破片越しの窓辺から

 今のあくりちゃんの本業はフリーターだ。

 特に何があるわけでもないこの小さな街で、彼女はもう随分前から国道沿いのコンビニに勤務している。

 だだっ広い駐車場はいつ来てもガラガラで、店内で他の客を見かけたことだって数えるほどしかない。まるで忘れ去られた秘境のようなその店は、僕とあくりちゃんが会って話すにはうってつけの場所だった。


 アキトさんと食事を共にした翌日、駐車場の縁石に腰掛けたあくりちゃんにフェスの話を伝えると、彼女はニヤニヤと笑いながらこう言った。

「高橋に借り作るのはすげーヤだけど、お倫が言うならやろう。曲作ろうぜ、新しいのをたくさん」

「メンバーも探さないとなあ。あくりちゃん友達にドラマーいない?」

「いるわけねぇー」

 目下の問題はそこだ。サポートのメンバーは何とかして僕が探してこなければならない。

「そもそも友達がいねぇー」

 乾いた笑い。

「そういうの、わたしはいいよ。お倫が何とかしてくれるからさ」

 あくりちゃんらしい割り切りだと思う。彼女の中にはきっと音楽以上のものがない。雛目あくりは雛目あくりという音楽によって全てを伝える人間で、それ以外の些事にはまるで興味がないのだ。

「よし、やるか!」

 何しろ本番は来年だ。思っている以上に準備の時間は少なかった。



「なぁお倫、もしかして高橋って結構いいとこで働いてるの……か?」

 地元駅から二時間近くかけて到着したオフィスビルは見るからに新しく、ガラス張りのエントランスからロビーに足を踏み入れたあくりちゃんの表情は見るからにぎこちない。

 アキトさんから書類審査通過を報せるメッセージが届いたのは、話をもらってからすぐのことだった。

『プロデューサーが一度会いたいって言ってる。雛目も一緒に時間取れるか?』

 続けて送られてきた頼みに答えて見知らぬオフィス街にある広告代理店を訪れた今日はそれからちょうど二週間後である。

「そんなに大きい会社じゃないとは言ってたけど」

「ンだよ高橋のくせにいっちょまえに謙遜かぁ?」

 キョロキョロしっぱなしのあくりちゃんを先導して受付を済ませ、あくりちゃんと共に待合スペースの空席に腰掛ける。

「あくりちゃん、ビジネスっぽい雰囲気マジ似合わないよね」

「だよなぁー」

 着古してくたくたになったパーカーにロングスカートという出で立ちのあくりちゃんは、スマートにデザインされたエントランスの風景から明らかに浮いていた。彼女は昔からTPOに合わせて服装や態度を変えるということを大の苦手としている。そういうマイペースな振る舞いは大抵の場合他人に良い影響を与えることはないけれど、僕にとっては心強いものだった。

 どんな時もあくりちゃんがあくりちゃんであることは揺るがない。そういう信頼が、僕の中には確かに存在してた。


 しばらくして現れたアキトさんに案内されて会議室に入った僕たちを待っていたのは、ダークグレーのスーツに身を包んだ一人の女性だった。

「あら、どうもはじめまして!」

 明るい声色で挨拶したその女性は、椅子から立ち上がるとそのまま僕たちの正面に立ち、内ポケットから名刺ケースを取り出した。

「私、LMCレコードの赤木と申します」

 素早く二枚の名刺を取り出して僕とあくりちゃんに手渡すと、赤木と名乗ったその女性は満面の笑みで続ける。

「今日は無理を言って来て頂いてごめんなさいね! 私、書類を見てからずっと気になってたんですよ」

「はあ……どうも」

 困惑しつつ、僕たちは彼女と向かい合う形で席に座った。もらった名刺を改めて見れば、そこには大きくLMCという三文字が印刷されている。

 それは、十数社存在する国内メジャーレーベルの一角を成す企業の名前だった。


「改めまして、LMCレコードの赤木です。肩書きとしては音楽プロデューサーになりますが、今回はイベント事業部……主にライブイベントなんかを取り仕切ってるチームですね、そちらとの合同プロジェクトとして未満フェスの運営に関わっています」

