エピローグ
コードリーベラ。
人為的に地中のドラグーンを少しずつ地表に放出してセルピエンテの日のような災厄を防ぐための計画。仮にドラグーンを放出している場所の濃度が高くなり過ぎても、場所を選べば災厄は防げるはずだった。そう、はずだったんだ。
あの日と同じように炎が踊っている。
コードリーベラを実行した場所とは別の場所で大災厄が発生したという報告を受けて駆け付けた時には目の前に地獄のような光景が広がっていた。
「な、何で?」
呆然と呟くだけの僕とは違い、隣にいたエリーが走り出す。
「ちょ、ちょっとエリー。何する気?」
慌ててエリーの手を掴む。
「何?そんなこと決まってるでしょ」
炎がエリーへと手を伸ばす。炎へエリーが手を向けた瞬間、炎は音もなく消え去っていた。エリーが振り向く。
「セレクシオンとして、力を持った者として目の前にいる人を助ける。ただそれだけよ」
手を振り払って炎の海へと駆けていく。その光景をあの時と同じようにただ見つめている。
踊り狂う炎が消えていく。
「ほら、泣かないで」
エリーが泣いている兄弟に話しかける。
「お兄ちゃんでしょ?お兄ちゃんならしっかりしないとね」
屈みこみ、兄の目を見て優しく話しかける。
「あそこに立っているお兄ちゃんがいるでしょ?あそこまで行けば大丈夫だから、あそこまで行ける?」
泣きながらも兄が大きく頷く。弟の手を引いてゆっくりながらもこちらへと近づいてくる。それを確認すると立ち上がって再び炎へと向かっていく。兄弟が僕のすぐ傍まで来ると
「大丈夫。大丈夫だから」
あの日、エリーがしてくれたように言い聞かせるように話しかけて兄弟を抱きしめる。兄弟の体温を、心臓の鼓動を感じる。
エリーへと視線を向ける。一つずつ炎を消しているものの、炎の海は怯むことなく多くの人を飲み込みながら燃え続けている。
「誰か!誰か助けて」
声がした方を見やると母親が小さい子供を抱いてうずくまっており、すぐさまエリーが駆ける。その時、何かが口を開け、一際大きな火柱があがって母子を連れ去ろうと手を伸ばす。
「ヒッ」
母親の引きつるような悲鳴が聞こえ
「ハアッ!」
エリーの気合を込めた声が聞こえる。
火柱はその存在を消していた。エリーがゆっくりとこちらを向き、言葉を紡ぐために口を開く。何も聞こえない。ただエリーの口の動きがスローモーションのようにやけにゆっくり見える。言い終わったのかエリーが微笑み、炎がエリーを飲み込んでいった。
叫びの言葉も、嘆きの言葉を知らずにただ目の前の光景を見つめている。エリーが炎に飲み込まれていく様をただ見つめている。
「ーーーーーーーーーーーーーーー!!」
声にならない叫びがあふれ出ていった。
セルピエンテの日、トルトゥーガの日。二つの大災厄を経てブルーダリアは二つの結論を下した。
一.地中を駆け巡っているドラグーンが不定期に地表に噴出して大災厄が発生する。
ニ.人為的な力で再災厄の発生を抑えることは難しい
力なく体を背もたれへと預けて白い天井を眺める。トルトゥーガの日から、エリーがいなくなってから一週間が経った。博士は国王、オルバイス家の当主、ガイア教の教主と会談するためにベローナへと出かけていった。今、研究所にいるのは僕一人。
エリーからプレゼントされたブレスレットを着けた左手を目の前へとかざす。僕の身の安全を願いが込められたブレスレット。その願いを込めてくれた人はもうこの世にいない。エリーも安全でいてくれなきゃ意味なんかないのに。
ドアが開く音がするも視線を向けることなく天井を見つめ続ける。ドアを開けた人物は部屋に入ってきて僕の向かいの椅子へと腰を下ろす。
