第四章 これが私の生きる道
今、博士、司令、チャリスの三人で僕の処遇についての話し合いが行われている。ホワイトアラスの作戦室でペンタクルと二人で話し合いの結果が出るのを待つ。
待つ間、じっと左手を見つめる。前は何もせずに待っている時間には怖さで手が震えだしたものだったけど今は制止している。左手を閉じる。これは弱さを直視した事で少しは強くなれた証とみていいんだろうか?
「ワンドよ、ちょっといいかね」
黙って窓の外を見つめていたペンタクルに声をかけられる。
「何?」
「ちょっとワンドの考えを聞いてみたくてね。何でブラックダリアは少女を連れ去らなかったんだと思う?わざわざ助け出したのに」
「少女を誘拐してガイアに生贄として捧げて大災厄を発生させること。それが僕の知っているブラックダリアの目的。それを考えるとわざわざ助け出したのに連れ去らなかったのは確かにおかしいね」
「でしょ?入れ墨の男が怪我を負ったからとも考えたけど仮面の男は無傷だった。悪の組織が目的の少女より仲間の身を案じるってのも変な感じだなって思って。それでワンドの話を聞いて別の考えが浮かんだんだ」
「僕の話?」
「そう、自分の弱さを仲間に打ち明ける熱い熱い告白を聞いてね」
「茶化さないでくれよ」
「いや、茶化してないって。本当にそう思ったんだから」
「もうその話はいいって。で、僕の話のどの部分?」
「世界には偽の世界と本当の世界があって普段見えているのは嘘の世界なんじゃないかって話。それが何なのかは分からないけどブラックダリアも見えている部分が全てじゃない。何となくそんなことを思ったわけよ」
ずっとブラックダリアが大災厄の原因だと思っていた。ブラックダリアを倒せば大災厄はなくなると。でもそうじゃない可能性がある?
「そんなこと考えたことなかったな」
「まっ、何の証拠もない只の妄想だけどね。今のところは、だけど」
「今のところって……」
作戦室の扉が開かれてチャリスが姿を見せる。
「チャリス!」
「話し合いの結果は?」
「話し合いの結果を指令から直接伝えてもらうわ。司令がお待ちだから司令室に行くわよ」
司令室に入ると部屋の主であるビセンテ・デス・ボルケがトン、トンとペンの先で机を規則的に叩いている。三人並んで司令の前に立つ。
「ワンド」
小さく深呼吸する。
「ハイ」
司令の顔を真っ直ぐに見据える。
「貴方の謹慎は現時点をもって解除となります。ただ、一つだけ忘れないでいて欲しいことがあります。これはワンドだけではなく、チャリスやペンタクルにもです」
「ハイ」
返答が重なる。
「ホワイトアラスの存在意義とは何か?私は社会的正義の遂行と維持だと考えています」
「遂行と、維持ですか?」
「ホワイトアラスがいるから安心だ。ホワイトアラスがいるから止めておこう。市民がそう思えるように。市民に思い留まらせるように。私たちを通して正義の存在を確認出来るように」
「……」
「自分たちがどうあるべきか?それを考えるのは勿論、大切なことです。でもそれよりももっと大切なことがあると私は思っています」
一呼吸を置いて
「それはどう見られているか、ということです。今回、貴方たちが出撃した成果は相手の戦闘員を一名倒したこと。被害は建物が一棟全焼、市民が一名亡くなりました」
拳を握り締める。
「全ての市民の生活を守るーーー理想ではありますが、達成することは難しい。人はパンのみで生きるにあらず。いろいろと制約がありますからね。どうしても犠牲は避けられない。犠牲がでるとどうしても『ホワイトアラスは何をしているんだ』という声がでてきます。それはできるだけ抑えなければいけません。『あれだけやってくれているんだから仕方がない』と犠牲者の家族には無理でも、第三者にはそう言ってもらえるように、思ってもらえるようにしなければいけません。ワンド」
「ハイ」
「今回、貴方が取った行動はそれに反する行為です。人々の期待に背く行為です。ホワイトアラスの一員として、それは許されません」