 赤木氏曰く、こういうことらしい。

 開催に向けて準備している未満フェスは複数社が関わる巨大なプロジェクトであるが、実質的な運営はLMCレコードのイベント事業部が担っているらしい。彼女が所属している音楽制作事業部は書類や音源審査のヘルプ要員として選考に携わっており、必要であれば出演が決まる前の段階から参加者にコンタクトを取ることもあるのだという。

「平たく言えば有望そうな方々に個別に声をかけさせて頂いて、フェスを盛り上げるためにお互い協力しましょうというお願いをして回っているんですね」

 そう言って、赤木氏はちらりとあくりちゃんに目を向けた。パーカーのポケットに手を突っ込んだまま、あくりちゃんは不思議そうな顔で赤木氏の話を聞いている。

「それで……お願いというのはどういう?」

 思わず口を挟んでしまった。何しろあくりちゃんが何か妙なことを言わないか気が気でないのだ。

「そうですね、当然ながら我々はイベントを成功させたいと思っています。ただチケットをたくさん売りたいだけでなく、世間に知られていない若いアーティストをもっと多くの人に知ってもらい、魅力的に売り出していきたいんですよ」

 身振り手振りを交えながら、赤木氏は真剣な口調で続ける。

「そのためには本番で最高のパフォーマンスをしてもらうことはもちろん、その後の販売戦略まで含めて総合的にプロデュースさせて頂きたいんです」

 そう言って、彼女はバッグから数枚の紙束を取り出した。表紙に企画書と書かれたそれはつまり、雛目あくりを世間に知らしめるためにプロが考えた戦略だ。

 ようやくこの時が来たという高揚と微かな不安の中、赤木氏は悪意など微塵もない満面の笑顔でこう続けた。

「曲もスタッフもこちらで用意しますので、雛目さんソロで出ませんか?」


「それは……」

 どういうことかと聞く前に、赤木氏は企画書をめくった。

「高橋さんに頼んで昔のライブ映像や音源もいくつか聞かせてもらいました。楽器ができるところも魅力的ですが、雛目さんはとにかくビジュアルが可愛らしいですよね! しかもバンド活動は四年前に終わっていて一般での知名度はほとんどありませんから、それだけでも正体不明の新人歌手としてかなり話題性があります」

 コンセプト、ターゲット、未満フェスにおけるキャラクター性とアピールポイント、フェス終了後の売り出し方……。

 企画書を一枚ずつめくりながら朗々と語る彼女は、十数分の後ついに最後のページの説明を終えた。

「……と、このような形で、まだ未定の部分もありますが雛目さんのイメージに合うような楽曲制作も準備しています。どうでしょう、何かご質問はありますか?」

 赤木氏は僕の方には目もくれずまっすぐにあくりちゃんを見つめていた。対するあくりちゃんはしばらく目を泳がせた後、ガシガシと頭を掻きながら困惑した表情で口を開く。

「わたしは難しいことはよくわかんないんだけど……いっこだけ」

「はい、何でも訊いてください!」

「それわたしでいいの?」

「もちろんです!」

 はっきりと言い切った赤木氏の返答を聞いて満足したのか、あくりちゃんは短く息を吐くと無言で僕の方を見た。

 その視線に射抜かれて、僕は僅かに動揺する。

 これは間違いなく大きなチャンスだ。後にも先にもこんな美味しい話が降ってくることなんてないと思う。新人発掘を名目とする巨大なイベントに発掘されることを前提として参加できる。未満フェスは最終的に一般投票によって順位が決定される仕組みだが、結果がどうあれあくりちゃんは多くの注目を集めるだろう。

 何しろイベントの運営母体が作るのだから。イベントも、あくりちゃんも。

 ――でも、それは本当にあくりちゃんなんだろうか。

「まぁ即答も難しいでしょうから、お返事は後日改めてということで。……雛目と倫太郎はこの後話せるか」

 考え込んでしまった僕の様子を見たアキトさんがそうフォローし、打ち合わせの席は解散となった。


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