「どうでしたか、会談の結果は?」
「分かったこと、不定期に大災厄が発生して、それを防ぐ術は存在しない。その事実をそのまま公表すると混乱と絶望を生むだけだと事実は伏せることが決定しました。事実は何かと突き止めてその事実をもとにどうすべきかを考えるべき科学者からしたらあるまじき決定ですけどね。」
「そうですか……。ブルーダリアはどうなるんですか?」
「ブルーダリアは役目を終えたとして解体が決定しました」
宙へと大きく息を吐きだす。怒りはなく、ただ虚しさだけがあった。この六年間は一体何だったという虚しさが。
「博士、一つ聞いてもいいですか?」
「何ですか?」
「博士は何年間ドラグーンを研究したんですか?」
「約十年ですね」
「博士は以前、僕に言ってくれました。『希望が意志に、意志は行動になり、そして行動こそが世界を変える』と。十年という長い行動を経ての今回の結末をどう思っているんですか?」
それは皮肉でも何でもなく純粋な疑問だった。僕以上に長い時間を捧げてきた博士は今回の件をどう受け止めているんだろうかと。博士からの返答はなく時間だけが流れていく。
「科学者というのは」博士が口を開く。「孤独なものでしてね。提唱した説が斬新であればあるほど周りからは理解されません。”ドラグーン理論”もそうでした。誰一人として真剣に聞いてくれる人はいませんでした。そんな中で彼女だけが、エリザベス君だけが僕の話を真剣に聞いてくれて協力を申し出てくれました。彼女がいてくれたからこそこの十年間調査を続けることが出来ました」
博士が大きく息を吐く。
「だからこそ今回の結末はキツイ。十年かけて完成した理論は日の目を見ることが許されずに大切な、本当に大切な仲間も失ってしまった。本当に、本当にキツイ。だからこそここで終わらせるわけにはいきません。絶対に終わらせません!」
視線を天井から博士へと向ける。目の前にあったのは僕のように現実に圧し潰されて絶望に打ちひしがれている男ではなく、覚悟を決めた男の顔だった。
「博士?」
「会談で決まったことがもう一つあります。国民は弱い。その弱い国民が大災厄と付き合っていくにはどうしたらいいのか?結論は憎しみの対象をつくること」
「憎しみの、対象?」
「そうです。これからも大災厄が起こります。その時にあいつのせいだ。あいつのせいで大災厄が起こったんだ!そう指さすに足る存在をつくるんです。そして私がその組織の所長を務めることになりました」
「博士はそれでいいんですか?」
「『事実は何かを突き止めて、その事実をもとにどうすべきか考えるべき』事実を伏せることに比べたらこちらは科学者らしい決断だと思っています」
「そうですか」
好きにすればいい。僕には、もう関係ない。
「私は君にも手伝って欲しいと思っています」
「何故ですか?」
「ガイア教の教主が言われました。憎しみの対象をつくる時に絶対に必要なことが一つだけあると。それは人々の興味を強く掻き立てる存在であること。一般の人にはない、特別なチカラを持つセレクシオンはピッタリな役割だと思いませんか?」
息を吸い込んで吐き出す。どうすべきなのか分からなかった。六年前の決断の時にはエリーがいた。今思えば心の声は『どうするんだ?』という問いかけを発しただけでどうすべきかは教えてくれなかった。エリーがいたから、エリーと一緒にいたいだけだった。エリーなら、どうする?その問いかけに応えてくれる人はもういなかった。
「博士は、エリーならどうすると思いますか?」
「分かりません。私には、そうとしか答えられません」
それは博士の優しさだろうか?科学者としての厳格さだろうか?
