第三章 弱い男

 建物の屋上から街を見下ろす。見下ろした先では、黒髪をポニーテイルにした少女が元気よく駆け回っている。ふっくらとした頬の血色の良さが際立っている。

 「あれが次の巫女か」

 視線を横に向ける。顔に刺青をしたスキンヘッドの大男が横に並ぶ。

 「ああ」

 「かわいい女の子じゃねえか」

 「そうだな」

 チッと舌打ちが聞こえる。

 「相変わらず張り合いのねえ野郎だな。で、どうすんだ今回は?」

 「いつも通りだ。適当に街を破壊してあの子を攫う」

 「いつも通り、ね」

 男が獰猛な笑みを浮かべる。丸太のような両腕の筋肉が一段と盛り上がる。

 「ジェラルド、分かっていると思うが」

 「へいへい、対象以外は傷付けないように、だろ。わーーーってるよ」

 視線をジェラルドから少女へと移す。少女は迎えにきた母親らしき少女に抱きついて無邪気な笑顔を浮かべている。

 「おー、おーいい笑顔浮かべちゃって。まるで天使みたいだなぁ、おい」

 「……」

 ジェラルドには同意せず、両手に黒の皮手袋は嵌める。

 「お仕事開始か。奴らでも出てきてくれれば、少しは楽しめるんだけどよ」

 「ホワイトアラスか」

 「奴らもお前と同じセレクシオンなんだろ?相手にとって不足はねえ」

 ガツンと両拳を会わせる音が鳴る。

 黒いコートから白い仮面を取り出す。常に笑みを湛える白い仮面。”仮初の表情”を素早く身に付ける。

 屋上の手すりに足をかけ

 「いくぞ」

 その身を投げ出した。


 「コーヒーお待たせしました」

 素敵な笑顔でコーヒーを運んできてくれたウエイトレスさんに笑顔で応える。

 「そ、それではごゆっくりどうぞ」

 照れ笑いを浮かべ、そそくさと厨房へと戻っていく。その制服の後ろ姿を見つめる。かわいいねぇ~。コーヒーカップを鼻へと近づける。コーヒーの香ばしい芳香が鼻腔をくすぐる。

 「う~ん」

 カフェのテラス席に腰かけ、行き交う人々を眺める。

 「今日ね、今日ね、理科の問題がよくできたから先生に褒められたんだ」

 黒髪をポニーテイルにした、目の大きな少女が元気よく隣にいる女性―母親だろうに話しかけている。

 「そっかぁ。エレナちゃんは理科が得意だったもんね。偉い、偉い」

 母親の手が少女の黒髪を撫でる。少女の顔に満面の笑みが広がる。

 「えへへ。でも、もっともっと勉強しなくちゃいけないんだ」

 「どうして?」

 「もっともっとたくさんのことを知って、困っている人を助けられるような人になりたいんだ」

 明るく、ハッキリと将来の夢を口にする少女。母親は、そんな娘を目を細めて見つめている。

 「そっか……。エレナちゃんは困っている人を助けられるような人になりたいんだ。じゃあ、これからも頑張らなきゃね」

 「うん」

 「それじゃあ、早く帰って晩御飯の支度しよっか」

 「うんっ!」

 母子は手を繋いで家路へと再び歩きだした。

 「幸せだなぁ~」

 カフェのテラス席から見えてくるのは、幸せそうな親子の触れ合い。聞こえてくるのは市民の活気に満ちた声。そこに、仕事をサボって飲むコーヒーが鼻を楽しませ、心を満たしてくれる。椅子にもたれかかり、空を見上げる。晴れ渡った青い空に二つの黒い点が浮かぶ。

 「?」

 母子の目の前に音もなく二人の黒で統一された格好をした男が舞い降りた。一人は笑い顔が描かれた白い仮面を被り、もう一人はスキンヘッドで顔に刺青が施されている。

 「その願い、叶えて進ぜよう」

 刺青の男のおどけた声と

 「お嬢さんをお渡しください」

 仮面の男の感情に乏しい声が冷たく響く。

 「な、何なんですか?貴方たちは!」

 「お渡しください」

 「ひっ?!」

 母親が少女を抱きかかえる。刺青の男が前へと進みでる。

 「お嬢ちゃんは人の役に立つ人になりてえんだろ?それを俺らが叶えてやろうってんじゃねえか」

 刺青の男の手が親子へと伸びる。

 「何をしている!」

 「……」

 仮面がこちらを向き、刺青の男の手が止まる。

 「そうか……知りたいか」ゆっくりとこちらを向き「なら教えてやろう」

 不適に笑う。

 「季節外れのサンタクロースだよ」

 「サンタクロース?」

 「ああ。子供の願いを叶えるのがサンタクロースなんだろ?この子を願いを叶えようとする俺らがサンタクロースじゃなくて、何だってんだ?」

 「ーーーッ!」

 仮面の男と刺青の男を睨みつける。仮面の男は無言で佇み、刺青の男は余裕の笑みを浮かべている。母子はその横で震えている。

 あいつらを引き離すのが先決か。意識を集中し、敵を吹き飛ばす姿をイメージする。ドラグーンを集め、力として放つ。

 手の平から風が生まれ、男たちへ襲いかける。仮面の男が左手を上げ、

 パチン!

 指を鳴らす。風は男の髪を揺らすことなく、消失していた。

 「な、何で……」

 確かに力は、風は生み出されていた。にも係わらず、仮面の男が指を鳴らしただけで風は目的を達することなく霧散していた。

 「ジェラルド」

 「ああ。全く神様は寛大だぜ」目の前で拳を合わせる。「サンタクロースにまでプレゼントを届けてくれるなんてなぁ!」

 腰を落として、右肩を後方へと下げる。

 一つ、小さく息を吐く。落ち着け、冷静に、クールに。状況を一つ一つ確認しろ。空から怪しい男が二人降ってきた。男らは通りすがりの少女を誘拐しようとしている。母親は恐怖で動けそうにない。そしてーーー相手は指を鳴らすだけで、こっちの力をかき消すことが出来る。

 突然の出会いに注意しましょう……ねぇ。

 雑誌の載っていた言葉が頭をよぎる。予期しない出会いにどう注意すればいいんだか。胸中で毒づきながらも、必死に頭を回転させる。

 一対二。おまけにこっちの力は相手に通用しない。だったら……。

 「季節外れのサンタクロースは何に乗るんだい?」

 「あん?」

 「サンタクロースといえば、トナカイでしょ?季節外れのサンタクロースは何に乗ってくるのかと、ふと疑問に思いましてね」

 出来るのは時間を稼ぐことくらいか。

 「季節外れのサンタクロースは自分の足だけがたよりでな」

 「それじゃ大変でしょう」

 「人使いがあらい組織でな」

 「へえ~、季節外れのサンタクロースさんにも組織とかあるんですか?」

 「ああ。組織勤めの悲しい性でな。あっち行け。それが終わったらこっち行けと忙しいったらありゃしない」

 「分かります。下の者の気持ちなんて、偉い人には分からんのです」

 「全くだぜ」

 二人で勤め人の悲しさについて愚痴をこぼし、笑い合う。

 「ご歓談のところ申し訳ありませんがーーー」

 やり取りを黙って聞いていた仮面の男が口を挟む。

 「そろそろお互いの役目を果たしませんか?ホワイトアラスとブラックダリアの」

 ガツンとすぐ近くで拳と拳が合わさる鈍い音が鳴る。

 「っ!」

 身体が自然と反応した。経験か、それとも恐怖か。相手から少しでも遠のくように後方へと跳ぶ。

 「ガァーーー!」

 刺青の男が叫ぶ。と同時に右手が飛んでくる。

 「風よ!」

 風の障壁を目の前に張る。男の拳が目の前で止まる。男の目が見開き、細められーーー笑った。

 パチン!

