたのだ。

 そしてふと頬に張り付く様な空気を感じて顔を上げてみれば……そこは、ジャングルだった。


 「いや、あの……意味が分からないんですけど」


 今日は小学校から帰って来て、それから予め貰っていたお小遣いで小説の新刊を買いに本屋に走った。

 大好きな本の新しい物語を読みたくて、購入した本を胸に抱えて全力疾走で家に帰って、母に帰宅を伝えてからはずっと読みふけっていた。

 この作者の描く世界が大好きで、主人公たちが格好良くて。

 何度も、本当に何度も読み返した。

 この時このキャラクターはどんな事を思っていのだろうとか、言っていた台詞にはどんな意味が有るのだろうなんて思いながら。

 読み返す度に新しい発見を得て、そろそろお父さんが帰ってくる時間かという頃……だったと思う。

 ふと視線を上げれば、ココはどこだ?


 「は? いや、夢? でも、嘘? あれ?」


 混乱しながら辺りを見回し、状況を改めて確認する。

 とはいえ、新しい情報など微塵もないが。

 湿った空気と、独特な匂い。

 ほんの数メートル先しか見えない程の暗闇。

 周りに広がるのは鬱蒼と茂る草木、肌寒いと感じる程なのに妙に生い茂っている。

 そして、虫や獣の鳴き声が遠くから聞こえる。

 いや、うん、まって。

 そういう小説とかも読むから、一応想像というか……妄想は出来るけど。

 いざ自分の身に降りかかると、パニックにしかならない。


 「お、お母さん……いる?」


 震える声で小さく呟いてみれば、周囲からは沈黙が帰って来た。

 そりゃそうだ、この環境に母が居る訳がない。

 きっと今頃キッチンで夕飯を作っている事だろう。

 そしてお父さんもそろそろ帰って来て、僕の事を呼びに来る頃……のはず。

 だというのに、これは何だ?


 「えっと……コレが“異世界召喚”とかだったとして、えっと。 まずは何をすれば良いんだろう? 森の中だよ? どうすれば良いの?」


 物語の主人公たちはこういう状況でも何だかんだ上手くやって、生き残っていた。

 そういうのを参考にするのは余りよくないかもしれないけども、僕にはそれくらいの知識しかないのだ。

 だからこそ、周囲を注意深く観測する。

 きっと、きっと何かある筈だ。

 こういう展開の時、主人公たちは何かしら見つけるか“ステータス”とか確認していた。

 だからこそ。


 「す、ステータスオープン! ステータスオープン! 何も出てこないし……」


 結局、森の中で恥ずかしいセリフを叫ぶ子供になってしまった。

 本気でなんだこの状況。

 どうすれば良いんだろう?

 なんて事を考えていれば。


 「グルルルル」


 「へ?」


 森の中から、一匹の虎が現れた。

 しかも、動物園で見た個体よりもずっと大きい。

 いや、うん。

 どうしろと?


 「ふぁ、ファイヤーボール!」


 コレが異世界なら、きっと魔法とか!

 なんて事を思いながら手をかざし、叫んでみるものの。

 当然の様に何も起きない。

 あぁ、不味い。

 あの虎、確実にこっちに向かってくるよ。


 「えっと……その……あの」


 分かっている。

 夜の森の中で、更には周りに獣が居る状態で大声を上げるべきじゃない事くらい。

 威嚇にはなるかもしれない、でも既に目の前に居るのだ。

 獲物は自分より随分と小さくて弱い存在だと理解してしまっているだろう。

 だとしても、だ。


 「い、嫌だ……うわぁぁぁぁ! お母さん! お父さん! どこに居るの!? 助けて! 助けてよぉ!」


 泣きさけびながら、虎に背を向けて走り出してしまった。

 襲ってくる獣に対して背を向ける行為は「襲ってくれ」と言っている様なもの。

 分かってる、分かってるけど。

 こんなのどうすれば良いんだよ!


 「うあぁぁぁぁぁぁ! 来るな! 来るなよ!」


 ひたすらに声を上げながら、ただただ走り続けた。

 すぐ後ろからはドドッ! ドドッ! という重い足音。

 そして獣の息遣いが聞こえる。

 間違いなくすぐそこまで迫っている。

 こんなの、逃げられる訳が――。


 「ずああぁぁ!」


 背中に痛みと強い衝撃を感じて、思わずその場に転がった。

 痛い痛い痛い!