「その憎しみの対象は具体的に何をするんですか?」
「詳細はこれから決めていくことになりますが、一つだけ決まっていることがあります。それは定期的に少女を誘拐すること」
「誘拐してどうするんですか?」
「その後は分かりません。大事なのは誘拐することなんです」意味が分からずに眉を寄せると説明が足りないと気付いたのか言葉を付け足していく。「これもガイア教の当主のアドバイスでしてね。聖女アナスタシアって聞いたことありますか?」
「ありません」
「この国に伝わるおとぎ話の一つで昔火山の大噴火があって、その噴火はガイアが怒っていると考えた一人の少女が火口から身を投げました。自らの身を犠牲にしてガイアを怒りを鎮めたと言われていて、その少女がアナスタシアというわけです」
「ガイアってことはガイア教と関係があるんですか?」
「よく気付きましたね。そうです。聖女アナスタシアの話はガイア教の始まりとなった物語の一つらしいんです。アナスタシアの話をどこかで聞いたことがある人は多い。その話と似たことをやることによってより強く多くの人々の興味を掻き立てることができるということらしいです。宗教の人は科学者とは全く別の見方をするものですね」
「じゃあ、定期的に少女をさらう組織への勧誘を受けているわけですね」
精一杯の皮肉のつもりだったが、博士は表情を変えずに言葉を続ける。
「会談で決まったことは三つ。事実を伏せること、憎しみの対象をつくること。最後の一つは憎しみの対象と戦う組織、つまり”正義の味方”をつくること」
「正義の、味方」
正義の味方になる。そう宣言してやまなかった兄さんの姿が思い出された。
「その正義の味方と戦うことがメインで、少女をさらうことがサブということになります」
「わざと負ける必要があるってことですか?」
「わざと負ける必要はありません。全力であればあるほど人々の興味を掻き立てることが出来るでしょうから」
「それも当主のアドバイスですか?」
「これは私の個人的見解です」
「なるほど」
苦笑が漏れる。久しぶりに笑った気がする。
あの日、世界の真実を知った日に僕は絶望に打ちひしがれていた。エリーがいてくれたから、絶望に圧し潰されずに立ち直ることができた。エリーはセルピエンテの日に僕を、トルトゥーガの日に四人を救った。でも命を賭けても五人しか救うことは出来なかった。定期的に大災厄が発生するこの過酷な世界で多くの人を絶望から、あの日の僕のような漆黒の闇から救うためにはどうすればいい?
そこまで考えを巡らせるとふと幼い日に母さんから聞いた”白き人”の物語が蘇ってきた。優しい母さんの声、目を輝かせる兄さんの姿が。この過酷な世界で人々の希望を集める”白き人”をつくるにはどうしたらいい?
『お前が黒き人になればいい』
心が、声をあげた。心は声を上げ続ける。
『希望が意志を、意志が行動を、行動が世界を変える、だろ?お前はこの過酷な世界を、その過酷な世界を骨の髄まで味わったお前はこの世界を変えたいと思った。そして、変えれるかもしれないアイデアが示された。だったら後はやるだけだろ?』
そうだな。後はやるだけだ。
立ち上がって、博士へと手を差し出す。
「よろしくお願いします」
博士はその手をがっしりと握ってくれた。
『アイマール・アロンソ ここに眠る
クリス・アロンソ ここに眠る』
初めて訪れた両親の墓標。兄さんが設けたと思われる墓標には僕の名前は刻まれていなかった。兄さんは今も僕がどこかで生きていると信じてくれているんだろうか?もう会うことは出来ないけれどそうであるならば嬉しく思う。
墓標へとアルストロメリアの花を捧げて話しかける。
「母さん、僕が小さい頃に言ってたよね。『内なる声は本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っている。その声を聞いたら教えて欲しい』って。今日はそれを報告しに来たよ」
鞄から常に笑みを浮かべる白い仮面を取り出す。
「これが僕の進む道だよ」白い仮面を墓標へと掲げて決意を告げる。「これから先、この白い仮面がみんなの憎しみの対象となるようにすることが僕の進むべき道。みんなには理解されないだろうけど、僕は自分のやろうとしているを信じてる。価値があることだと。だから心の声に従って突き進むよ」
もう迷いはない。この意志が、この行動が世界を変えれるまで突き進むのみ。
一つ息を吐く。
人差し指と中指を擦り、小さな火花が生まれ、掌へと移りーーー握り締める。
拳が炎で包まれる。
眼前の敵を睨む。対峙せんは笑顔を浮かべる、白い仮面を身に付けた黒き使者。正義の味方を具現せし者。
炎の矢を放つ、と同時に駆け出す。
指の音と共に炎の矢は掻き消える。構わず、突進していく。
左手を引き―――真っ直ぐに放つ。
仮面の右拳と交錯し、衝撃音を残し距離が離れる。
「……仮面の男」
「……なんですか?」
「これが俺の答えだ」
ホワイトアラスのエンブレムを指し示す。
「そう、ですか」
「ああ」
僕を戦い続ける。正義の味方として。たとえ、道化だとしても。
正義の味方を演じることで、その存在に救われる人がいるかぎりーーー演じ続けてみせる。自らの意思で。
セイギのミカタ @ichiryu
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