 目の前から重みが消える。男が一気にまっすぐ踏み込んでくる。

 「ちっ!」

 舌打ちして、両腕で顔面をかばう。あの丸太にような腕で殴られればただでは済まないだろうがーーーそれでも意識は保たなければならない。

 刹那。衝撃が両腕から全身を突きぬけて後方に突き倒される。路面に倒れるが、倒された勢いを利用してすぐに跳ね起きる。両腕の痺れを無視し、前方へと意識を集中させる。ドラグーンを集め、男たちへと放つ。

 パチン!

 その音と共に力は消え行く。

 「サンタクロースのお供は手品師ですか?いやはや、それは知りませんでしたよ」

 「ドラグーンを何に変えるかはセレクシオンにより異なる。ただそれだけのことですよ」

 「ドラグーン?それじゃあ……」

 「セレクシオンがいるのはお前らだけじゃねえってこった。さあ、どうする?お前の力は通用しない。一対二。助けるべき母子は恐怖に打ちひしがれて震えている。まさしく絶対絶命ってやつだな、おい?」

 「そうだな。選択肢は三つってところですね」

 「ほう」

 刺青の男が揶揄するような笑みを浮かべる。

 「まず一つ目。追い詰められた僕は『遊びは終わりだ』と叫び、真の力を解放し、お前らをフルボッコにする。そして、高笑いを浮かべながら勝ち名乗りをあげる」

 「切り札は先に見せるな、か」

 「次に二つ目。『くっ、これまでか』力なく呟いて、地面に膝をつく。母子の縋るような視線が突き刺さるなか、僕は自分の無力さに打ちひしがれる。そんな逆境のなか『諦めたらそこで終わりだ』という仲間の声とともに今一度立ち上がり、仲間と力を合わせて敵を討つ」

 「お約束ってやつだな」

 「最後の三つ目。絶対絶命ーーーそんな状況でも僕の脳は冷静に回転し続けた。『諦めるな、戦うんだ』白い僕がか細く囁く。『状況を正しく把握しろ。私情に流されるな』黒い僕が力強く告げる。白は瞬く間に黒に塗り潰される。黒が続ける。『ここでお前が無謀に戦いを挑んで何になる?蛮勇と勇気は違う。今、ここで散ればお前のちっぽけな心は満足されるだろう。だが、それで何になる。お前は、お前自身を満足させるためだけにホワイトアラスに入ったのか?いや、そうじゃないだろ。お前は人々の生活を守るという”大儀”のためにその任に就いたはずだ。”大儀”を果たすために今、何をすべきなのか?それを第一に考えるんだ。親子は見捨てろ。だが決して忘れるな。その母子の悲しみを、嘆きを糧に前に進み続けろ。母子の亡骸に誓え。必ず平和を勝ち取ってみせると』僕は意を決して顔を上げると、踵をかえし走り始めた。敵に背を向けて。母子の嘆きの声が響く。涙が頬を濡らす。それでも迷わずに走り続ける。『いつか、きっと』誓いの言葉を胸に」

 「なげえな、おい」

 「貴方の答えは何番なんですか?」

 「『遊びは終わりだ』と言いたいところなんだけど……」

 「ペンタクルどけぇ!」

 ワンドの叫び声に身体を地面へと投げ出す。少し前まで身体があった場所を赤い光が一直線に貫いていく。赤い光が音とともに消失する。

 「ペンタクル、大丈夫?」

 ワンドとチャリスが駆け寄ってくる。

 「何とかね」

 チャリスの手を借りて、立ち上がる。

 「どうやら答えは二つ目だったみたいですね。結果までご期待に沿うつまりはありませんけど」

 「二対三か。形勢逆転しちまったな」

 緊迫した様子を微塵も感じさせずに呟く。

 「力が消えたのはどういうカラクリだ」

 男たちを睨みながら、ワンドが聞いてくる。

 「仮面の男もセレクシオンらしく、ドラグーンの力を打ち消せるらしい。気をつけた方がいい。この前の奴らとはレベルが違うみたいだ」

 セレクシオンと聞いて、ワンドとチャリスの表情が引き締まる。

 「まあ、ありうる話ではあるわね」

 「あっても嬉しくないけどね」

 それぞれ構えを取る。

 「それじゃあーーー」

 刺青の男が唇を舐める。

 「役者が揃ったところで、第二幕といこうじゃねえか!」

 刺青の男が雄叫びをあげる。

 「ワンドは刺青の相手を。僕が仮面のひきつけている間にチャリスは母子の世話をよろしく」

 「了解」

 「分かったわ」

 チャリスが母子の元へと駆け出していく。


 刺青の男が一直線に突進してくる。勢いのまま体をひねって右手が飛んでくる。身体をねじって拳をかわして相手の側面へと回り込む。脇腹へと拳を放つ。が、拳は脇腹へと達することなく、引き戻された右肘へとぶつかる。衝撃が右腕を駆け抜ける。痺れ、感覚が麻痺する。

 「くっ!」

 後ろへと跳び、距離を取る。男はすぐにこちらを振り向いてきたが、追撃はしてこなかった。

 「へえ~、なかなかやるじゃねえか」

 感嘆の声をあげる。

 「セレクシオンってんで、能力に頼りきった戦いしかできねえもんだと思っていたんだが……なかなかどうして。大したもんじゃねえか」

 「お前らをぶちのめさなきゃいけないからな」

 「なるほど、努力しているわけだ。全く天から与えられた力があるのに、努力までされたら与えられなかったものとしてはどうすりゃいいんだか」

 大げさに空を仰ぐ。

 「天からは与えられず、それでも力を求めるのならばーーーどうすると思う?」

 「さあね。俺が知っているのはお前らが力の使い方を間違えている悪者だってことだけだ」

 「悪者、ねえ。悪者の悩みなんて知ったこっちゃねえってか。冷たいねえ。こっちはあっちの兄ちゃんに付き合ってやったてのに。まあ、いいか」

 拳を固める。

 「見せてもらおうか、天から与えられた力とやらを」

 「お望みとあらば」

 炎で拳を包み、一直線に駆け出していく。


 「大丈夫ですか?」

 震えている親子へと声をかける。娘は懸命に母親へと顔を押し当て、母親は縋るような視線を向けてくる。

 「もう大丈夫ですからね」

 安心させる為に笑顔をつくる。

 「安心するのはまだ早いんじゃないですか?」

 音もなく、仮面の男が傍らに立つ。

 「……っ」

 庇うように母子を抱きしめる。

 「仮面さん、私と一緒に踊りましょう」

 すぐさまペンタクルが飛び込んでくる。仮面の男の顔面へと蹴りを放つ。男はその場でしゃがみ込むように体勢を低くし、駒のように一回転しながらペンタクルの足首を払う。

 「え?」

 驚きの声とともにペンタクルが尻餅をつく。ペンタクルが起き上がるよりも早く、仮面の男は次の行動、ブーツの底をペンタクルの額に押し付けて躊躇うことなく踏みつけた。

 鈍い音とともに血の赤が地面を染める。

 「残念ながら」感情の伴わない声で「男性と踊る趣味は持ち合わせていませんので」

 淡々と告げる。

 「水よ!」

 水の塊を男へとぶつける。が、目的は達せられることなく力は霧散していく。

 「貴方がたの力は私には通用しませんよ」

 足をペンタクルから外してゆっくりとこちらに近づいてくる。睨みつけるもその歩みは止まらない。

 「貴方は何故こんなことをするの?何が目的なの?」

 手の届く一歩手前で男は足を止めた。

 「何故?必要だからです。何が?その少女がです」

 母子の体がビクンと震える。

 背後からはワンドと刺青の男が戦う音が聞こえてくる。ペンタクルも動く気配がない。

 自分で何とかするしかない。覚悟を決める。

 「その少女を渡ーーー」

 男の言葉が終わらぬうちに、男へと飛びかかる。


 ガツン、と鈍い音が聞こえてくる。視線の先では、ペンタクルを仮面の男が踏みつけていた。

 「おーおー、あの兄ちゃんも可哀想に。俺の相棒は容赦がねえからな」

 顔だけ仮面の男とペンタクルに向けて話しかけてくる。

 「その分、兄ちゃんは運がいいぜ。俺は手加減って言葉を知っているからな」

 下卑た笑いを浮かべる。

 「そいつはどうも」

 そう言いつつ相手との距離を計る。約五メートルほど。接近戦では分が悪い。かといって遠距離から炎を放ったとしても身体能力だけでかわされる。

 持って生まれたもの、訓練、”何か”による増幅。どれに由来するかは知らないが、男の身体能力はこちらを超越している。定石に従うなら距離を取りながら相手のスキを窺うのが正解なんだろうが、恐らく仮面の男がボスでコイツは雑魚なんだろう。雑魚に長々と構っている暇はない。