「……分かって、います」
「力を持つ者は、その力が引き起こす結果にまで責任を持つ必要があります。チャリス、ペンタクルもそのことを自覚してください」
「はい、分かりました」
その返答に満足したのか大きく頷き、椅子の背もたれに体重を預ける。机の上に置かれている一枚の書類を手に取る。
「話は変わりますが、フランシーヌ隊より報告がありました。ブラックダリアのアジトを見つけたらしいです」
「!」
「正確に言うと、彼らの拠点の一つだろうということです。任務にはデ・ラ・レッド隊があたります。貴方たちには彼らのサポートーーー逃げだしたブラックダリアのメンバーの確保にあたってください。よろしくお願いします」
「ハイ!」
「作戦開始は今夜零時。それまでゆっくり休んでください」
「はい。では失礼します」
礼をし、司令室を後にする。
空を仰ぐ。仰いだ先では半分に輝いた月が輝いている。視線を空から地上へと戻す。月明かりの下で黒い戦闘服に身を包んだ男らが蠢いている。
午後十一時五十分。作戦十分前。
左手に目を落とすと小刻みに震えていた。手を開き、閉じる。その動作を繰り返しながら自らに言い聞かせる。大丈夫。命を賭けた戦いの前に怖さで手が震えても何もおかしくない。怖さを感じる事を恐れるな。ただ怖さに身を任せるな。
「ワンド」
チャリスの声。視線だけそちらに向ける。
「何?」
「作戦を前に気持ちはどう?」
「今までと同じ。すごい怖いよ。違うのはそれを隠さずに認めてることかな。チャリスはいつも落ち着いてるよね」
今まで周りのメンバーがどんな様子か気にかける余裕もなかったけど、こうして見ると二人ともとても落ち着いているように見えた。
「私にはアナスタシア様のご加護がついてるからね」胸の前で腕を組み合わせる。「だから強くて美しいのよ」
「アナスタシア様のご加護、か。守られている者はいいねぇ」
「あら、貴方だって守られている者でしょ?」
「え?」
チャリスが僕の左手、シルバーのブレスレットを指さす。
「そのシルバーのブレスレット。前に流行った身に着ける者の安全を願うおまじないが込められたブレスレットでしょ?貴方にもご加護があるじゃない」
シルバーのブレスレットに目を落とすと自然と心が安らいだ。
「そうだね」叔父さん夫婦、エリーそしてペンタクルにチャリス。僕は一人じゃない。「じゃあブラックダリアに守られている者の強さと美しさを見せつけてやるとしますか」
「見せつけてやりましょう」
二人して笑い合って拳を合わせる。
「お二人さん。僕をのけ者にして盛り上がってるところ悪いけどそれそれ作戦開始の時間だよ」
「了解」
ペンタクルを呼びかけに返事して草むらへと身を屈めて作戦開始の時を待つ。
十、九、八、七、六……
懐中時計の秒針が一つ一つ確実に時を刻んでいき、緊張が満ちていく。
五、四、三、二、一
パンッ!
小さな赤い火花が散りーーー
バンッ!
ドアが勢いよく壁を叩き、いくつもの足音がこだまする。身を潜めながらアジトを凝視する。今のところ、アジトからでてくる影はない。
「うっ!」
「うわーーー!」
微かに、小さな呻き声が聞こえる。と、同時ーーー白い、こちらを嘲笑うかのような表情が描かれた仮面が姿を現す。仮面がこちらを向く。鼓動が跳ね上がる。全身が粟立つ。激情で胃が踊る。腰を上げると同時に、仮面の男が駆け出す。迷うことなく後を追う。
「ワンド!」
「奴を確保する。いくぞ!」
ペンタクル、チャリスへと声をかけながらも意識は黒い背中だけに向けられる。一心不乱に黒い背中を追いかける。と、黒い背中が急に立ち止まって重力を無視するかのように仮面の男の体が空へと舞い上がり、月を覆い隠す。
「ちっ!」
舌打ちして前方へと跳ぶ。背後で大きな音―地面に着地した音だろう―が鳴る。転がって距離をとってすぐさま振り向く。仮面の男が静かに佇んでいる。
視界に二つの影が映る。
「はっさみ、うち~♪」
