第108話 白
「しろ! ごはん!」
ベチっと顔面に衝撃を受けた。
まだ眠い目を擦りながら瞼を開けてみれば、目の前にはお昼寝から目覚めたらしいライズ君が私を覗き込んでいた。
「ん、おはよう」
「おはよー」
孤児院に“過保護対象”として預けられているこの子。
まだまだ小さく可愛らしいが、周りの子達を見ている為か元気が有り余って仕方ない御様子。
お昼寝しても30分程度で目覚めてしまう。
そして、食欲旺盛。
「ごはん!」
もはや口癖のように、毎日この調子だ。
「お昼は食べた、夕飯にも早い。 ふむ、どうしたものか」
「どうしたものかー」
私も上半身を起こして、う~むと首を傾げてみれば。
チビッ子もまた私の真似をして首を傾げる。
「クーアさん、確か午後は空いてるって言ってたっけ。 何かオヤツでも作ってもらおうか」
「クッキー!」
「ん、作ってもらえると良いね」
そんな会話をしながら未だ眠たい頭をユラユラさせて、私はチビッ子に手を引かれながら歩きはじめるのであった。
――――
「クーアさん、居る?」
コンコンッと院長室の扉をノックしてみれば、中から「はーい」と緩い返事が返って来て扉が開いた。
「あら、シロさんにライズ。 どうしました?」
おっとりとした声で声を上げているモノの、胸元には資料の束を抱えているクーアさん。
ただいま中さんはお出かけ中。
お仕事関係なので、出張と言った方が良いのかもしれないが。
その間は休んでいてくれと指示が出ていた筈なのだが、やはり彼女もまた仕事を進めていた様だ。
「ん、クーアさんを無理矢理休憩させる為に攫いに来た」
「きゅうけー!」
私がそんな事を呟けば、隣に立つライズ君もガオー! と両腕を振り上げている。
「ふふふ、そうしましょうか。 でも、片付けをしていただけですよ?」
「書類の片付けは、書類整理というお仕事」
「確かに、それもそうですね。 では、皆で休憩しましょうか」
そんな訳で無事クーアさんを確保した私達は、皆揃ってキッチンへと向かうのであった。
――――
「はい、焼けましたよー」
「ライズ君、まだ熱いから。 冷ましてからね」
「キターマ! アジュマ! ニィダ!」
焼き上がった様々な形のクッキーに興奮した様子のライズ君は、必死で指さしながら叫んでいた。
悪食ドワーフメンツのキッチン担当、タールさんに作ってもらったクッキーの型。
余りにも子供達がウチのリーダー達の事を心配するモノだから、気が紛れるようにと製作したらしい。
二本の槍が交差した型、大きな二枚の盾の型、そして幾つもの短剣が羽の様に広がっている型。
皆のオヤツの時に出してみれば、子供達にはたちまち人気になった訳だが。
「ライズ君、南は? コレ」
スッと一枚のクッキーを差し出してみれば。
「ネコー!」
「ですよね」
この“方角クッキー”。
南だけ猫クッキーになってしまったのだ。
理由としてはクロスボウをクッキーで表現しても分かりづらい、矢にしようかとも思ったが私と被る。
などの理由で、南クッキーは猫になった。
人気ではあるものの、ライズ君はこのクッキーを南とは呼んでくれないのだ。
「そういえば、シロさんの昔の話って聞いたこと無いですよね。 皆様は度々話してくれたり、ナカジマ様もこの前話くれましたが」
三人でオヤツタイムに入った少し後、クーアさんがそんな事を言い始めた。
確かに北西東は“向こう側”にはこんな物があったとか、こういうお話があったんだぞ、とか子供達によく聞かせていた。
ソレを再現しようとする子供達やドワーフ達を見るに、中々良い刺激にはなっているようだが。
しかし、私の場合は。
「皆みたいに、上手く話せない。 というか、楽しく話せないから、喋らないだけ」
「……聞いてはいけない話でしたか?」
「ううん、別に。 聞きたいなら話すけど、面白い話じゃない。 北達にはちょっと話したけど、多分気分が悪くなるだけ」
「すみません。 皆さま楽しそうに話すモノですから、“向こう側”は幸せな世界だったのかと……」
「皆は、幸せな部分だけ切り取って話すのが上手いから。 辛い事は、大体話してないと思う。 私にとって、“向こう側”は地獄みたいに感じられたし」
クーアさんの淹れてくれた紅茶に映る自身の姿を眺めながら、ふぅ……と小さく溜息を吐いた。
こんな姿に生まれなければ、もう少しまともな人生が送れたのだろうか?
一度死んでしまえば、生まれ変わったり別の世界へ行けたりするものなのだろうか?
なんて、馬鹿な事を何度も考えるくらいには酷い人生だったと思う。
だからこそ、語るべきではない。
「シロ、あげる」
そう言って、クッキーを差し出して来るライズ君。
普段ならもっともっと欲しがる程好きなオヤツだというのに、その一つを私に向かって差し出して来た。
「ん、いいの?」
「へーき」
ニカッと笑いながら自分の好物を差し出してくるこの子は、今何を思っているのだろう。
あ~んと口を開ければ、ポイッと口の中に放り込まれるクッキー。
うん、美味しい。
多分、私は悪食の中で一番子供舌だと思う。
柔らかい卵料理が好き、甘いものが好き。
しょっぱい物も美味しいけど、ソレばかりだと塩辛いと感じてしまう。
そんな時は大体、あの三馬鹿面子がスープや飲み物を用意してくれたんだ。
「もう、いたくない?」
「え?」
「いたそうな顔してた」
微笑みながらもどこか心配そうな雰囲気で、ライズ君は私の事を見上げていた。
あぁ、凄いな。
ココに居る人達は、皆“元の家族”とは違う。
こんな幼い子供でさえ、私の感情に気付いてくれる。
悪食メンバーが連れて来る人は、皆彼等の影響を受ける。
それは、多分私も含めて。
「ん、平気。 ありがと、ライズ君」
「ん!」
笑みを向けて頭を撫でまわしてみれば、彼は満足した様子で再びお菓子を食べ始めた。
“こちら側”に来てから、幸せを感じる事が出来た。
私を見てくれる、必要としてくれる。
そして、受け入れてくれる環境。
それが、この上なく居心地が良いと感じているのだ。
――――
私は“男”というモノが苦手だった。
小学生の頃は白髪だのババァだの、クラスメイトの男子からイジメられたし。
以降も奇異の瞳を向けられ、コソコソと話される事が多かった。
何より、いつだって怖かったのは“家族”。
中でも一番父親が怖かった。
私の銀髪は家族にとっても予想外だったようで、事あるごとに折檻を受けた記憶しかない。
自身でも何がいけなかったのか分からない些細な出来事まで、父親は怒鳴りつけて来た。
罰だと、お前が悪いんだと罵りながら、父親からよく殴られた記憶の数々。
時には寒い時期に、家の倉庫に閉じ込められた事もあった。
ご飯が無いのなんか当たり前、学校に行っている間にお腹が鳴ってよく笑われたくらい。
そんな時はお婆ちゃんの家に逃げ込んで、ゲームをやらせてもらったり、ご飯を貰ったり。
保護はしてくれるし、遊ばせてもくれる。
しかし必要以上に関わって来ない祖母ではあったが。
でも、そのお婆ちゃんが死んじゃってからは本当に逃げ場が無くなってしまったんだ。
感情を殺し、何で生きているかも分からない状態で毎日を過ごす中。
私は“こちら側”に呼ばれた。
正直、最初は期待した。
ゲームみたいな世界、小説の様な設定。
これから私も、自由に生きられるんだ。
なんて思った次の瞬間、城の外へと捨てられてしまった。
「大丈夫です、何とかします。 大丈夫ですから」
私と同じ絶望的な状況にも関わらず、中さんは私に良くしてくれた。
女である私は、中さんよりも危ないからと言って、どこからか恰好を隠す布を拾って来たり。
残飯の様な物だったが、毎日何かしら食べ物を探して来てくれたり。
あぁ、こんなにも私の為に何かしてくれる人が居るんだ。
心からそう思ってしまう程、彼は傷だらけになりながらも必死で私を助けてくれた。
そして。
「旦那、どうですかい?」
ある日、見知らぬ男に捕まってしまった。
“向こう側”でも“こっち側”でも、結局は幸せな人生なんて待っていなかったのか。
そんな風に絶望しながら視線を上げてみれば。
「失せろ」
怒気を含んだその声が聞こえた瞬間、思わず背筋が冷えたのを覚えている。
でも、その声は私に向けられたものじゃなかった。
「迎えに来た。 腹減ってないか?」
真っ黒い鎧に身を包んだ彼は、そう言って手を差し伸べてくれた。
その手を取った私は、“悪食”の一員となって今に至る。
だから“向こう側”の事を語ってくれと言われても、私には楽しく語る事は出来ないだろう。
面白いゲームがあったとか、楽しい小説があったとか。
それくらいならちょっとは話せるかもしれない。
でも三馬鹿みたいに身振り手振りを入れながら、子供達を楽しませる様な特技は持っていない。
更に言ってしまえば、私の幸せが始まったのは“こちら側”に来てからなのだ。
だから、“こちら側”を全力で楽しみたい。
居場所があって、ご飯があって、皆笑っている“こちら側”の“悪食”という家族が好きだから。
昔の事はどうでも良い、残して来た家族とか友達とか、そういう後ろ髪引かれるような環境でもなかったし。
でも、だからこそ。
「早く帰って来ないかなぁ、方角メンツ」
「ですね、待ちくたびれてしまいます」
そんな事を言いながら、私は砂糖がたっぷり入った紅茶を口に含むのであった。
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