 最短距離から最大威力の力を叩き込む。息を吐き、男を睨み、拳を固める。

 「おー、怖い怖い」

 すぐ傍にある建物に手を伸ばし、外壁に取り付けられているパイプを剥ぎ取り手に収める。

 「それじゃ、ラウンドスリーといこうか」

 刺青の男が手にしたパイプを放つ。パイプが回転しながら、一直線にこちらへ飛んでくる。横へ跳躍し、パイプをかわす。と、男が雄叫びを上げながら突進してくる。巨大な影が視界を遮る。手を伸ばせば、届く距離ーーー男が強く大地を踏みしめ、手を振り上げる。

 それに合わせてこちらも踏み込む。吐息が届くほど肉薄する。目の前にあるのは鋼の肉体、対峙せんは鋼を纏いしグラディエイター。

 拳を男の脇腹に置く。

 「ハッ!」

 気合と共に拳を短く突き出す。ありったけのドラグーンを込めて。

 拳がこすれて滑っていく。拳が触れた箇所を焼き、焦がし、炭化させーーー通過する。

 「ーーー!!」

 最短距離―――拳を押し当てた状態からの攻撃を避けた……。驚愕で顔が歪む。それと対をなすように刺青の男の顔に笑みが広がる。男の太い腕が首に巻き付き、吹き飛ばされた。


 目の前一杯に黒が広がる。飛びつく勢いを利用すれば……。男の腰へと手を伸ばす。が、手を空を掴む。

 「え?」

 掴んだ、と思った瞬間にあるべき標的は後方へと跳んでいた。こちらが飛びつくスピードよりも速く。肩口を掴まれて地面に叩きつける。背中に衝撃が疾る。

 「あっ……」

 肺から空気が漏れる。目の奥で火花が散る。世界が黒く反転する。

 「人の話は最後まで聞くのは淑女の嗜みですよ」

 沈んでいく意識に、息一つ切らしていない男の冷淡とした声が染み渡っていく。


ガシャン。ガラスを突き破って床を転がる。

 「ヒッ!」

 「キャアーーー」

 いくつか悲鳴があがる。

 「けっ、げほっ、こほっ」

 必死に酸素を求める。

 「俺の勝ちのようだな」

 焦点の定まらない目で声が聞こえた方を向く。砕けたガラス片を踏み入って刺青の男が姿を現す。脇腹には大きな黒い斑点が出来ていた。

 「至近距離から炎を直接叩き込む。狙いは悪くはなかったみていだが……。まぁ、相手が悪かったみてえだな」

 何とか立ち上がろうとするもーーー腰を上げかけたところで膝が地面を付く。身体が言うことを聞かない。

 ガリッ!

 歯を喰いしばる。口の端から血が滴り落ちる。

 「無理はしねえ方が身のためだぞ。素直に体が発する声に耳を傾けてお寝んねしときな」

 耳障りな声を無視し、大きく息を吐き出す。手を地面につき、ゆっくりと立ち上がる。

 「おー、おー、すげーすげ-。気合だぁーーー!気合いがあれば何でも出来る」

 男が無邪気に手を叩いて、応援してくる。

 「ジェラルド」

 音もなく仮面の男が刺青の男の背後に立つ。

 「遊びの時間は終わりですよ」

 「へいへい。目的は……達したみてえだな」

 仮面の男が少女を抱えている。

 「戻りましょう」

 ガンッ!

 石が放物線を描き、刺青の男の頭を直撃した。

 「娘を!娘を返して!」

 チャリスを支えながら、入り口に母親が立つ。一筋の赤い線が刺青の頬をつたう。男は目を細め、線を舐める。

 「俺はよ、小さい頃から悪ガキでな。悪いこともたくさんやってきた。そんなもんで、物心ついたときには周りは腫れ物に触れるように俺のことを扱った」

 声のトーンが一変する。

 「そんな俺だが、そんな俺でも大事なものが一つだけある。それはーーー」

 男は親指で刺青を指す。

 「これだ。この刺青だけが、母さんの想いの残り香だ」

 男の両拳が床を叩く。木の破片が飛び散る。

 「ジェラルド!」

 仮面の制止を無視し、刺青の男は続ける。

 「それをお前が穢した!よりにもよって僕の血でだ!お前は、お前だけは許さない!」

 刺青の男が咆哮をあげ、母親へと突き進む。母親がチャリスを突き飛ばすのと男が拳を突き出すのは同時だった。

 チャリスが床に転がる。鈍い音が響く。血飛沫とともに宙を舞う。ゆっくり、ゆっくりと舞ってーーー地面に落ちる。

 魅入られたようにその光景を見つめる。耳の奥で頭蓋骨が砕ける音が、倒れる音が繰り返される。母親は動かない。糸が切れた人形のように、ピクリとも動かない。

 世界が染まる。血の赤に染まる。あの日のように。

 世界を染める。焔の赤に染める。あの日のように。

 「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 叫ぶ。何もかも吐き出すようにひたすら、叫ぶ。

 力の限り、全力でーーー世界を紅に染め上げる。


  荒い息を必死に落ち着かせる。目の前では人形が炎に包まれている。

 「ドラグーンを炎に変える。それが君の力です」

 ホワイトアラスの研究室。初めて力を解放した僕を離れて場所で見守っていた博士が近づいてきて口を開く。

 「炎が、僕の力」

 「そう。選ばれた者である君らセレクシオンはドラグーンを具体的な力に変えることが出来ます。ある者は炎、ある者は水といった感じに。君にはこれからドラグーンを制御する方法を学んでもらうことになります」

 「力を制御する方法……それを学べば僕はブラックダリアからみんなを守れる存在になれますよね」

 博士が少しの間を置いてから口を開く。

 「そうだね」博士が腰を屈めて僕と目を合わせる。「その前に君に覚えてもらいたいことがあります。君は君が守ろうとしているみんなはどんな存在だと思いますか?」

 「どんな存在?」

 博士の言葉に頭を必死に働かせる。みんなってことは僕意外の人ってこと。真っ先に浮かんできたのは叔父さんと叔母さんとエリー、姉さん。

 「優しくてとってもいい人」

 僕の言葉に博士は悲しげに微笑む。

 「君が守ろうとしている人たちは弱い存在なんだよ」

 「弱い、存在?」

 「そう。目の前で起こった事をそのまま受け取る事が出来ずに自分の都合のいいように曲げて解釈する。君はそんな弱い人たちが安心して暮らせるように、弱い人たちの希望となるような存在にならなきゃいけない。だから君には覚えておいて欲しいことがあります」

 唾を飲み込んで真っ直ぐに博士を見つめる。

 「『希望は意志になり、意志は行動へと繋がり、行動こそが世界を変える』。力は意志によって制御されてこそ意味のある行動へと繋がって世界を変えることが出来ます。制御出来ない力では何も成すことは出来ません。力は君の意志により制御されて初めて意味を成します。制御された力のみが君が望む世界を実現してくれます」

