この空は目まぐるしく輝く
「こちとら遊びでやってんじゃないからさ」
四年前、壮年の音楽プロデューサーは、僕たち四人を前にして何食わぬ顔でそう言った。そこは小さなレコード会社の応接室で、ブラインド越しに差し込む陽の光がやけに眩しかったことを覚えている。
「契約前で良かったよ、君らもちょっとは勉強になったでしょ。もうちょっと実力つけてからまた来なさいね」
そう言い残して早々に退室した男はライブハウスで僕たちをスカウトしたプロデューサーとは別人だ。僕たちにデビューの誘いをかけてきた当の本人は退職してしまって、契約条件の交渉を引き継いだのが今のプロデューサーだった。
ビビッドを殺した出来事は、言ってしまえばたったそれだけのこと。
登場人物がただ一人入れ替わった。それだけで僕たちは折られてしまった。
その日は嫌になるほどの快晴で、レコード会社が入っている雑居ビルを出た僕が見上げた空は、見渡す限りどこまでもどす黒い色をしていた。
同じ空を真っ赤な色だと感じていたあくりちゃんは、果たして何を思っていたんだろうか。
空の色がコロコロ変わるようになったのはいつからだったか。
よく覚えていないが、子供の頃はもう少し安心して空を見上げることができていた気がする。
今僕が見上げる空は薄い紫色をしていて、そういう時は小さな不安を抱えていることが多い。
この空は見る人の心の色を映し出す。ある時からそうなった。
理由は知らないし、原理に興味もない。ただそうなった以上のことを気にしたことなど一度もない。
ただ、今でも時折思い出すのだ。
世界中の空がダイヤモンドの色に染まって、僕の頭上に落ちてきたこと。
雛目あくりの音楽に触れた時の、あの得体の知れない衝撃を。
*
高橋アキトから昼食に誘われたのは、記憶にある限り三年ぶりのことだ。
ビビッドのドラマーとして活動していた彼は当時バンド活動の傍ら就職活動もこなしていて、三年前はどこぞの代理店に内定をもらったという報告ついでの食事に誘われたのだった。
今回呼び出された用件は一体何だろうかと、僕は少しだけ不安になる。
「倫太郎! 久しぶりだなぁ」
と、そんな心配を一笑に付すかのような明るい声が響く。
声のした方を見れば、三年前からあまり変わっていないアキトさんの姿があった。
「ども、お疲れっす。アキトさん、全然変わんないっすね」
「どうだか。最近太り始めたから次会う時はわからんかもしれん」
そう返しながら苦笑する彼は紺色のチェスターコートを着こなしていて、元ロックバンドのドラマーと言われても全くイメージがつかない程に社会人然としていた。
「そう言う倫太郎もまだ雛目のマネージャーみたいなことやってるんだろ?」
まぁ、はい、と曖昧に答え、僕はベンチから腰を上げる。
「とりあえず飯行きましょうよ。最近美味いラーメン屋見つけて」
「太り始めたつってんだろ話聞いてたのかお前!?」
困ったような顔でため息をつき、アキトさんは続けた。
「で、どこよそれ」
*
昼時の割には客の少ないラーメン屋に入り、僕たちは奥のボックス席に陣取った。
アキトさんはテーブルの上の灰皿を一瞥してジャケットの内ポケットからタバコを取り出すと、流れるような自然な手さばきで火をつけた。
「倫太郎はどう、最近」
「どうって、そんな変わんないっすよ」
「雛目も相変わらず?」
ですね、と言いながら、少しだけ考える。この三年間で細々した変化はあれど、何かが劇的に変わったような実感は薄い。
「だったら良かったよ。雛目はホラ、どっか一本ネジが飛んでるだろ」
ビビッドとして活動していた四年前、十七歳の頃のあくりちゃんは今以上に奇行が目立った。今だって決しておとなしい性格というわけではないけれど、それでも随分と落ち着いたものだ。
「や、あくりちゃんも少しは丸くなりましたよ。もう道端で寝たりしないし」
「あー、あいつ、いっつも帰るの面倒になってその辺に転がってたっけ」
言って、僕たちはゲラゲラと笑った。
注文したラーメンが運ばれてきてからも、僕とアキトさんはしばらく思い出話に花を咲かせたのだった。
「で、本題なんだが」
食事を終えた後、アキトさんはそう前置きすると、ポケットからスマホを取り出して机の上に置いた。
「来年こんなイベントがあるんだ」
画面に写っているのは何らかの資料の表紙のようで、いくつかの企業ロゴと共に軽妙なフォントでこう書かれている。
「未満フェス……?」
「フェスって名前こそついてるけど、実態としては新人オーディションだな。うちの会社も少しだけ運営に関わってる」
スマホを手に取り、書かれている内容をざっと斜め読みしていく。書類審査に音源審査、クローズドの面接を経て合格を勝ち取ったアーティストが、全三日で構成される野外ライブのステージに立つことができる。ライブはネットでも配信され、審査員と一般視聴者からの投票によって順位が決まる。
なるほど、確かにフェスというより新人発掘オーディションに近い。
「主催の会社から相談されたんだ。何でも無名だが実力のある女性ボーカルを探してるらしい」
そう言ってから、アキトさんはまっすぐに僕の目を見た。
「もしやる気があるなら、俺から雛目を紹介してもいいと思ってる」
「出るに決まってるじゃないですか」
即答した。あくりちゃんの意思を確認するまでもなく、こんな美味しい話を受けないほうがどうかしている。
「ま、倫太郎はそう言うと思ったよ」
ビビッドが解散して以来、あくりちゃんが大きな舞台に立つことは無かった。
僕たちはビビッドというバンドを何よりも大事にしていたし、四人でステージに立つことに価値があると思っていた。だから、ビビッドのフロントマンという肩書きを失ったことで、あくりちゃんに対する周囲の評価もまた一変した。
あれから四年が経った今でも、雛目あくりという一人のアーティストの知名度はあってないようなものだ。
「だって、あくりちゃんなら大丈夫っすよ」
「お前は昔っから雛目の信者だからなあ」
言いながら席を立ったアキトさんはすれ違いざまに一度だけ僕の肩を叩き、「また連絡するよ」とだけ続けると、そのまま店を後にした。
その後姿が少しだけ揺れて見えたのは、一体どういう心境によるものか。
開いた自動ドアの向こう、暖簾の隙間から覗く空は鮮やかな黄色に変わっていた。
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