第57話 夜を謳う
「アウル坊ちゃま、ご報告が」
「またか……」
またもや悪いタイミングでテントに入ってくる騎士団長。
コイツ、狙ってやっているんじゃないだろうな?
そんな事を思いながらため息を吐けば。
「それなりに進んだ地点に足を進めていた生徒達が、今慌てた様子で帰還致しまして……その」
「何だ、結果から言え」
イライラした感情を隠す事もせず、半裸のエリーゼを置いてベッドから降りる。
すると。
「森の中に未知の魔物が現れた、と。 坊ちゃま達が気にしていたイリス嬢のパーティも、近くに滞在している様子。 今は教師陣が確認の為に森に入った所です」
未知の魔物?
こんな脅威が薄いと考えられる森の中で?
学生が演習に使う森だぞ、大物と言えば王猪くらいしかいない。
もっと奥へと踏み込めば、確かにソレ以上の者は現れるかもしれないが……そいつらが縄張りを破ってでも攻め込んでくるモノなのだろうか?
「……その魔物というのは?」
「なんでも影の様に真っ黒な人型だったとか。 もしかしたら、“魔人”かもしれません」
その報告を聞いて、思わず口元が吊り上がった。
今日は王猪を討伐した。
それでも学生としては十分だと踏んでいたが、こいつはとんでもない上物が転がりこんで来たモノだ。
国でさえ脅威とされる魔人を、学生の僕が討伐すれば……どれ程の功績が残せるのだろうか?
あのイリスでさえ、僕にひれ伏す功績になるだろう。
そのチャンスが、やっと巡って来たのだ。
「今すぐ僕達も出発する。 騎士団の皆を全て叩き起こせ」
「夜の森に挑むのですか?」
「聞こえなかった? 今すぐ、そう言った筈だ」
「……ハッ」
短い返事を返してから、彼はテントを出て行った。
夜の森とはいえ、こちらには騎士団。
そして索敵している教師陣と、僕達の魔法だってあるのだ。
何を恐れる事があるだろうか?
こっちにはとにかく数が揃っている。
ソレを最大限に生かし、最後の一手を僕が掠め取れば良いだけの話だ。
「アウル?」
「今すぐ出発するよエリーゼ。 今日の分は、もう少しお預けだ」
「もう……分かったわよ」
そう言ってからベッドから降りる彼女。
シーツを体に巻き付けては居るモノの、その輪郭だけでも情欲が掻き立てられる姿だ。
「いや、一度落ち着いてからの方が良いかもしれないな。 騎士たちの準備ももう少しかかるだろうし」
「んっ、もう……仕方のない人」
結局は彼女に抱き着き、欲望を吐き出した。
再び騎士団長が呼びに来るまで、その行為は続いたのであった。
――――
「団長、本当に良いんですか?」
部下の一人が、不安そうな声を上げた。
気持ちはわかる。
難易度が低いとされる森ではあるが、昼と夜ではガラリと様子を変えるモノだ。
ランタンの明かりだけでは、十分な視野が保てない。
「仕方ないだろう。 依頼人のお坊ちゃんの指示だ」
「あのガキ……好き勝手やりやがって……」
「言葉を慎め、あんなのでも随分な貴族だ。 不手際の一つでもあれば、首が飛ぶのは俺達だぞ」
とはいえ、部下たちの不満も分かる。
昨日もそうだが、今日も野営地で女と乳繰り合う様な馬鹿だ。
何を考えているのか。
このイベント自体が貴族の集まりであり、上位貴族という立場が無ければ大変な事になっていた事だろう。
普通なら周りから襲われたり、声によって周りの魔獣を呼び寄せたりと色々な問題がある。
だというのに……あぁもう良い、言うだけ馬鹿らしい。
「しかし、本当に居るんですかね? 魔獣を端から喰らう魔人なんて。 目撃者の黒い影ってのも、幻覚とか見間違いの類なんじゃ?」
「わからん、だが目撃情報があった以上調べる必要はある。 生徒達が行けるギリギリのラインの話な訳だしな」
そんな会話をしながら、その“ライン”を超えた。
ここから先は今まで以上に強い魔獣が闊歩する地域。
だからこそ、もう一度気を引き締める為に部下に声を掛けようとした。
だというのに。
「ビッグボア、ホーンバイソン多数確認! 接敵! せってーき! 数、12!」
先行して様子を見ていてくれた部下が、急に大声を上げて戻って来た。
ふざけるな、王猪と角牛の群れ?