 力は意志によって制御されなきゃいけない。

 「今の君には難しいかな」

 博士が今度は優しく微笑む。

 「でも覚えていてほしいんだ。大事なことだからね」

 先生の声が白一色の部屋に静かに響いた。


 目を覚ますと白い天井があった。体を起こして辺りを見渡す。白い天井、白い壁に白い床の白一色の部屋。ホワイトアラスの救護室、か。

 「制御出来ない力では何も成すことは出来ない……か」

 手を目の前の掲げ、強く握り締めて開く。手の平に残った爪の跡を眺める。目の前で人が殺された。頭の中を激痛が走り抜けた。視界が赤一色に染まった。そこから先の記憶は曖昧にぼやけている。

 全てを焔に染めるーーー頭の中に響く声だけに支配されていた。

 ドアが開く音がし、チャリスとペンタクルが作戦室に入ってくる。二人の足音が静かに響いて目の前で音が止む。

 「ワンド。貴方、自分が何をしたか分かってる?」

 チャリスが感情を殺した声を発する。

 「?」

 何をしたか?視界が紅く染まったあとに……?

 「お、俺は何をしたんだ?」

 口の中がひどく渇く。言葉が上手くでてこない。

 「そっか、そっか。覚えていないんじゃ仕方ーーー」

 「ペンタクル」

 チャリスの一言でペンタクルが口を噤む。

 「覚えていないのなら、私が教えてあげる。貴方は目の前で人が殺されたのを見て、我を失って力を暴走させた。暴走した力で建物は全焼。幸い、一般市民に死者、重傷者はなし。ブラックダリアの仮面の男が一般市民を救ってくれたおかげでね」

 「ブラックダリアが……救った?」

 「そう。建物には子供が一人残されていた。もし、仮面の男が救い出していなかったら、その子供は炎に焼かれているか、建物に押し潰されていたでしょうね」

 炎に焼かれる。俺の炎で、両親と同じように?

 「あ、あの少女は?」

 「国の保護施設で預かってもらってるわ」

 「良かっーーー」

 パンッ!頬に鋭い痛みがはしる。

 「俺一人で十分?その結果がこれ?貴方は何のためにここにいるの?人を救うためでしょ?その貴方が、貴方だけに与えられた力で救うはずの人を傷付けようとしたのよ?」

 「俺は……」

 「貴方はただの人じゃない。力を持ったホワイトアラスの一員なのよ?普通の人が暴れるのとはわけが違う。建物や人への直接的な被害、人々に与える心理的な影響も含めてね」

 「……」

 「博士も言われていたけど力を持っている私たちこそ、自重自戒しながら力の使い方を考えなければいけない。それが出来ないようならその人はホワイトアラスにいる資格はない」

 「チャリス、それは……」

 ペンタクルの言葉をチャリスが手で制する。

 「指令に進言したわ。力を制御出来ない、貴方風の言い方で言えば雑魚はホワイトアラスの戦闘員から外すべきだってね」

 ホワイトアラスから外す。この俺が。ずっと正義の味方を目指してきたこの俺が?

 「し、指令は」喉がひどく渇く。言葉がうまく出てこない。「指令は何て」

 ひどくがっかりそうに息を吐く。

 「却下。私としてはひどく残念な結果だけどね。今のホワイトアラスにそんな余裕はないってのが理由」

 「よかったじゃないか、ワンド」

 ペンタクルが場違いな明るい声を出すが、チャリスの表情は変わらなかった。

 「今回の件で貴方には一週間、ホワイトアラスの任務から外れてもらうわ。これは指令命令。頭を冷やしなさい」

 「その間にブラックダリアのーーー」

 チャリスの射るような視線に射竦められて言葉が途切れる。

 「そのことについては」チャリスの冷たい言葉が突き刺さる。「私たちで充分よ。美しさの欠片もない雑魚はご自身の心配でもしてることね。ペンタクル、行くわよ」

 「お、おう」

 二人が出て行って救護室に一人残される。

 雑魚、か。チャリスの言葉が頭の中で繰り返される。分かってる。そんな事は充分に分かってた。でも、世界は、俺が望む世界を実現するためには俺は雑魚じゃいけなかった。そう、いけなかったんだ。なのに……。俺はどんなに頑張ってみせても雑魚でしかなかったんだ。


 ホワイトアラスの任務から外されて三日が経った。最初は部屋でぼんやりと天井を眺めていたが心が重く重く沈んでいくのに耐えられずにあてもなく街を彷徨うようになっていた。サングラス越しに見る街は三日前にブラックダリアによるテロ事件などなかったかのように明るさと喧騒に包まれていた。そんな中を黒く暗い気持ちで歩いていく。

 人々の明るい声が右から左に流れていく中、「俺、ブラックダリア役やる」の声に足が止まる。慌てて声がした方を見やると空き地で少年たちが集まって話していた。身を潜めて様子を伺う。

 「何、お前悪の組織役やりたいのかよ」

 「そうだよ、この前の事件だってホワイトアラスに撃退されたって新聞に書いてたぞ。悪の組織なのに弱いってだせーよな」

 少年たちはヒーローごっこで誰がどの役をやるかを話し合っているらしかった。ブラックダリア役を志願した少年が得意気に反論する。

 「お前ら何にも分かってねーのな。ホワイトアラスよりブラックダリアの方が強いんだぜ」

 「えー、そりゃねーだろ。この前の事件だってやっつけられそうになったから建物に火付けて逃げたんだろ?」

 「ザ悪者って感じの行動だよね」

 少年の言葉に鼓動が高鳴り、手が震え出す。

 「新聞に書いてあることをそのまま信じればそうなるけどな」

 少年の口調には隠し切れない優越感の匂いが漂っていた。

 「信じればって本当は違うってことかよ」

 「俺の父ちゃんは新聞記者で、その父ちゃんが言ってたんだけどあの事件で建物に火付けたのはホワイトアラスの方なんだよ」

 「えー、本当かよ」

 「本当、本当。俺の父ちゃん酒飲むと長話が始まるんだけど、その時言ってたんだよ。ホワイトアラスがブラックダリアにやられそうになったから建物に火を点けて何とかブラックダリアを撃退したんだって」

 「本当にそうなら新聞にそう書けばいいじゃん」

 「俺も父ちゃんにそう言ったんだよ。だったら何で本当の事書かないの?って」

 「親父さんは何て?」

 答えを待ちきれない様子で詰め寄る

 「ホワイトアラスがブラックダリアより弱いっていう本当のことを書いたら国から新聞の発行が許可されないから、だって」

 「えー、何それ」

 「何で国から発行が許可されなくなるの?」

 「俺もそれ聞いたんだけど答えてくれなかった。正義の味方であるホワイトアラスより悪の怪人であるブラックダリアの方が強いと思われたら国として都合が悪いんじゃないの」

 それ以上聞いていることが出来ずに駆け出していた。


見慣れた光景が早送りで過ぎ去っていく。フッ、フッ、ハッ、ハッ。二回吸って二回吐く。呼吸のリズムに合わせて地面を蹴る。呼吸の音と足音を重ねる。ただそれだけを意識して街を駆け抜けていく。

 力の制御。ブラックダリア。善と悪。持つ者と持たざる者。行動とその結果。日常と非日常。赤く、紅く染まった景色ーーー様々なものが浮んでは消えていって頭の中が軽く、クリアになっていく。