「この前みたいにはいかないわよ」
ペンタクルの楽しげな声とチャリスの緊迫した声が仮面へと向けられる。が仮面は何の反応も示さない。
「一対三ーーー」
口を開こうとすると、仮面の体がわずかに沈んでこちらへと駆け出してくる。半身を下げて右を伸ばす。仮面の体がさらに沈む。見下ろしたすぐそこに白い仮面が浮かぶ。
後方へと小さく跳ぶ。
「ッガーーー」
衝撃が疾る。肺から息が漏れて吹き飛ばされる。地面に叩きつけられた衝撃で視界が点滅する。肺が必死に空気を求めるなか、風と水のドラグーンを感じる。霞む視界には大きな背中が映る。
「ワンド、大丈夫?」
チャリスに背中は摩られる。
「あ、ああ。大丈夫」
必死に呼吸を整える。
「YOUはOK?」
仮面と対峙しているペンタクルが声をかけてくる。
「OK、OK」
チャリスの手を借り、立ち上がる。
「その意気やよし。じゃあ、仮面の男に一つ部屋の下で眠り、同じ釜の飯を食った仲間の絆の強さを見せつけてやろうじゃないか」
「よし!」気合の声をあげる。「僕とペンタクルで格闘戦を挑むからチャリスはサポートをよろしく」
「分かったわ」
「了解」
言葉と共にペンタクルが駆け出す。少し遅れて駆け出す。
「水よ」
水が地を這う刃となって仮面の男へと突き進んでいく。仮面が素早く横に跳んでかわす。そこにペンタクルが突進していく。
「Are you ok?」
大きく振りかぶって風を纏った拳を仮面の男へと放つ。仮面の男の体が糸で吊るされた人形のように浮かび上がり、下を通過していったペンタクルの背中を蹴って跳躍する。
「ぷげら」
予想外の動きに強く踏み込んでブレーキをかける。大きくなる黒い影に慌てて両腕をクロスさせ顔をガードする。ダン、と衝撃を腕ではなく肩に感じて体が前方へと泳ぐ。
「しまっーーー」
声が漏れる。振り向いたときには黒い影がチャリスへと肉薄する。鈍い音。チャリスの体がくの字に折れて力なく地面へと倒れる。仮面がゆっくりと振り向いて右の指を二本立てる。
「あと二人」
「滅茶苦茶な動きだな」
「消せるのはドラグーンの力だけじゃないみたいだな」
「なるほどなるほど。で、どうするよ?」
目を閉じて意識を研ぎ澄ます。体の周りのドラグーンを集める。
「ハッ!」
気合いと共にドラグーンを具現化し、両手を炎で包み込む。
「全ての力をぶつけて決着をつける。ペンタクル、風を頼む」
「がってん、承知」
一瞬の間を置いて大きく頷く。ペンタクルの前に立つ。その場で二、三回大きくジャンプする。背後に風が出現して服がたなびく。
右手の炎を火の球へと変えて仮面の男に投げつける。三。
地面を力一掴んで駆ける。二。
仮面の男が半身に構える。一。
仮面の男との距離が三メートルほどに縮まったところで風が吹き荒れる。風が仮面の男との距離を吹き飛ばす。すぐ目の前に火の球と男の体があった。炎を纏った左を引く。〇。
炎を纏った拳を火の球にぶつけるのと同時に仮面の男を全てを打ち消さんと手を伸ばす。拳が白い仮面を叩いて白い仮面が中心から真っ二つに割れると同時に光が膨れ上がる。足場が崩れて闇へと落ちていく中、同じ顔の男に見つめられていた。
ゆっくりと目を開く。目に映るのは黒一色、闇が支配する世界。意識を集中し、手の平に小さな火の玉を作り出す。火の玉を闇へと放つ。宙へふわりと浮かぶ火の玉が闇を端へと追いやる。
「地下道……か」
呟いた声が反響する。
視線を彷徨わせる。少し離れた所に自分と同じ顔をした男が横たわっている。男の傍には二つに割れた仮面が転がっている。男へ近づこうと立ち上がろうとすると、ズキンと激痛が右足が駆け抜ける。
「ッツ!」
口から思わず呻き声が漏れる。立ち上がることを諦めて背中の壁へと体重を預ける。再度、男を見やる。自分と同じ顔をした男を。弟と同じ顔をした赤の他人、なわけはないよな。
ブラックダリア。少女を生贄に捧げてセルピエンテの日を引き起こす悪の組織。その悪の組織のメンバーが実は生き別れた弟でした。冗談がきつ過ぎる。
