『白玉千歳』

 白玉しらたま千歳ちとせの違和感は当然のものだった。



 河苗がびょう芽氷めおりの亡き後、影雄は真なる英雄として白日の下に名を晒し、世界に隣り合う危機感を叩き付けたのである。これまでの平穏な日常が尊い犠牲と途方もない思いの丈によって成り立っていた事実を、寝惚けた全世界に自覚させた。しかしそれは、同時に認識による境結界の禁を解き放った事実でもある。境結界の禁によって封じ込められていた悪しき化物どもは人々の暮らす現界にまで現れるようになり、被害規模は甚大な膨らみ方を見せるに至った。

 結果として、むくの判断により世界は悪い方向へと傾いてしまった。そして何よりも懸念すべきは、この結果を杰が望んで招いたことにある。大切な友人たちを目の前で奪われ続けた彼女はその理不尽に抗う道を選び、何も知らずに生きている者たちへの復讐心に駆られた。

 人知れず悪と戦う英雄ヒーローという存在は所詮、創作物フィクションの中だけの存在であり、無責任な人々が作り上げた幻想でしかない。命を賭し、何の見返りも求めずに他人を助ける人間など在りはしない。少なくとも杰は、自身がそう言った人種ではない事を悟った。



 疑問を抱えながら戦うには、少しばかり分が悪かった。

 千歳は背で庇う小さな女の子の泣きじゃくる声を耳にしてふと、思う。

 名も顔も知らない女の子。この子を見捨てて逃げれば自分だけは確実にこの窮地から脱することができる。今すぐにでもそうするべきだ。自分は影雄であり、この化物どもに唯一対抗できる力を保持する人間で、生き続けることも命令の一つである。

 けれど、そんな選択肢は千歳の矜持に反する。


「一式、解放」


 無許可での神具じんぐの発動は禁忌とされている。神具の悪用を危惧しての約定である。が、千歳に躊躇は見られない。刀の鞘に貼り付けられていたおびただしい数の御札が一斉に剥がれて宙を舞う。御札によって禁じられていた真っ黒な刀身を引き抜く。


「二式、浄化」


 穢れを纏った黒い刀身を指でなぞると、這った所から順に穢れが祓われ、美しい純白の刀身が姿を見せ始める。


「三式、神憑」


 深く長く息を吸い込んだ後、黙した両の眼が開かれると、千歳の虹彩が黄金に瞬く。神憑おろしの業は影なる英雄の証も同義。今の千歳の身には文字通りの神が宿っている。

 千歳の操る神具は、影傑の戦神が愛用したとして甲斐の国で祀られていた刀『穢祓御剣わるふつのみつるぎ』であり、その身に宿すのは然として影傑の戦神。神剣の一振りで万事を斬り開く。

 千歳を捉える異形の数は五、幸いにも通常の量産型。数的不利に違いはないが、一体毎の戦闘能力は低く、丁寧に各個撃破を心掛ければ不覚を取る可能性は限りなく低い。喩え小さな女の子を庇いながらの戦闘であったとしても、戦神を宿した千歳であれば造作もない。


「もう少しだけ我慢してね」


 背後の少女に優和な笑みを送ると、般若如来の眼光が敵を射る。

 刃が煌めき、手前の異形の半身が宙を舞う。どす黒い体液が綺麗な放射を描いて地面に広がる。瞬く間に仲間の一体を失った異形どもが事態を呑み込むよりも早く、千歳の刃が風を斬る。

 二体目の体液が地面を彩った頃、ようやく他の異形どもが迎撃態勢を整える。不定形の身体の一部を先の尖った触腕に変えると、刀を振り抜いたその勢いを逃がす為にやや隙の大きな姿勢を取らざるを得なかった千歳の無防備な脇腹へと勇んで伸ばす。

 寸でのところで千歳の斬り払いが間に合った形となったが、別の異形が同様に伸ばして来ていた触腕が千歳の腕を掠める。反射的に飛び退き直撃は免れたが、制服のブラウスに焼けたような穴が空き、その内の皮膚も軽くではあるが火傷を負った際のような水膨れが生じている。

 迂闊すぎる。千歳は心の内で自身の動きの悪さを諫めた。横目で確認するようにしてチラと少女の方へ目配せする。敵の注意を最大限こちらへ向かせるように、となるべく接近しての立ち回りを試みたが、敵を一太刀で討つ事ばかりに意識を向け過ぎて返しへの対処が御座なりになってしまっている。

 命の取り合いを行う上で何よりも大切にすべきは先ず死なない事、そして命を取る事。この場に於いての差し違いは敗北も同義。討ちし取られずこそが最善で最低限の勝利条件。千歳の目つきが手にした刃の如く再び鋭くなる。

 先までの上中段の構えを排し、切っ先を下げての下段の構えを取る。膝を軽く曲げ、つま先に比重を傾ける。意識の重心は下半身、上半身は下半身の動きに合わせて移ろわせる。取る動きではなく、取られずの動きに徹する。

 短く、そして鋭く息を呑む音を置き去りに、千歳の姿は異形の一体の方へと跳んで行く。構えていた事もあり、今度の異形の迎撃行動は迅速。直線的に駆けてくる千歳へしっかりと照準を合わせて触腕の先を伸ばす。

 しかし、此度の千歳の動きは触腕が掠る事さえも許さない。重心の傾きによって触腕の直撃を避け、駆けて来た勢いのままに刀を異形の身体に沿わせる。切り開かれたビニール袋であるかのように体液を漏らした異形の身体はみるみる萎んでいく。朽ち行く異形へ少しの視線すらも配せずに残った二体の異形の位置を確認すると、千歳の身体は再び一陣の風と化した。


 穢祓御剣を納めた鞘に再び札による封印を施し終えると、千歳は少女の元へと歩みを向けた。少しばかり怯えているものの、自身への恐怖心は抱いてはいない様子。


「大丈夫? どこもケガとかしてない?」


 涙を溜めた両目が上下に動くと、張力で繋ぎ止められていたダムが決壊する。


「こわかったよぉ——」


 千歳に抱き付いて泣きじゃくる少女の頭にそっと手を置いて慰めてあげる。

 やはり、と千歳は自分の中に芽生えていた違和感の正体を確信した。

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元英雄な私~英雄軍のリーダーが闇落ちしたので反旗をひるがえします~ ZE☆ @deardrops

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