 前へ、ただ前へ。その思いだけが強くなっていく。

 足に力を込める。よく強く地面を蹴る。風景が流れるスピードが早くなっていく。ギアをあげた身体に対し、酸素を、もっと酸素を寄越せと肺が悲鳴を上げる。その声を無視し、今のスピードを維持したまま角を左に曲がる。外側に大きく膨らんで曲がる。視界に公園が入ってくる。足は鉛のように重くなり、肺は限界へと近づいていく。それにも構わず駆け抜けていく。心の奥底に眠るものから逃れたい一心でーーー。


 公園の芝生に大の字になって横たわる。手を目の前にかざすと震えは収まっていた。

 ずっと怖かった。戦うのが怖い。ブラックダリアが怖い。そして、世界が怖かった。

 いつも見ている世界。その世界から少し外れただけで、世界は一変する。青は赤に。笑い声は嘆きの叫びに。決して見ることの出来ない”何か”が口を開けて待ち構えている。

 目を閉じる。脳裏に思い浮かべるのは、小さい頃に母さんに読んでもらったお伽話。村人を苦しませる黒い男たちをやっつける白い人。正義の使者が悪者をこらしめる。多くの子供たちが目を輝かせて心躍らせるステキなお話。

 誰かを助けるという存在がとても綺麗に思えた。だから、憧れた。

 正義の使者を演じていると、ギリギリ自分でいられる気がした。自分自身の無力感、ブラックダリアへの憎悪、世界への恐怖。少し気を許せば呑み込まれてしまいそうになる弱い自分を封じ込めていられるし、いつか本当に強い自分になれると信じていた。

 だからーーー正義の使者を目指した。

 サングラスを外して空を仰ぐ。見上げた先は青一色で澄み渡った鮮やかな青色がどこまでも広がっていた。

 サングラスを欠かさず身に着けるようになったのは初めてブラックダリアの戦闘員と戦った次の日から。模擬戦闘と実戦は違う。実戦では命を落とすことだってある。頭では分かっていたつもりだった。でも、ブラックダリアの戦闘員の憎悪に満ちた目で睨みつけられた瞬間に恐怖で体を動かなくなっていた。本能で分かったんだと思う。ああ、目の前の対象は本気で僕を殺そうとしているんだと。それから弱さを覆い隠すとした。覆い隠せばそんなものはないと信じるように。強気な態度で弱さを隠し、サングラスで怖さを隠した。

 全てを失ったあの日から本質的には何も変わっていなかった。今も無力で佇むしかなかった弱い弱い少年のまま。

 美しさの欠片もない雑魚、か。チャリスの言葉に自嘲の笑みが漏れる。このまま逃げちゃおうかな。力の制御も出来ない僕がこのまま戻っても何の役にも立てそうにないし。

 「ゴーーーーーーーーーーーーーーーーール!」

 とびっきり活きのいい声に体を起こして声がした方に目を向ける。視線の先には元気よく飛び跳ねる少年の姿があった。サッカー、というかサッカー遊びか。木の枝と木の枝の間をゴールに目立てて四対五、合わせて九人の子供たちが元気よく駆け回っている。

 少年たちの姿に幼い記憶が蘇ってくる。近所の公園で日が暮れるまでボールを追いかけた日々。帰ってこない兄弟を心配した母さんが迎えに来るまで何度も何度も勝負を挑んだ。

 ぼんやりとちびっ子たちの試合を観戦する。ポジションなどは特に決められているわけではないらしく、キーパー以外の子供たちはグラウンドの上を縦横無尽に走り回っている。木を使っての壁パス、ゴール裏をドリブルで疾走するなど普段のサッカーではお目にかかれないプレイが続出している。フィールドの範囲も決められていないらしく、ボールは落ち着くことなく動き続けている。


 しばらく見てると一人だけ動きが違っている少年がいた。他の子供たちが常にボールしか見ていないのに対してその少年は首をこまめに振ってグラウンド全体の様子を把握しようとしているように見えた。一手しか考えていない他の子供たちに比べて次の二手、三手を考えているかのように。

 その少年にボールが渡る。すると、先ほどゴールをあげた飛び切り元気のいい少年がわき目も振らずボールに突っ込んでいく。ボールを持った少年がボールを少し横にずらす。そうはさせじと元気のいい少年がボールに向けて足を延ばす。まるでその動きを予測していたかのように少年はボールを相手の股の下を通過させて横を通り抜けていった。呆然とする少年を残してドリブルで駆けあがっていく。

 二体二。

 「ヘイ!」

 味方の少年が手を上げてパスを要求する。少年の顔がそちらを向く。向かい合っていた敵の少年もそちら側へと体重をかける。次の瞬間、少年が顔の向きとは逆方向に一気に加速する。向き合っていた少年を置き去りにして相手キーパーと一対一になる。キーパーの少年は飛び出すべきか少し迷っていたようだが、意を決してボールへと身体を投げ出していく。

 フワリーーーと決意を嘲笑うかのボールを浮かしてキーパーをかわし、誰もいないゴールに控え目にボールが蹴り込まれた。

 「ほぉ」

 思わず声が漏れる。動きが違っているとは思ったがあれ程までとは。他の子供たちとは明らかにレベルが違っていた。

 グラウンドではゴールを決めた少年を中心に輪が出来ている。味方からだけではなく敵からも賞賛を受けている。敵の少年の顔にもこいつにやられるならしょうがない、といった諦めに近い表情を浮かべている。その中でただ一人、とびきり元気のいい少年だけが悔しそうな表情を浮かべている。その姿は幼い日の自分の姿を見ているようだった。

 ゴールを決めた少年は照れたように笑っている。

 「トーレス君、ナイスゴール!」

 小さな子供の手を引いた女性が子供たちへ近づいていく。どうやら子供たちの試合を観戦していたのは僕だけではなかったらしい。髪をポニーテイルにした少女と綺麗な銀髪、色も白くてほっそりとした女性って、よく見ると見知った顔がそこにあった。エリーが少女の手を引いて少年たちに近づいていく。エリーの存在に気付いた少年たちが彼女の元へ集まっていく。

 「姉ちゃん、おせーーーよ。って、ソイツ、誰?」

 「ゴメン、ゴメン。差し入れ用意してたら遅くなっちゃって。この子はエレナちゃん。うちの新しい家族。みんな、仲良くしてあげてね」

 「ふーーーん」

 少年たちの視線が一斉に少女に注がれる。少女は慌ててエリーの陰に隠れる。少女をチラリと見たあと、少年たちはエリーへと視線を戻す

 「ちょっと遅れちゃったけど、トーレス君の勇姿は見逃さなかったからね」

 そう言ってトーレス少年の頭を撫でる。恥ずかしそうに俯くトーレス少年。

 「俺も俺も。俺だって一点決めたんだぜ」

 がむしゃらな動きを見せていた少年が小さい体を精一杯使ってアピールする。

 「おっ、ラウル君も決めたんだ。はい、よく出来ました」

 頭を撫でられて、へへッと得意気に笑うラウル少年。

 「まあ、ラウルのはトーレスと違ってカッコ悪かったけどな」

 「キーパーが蹴ったボールがラウルに当たってのゴールだもんな」

 「ラッキーだよ、ラッキー」

 口々に子供がラウル少年へと非難の言葉を投げる。

 「っせえな!カッコ良かろうが悪かろうがゴールはゴール。一点は一点だ」

 非難の言葉に怯むことなく少年は胸を張る。エリーはその様子を黙って見守っている。

 「サッカーの本質を理解していない君らにこの言葉を贈ろう。『うまい奴が点をいれるんじゃない。点を入れた奴がうまいんだ』ハイ、ちゃんとメモとっとくように」

 「じゃあ、そんな君にこの言葉を贈ろう。『美しく外すことを恥じと思うな。無様に決めることを恥じと思え』ハイ、ここテストに出るぞ」

 「ブ・ザ・マ。ブ・ザ・マ。ブ・ザ・マ」

 他の少年がラウル少年をはやし立てる。

 「っせえな!」

 ラウル少年が怒鳴るも、はやし立てる声はやむ気配がない。ラウル少年の顔が怒りで歪んでいく。もしや、と思い腰を浮かしかける。

 「止めなよ」

 静かな、でも強い意志を感じさせる声だった。思わず、浮かしかけていた腰が止まる。はやし立てていた声もピタリと止む。

 「ゴールはゴールだよ。それに……諦めずに走り続けられるのは凄いことだよ」

 トーレス少年がラウル少年を賞賛する。

 子供の頃に憧れたサッカー選手がいた。その選手にボールに命を与えるかのようなテクニックは無かった。一瞬で相手を置き去りにするスピードも無く、相手のタックルにも怯まない強靭なフィジカルもなかった。それにも関わらず彼より上手く、彼より早く、彼より強い選手よりもゴールを決め続けた。子供心にずっとそれが不思議だった。試合後のインタビューで何故貴方はたくさんのゴールを決める事が出来るんですかと聞かれた彼は『僕は目の前にボールが転がってくると信じて九十分走り続けることが出来るからね』と答えた。