 背中にジンジンと今までに感じた事のない激痛が走り、更には傷口が脈打っているかの様に熱くなっていく。

 ドクドクと何かが流れ出る感触と共に、背中がとにかく熱い。

 だと言うのに、指先が冷たくなっていっている気がする。

 もう訳が分からない。

 なんだこれ、どうすれば良いんだよ。

 ガタガタと体を揺らしながら、すぐ近くから聞こえる獣の吐息に怯えながら。

ひたすらに体を丸めて小さくなっていると。


 「シャァァァ!」


 「要救助者1! こうちゃん巻き込むなよ!」


 「あの子怪我してるよ!? 聖女さん出番!」


 「はっ、はい!」


 「ご主人様! あの魔獣はかなりの脚力を持って――」


 色々な声が響いたすぐ後。

 スターン! という軽い音と共に、その後に重いモノが倒れたような衝撃。

 その後、獣の息吹が聞えなくなった。

 未だ怖くて顔を上げられないが……何が起きたのだろう。


 「――いますが。 ご主人様には関係ありませんでしたね、お疲れさまです」


 そんなセリフが聞こえたすぐ後、僕の背に暖かい掌が触れた。


 「大丈夫ですからね、すぐに治します!」


 温もりは全身に広がっていき、やがて……という程の時間もおかずに痛みは引いていった。

 一体、何が。

 なんて思いながら顔をあげてみれば。


 「大丈夫ですか? 痛く無いですか?」


 そこには竜の様な角を生やした女の人が優しく微笑んでいた。


 「女神様?」


 思わずポツリと口ずさんでみれば。


 『違うよ少年。 私達は“竜人”、この世界で唯一無二の新種族だ』


 一瞬だけ、表情が変わった。

 口元をニヤリと吊り上げ、彼女は獣の様な犬歯を見せつける。

 その姿さえも、美しかった。


 「カナ! 怖がらせてどうするの! えっと、ごめんね? もう大丈夫だから」


 『望、そうは言っても……アッチよりマシじゃない?』


 一人だと言うのに、誰かと会話するみたいに彼女は喋り続ける。

 でも、何となく理解出来た。

 彼女は、二人で一人なんだ。

 どう聞いても同じ声だと言うのに、その会話は同じ人物が喋っている様には聞えなかったのだから。

 それに、全然雰囲気が違う。

 多分、二重人格とかそういう――。


 「あっちって……」


 『ホラ、アレ』


 そう言って彼女が指さす先へと視線を向けてみれば、そこにはまごうこと無き“死神”達が立っていた。

 真っ黒い鎧、月光に反射する程の黒い光。

 その輝きに身を包んだ三人の内の一人が、先ほどまで脅威と感じていた筈の“虎”から槍を引っこ抜く。

 鮮血が舞い、彼等の身を汚していく。

 だというのに、ソレを気にした様子もなく彼は槍を振るって刃に付いた肉片と血液を振り払った。


 「あぁくそ、もう駄目か。 刃がボロボロだ」


 「メンテしてもらってねぇからなぁ……竜で相当来てたんだろ。 俺の方もほとんど駄目だ。 “趣味全開装備”もこの通り、ポロッとな」


 「僕も。 パイルバンカー壊れちゃった……」


 そんな事を言いながら、ため息交じりに自身の武器を確認するその姿は恐怖でしかなかった。

 あの刃物で次に殺されるのは僕なんじゃないかと、そんな事を想像した瞬間。

 三人が同時にこちらを振り返った。


 「え、あれ? ちょっと、大丈夫ですか!?」


 『ふむ、チビッ子には刺激が強すぎたかな?』


 柔らかい何かに包まれながら、僕は意識を手放したのであった。


 ――――


 「お? どうした?」


 「気を失ってしまいました……」


 聖女様に抱えられた少年は、ぐったりとその身を彼女に預けたまま動かなくなっていた。

 相当疲れていたのだろう。

 こんな森の中で、こんな幼い男の子が一人で居たのだ。

 無理もない。

 以前クーアに聞いた話では奴隷が逃げ出したり、色々な事情で……って、おい待て。


 「気のせいかな? その子、ポロシャツ着てるように見えんだけど。 あれ? こっちにもそういう服あんの? 聖女さんちょっと服の裏確認してくれる? タグとか付いてない?」


 どこからどう見ても、彼は“向こう側”の恰好をしていた。

 いやいやいや、待とうぜ。

 “ハズレ”だったとしても、こんな子供放り出したりしないだろ普通。

 もしもこの周辺に国があって、そんな事したとすればマジで喧嘩を売る対象になる訳だが?