どちらも突進力に特化し、正面から打ち合うには最悪の相手。
我々だけなら何とでもなる、しかし後ろには守るべきお貴族様達が居るのだ。
逃げる訳にもいかない上に、正面から抑えるには厳しい。
「くそっ! よりによってその二種類か! 横から抑えるぞ! 全員広く展開――」
「わりぃ、ソレ俺らの獲物なんだわ。 横取りNGで」
背後からそんな聞き覚えの無い声が聞こえて、思わずゾッと背筋が冷えた。
誰の声だ? 間違いなく部下のモノではない。
聞いた事の無い声、そして何処までも底知れぬ恐怖を煽るような静かな声。
だというのに、正面からもまた別の声が聞こえて来た。
「西田! いつまでも隠れてっと俺だけで貰っちまうぞ!?」
いつの間にか、我々の目の前に黒い鎧が立っていた。
その両手に、それぞれ一本ずつの槍を掴んで。
「こうちゃん、俺後ろから行くわ! 前後から半分ずつだからな!?」
「あいよぉ!」
彼等が叫ぶと同時に、視界の先からは魔獣の群れが現れた。
どの個体も、全力で駆けている。
アレは正面で受け止めるべき相手では無い、それだけは分かる。
見て分かるだろうに、目の前の彼は引かなかった。
それどころか。
「しゃぁっ!」
「おらぁ!」
叫び声を上げながら、二本の槍で魔獣を薙ぎ払う黒鎧。
そして、視界の先ではもう一体の黒鎧が空中を駆ける様にして暴れている。
なんだ、これは?
魔法を使えば、確かに現実のモノとは思えない光景だって生まれる。
そう言ったモノは称えられ、語り継がれる。
だというのに、彼等は“そう言ったモノ”を一切使っている気配さえないのだ。
騎士だって魔法は使う、だというのに彼らは。
「クハハハハっ!」
「遅い遅い遅い!」
一切の搦め手を使わず、物理だけで魔獣を仕留めている。
しかも、一匹たりとも取りこぼす事無く。
立ちふさがる目の前の彼、その後ろに居る私達は唖然としてその背中を見つめた。
まさに死線、彼という最終ライン。
そこにたどり着いたモノは情け容赦なく刈り取られる。
その先は存在しない、通り抜ける事などあり得ないと言わんばかりの、最終防衛ライン。
それが、この男。
「デッドライン……」
彼より向こうへと向かってはいけない。
彼に立ち向かってはいけない。
そんな風に思えてしまう程、眼の間で暴れる黒鎧は恐ろしかった。
本当に人間なのか? それともまさか魔人?
なんて事を思ってしまうが、すぐさまその考えを否定した。
俺は彼等を知って居る。
この仕事が始まってすぐに、あの黒鎧を見ている。
間違いなく人間、そして少なからず彼等が言葉を発する場面に立ち会っている。
その時の彼は、随分と理性的だった。
貴族のお坊ちゃま達に煽られた所で、笑って話を流すほどには。
だというのに、コレはなんだ?
魔人というモノを見たことは無いが、きっと彼等よりかは生易しい姿をしているのだろう。
それくらいに、脅威。
目の前に居るのは、間違いなく“死神”だ。
触れる全てを、挑む全てに平等に死を与える存在。
そうとしか言いようが無い。
「っしゃぁ! 終わり! 回収して次だ!」
「あいよ! 30分ローテだからな! 急ぐぜ!」
そんな会話を残して、彼等は森の中へと去って行った。
そこに残ったのは血だまりのみ。
さっきまで居た筈の魔獣達の死骸さえ見当たらない。
「だ、団長……」
部下の一人が声を上げるが、返す言葉が見つからない。
なんと答えれば良い? 彼等を追えとでも言うか?