 信じて走り続けること。簡単な事のように思えるが十回走って一度もボールが転がってこなければ多くの人は諦めてしまうだろう。それを成し遂げる強靭な精神力。僕が憧れた選手と同じものをラウル少年は持っているように見えた。僕とは違って……。

 「はい、ではまとめます」

 今まで静観していたエリーが手を叩いて高々に宣言する。

 「ラウル君もトーレス君もどっちもすごい、ということでみんなで仲良く休憩にしましょう」

 エリーは肩に下げていた鞄から水筒を取り出してコップに注いでいく。コップを手にした少年から芝生に足を投げ出し小休止している。

 「ハイ、エレナちゃん。ラウル君に渡してあげて」

 透明な液体が入ったコップが少女に手渡される。コップを手にとり、それを見つめていた少女がエリーを見る。エリーが大きく頷く。

 少女がラウル少年の方へ俯きながら、ゆっくりと歩いていく。

 「ーーーぃ」

 声と共にコップを差し出すも、声が聞こえなかったのか不思議そうに少女を見つめている。

 「これ、俺の分?」

 少女が首を微かに動かす。

 「サンキュー、エレナ」

 とびっきりの笑顔でコップを受け取る少年。少女はコップを手渡すと、慌ててエリーの元へと戻っていった。

 「ハイ」

 エリーが最後の少年にコップを手渡す。

 「あれ、そういえば九人しかいないね。ホナウド君は?」

 「腹痛だってさ」

 「ていうか、サボりだろ。何かと理由付けてサボるからな」

 「だから、太るんだろ」

 「そっか。じゃあ、四対五で試合してたの?」

 「だって、しょーがねーじゃん。他に人いねーし」

 「でも、やっぱ一人足りないとキチーよな。トーレスいなかったら、どうなっていたことやら」

 「あと、ラウルが外しまくってくれたからな」

 「っせえな。試合が均衡してた方が燃えるだろ。そうだ。姉ちゃんが参加すりゃいいじゃん。そうすりゃ、五対五になるし」

 ラウル少年が得意気に提案する。それに呼応して少年たちの瞳が輝き出す。

 「やっべぇ、それ名案じゃん」

 「賛成、賛成、大賛成」

 「姉ちゃんのゴールが見たーーーい(見たい)、見たーーーい(見たい)。姉ちゃんのゴールが見たーーーい、ラララーーーラ~、ラララ~~~」

 肩を組んで賛成の大合唱が始まる。

 「ちょ、ちょっと……。私には無理だって。サッカーやったことないし。それにほら、スカートだし」

 エリーの言い訳など聞く耳持たん、と言った感じで少年たちは騒ぎ続ける。

 「いいじゃん、いいじゃん、ちょっとくらい見えたってさ」

 「というか、姉ちゃん普段から体動かしてんでしょ?だったら、サッカーくらい余裕っしょ」

 「ゲットゴール、姉ちゃん!」

 困惑気味にエリーの視線がさ迷う。僕の知っているエリーはいつも泰然自若としていたが多勢の子供には敵わないらしかった。

 「あっ」

 さ迷っていた視線がピタリと僕で止まる。慌ててサングラスをかけるも遅かった。喜びの表情でエリーがどんどん近づいてきて目の前に立つ。

 「サッカー好きだったよね?」

 「誰かと勘違いして……」

 「サッカー好きだったよね?」

 せめてもの抵抗をしてみるが無駄だった。エリーの表情、エリーの声で言われると僕はすぐ弟に戻ってしまう。

 「はい」

 無駄な抵抗はすぐ諦めて同意する。ただ、沈みささくれ立った心には弟であることが心地よかった。

 「よろしい!」

 満面の笑みで手が差し出される。小さく息を吐いてその手を掴む。手を引かれて好奇心と困惑が入り乱れた表情を浮かべる子供たちの方へ歩いていく。

 「ハイ、ハーイ。注目、注目。ここで期待のニューフェイスを紹介します」

 グイとエリーに引っ張られて子供たちの前に差し出される。

 「アロンソ選手でーーーす!」

 子供たちの視線が一斉に注がれる。

 「ど、どうも。アロンソです」

 「……」

 子供たちの視線が痛い。いきなり知らない男を紹介されたんじゃしょうがないか。子供たちの心を少しでも開こうと、言葉を続けようとすると「アロンソさんはサッカー得意なんですか?」トーレス少年が質問してくれる。

 「まあ、小さい頃は君らみたいにサッカーばかりやってたから、それなりに。でも、まだまだ君らみたいなヒヨッコには負けんよ」

 「ホントかよ?姉ちゃんの前だからっていいとこ見せようと思って強がってんじゃねえの?」

 ラウル少年が疑いの声をあげる。

 「フッ」

 髪をかき上げて、自信たっぷりにラウル少年に指を突きつけて告げる。

 「坊やに格の違いを見せつけてあげよう」

 おおっーーー、と他の子供たちから歓声があがる。

 「スゲーーー。自信まんまんじゃん」

 「トーレスに強力ライバル出現か?」

 「オモシレーーー」

 ラウル少年が不敵に笑ってこちらを指差して告げる。

 「兄ちゃんを世界一への踏み台にしてやる」

 「世界一?」

 予想だにしなかった言葉に思わず聞き返す。少年たちの間に失笑が漏れる。

 「あー、いつものことなんで気にしないでください」

 「口癖なんですよ。『世界一のサッカー選手に俺はなる』って」

 「ムボー、ムボー」

 「そうやって最初から諦めてたら叶うモンも叶わねーだろうが。自分を信じることから全てが始まる。そうだよな、姉ちゃん?」

 「そう、そう。自分を信じることが全ての始まりだからね」

 少年の自信満々な様子に自然と笑みが漏れた。

 「よしっ!じゃあ、世界一への壁として立ち塞がってやる。かかってこいやーーー!」

 「上等!そんな壁ブチ破ってやらーーー!」

 グラウンドのラウル少年の絶叫が響きわたる中、チーム分けのグーパージャンケンが始まった。


 「で」

 ラウル少年が不服そうに話しかけてくる。

 「あんだけ煽りあったにもかかわらず、何で兄ちゃんと俺が同じチームになんだよ?」

 「一緒の手だしたんだから、しょうがないだろ」

 十回ものグーパージャンケンの果てに決定されたチームは俺とラウル少年が同じチーム、トーレス少年が敵チームとなっていた。

 「まあ、同じチームに決まったもんはしゃーないか。兄ちゃん、子供だからって気抜くなよ。トーレスはマジで上手いぜ」

 「知ってるよ」

 エリーの掛け声で試合が始まる。

 通常のサッカーコートの半分にも満たないコート。両チームからそれぞれキーパーを除けば四対四。狭いコートの中を八人が駆け回る。攻守は目ぐるましく入れ替わり、ボールはゴールとゴールの間を慌しく往復していく。

