あおむぎぱんや

かさのゆゆ

あおむぎぱんや



 とある町に食パンが売りの小さなパン屋さんがありました。

いねのむぎさんといねのむぎこさんご夫妻がいつも一緒に経営している“あおむぎぱんや”です。

このお店の食パンが人気の秘訣、それは小麦粉に落とされるむぎこさんの涙。

むぎこさんのこぼす涙を拾いながら、むぎさんが小麦粉をこねます。


「涙が足りない。もっと泣いてくれ。むぎこ」


「じゃあ、私をもっと泣かせてみせてくれる?」


「いいだろう。早く泣けブス。離婚するぞ」


 暴言は夫の本心ではありませんが、手っ取り早く妻を泣かせるにはこうするしかありません。




 ある日、お店に無表情の少年がやってきて、いねの夫妻に言いました。


「こないだここで買った食パン、とてもまずかった。食べたら悲しくなったんだ。こんな悲しい味じゃもう買わないよ」


 少年は道端で摘んだらしき根っこつき四つ葉のクローバーをなぜかむぎこさんに「んっ!」と渡しそのまま帰ろうとしますが、夫のむぎさんがひきとめます。


「坊や、ちょっとだけ待っててくれるかい? 美味しいパンをご馳走してあげよう」


 むぎさんにはいいアイデアがありました。


「むぎこ、うれし涙を流してくれ」


「じゃあ、私を褒めてくれる?」


「いいだろう。いつもすまない。あとありがとう。僕には君だけだ」



 少年はむぎさんの持ってきた出来たてのうれし涙パンを一口頬張ると、依然無表情のままではありましたが、小さな声でぼそっと言いました。

「美味しくなった。良かったよ」と。




「じゃあまたいつか」


 少年はパンを渡したむぎさんではなく、また何故かむぎこさんの方にだけしっかりとお辞儀をし去っていきました。

彼がくれた四つ葉のクローバーを、むぎこさんはグラスに差して水を注いであげます。



 その日以降夫妻は少年の意見を元に毎日うれし涙の食パンを作るようになりましたが、食パンの売り上げは以前より下がっていきました。

多くのお客さんはむぎこさんの悲し涙の食パンのほうが好きだったからです。

人気を取り戻すために、夫のむぎさんは妻のむぎこさんの頬をしぶしぶ強くたたきました。悲し涙を流してもらうために。



 悲し涙の食パンに戻るとお店の人気も復活し、夫のむぎさんは一安心。むぎこさんは複雑な気持ちでしたが、「よかったよかった」と笑う夫の姿を見て、自分も一緒に笑いたくなります。でも自分の喜びが食パンの味を変えてしまわないように我慢しました。






 ある日、上品な格好をしたおばあちゃんがいねの夫妻の店を訪れ、彼らにこう言いました。


「ここの食パンは何かが足りないわ。不味くはないんだけどね」と。



「少しお待ちいただけますか?あなた好みの美味しい食パンを作らせてほしいのです」


 むぎさんはおばあちゃんの手を両手で優しく包み、そう丁寧にお願いしました。


 むぎさんにはいいアイデアがあったのです。


「むぎこ、悲し涙を笑顔で流してくれ」


「じゃあ、私をその気にさせてくれる?」


「いいだろう。早く泣けブス。笑えデブ。早くしないと殴るぞ」


 夫は心のなかでは何度も謝りましたが、手っ取り早く妻を泣かせるにはこうせざるをえませんでした。


“ごめんなむぎこ。でも本心じゃないって分かってくれてるよな。”



 おばあちゃんはむぎさんが持ってきた出来たての“作り笑顔涙食パン”を一口頬張ると、少しいぶかしげな表情を浮かべます。


「……だめでしたか?」

 不安そうにそう尋ねたむぎさんの手を、今度はおばあちゃんがそっと包みむぎさんに言いました。


「食パンやお客さんも大事。でもね、もっと大事にしなければいけないものがあるわ。足りてないのはあなたよ」



「ごちそうさま 」

 おばあちゃんは夫妻に見守るような温かい目でほほえむと、小さく手を振りゆっくりと去っていきました。


「足りてないのはあなた」と言われ、自分のパン作りの才能が足りなかったせいだと、夫のむぎさんは落ち込みます。


「みんなが美味しいと思ってくれるパンを作りたいのに……」


 背中を丸め座りこんでしまったむぎさんにむぎこさんは寄り添い、彼の肩をなでてあげながら、彼女はこう伝えました。


「誰かのまずいは誰かの美味しい、誰かの美味しいは誰かの不味いなの。

あなたが男の子のために焼いてあげた食パン、売れなかったけど、私はあれが大好き。それと同じようなことよ」


 ──と。



「黙れ!お前のせいでもあるのに偉そうに説教するな!」


 突然人が変わったかのようにむぎさんが大声をあげました。

おびえて震えだすむぎこさんの姿がしゃがんでいる彼には見えません。


「ごめんな、むぎこ。僕のこと分かってくれ。泣かせるためには仕方がないんだ。さぁ、厨房に戻ろう。今ならすぐに泣けるだろう」


 二人にとっての決定的な何かが壊れた音が厨房内でこだましていましたが、いねの夫妻はすぐに悲し涙食パン作りを再開しました。



“分かってくれ、ね。仕方がない……ね。

何も分かってないのはあなたじゃないの。”



 むぎこさんはむぎさんに内緒で小麦粉に“作り笑顔で悲し涙”を落とします。ぽろぽろと止めどなく。


“どうせこれにだってあなたは気づけないのよ。私のことなんて見てないんだから”


 あのおばあちゃんには不評だったけど、この“作り笑顔涙食パン”は、悲し涙だけの食パンよりも売れそうだと、むぎこさんは思いました。

悲しい気持ちを隠して笑っている人が、世の中にはたくさんいるからです。



 むぎこさんの予想通り、そのパンは“わらいなきパン”という名で大ヒットし、翌年いねの夫妻は地元のパン大会でも表彰され、トロフィーも渡されます。

表彰台の上で大喜びするむぎさんの横で、むぎこさんは一言も発することなくうわべだけの微笑を浮かべていました。

喜びを分かち合おうと夫は笑顔で妻の方を向きましたが、応じない彼女と目が合うことはありません。


“パンのためにしてくれてるんだよな。

僕は分かってるから気にしないよ。”


 夫は“互いに分かり合えてる”妻を今も愛しているため気にしませんでした。



 店に戻り店内の目立つ場所にトロフィーを飾ると、夫は妻の肩に手をまわし誇らしげに言いました。


「立派なもんだ。これから二人でもっと増やしていこう」


 むぎさんは、“言葉がなくとも夫婦そろって感動を共有できているこの穏やかな時間”に、もうしばらく身を委ねることにしました。

隣のむぎこさんが本当はトロフィーなんかちっとも見ていないことに気づくはずもなく。



むぎこさんの視線の先にあるのは、トロフィーの真横にある四つ葉のクローバー。

あの客の少年が今もたまにくれる、彼女の心の支え。

幸福の青葉とそこから滴る水滴は

むぎこさんの心を照らすひとつ星として、

今日もみずみずしい光を彼女に放つのでした。



 ── END ──













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