男の体が動いて体を起こそうとし、同じく呻き声が漏れた。
「あの日から、セルピエンテの日から六年ぶりかな」
なるべく穏やかに声をかける。男はこちらの声には答えずに素早く辺りの様子をうかがっている。
「ここは地下道で二人して落っこちたらしい」
上を指差す。男の視線が上に向けられるのにあわせて上を仰ぐ。そこには果てのない暗闇があった。
「何故ですか?」
「うん?」
男へと視線を落とす。
「貴方は私より早く意識を取り戻した。なのに貴方は私を攻撃しなかった。正義の味方たるホワイトアラスの戦闘員ならそうするべきだったんじゃないんですか?相手は憎っくきテロ組織ブラックダリアの戦闘員なんですから」
「そうだな。俺だって憎っくきテロ組織ブラックダリアの戦闘員が弟と同じ顔をしていなければ迷わずそうしたさ」
男は何も言わずじっとこちらを見つめている。
「ティコ、なんだろ?」男は何の反応も示さない。「何かどうしようもない事情があってお前はブラックダリアにいるんだろ?」
声が震えだす。そうであってくれ。願いを込めて懸命に言葉を紡ぐ。
「なあ、そうなんだろ?だったらその事情を僕に話してくれ。きっと力になれる。だから……」
「貴方が何を言っているのか分かりませんが」男の声は平然としていた。「私はテロ組織ブラックダリアの戦闘員で貴方の弟なんかじゃありませんよ」
「心の奥底から湧き上がってくる声にしっかりと耳を傾けること」
男の目が一瞬揺らぐ。
「お前も覚えてるだろ。母さんがお前に行った言葉だ。これがお前の心の声なのか?多くの人の命を理不尽に奪う大災厄を起こすテロ組織ブラックダリアの戦闘員になることが。自分のしていることをちゃんと認識しろ!ブラックダリアは父さんと母さんの命を奪った相手なんだぞ!」
「私は、私のしていることをちゃんと認識していますよ」
「ティコーーー!」
体のあげる悲鳴を無視して弟へ駆ける。弟が素早く立ち上がる。弟の顔へ炎の拳を放つも平然と左手で受け止める。
「セレクシオンって何だと思います?」
「ああ!」
「何で力を持って産まれてきたんだと思います?」
弟の左の拳が顔面に炸裂して吹き飛ばされる。地面に転がるが素早く立ち上がって弟を睨みつける。
「この世の中には、神も悪魔もいません。正義の味方も悪の怪人もいません。いるのは人だけ。力を持った人間と力を持たない人間がいるだけ。何で力を持っているのか?その力で何をするのか?何のために戦うのか?」
弟が地面に転がっている笑顔を浮かべた割れた仮面を拾い上げる。
「”これ”が私の答えです」
弟が歩き出す。動くたびに痛みが走るのか表情が苦悶で歪む。
「ま、待てティコ」慌てて弟を追いかけようとするも体は言う事を聞かずに地面に倒れ込む。「待ってくれ、僕はお前と、弟と闘いたくないんだよ!」
弟の歩みは止まらず闇の中へと消えていった。
「ティコーーーーーーーー!」
闇に僕の叫び声が空しく木霊した。
松葉杖を両脇に抱えて河川敷まで歩を進める。周りに人がいないことを確認する。松葉杖から手を離す。カラン、という乾いた音がやけに頭に響く。目を閉じて意識を集中する。ドラグーンを手に集めて剣の形へと具現化していく。手に確かな重みを感じる。剣を薙ぎ、払い、振り下ろす。剣先が地面を掠め、黒く焦がす。剣をもう一本作り出して両手に剣を構える。デタラメに剣を振るう。空気を熱し、汗が頬をつたう。地面を焦がし、幾つもの黒い線が増えていく。一心に剣を振るい続ける。
「はあ、はあ、はあ」
肩で息をして息がきれる。両手の剣が掻き消える。大きく息を吸い込み、あたりを舞うドラグーンをかき集めーーー
「ハアッ!」
一気に解き放つ。
巨大な火柱が天を突く。と、同時に地面へと倒れこむ。
「何してんだか」