 ドリブルで一人抜いてもすぐカバーに入り、パスは頻繁にカットされる。お互いに攻撃の形はすぐ崩れ、守備へと切り替わる。

 そんな中、トーレス少年の動きだけが際立っていた。同じピッチに立つとそれがよく分かる。味方がボールを失い、相手がカウンターに出ようとする瞬間に素早く相手の前に立ち塞がり味方が守備に戻るまでの時間を稼ぐ。その動き一つ一つがチームのために考えられた行動だった。

 ほんとに末恐ろしい子だな。多分、トーレス少年みたいな子がプロになっていくんだろうな。そんなことを考えつつ、敵チームの少年のドリブルをカットする。両手を上げてアピールするラウル少年にパスを出す。トーレス少年とは正反対に猪突猛進。敵陣に一直線に突っ込んでいく。

 「おいおい」

 思わず突っ込む。彼の頭の中には味方を使おうといった考えは一切ないらしく、案の定というべきかドリブルはすぐカットされていた。トーレス少年の足元にボールが収まってドリブルが開始される。半身になり、少しずつ下がりながら対峙する。

 ドリブルのスピードが緩められる。味方の上がりを待つのかと思った瞬間、弛緩から躍動へ。爆発的なターボがかかる。気付いた時には横に並ばれていた。

 素早くシュート体制に入るトーレス少年に対して必死に足を伸ばす。足に衝撃が走る。勢いを殺がれたボールがキーパーの正面へ転がっていく。

 「すげーーー」と子供たちから歓声があがる。

 「兄ちゃん、口だけじゃなかったんだ」

 「トーレスが一対一で止められるとこ初めて見た」

 子供たちの賞賛をよそに心で毒づく。ここまで体格差がありながら、ブロックするのがやっととはね。

 「やるじゃん、兄ちゃん」

 ラウル少年が駆け寄ってくる。

 「やるじゃん、じゃねえだろ」

 頭を小突く。

 「痛ってーな。何すんだよ!」

 額を抑えながら抗議の声をあげる。

 「馬鹿の一つ覚えで突っ込んでいくなっての。一人で全員抜けるなんて思ってるわけじゃないだろ」

 「うっ……」

 しゅんと肩を落とす少年に諭すように優しく告げる。

 「味方を活かして、自分も活かす。そうすればもっと楽に、もっと楽しくプレイ出来るぞ」

 味方を活かして自分を活かす。自分の言葉にハッとする。まるで自分に言い聞かせるかのような言葉だった。

 『同じ目的のために集まった仲間』

 蘇るチャリスの言葉。一人の力で勝てないならどうすべきか?単純な事だった。

 「兄ちゃん?」

 ラウル少年の言葉に思索を打ち切る。

 「ホラ、いくぞ!世界一目指すなら立ち止まるなよ」

 「っあたよ!世界一へと突き進む俺をよく見とけよ」

 落ち込んだかと思ったら、次の瞬間には遥か遠い、険しい未来を見据えている。ホント、逞しい奴。キーパーから味方の少年へとボールが渡り、試合が再開される。

 ラウル少年のプレイは少しずつながら変わっていった。以前はボールを持てばすぐ敵陣に突っ込んでいったが今はまず周りの状況を確認するようになった。ラウル少年にパスが通る。足元にボールを収め、前を向く。少年の前に味方が二人走り込んでいく。少年が右を向く。そして目線とは違う方向へ繰り出されたパスは綺麗に相手チームの少年の足元に収まった。

 「えっ……」

 パスをプレゼントされた少年が驚きの声をあげる。ノールックで相手からパスされたらそりゃ驚きもするだろう。こっちもビックリだ。パスをプレゼントされた少年がカウンターを開始しようとする。すぐさまラウル少年が進路を塞ぐ。その間に前線にいた二人が慌ててゴール前へと舞い戻る。

 四対四。相手はカウンターを諦め、パスを回していく。

 ゴールを背にしたトーレス少年にボールが入る。ボールを奪いにいこうとするも背中と腰を使って足を広げてボールをうまく守っている。子供と大人の体格差をものともせずに。

 トーレス少年がこちらを背負ったまま体を反転させる。進路を塞ごうとするも、腕でブロックされる。ボールをカットするために足を伸ばす。トーレス少年が足の裏を使い、背後へと優しく蹴り出す。敵チームの少年が走りこんでくる。ボールはゴールである木の枝と枝の間を通過していった。

 グラウンド上に歓喜の小さな輪が出来る。

 こちら側はあまりに見事なプレイにラウル少年までもが呆然としたいた。ボールを拾ってラウル少年へと投げる。

 「ほら、ボーっとしてんな。反撃するぞ、反撃」

 少年の表情が引き締まる。

 「ボーっとなんてしてねえよ。なかなかやるなと思っただけだよ」

 頬を力いっぱい叩いて叫ぶ。

 「しゃっ!やるぜ、俺は」

 ラウル少年の熱気が味方へと伝染していく。

 「バッチコーイ」

 「まだ終わらんよ」

 次々に子供たちの歓声があがっていく。

 「よし!いくぜーーー」

 試合が再開される。

 一進一退。得点にも気落ちすることなく同点、いや逆転するために味方の子供らは失点前より運動量を増やしていた。ボールは相手チームのゴール前まで運ばれるもののトーレス少年の壁に阻まれてゴールは奪えない。そんなもどかしい展開が続く。

 ゴール前からトーレス少年が大きくボールを蹴り出す。大きくジャンプして体で受け止める。ゴール前へ猛然と走り込んでいくラウル少年の姿が目に入る。ラウル少年目掛けてパスを出す。ラウル少年とトーレス少年が競り合いながらボールの落下点へと走り込んでいく。少し強すぎたか?ボールはそのままタッチラインを割るかのように見えた。トーレス少年がスピードを緩める。ラウル少年がそのままでスピードで跳ぶ。懸命に首を伸ばしてボールに触れる。進路を変えたボールは、相手キーパーの上を通り越して逆サイドへ。そこに味方の少年が走りこんでゴールへとボールを蹴りこむ。ラウル少年とゴールを決めた少年が抱き合う。そこに味方の少年が重なっていった。


 エリーが親指と人差し指を口に咥えてピーと音を鳴らす。少年たちの視線が集まる。

 「ここで選手交代のお知らせです。アロンソ選手に代わりましてエレナ選手が入ります」

 エリーの横で座って観戦していたエレナが驚きの表情を浮かべる。エリー、僕、子供たちを順に見つめていく。

 「エレナのゴールが見たーーーい」

 エリーが歌いだして少年たちへ視線を向ける。

 「(見たい)」

 少年たちの声が後を追う。

 「エレナのゴールが見たーーーい(見たい)、見たーーーい(見たい)。エレナのゴールが見たーーーい、ラララーーーラ~、ラララ~~~」

 少年たちの歌声が少女へと届けられる。

 少女はどうしたらいいのか分からないのか、視線をさ迷わせ続ける。エリーは黙って見守っている。ラウル少年が少女へ歩いていく。

 「一緒にやろうぜ、エレナ」

 少女へ手が差し伸べられる。少女がエリーを見る。エリーが優しく微笑む。

 少女が差し伸べられた手へゆっくりと手を伸ばして、掴む。

 「きゃ」

 その手を勢いよく引っ張って少女を立ち上がらせるとグラウンドへ連れて行く。少女が目の前に立つ。腰を屈めて少女へと手を掲げる。戸惑いながらも小さい手でこちらの手を叩く。少女はグラウンドへ、こっちは芝生へと歩き出す。

