第107話 中
「「「ありがとうございましたぁ!」」」
「はい、こちらこそ。 それでは皆さん、午後も頑張ってくださいね?」
授業を終え、教科書を脇に抱えた瞬間。
「ナカジマ先生ぇ! 今日はご飯何にするのー?」
「午後の訓練にナカジマ先生も参加するの?」
周りに子供達が集まって来てしまった。
わちゃわちゃと騒ぎだす子供に、ヤレヤレと思いながらも口元は緩む。
しかし困った、コレでは院長室に戻る事が出来ない。
なんて事を考え始めた事。
「ホラ皆、ナカジマ様が困っているでしょう? それに、お昼の当番の子も居た筈ですよね。 皆を待たせるおつもりですか? 時間は有限です、勿体ないですよ?」
「「はぁーい」」
通りかかったシスター、クーアさんが教室に顔をだした。
パンパンと軽く手を打ち鳴らしたかと思えば、子供達は素直に従って各々動き始める。
いやはや流石だ。
優しい顔を浮かべながらも、彼女が一声上げれば皆従ってくれる。
それだけ、厳しくも慕われているという事なのだろう。
「ありがとうございます、シスター」
「いえいえこれくらい。 でも、ナカジマ様は本当に子供達に慕われていますね。 先生の中で一番という程、子供達が一緒に過ごしたがります」
ニコニコと笑う彼女の言葉に、はてと首を傾げてしまう。
果たしてそうなのだろうか?
クーアさんはもちろん、アナベルさんや初美さん。
ドワーフの方々とも皆親しく過ごしている気がするのだが。
「あ、もしかして気づいていませんでした? 確かに“悪食”メンバーの皆様全員と仲良しではありますが、子供達が当番やお仕事さえも忘れて時間を共にしようとするのは、恐らくナカジマ様だけです」
「それは何というか……申し訳ありません」
「いえいえ、それだけ慕われている証拠だという話ですよ。 ですが、何と言いますか。 ナカジマ様は叱る……というより、否定的な言葉をあまり子供達に使いませんよね? 拘りがあるのですか?」
「あぁ~確かに叱りつけるというのは、あまり得意ではないかもしれませんね。 拘りという程ではありませんが、私の憧れた教師がそういう人でしたので」
「あら、なんだか面白そうなお話の予感……是非お酒の席にでもお聞かせ願いたいですね」
「う~む……あまり面白い話ではないですよ?」
――――
教師に憧れたのは、高校の頃だった。
当時それなりの進学校に通っていた訳だが、やはりイジメやら何やらはどこにでもあるモノで。
現代の様に陰湿なモノや、自殺にまで追い込む様な嫌がらせ。
そう言ったモノより、私の時代は暴力的なモノが多かった印象がある。
だからこそ、“当たり前”のものとして受け流していた訳なのだが。
「喧嘩かい? 若い子は喧嘩してなんぼだけど、あんまり痛くし過ぎるのは可哀そうじゃないかい? ホレ、アンタも。 殴られた方は当然痛いが、殴った方だって痛いだろうに。 拳から血が手出るじゃないか。 ホラ、さっさと保健室いっておいで。 ちゃんと消毒するんだよ」
絵に描いた様なヤンキーに対して、彼女はシッシッとばかりに簡単に追っ払ってしまった。
私としてはヤンキーに対して、そんなナリして進学校なんか通うな! と愚痴っていた記憶はある。
そして。
「あらら、随分と派手にやられちゃって。 大丈夫かい? 中島君」
「……はい」
差し出された手を掴めば、グッと力強く引き起こされた。
詰まる話、イジメられていたのが私という訳だ。
毎日毎日因縁を付けられ、殴られ蹴られ、こうしてこの先生に助けられる。
結構な年齢だろうに、彼女はいつも笑いながらヤンキーの拳を片手で止める。
しかも、怒った所を見た事が無い。
ある意味で怖い人だったのだ。
「あの、先生」
「なんだい?」
いつもの様に職員室に連れていかれ、怪我の治療を受けている時。
ふと聞いてみたくなった。
「先生は、なんで怒らないんですか? なんでそんなに強いんですか? どうしたら……強くなれますか?」
グッと拳を握りしめながら、その言葉を紡いだ。
しかし彼女は、ヘラヘラと笑いながら私の問いに答えるのであった。