自嘲とともに空を仰ぐ。空はいつもと同じようにそこにあった。空はいつもと変わらないのに自分も自分も取り巻くものものもひどく変わってしまった。セルピエンテの日で両親を失い、ホワイトアラスに入ったものの闘っていたのは生き別れた双子の弟。状況の変化に頭が全く追いついていかなかった。影が差す。不思議に思って視線を上に向けるとペンタクルがこちらの顔を覗き込んでいた。
「どうも」
「……どうも」
「お隣いいですか?」
「……どうぞ」
「では、失礼します」
すぐ隣に腰かける。が、何も話しかけてこない。いつもなら軽薄な口調でどうでもいい事を話しかけてくるのに今日は何も話しかけてこなかった。不審に思ってペンタクルの様子を伺う。ペンタクルをじっと河川敷で遊ぶ子供たちを見つめている。体を起こす。
「何かあったの?」
「そっちこそ」
大きく息を吐く。
「あった」
「僕も、あった」
「そっか」
二人、無言で子供たちの様子を眺める。
「じゃんけんして負けた方から言ってみない?」
「あったことを?」
「そう」
前の俺なら瞬時にはね付けたことだろう。例えそれが一人で抱えるにしては重過ぎるとしても。
「仲間だから?」
「仲間だから」
でも今の僕には重いなら重いと言える相手がいる。
「やりますか?」
「やりましょう」
「最初はグー。じゃんけんポン!」
僕はグー。ペンタクルはパー。僕の負け、か。
「ワンドの負け。ということでカモン相談」
大きく息を吐いて唇をなめてゆっくりと話し始める。
「僕には双子の弟がいた。セルピエンテの日にはぐれてずっと生きているのか死んでいるのかも分からなかった。その弟がブラックダリアの戦闘員だったんだ」
「えっ……」
「この前の戦闘で仮面の男と戦ったでしょ?仮面の下には僕と同じ顔、弟の顔が隠されていたんだ」
「それは」ペンタクルの声が掠れる。「間違いないの?似ているだけとか」
「こちらの言葉に反応を示さなかったけど、僕と弟しか知らないことに反応したから間違いないと思う」
「その、弟さんは何か言ってたのか?理由とか」
「『この世の中には、神も悪魔もいません。正義の味方も悪の怪人もいません。いるのは人だけ。力を持った人間と力を持たない人間がいるだけ。何で力を持っているのか?その力で何をするのか?何のために戦うのか?』と。僕には弟が何を言いたいのか全く分からなかった。十年、一緒にいたのに」
「いるのは人間だけ、か。弟さんが何が言いたいのか分かるかもしれない」
「嘘?本当か!」ペンタクルに詰め寄る。「何なのか教えてくれ」
「その前に聞いておきたい事がある」
ペンタクルが今まで一度も見せたことのない真面目な表情を見せる。
「この前、ワンドが言ってたよね。表の世界と裏の世界があるって。今から僕が話すことは今までワンドが知らなかった裏の世界の話。この話を聞いたらワンドは今まで世界の見方、感じ方をする事は出来なくなると思う。それでも知りたい?」
答えは決まっていた。弟と意味も理由も分からずに闘わなきゃいけないよりはマシだろう。
「教えてほしい」
「分かった。僕も知ったばかりのことが多くて話が前後するかもしれないけどなるべく分かりやすく話したいと思う。ワンドは不思議に思ったことはない?ブラックダリアはどうやって運営されているんだろうって」
「運営されているって誰が方針を決めているとかいう話?」
「それもあるんだけど、平たく言えばお金の話。彼らのテロ活動を通して直接お金が彼らに入ってくるわけじゃない。少女を誘拐して身代金を請求したという話も聞かないしね。にも拘わらず彼らがお金に困っているようには見せない。どこから入手しているか分からない身体機能を劇的に向上させる薬まで手に入れてテロ活動を行う。僕はずっとそれが不思議だった」
「そう言われれば確かに。ホワイトアラスが国によって運営されているようにブラックダリアにもそう言う存在がいるってこと?」
「そう。お金を出している存在がいるはず。そう言う意味ではホワイトアラスとブラックダリアは似ている。考えをさらに進めるとどこがブラックダリアにお金を出しているのか。ブラックダリアがテロ活動をすることが利益を得るのは誰なのか?それをずっと考えてた」