 エリーの横へ腰を下ろす。

 「お疲れ様。ハイ、これ」

 笑顔と共に透明な液体が入ったコップが手渡される。

 「ありがとう」

 コップに口を付けながら二人で黙って子供たちのプレイを眺める。戸惑っている少女にラウル少年が身振り手振りで指導している。

 「あの子は?」

 「この前、ブラックダリアのテロ事件があったでしょ?その事件でエレナちゃんのお母さんが亡くなられて身寄りがいないってことでうちで引き取る事になったの」

 エリーの言葉にコップを持つ手が震えだす。エリーに気付かれないように小さく息を吐く。

 「……そっか」

 努めて冷静な声を出す。お互い無言でグラウンドを見つめる。

 少女の足元にボールが転がる。ボールとラウル少年を交互に見比べる。ラウル少年が蹴る仕草を繰り返す。それを見て、ボールを恐る恐る蹴る。ボールはゆっくりとラウル少年の足元へと転がっていく。ラウル少年が親指を立てる。

 「こっちを見て」

 「ん」

 エリーを見やる。エリーは優しい顔をしていた。

 「何があったのかは聞かない。だから一つだけ。アタシは貴方を小さい頃からずっと見てきた。そのアタシが言う。貴方は頑張ってる。多くのものを背負ってそれを守ろうと頑張ってると。アタシはそれを知っている。他の人が何と言おうと」

 「……何だよ、それ」

 「エリーお姉ちゃんからの有難いお言葉よ」

 大きく息を吐きだす。立ち上がって大きく体を伸ばす。

 「じゃあ、お姉ちゃんの言葉通りに子供たちの未来を守るとしますか」

 『希望は意志になり、意志は行動へと繋がり、行動こそが世界を変える』

 ずっと指標としてきた博士の言葉。僕の行動はいい結果には繋がらなかった。でもあの日抱いた意志はまだ僕の心の中になる。だったら、行動を変えればいい。

 「エリー、姉さん」エリーと向き合う。「ありがとう。姉さんの言葉で僕、頑張れると思う。僕の目標を実現するために」

 「うむ、それでよろしい」

 「じゃあ、僕戻るね」

 「うん、頑張ってね」

 エリーの言葉に背中を押されて走り出す。グラウンドに目を向けると子供たちは太陽に負けないくらいの眩しいくらいの笑顔を浮かべてダイヤモンドの粉を身にまとってグラウンドを駆け回っていた。


 「で、話って何?」

 ホワイトアラスの作戦室でテーブルを挟んでペンタクル、チャリスと向かい合う。今まで通りサングラスを身に着けて。ペンタクルはいつも通り平然として、チャリスは厳しい表情を見せている。

 「今日は知ってもらいたい事があって」

 「何、それは?」

 チャリスの冷たい声。これも自らの行動の結果だと言い聞かせる。

 「うん。僕がホワイトアラスに入った理由と目指すべきものについて」小さく息を吐く。自らの境遇を人に話すのはこれが初めてだった。「僕の六歳の誕生日にセルピエンテの日に遭遇して家族を失った。孤児になった僕は叔父夫婦に引き取られて育てられた。叔父夫婦はとても優しくて僕を実の子供のように接してくれて大きな優しさで包んでくれた。そのおかげで僕は何とか問題なく日常生活を送れるようになったけど、心の奥底には怖さがあった。僕が見ている世界は偽物で赤く染まった世界、セルピエンテの日に見た赤い世界こそが本当の世界で次の瞬間にはその赤く世界が姿を見せるんじゃないかって。大きくなってもその怖さは消えることなく変わらず僕の心の中に残り続けた。そして再び、再災厄トルトゥーガの日が起こった。その後の新聞報道で知った。セルピエンテの日、トルトゥーガの日という二つの再災厄がブラックダリアの手で起こされていることを。その記事を見た瞬間、僕は自分のやるべき事がはっきりと分かった。子供の頃に聞いたおとぎ話のようにブラックダリアと戦うことこそが僕のやるべき事だと」

 「白き人の物語、か」

 ペンタクルの言葉に頷く。

 「白き人は貴方のように力を暴走させて守るべき人を傷つけはしないけどね」

 「そう。白き人は僕のように力を暴走させて守るべき人を傷つけはしない。僕は白き人にはなれなかった。残念だけどね」サングラスを外してテーブルに置く。初めて裸眼でペンタクルとチャリスを見つめる。二人は驚きの表情を浮かべていた。「僕はずっと自分の弱さを認めることが出来なかった。サングラスで目を隠せば弱さを覆い隠せると信じた。いや、信じたかっただけかな。でもそれはただの誤魔化しだった。自分を欠点を直視できない弱さが力の暴走を招いたと思ってる」

 「で、その弱いワンドさんはどうするの?」

 「そう、僕は弱い」サングラスを手に取る。持った手に炎を生み出すとサングラスは炎に包まれて一瞬にして消え去った。「でも、その弱い男にも実現したい事がある。弱い男が望むのは再び大災厄が起きて理不尽に命が奪われることのない世界。その世界の実現のために僕にもう一度チャンスをくれ!僕をホワイトアラスに戻してくれ」

 額をテーブルにも押し付ける。そのままの態勢で二人の言葉を待つ。

 「私たちは、ホワイトアラスは命を懸けてブラックダリアと戦う組織。当然、また目の前で守るべき命が奪われることが起こるかもしれない。その時に貴方は力を暴走させないと断言することが出来るの?弱さを直視すればそれは治るの?」

 「そ、それは……」チャリスの当然の問いかけ。顔をあげて弱々しくチャリスを見つめる。「正直、分からない」

 「だとすれば私の立場では貴方の復帰に賛成することは出来ないわ」

 唇を噛みしめる。チャリスの言い分はもっともだった。僕は黙って見ていることしか出来ないのか。作戦室を沈黙が満たす。

 「ダイジョーーーブ!」ペンタクルの場違いな陽気な声が沈黙を打ち破る。「ワンドは人の死を見たら力を暴走させて守るべき人を傷つけてしまう可能性がある。だったら僕たちの力でブラックダリアが人を殺すのを阻止すればいい。ワンドは力を暴走させることはない。ブラックダリアの活動も防げる。市民も悲しまずに済む。一石三鳥。めでたし、めだたし」

 「でも……」

 「チャリス。僕たちはワンドを攻める立場にはないんだよ。今回の件はワンドだけの問題じゃない。そもそもは僕たちが仮面の男らに負けたことが原因なんだから。僕たちが仮面の男らを退けることが出来ていればワンドの力の暴走も起きなかったんだからね。違うかい?」

 「それは、そうだけど……」

 「そもそも君が言ったんだよ『同じ目的のために集まった仲間だ』ってね。ワンドは目的を成し遂げるために再び立ち上がろうとしている。だとするならば手を差し伸べられた手を握ってやるのが仲間ってもんでしょうよ」

 チャリスが腕を組んで考え込む。

 「そうね。確かにこれはワンドだけの問題じゃなくて私たち全体の問題。自分の弱さを直視して再び立ち上がろうとする姿は確かに美しいわ。ワンド」

 チャリスが真っ直ぐに見つめてくる。

 「私から司令にお願いしてみるわ。貴方が戻れるように」

 「ありがとう」

 「ワンド」

 ペンタクルが肩に手を置く。

 「僕とチャリスもいる。お前は一人じゃない。それでも暴走するようなら―――」

 拳を高々と掲げる。

 「思いっきしぶん殴って目を覚ましてあげるから安心していいよ」

 「まあ、まだ復帰できるって決まったわけじゃないけどね」

 チャリスの言葉にペンタクルが親指を立てる。

 「大丈夫しょ。ホワイトアラスはいつだって人員不足だからね」

 「否定できないのが悲しいわ」

 二人のやり取りに笑みが浮かぶ。怖さはまだ心の中にある。ずっと消える事はないだろう。僕はこの弱さを抱えて走り続ける。僕の行動が世界を変えることが出来るその日まで。

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