 すみません調子に乗りました、国相手とか無理っす。


 「えぇっと……ポリエステルとか何とか。 あはは……」


 「だぁ……なんだよ。 急に森の中に放り出されたかと思えば、次はまた“異世界人”かよ」


 思わず兜を抑えながら月を見上げてみれば、随分と綺麗な満月。

 そして周囲には森。

 しかしながら、俺達が知っている森とは随分違う。

 湿気が多いし植物も明らかに違う、先ほどの魔獣も見た事がない。

 虎だよ虎。

 毛皮が髙く売れそうとか思っちゃうよね。


 「数日前までは、生きてるだけ儲けものとか言ってたけど……いい加減街にたどり着きたいな」


 「だよねぇ。 北君が持ってきたマジックバッグ、ろくにお金とか入ってないから街に着いても困るかもしれないけど。 保険の白金貨、お姫様に渡しちゃったんでしょ?」


 「だからソレは悪かったって……でもお前等でも返しただろ? そういう状況なら」


 「「そら返すわ」」


 二人から返事をもらいながら、盛大にため息を溢した。

 何だかんだ言って、もう数日くらいは経った。

 竜を殺し、落ちてくる天井を粉砕し、転移魔法陣を使用してから。

 緊急事態だったんだもの、そら使うさ。

 でも、今考えれば壁をぶち抜いた方が早かったかもね。

 入口が塞がっちゃったから、急いで最奥まで戻ったけども。

 なんて考えるのは、かなり今更過ぎる。

 全員満身創痍だったし、“趣味全開装備”に使う魔石も切れていた状態。

 だとしたらまぁ、仕方ないかなって。


 「ご主人様、どうなさいますか? 現状だと、そろそろ装備も心もとなくなってきております。 “悪食”の専用武器を使い続けるのも、厳しいかと」


 虎をマジックバッグに収めた南が、困り顔でそんな事を言ってくる。

 そうだよね、困っちゃうよね。

 俺の槍はガタガタだし、西田の武器は在庫不足。

 東に関しては曲がった盾で頑張っている様な情況だ。

 更に言えば、南のクロスボウは弾切れ。

 もうね、人里に降りるしかないでしょコレ。


 「近くに村とか街とかあれば良いんだけどなぁ」


 「しかし、お金が……」


 「だよなぁ……」


 生憎と金は孤児院やらホームやらに置いて来ており、マジックバッグに入っていたのは俺達の武装と食料、そして調理器具と調味料が少々。

 クーアにもう片方のバッグは預けてしまった訳だし、いくら嘆こうと俺らの稼いだ金はホームの金庫の中にあるのだ。

 そして、緊急用として持ってきた白金貨は……。


 「姫様に返すの、もう少し待てば良かったかなぁ……」


 「致し方ありません、すぐすぐ会える方ではありませんから」


 ぶはぁぁと大なため息を溢しながら、周囲の森を眺めた。


 「ま、こっちの事情なんか知った事じゃないわな。 お前等には」


 ジロッと睨みを聞かせてみれば、木々の隙間からこちらを眺めて居た影が逃げて行った。

 コレだ、これなのだ。

 今までは皆襲って来たのに、今では逃げていくのだ。

 何よ、この地域の魔獣はチキン野郎なのか?

 全然“飯”が寄って来てくれない。


 「あぁぁぁもう! 何でどいつもコイツも! とりあえず虎食ってみるか!」


 「ですね。 武装がココまで少ないと、無理に追いかける事も出来ません……」


 闇夜に飛び立つ鳥を執着に見つめる南が、残念そうに呟いた。

 “こちら側”に来てから随分と時間が経った。

 しかし、今までにこんな事はなかったのだ。

 なかったからこそ、この現状が意味分からない。


 「はぁ……今日の獲物は虎一匹か……」


 「なんか、皆逃げるよなぁ……」


 「まだマジックバッグに入っているから良いけど……もしかしたら買い食い必須になるのかなぁ……」


 誰しも悲しそうな声を上げながら、南が再び取り出した虎を解体し始めた。

 旨いのかなぁ、旨いと良いなぁ。

 ここ最近、“ボウズ”が続いている。

 獲物が居ないのだ。

 居ないというか、逃げるのだ。

 なんで? 魔獣ってもっと攻撃的だったよね?

 そんな事を思いながら、虎を捌くのであった。

 あっ、毛皮綺麗に剥げた。

 コレ売ろう。

 そんな事を思いながら、今日も野営生活が続くのであった。

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