ブラックダリアがテロ活動をすることが利益を得る存在。考えてみたこともなかった。ただ改めて考えてみれば彼らがただ無秩序に活動しているようには到底思えなかった。明確な意志のもとに運営されている秩序あるテロ組織。
「それで分かったの?」
「まあ、ね」重く端切れの悪い言葉。「ずっと分からなかったから少し考え方を変えてみたんだ。誰がそれを望むのかじゃなく、誰がそれを出来るのか?そう考えた時に思い当たる存在が一つだけあった。国を裏で支配していると言われるこの国一の名家」
「オルバイス家」
「そう。国以上の力と富を持つオルバイス家ならブラックダリアに豊富な資金を提供することも可能だろう」
「そ、そんな馬鹿な話があるわけないだろ?」
「そう。馬鹿な話だよ。生き別れた弟がテロ組織の戦闘員になってるのと同じくらいね」
本物にしようとしてた偽の世界が根本から音が立てて崩れていくのを感じる。
「た、大体オルバイス家がブラックダリアに資金を提供して何の得があるというんだよ!」
「『オルバイス家の人間は人の上に立って導くべき役目を負う。目の前で泣いている人間を救うことよりも、目に見えない百人の人間を救うことを考えなれればならない』」
「その言葉は?」
「オルバイス家の命題ってとこかな。表にでることのない、ね」
「表にでることのない命題を何でペンタクルが知っている?」
「僕の本名は二ール・オルバイス。現当主キケ・オルバイスの次男。それが僕」
ペンタクルの本名が二ール・オルバイスでオルバイス家の次男?オルバイス家の長男は病気で亡くなったと新聞に載っていた。
「じゃあ、ペンタクルがオルバイス家の次期当主?」
「のはずだったんだけどね。父さんが言うオルバイス家の命題に納得できなくて目の前で泣いている人間を救うことを選んだってわけ。でも世界の本当の顔を知らずに下した決断にしてはいい決断だったんだと思うよ」
「お前のいう世界の本当の顔って、何だ?」
「ワンド。君の言っていた事は正しかったんだよ。『次の瞬間にはその赤い世界が姿を見せるんじゃないか』一分後、一時間後、一日後、一か月後、一年後等しく大災厄が起きる可能性があるんだよ、誰が何もしなくても」
思わず唾を飲み込んでいた。誰が何もしなくても?
「ブラックダリアが少女を生贄に捧げて大災厄を起こしてる。そうだろ?」
「違う」微かな望みはペンタクルに断ち切られた。「彼らはそう見せてるだけで彼らが何もしなくても大災厄は起きる。そしてそれがいつなのかは誰にも分らない」
何だ?ペンタクルは何を言ってるんだ?大災厄は必ず起きる。じゃあ、僕がしてきた事は今まで何だったんだ?困惑は抑えきれない怒りへと変わっていた。
「じゃあ僕の今まで一体何のために闘ってきたんだ!」
「兄さんもそう言ってたよ。そう言い残して自ら命を絶った」
「自ら、命を?」
「僕も兄さんの死からずっと目を反らして生きてきた。新聞の発表通りに兄さんは病気で死んだんだって自らに言い聞かせた。でもワンドが自分の弱さと向き合ったのを見て僕も兄さんの死を向き合わなきゃいけないと思った。向き合って兄さんの死の原因を調べ、そして真実を知った」
「ペンタクル……」
「オルバイス家の当主は代々国の政治の中枢を担ってきた。その名家に跡継ぎが産まれた。その跡継ぎは歴代の当主と比べてもとびっきり優秀だった。家の誰もが喜んだ。跡継ぎもその家に産まれたことを誇り、才に恵まれたことを喜んだ。誰よりも努力を惜しまなかった。勤勉な兎だった。
その国は不定期に災厄に襲われた。その災厄は人の手により、悪の組織により起こされていると信じられていた。跡継ぎは、その組織を滅ぼすことを自らの使命と定めた。ある日、再び災厄が襲った。跡継ぎは父親に詰め寄った。何故、手を拱いているのかと。人々を救うのがこの家の役割なのではないかと。問い詰められた父親は息子に告げた。災厄は避けられないことを。悪の組織は国により作られた存在であることを。道を見失った跡継ぎは自ら命を絶った。家族の目の前で。何の為に、と最期の言葉を呟いて」