そんな命令、俺だったら絶対に従わない。
アレはダメだ、追ってはいけない存在だ。
もしも敵意など向けたら……どうなるか分かったモノではない。
「おい! 何をしているんだ!」
だいぶ後方から、状況を理解していないお坊ちゃまが不機嫌そうな声を荒立てながらこちらへと向かってきた。
ハハ、本当に笑えて来る。
この世間知らずの子供の護衛でこんな所まで来たというのに、楽な仕事だと思ったのに。
だというのに、出会ったのは“死神”。
やって居られるか、コレ以上。
「アウル坊ちゃま、本日は撤退致します。 コレ以上進む事は、隊長として許可できません」
「はぁ!? 何ビビってんだよ!? それでも騎士か!?」
「騎士だからこそ、です。 我々はこんな所で死ぬわけにはいかない」
そう言い放てば、彼は面白いくらいに顔を真っ赤にしながら激高した。
どうしても、自分の思い通りにならないのが気に入らないのだろう。
貴族の若い子達にはよくある事だ。
あぁ、いつからだろうか。
こういう相手の対応になれてしまったのは。
「ふざけんなよ! 黒い魔人ってのはどうなった!? ソレを放置するのが騎士か!? 随分と逃げ腰じゃないか!」
「それは確認致しました、アレは魔物でも魔人でもありません。 だからこそ関わっちゃいけない」
「意味の分からない事ばかり言いやがって! だったら何だってんだ!? この森で何が暴れまわっているっていうんだよ!?」
「ウォーカーです」
「は?」
答えてやれば、随分と間抜けな顔を晒すお坊ちゃま。
まあ、そりゃそうだろう。
ウォーカーといえば、無法者の集まり。
有象無象の集団というイメージがある。
でも、たまに混じって居るのだ。
本物の強者が。
化け物じみた“英雄”とも言える逸材が。
「先日紹介を受けた“悪食”です。 彼等が森の魔獣を駆逐する勢いで動いています。 今回の一件は、ソレだけの話だったんですよ」
「だったら余計に俺らも動かなきゃいけないだろうが! 遅れを取ってどうするんだよ! 相手はたかがウォーカーだろう!?」
「だったら一人で進めクソガキ! 俺はあの“死神”に部下を向かわせる気はないぞ!」
思わず叫んでしまった。
仕方ないじゃないか、これより先は彼等のテリトリー。
そこに踏み込めば、彼等の穂先は我々に向くかもしれないのだから。
冗談じゃない。
両手に槍を持って振り回している時点でおかしいのに、迫りくる王猪を片槍で薙ぐような連中と部下を戦わせる事など出来るか。
“アレ”は人間が戦って良い相手では無い。
もしも剣を交えるなら、その時は後衛に魔術師10人は欲しい。
それでも足りるか分からない。
いくら魔法を放とうと、いくらバフを貰おうと。
土煙の先から、あの笑い声が聞こえてくる気がする。
「我々は退きます。 護衛依頼が失敗だというのなら、今すぐ我々は学園からも去りましょう。 残りの“授業”は自分達で頑張ってくださいませ。 とにかく、“この先”へと進む事を、我々は拒否いたします」
ソレだけ言い放って、騎士団は野営地へと歩を進める。
やってられるか、アレに挑め? 冗談も大概にしろ。
王族の命令なら従う他ないだろうが、今回は成り上がりの貴族の依頼だ。
ふざけるんじゃない。
白金貨数枚の為に、何人の命が犠牲になる事か。
それどころか、この森の中では全滅する可能性だってあるのだ。
彼等は“悪食”。
森の中で平然と生活し、獣を狩り喰らう者達。
そしてその実力は、我々の目の前で証明してみせた。
常軌を逸している。
まるで獣をどう捌けば効率が良いか、獣の群れに対してどう処理すれば一番効率が良いのか。
それが全て分かっている様だった。
もしもそれが“人間の群れ”でも慣れていた場合、私達はどうなる?
獣同様、肉塊に変わるのか?
そんな仕事、やって居られるか。
俺達は帰る。
「ふざけるなよお前ら! お父様に言いつけるからな!」
「ご自由に、こちらも状況説明は致しますので。 どうしますか? 明日以降の護衛は。 今すぐに判断を頂きたく思います」
「……くそっ! 依頼は続行だ! でも、報告はするからな!」
「ですから、ご自由に」
そんな訳で、我々の依頼はまだ続く事になった。
とはいえ、今日は野営地に帰る訳だが。
「悪食……怖いもの見たさではあるが、一対一で手合わせしてみたいモノだ……」
「団長、それは相手の事を考えずこちらの土俵に立たせる行為では?」
「確かに、そうなんだが……どうやって手合わせすれば良いのだろうか?」
「今から森に突っ込めば……」
「それは確実に死ぬ、無理だ」
「ですよね……」
そんな事を話しながら、我々は野営地へと引き返した。
とんでもない光景を見た訳だが、今日はなんとなく良く眠れそうな気がする。
騎士にまで成り上がった我々からしても、あの背中は大きすぎた。
あの時感じた希望と絶望。
相対する感情を胸に抱えながら、我々は仲間達と語るのだろう。
あぁくそ、コレが学園の行事でなければ酒の一つでも用意できたというのに。
思わず舌打ちを溢しながら、我々は足を進めたのであった。
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