「そうさねぇ、その答えは全部一つに繋がるかもしれないねぇ。 あぁでも、こいつは私の答えだから、中島君の“答え”にしちゃいけないよ? そりゃズルってもんだ」
「ズル、ですか?」
「そうそう。 そういうのはじっくり考えて、長い事生きて、やっと見つけるもんだからねぇ」
そんな事を言いながら、私の膝に絆創膏を張った彼女は傷口をペシッと軽く叩いた。
「怒らないのは、疲れるから。 怒ったって何にもかわりゃしないよ、その場は良くても後に続かない。 だったら何が悪かったのか、どうしたら良いのか考えさせる方がずっと良い。 だから話をするんだよ、せっかく私達には言葉があるんだから、使わなきゃ損だろう?」
「は、はぁ……でも言葉が通じないさっきみたいな奴は……」
「ありゃ、通じなかったのかい? じゃあ次の授業は日本語の勉強からだね」
「い、いえ。 そうではなく」
慌てて否定しようとした私を見て、彼女はカッカッカと豪快に笑い始めた。
この人はいつも見ていて気持ち良くなるくらいに、楽しそうに笑う。
まるで普通の人間が抱える悩みなど些細な事だと言わんばかりに。
「中島君は真面目だからねぇ、色々考えるんだろうけど。 たまには馬鹿になる事も必要だよ?」
「馬鹿に、ですか?」
「そうそう。 例えばさっきの連中に喧嘩で勝つにはどうすれば良いと思う?」
「体を鍛える……とかですかね?」
「あぁ、なるほど。 いいね、今日からやってみな?」
「えっと?」
あんまり答えらしい答えが見つからず、首を傾げてみれば。
「思いついたらやってみる、よくわかんないけどやってみる。 答えを欲しがる中島君からすれば、もしかしたら馬鹿みたいに見えるかもしれないね。 でも、意外と面白いもんだよ? そう言うのも」
「面白い、ですか?」
「そう、面白い。 次は勝ってやるって体を鍛えるのもよし、それこそ格闘技か何かを習っても良し。 逆に勝つんじゃなくて、逃げるんだって正解かもしれないよ? だったら足が速くないとね。 ランニングとかしてみたらどうだい?」
「えっと?」
なんだか話があっちこっちに行き初めて、どうしたものかと思い始めた頃。
彼女は再び微笑んだ。
「だから、中島君の答えは決まっちゃいないのさ。 私の出した答えは圧倒的なパワーで制圧して、相手に“勝てない”と思わせる事。 そんでもって笑顔で接してやりゃ、意外と大人しくなったりするんだよ。 私は教師なんかやっちゃいるが、元々馬鹿でねぇ。 もしかしたらって思ったら行動しちまう人間だったんだよ、昔っから。 その結果が、コレさね」
そういって、彼女は両手を広げて見せた。
そこには、どう見ても普通のおばちゃん先生が居た。
常に笑顔で、優しそうで、いつも助けてくれる。
そんな“普通”に見える彼女の裏には、並々ならぬ努力があると感じられた。
常に笑っているには、どうしたら良いのか。
誰に対しても優しく接するには、どんな心境で過ごせば良いのか。
そしてどんな相手に対しても平然と前に出て、私の様な弱い人間を助けるにはどれ程の鍛錬を積めばよいのか。
当時の私には想像する事すら敵わない、どこまでもハードルの高い“普通”であった。
「俺は……先生みたいになりたいです」
「嬉しい事言ってくれるじゃないか中島君。 なら、頑張らないと。 君は私より優れている所はすんごいいっぱいあるだろうねぇ、本気でビックリするくらいに。 でも劣っている点もほんの少しだけある。 だからちょっとばかし気が向いた時に、そっちも伸ばす努力をしてみたら良いかもしれないね? そうすりゃ、もっと良い男になるだろうよ」
そう言って笑う彼女は、私の頭を乱暴に撫でて来た。
「鍛えろって事ですよね?」
「鍛えるのも悪くないね、実に良い。 でも私がお勧めするのは、たま~に馬鹿になる事だ。 何にも考えず、欲しいと思った事に熱中してみな。 そうすりゃ意外と体が付いて来るよ」
「そっちはちょっと、厳しいかもしれません」
「なはは! 相変わらずお堅いねぇ中島君は!」
豪快に笑うその女性は数年後、教師を辞めたのであった。