「何だよ、それ。正義の味方もテロ組織も国によって運営されているんじゃ闘う意味なんてないじゃないかよ!」
「あるんだよ」
ペンタクルの穏やかな声がより怒りに火をつける。
「じゃあ、言ってみせろよ!」
「弱いからだよ。みんな弱い人間なんだ」
「意味分かんねえよ!何でみんな弱いからテロ組織が国によって作られなきゃいけないんだよ!」
「事実を受け入れるのは”物語”がいるんだよ」
「事実を、受け入れる?」
「あるところにセルピエンテの日で息子を失った母親がいました。その母親の元に二人の男がやってきました。一人の男が言いました。この度は誠にご愁傷様でした。謹んでお悔やみ申し上げます。しかし、仕方のないことなのです。ガイアの力は聞く耳を持たず、見る目もなく、ただ振るわれるだけなのですから。それが運悪く、貴方の息子さんに振るわれたのです。ガイアを呪うなどいう無益なことはせずに、立ち直られることを願っていますよ。
もう一人の男が言いました。心よりお悔やみ申し上げます。息子さんを亡くされた心の痛み、よく分かります。奥さん……ここだけの話なんですけどね。今回のこと、自然災害なんて言われていますけど、実は違うんですよ。ブラックダリアっていう悪の組織によって起こされたテロ事件なんですよ。全く、許せないですよね。でも、安心してください。この世に悪の栄えた為しなしってね。ブラックダリアを懲らしめる組織を今、結成している最中でして。もし、結成されたら応援よろしくお願いしますよ。
どっちの話が避けようのない大災厄を受け入れることが出来ると思う?ブラックダリアという憎むべき存在がいたからワンドも立ち直ることが出来たんじゃないのかい?」
そうかもしれない。でも認めたくはなかった。
「ペンタクル。お前は『世界の本当の顔を知らずに下した決断にしてはいい決断だったんだと思うよ』って言ったな」
「うん」
「今の話を聞いて僕はホワイトアラスの戦闘員として戦うことがただのピエロにしか思えなくなった。お前は世界の本当の顔を知ってなお今まで通り闘うことが出来るのか?」
ペンタクルが立ち上がり、芝生を払う。
「僕さ、子供のころ捨てられた子犬を見つけて餌をあげたんだ。そしたらそれを見ていた通りがかった小父さんに言われたんだよ。『坊や、無責任なことしちゃいけないよ。中途半端に世話焼くのは子犬にとっても迷惑だよ』って。その時はあっ、そうなんだって深く考えなかったんだけど、あとで考えたんだ。本当に迷惑なのかなって。仮に僕があげた餌で一日生き延びることが出来たのならば、その一日には意味があるんじゃないかと。その一日でずっと世話してくれる人に巡りあえることもあるんじゃないかと。ブラックダリアが人々の憎しみの対象となり、憎しみの対象と戦うホワイトアラスの存在に安心を覚えてくれる人があるなら意味はあるんじゃないか。例えピエロだとしてもね」
ペンタクルが優しく、笑いかけてくる。
「結局さ、人は出来ることをしていくしかないんじゃないかな。力があろうとなかろうとね。弟さんも世界の本当の顔を知った上で自分に出来ることは何かを考えた結果なんだと思うよ。ブラックダリアの戦闘員として戦うことが。だからさ……ワンドも自分が出来ること、したいことの折り合いをつけてやっていくしかないんじゃないかな。だから悩んで悩んで……理想と現実の折り合いを、”答え”を見つければいいんじゃない。ワンドだけの答えをさ」
「……ああ」
「苦悩とは飛躍なり。悩めよ青年」
手をヒラヒラと振って、歩きだしていく。芝生に寝転ぶ。掌を目の前に掲げる
「自分だけの答え……か」
掌を強く、強く握り締める。
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