――――
「とはいえ彼女は、退職するその時まで生徒達に囲まれていたという話――」
「ちょ、ちょっとお待ちください! 急です、話が急です。 何故その方は教師をお辞めになったのですか!? 何か問題があったりとか、体調を崩されたりとか!?」
お酒を片手に、クーアさんから思いっきり突っ込みを受けてしまった。
現在は酒の席。
方角メンツ以外の悪食の面々が揃って、お酒を頂いていた。
「いえ、特別“何か”があったから、という訳ではないですね。 なので挨拶に行った時も、子供は頭から否定するよりも促してやった方が良い子に育つと教わったので、その教えを引き継いでいるだけです。 最期までずっと笑みを浮かべている様な人でしたから」
「え、えぇぇぇ……」
ガクッと項垂れるクーアさんに苦笑いを溢していれば、ガッハッハと笑い始めるドワーフメンツ。
「ま、悲しい話にならなくてよかったわい! 人の歴史を聞きながら飲む酒も旨いのぉ!」
「多少の酒の肴にでもなったのであれば光栄です」
なんて笑顔で受け答えしていれば。
隣から脇を小突かれてしまった。
「嘘、まだ何かあった……ううん、“何も無かった”から。 何も出来なかったからこそ、諦めた、とか?」
白さんが、小声でそんな事を言って来た。
他の皆には聞こえない様に、本当に小さな声で。
だからこそ。
「人間生きていれば、色々ありますよね。 彼女にも、私にも、もちろん白さんにも。 何たって“向こう側”の社会人でしたから。 いえ、学生でも色々あるでしょうね。 しかし過去の事です、振り返るなら楽しい記憶の方が良いじゃありませんか」
「……ん、分かった」
それだけ言って、彼女は再び正面を向き直った。
色々と気を使わせてしまった様だ。
少しだけ申し訳なくなりながらも、私も黙ってグラスを傾ける。
「あ、ですが」
「ん? なに?」
ふと声を上げてみれば、話の続きかとばかりに皆が皆食いついて来た。
その光景にやれやれと眉を下げながらも、思わず口元が緩んだのが分かった。
「憧れている人、という意味では悪食主メンバーの方々もそうですね。 路地裏でチンピラに絡まれている私を助け出してくれた東さんとか、もう救世主の様に見えましたよ。 その後ビビりましたけど、あの鎧の見た目で」
「分かる。 私の時は北だったけど、普通に怖かった」
白さんと共にそんな話をすれば、周りからはドッと笑いが漏れた。
あぁ、楽しい。
“こちら側”に来た時は随分と絶望したというのに、今ではこんなにも幸せに過ごす事が出来ている。
それこそ、“向こう側”に居た時よりもずっと。
「よし、リーダー達が帰ってくるまでに1つ目標を立てて置きましょう」
「へぇ、どんな?」
アイリさんが酔っぱらった様子で、こちらに赤い顔を向けてくる。
この人も“あの手紙”が届いてから、随分と明るくなった。
まぁ私を含め、他の面々も同じ事が言えるのだろうが。
「西田さんより速く走れるようになります」
「中さん、教えに沿って早速馬鹿になった?」
「いやぁ……今でも十分速いけど、ニシダさん以上となると……」
誰しも渋い顔を浮かべているが、あえて満面の笑みを返してやろうではないか。
「最初から諦めて居たら絶対に敵いませんからね、“思いついたらやってみろ”です。 これでも、子供の御手本にならないといけない身の上ですから」
そんな事を言いながら、いつもより豪快にグラスを空ける。
今が幸せだからと言って、コレがいつまでも続くとは限らない。
だからこそ、強くならなければ。
“向こう側”の様な後悔を残さず、“こちら側”で子供達を無事に巣立たせる為に。
私がこちらに呼ばれた理由はソレなのだと、今ではそう思っている。
見ていてください、先生。
貴女の様な立派な教師になって見せますから。
ただ……これからは。
お墓参りには行けそうにありません。
随分と遠くからにはなりますが、貴女の安らかな眠りをお祈りいたします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます