殺人鬼の心理

にゃ者丸

【解体屋】

 穏やかな息遣い。落ち着いた様子で、彼は息を吐いた。


 白い息が吐き出される。それだけで、彼の居る部屋の温度の冷たさが伺える。


 彼の恰好は、極めて人間として扱われていないものだった。


 全身を包む白い布。全身を縛る黒い皮。唯一、許されているのは、喋るための口と休息のための椅子のみ。


 冷たい身体を震わせて、暖を取ろうと身をよじる。


 布の擦れる音が、ギシギシという椅子の音が、妙にリアルに耳朶を打つ。


 晒された口元は微笑を描いていて、何故だか、安堵感よりも恐怖をそそられるのは、彼の正体を知っているからだろうか。


 口から零れた白い息も、妙に艶やかで、されど罅割れた唇も。


 彼を人間ではなく、化物として見てしまうのは、私の偏見だろうか。


 否、そうは思いたくない。これは、歴とした本能。危機感から来るものなのだ。


 私は、そう自分を言い聞かせて、心を落ち着かせる。


 強化ガラスを挟んで、更に剥き出しの電線が張り巡らされた鉄枠は、彼から私を守る為に用意されたからだと思い至ると、背中に寒気が走る。


 私は記者。というか、フリーライター。


 特定の組織、企業に属さず、個人で執筆活動を行い、日銭を稼いでいる人間だ。


 但し、普通のライターとは違う。


 私は犯罪者専門のフリーライター。犯罪を犯した者の心理を読み解き、世の人々に伝えるという仕事をしている。


 犯罪心理学を志す者からの依頼を受けて、直接、刑務所まで赴き、彼等の話を聞いて筆を取る事もある。


 だが、今回は依頼を受けて、大陸から離れた孤島の刑務所に訪れたのではない。


 今回の仕事は、個人的な興味からのものだ。


 歴史上、犯罪者と呼ばれる者の中でも、忌み嫌われ、恐れられる殺人鬼。


 59人もの命を奪った【解体屋】と呼ばれた男の心理。


 それが知りたくて、私はここにいる。


 後ろには看守が二人。護衛も兼ねているのだろうが、実際は私自身の監視だろう。


 何せ、私は特定の組織に属さぬフリーライター。彼を脱獄させようと企てる犯罪組織の人間かもしれないのだ。


 彼等の対応は至極、当然のものだろう。


 ……………それはそれとして、小心者の私としては、屈強な男に見つめられるというのは、けっこう怖い。


 早く終わらせたいという思いもあるが、好奇心の方が勝り、【解体屋】と出会えた事への興奮が幸いしてか。看守に対する恐怖は、気にならない程度にまで薄れていた。


 ずっと、【解体屋】は微笑を浮かべている。この場に連れて来られる前から。


 扉を開けて入って来た時から、彼の顔は終始、笑みを描いている。


 口元だけでも、その顔が整ったものだろうことは、想像に難くない。


 恐らく、彼は美人と呼ばれる側の人間だ。まっこと、羨ましい限りである。


 ……………こうでも、何か普通の人間らしくふざけていないと、気が狂いそうだ。


 鉄の冷たさ。閉塞感からの息苦しさ。ひ弱な自分が、屈強な男に囲まれ、殺人鬼と呼ばれた男と相対している事からの緊張。


 やはり、早く終わらせたいと思うのは、私が小心者だから、という理由ではない事を、ここで明言しておきたい。


 だって、私は普通の記者なのだから。


「えー、初めまして。【解体屋】と呼ばせていただきますが、よろしいですか?」


 机の上に用意されたマイクに顔を近づけ、まずは挨拶も兼ねて、どう呼べばいいのかを聞いておく。


『ええ、構いませんよ』


 正直に言おう。びっくりした。だって、彼の声は凄く透き通っていて、とても殺人鬼とは思えない程に奇麗だったから。


 いや、偏見は良くないと理解していても、これは仕方がないだろう。


 誰が想像できるだろうか。


 少し中性的な男性の声。歌手と言われても信じられる声だ。


 しかも、結構、丁寧な喋り方。


 こいつ、本当に【解体屋】なのか?


 ……………いや、彼は事実【解体屋】本人だろう。


 でなければ、あんな拘束具を付けられていないだろうし。


 疑い出したらキリが無い。これは、そういうものだと思うとしよう。


 気持ちを落ち着けて、私は質問を投げかける。


「【解体屋】さん、私は記者をやっている者です。あなたに名前を教えるのは禁則事項であるため、私の事は【記者】とでも呼んでください」


『―――ええ、分かりました』


 なんだ、今の間は?


 まあ、良いか。


「今回、【解体屋】であるあなたに、いくつか質問をさせていただきます。時間はたっぷりとありますので、ゆっくり語っていただいても構わないと、こちらの所長より許可を頂いていますので、ご安心ください」


『……………』


 【解体屋】が無言で頷くのが見える。


 そのまま、私は手元に小さいノートのような、分厚い手帳を取り出して、ページをめくる。


 そして、質問事項が書かれたページで指を挟み、片手にペンを取って、口を開いた。


「まず、あなたが初めて殺人を犯した年と月日を教えてください。できれば、誰を、どんな人を殺したのかも」


『ええ、あれは、昨日の事のように思い出せますよ。忘れもしない』


 まるで、恋焦がれる者に想いを馳せるように、彼は語り出す。


『西暦1978年、12月24日のクリスマス・イブ。そこで、私は自分の家で、愛する姪の首を絞めて、殺害しました。彼女はその時、まだ9歳の女の子で、私は19歳の時でしたね。そのころは医大生でした』


 何てことない。こんな事など、聞き慣れている。両手では数え切れないほどの犯罪者を取材してきた私からすれば、まさにありふれた話だった。


 初めての殺人が親類、それも姪っ子というのは中々、衝撃的だったが。


「なぜ、自分の姪を殺したのですか?」


『そうですね……………理由は無いです。ただ、雪の降る日。聖なる夜に人を殺したかったのもありますが、初めから子供の首を絞めたいと思っていたので。姪を殺したのは、単純に身近で一番、殺しやすそうだったから、ですよ』


 もう既に理解が出来ない。掘り下げたいネタが次々と出てくるが、取り合えず、一つだけ聞いて次に行こう。


 時間はあると言ったが、限られてるのも事実なのだから。


「なぜ、最初の殺人に子供を選んだのですか?」


『ん~……………理解されようとは思っていないのですが、私、実は小さい子供が大好きなんですよ』


「はぁ」


 適当に頷いておく。


『それで、ふと考えたんです。あの無垢な顔が、苦しみに歪んだ時、それはどんなものなんだろうって。純真無垢な子供が、どんな死に顔を晒すのか……………それが知りたかったからです』


「……………なるほど」


 こいつやべぇわ。


『今でも、あの子の首を握って絞め殺した感触は忘れられません。今でも、あの子の爪でひっかかれた手首の傷は、治らないんですよ』


 クスクスと嗤う【解体屋】。これだでけでも不気味だが。


 うん、それ、呪われてんじゃないの?


 そう言いたい衝動を呑み込んで、私は続きの質問を投げかける。


「では、次の質問です。【解体屋】さん。あなたが殺した人間に共通点は見つけられませんが、あなたにとって、殺した彼等に共通点はありましたか?」


 これは、私が聞きたかった質問、ベスト3に入る質問だ。


 【解体屋】が今まで殺して来た人間は59人と大量だが、その中に共通点は見つけられない。


 老若男女。親類。恋人。同級生。講師。靴屋の店主。花屋の女性。ホテルマン。


 エトセトラ。


 彼等には全く、共通点は存在しない。唯一の共通点は【解体屋】と一度でも接点を持った事。それと、彼に殺されている事だ。


 まあ、当たり前すぎる共通点だが。


 さて、返答や如何に。


『共通点、ですか……………う~ん、悩みますね』


 悩む、とな?


 これは、そもそも共通点なんてなくて、無差別殺人だったって事だろうか。


 それはそれとして、【解体屋】という殺人鬼の心理を知る上でも、明確な解明点だが。


『ああ、ありましたよ、共通点』


「それは何ですか?」


『簡単な事です。。それが、私が殺した彼等に見出した共通点です』


「は?」


 普通に、素で声が出てしまった。いや、だってそうだろう。明確な殺意を向けてきた?彼を知っていた?


 それじゃあ、まるで――――――


『端的に言えば、私に復讐してきた者を返り討ちにして、その上で彼等を解体しただけです。私から手を出した者など、この生涯において姪だけです』


 冷や汗が出た。冷や汗だけじゃない。変な汗も出た。私はちゃんと呼吸を出来ているだろうか。


 私は冷静でいるだろうか。


 震えが止まらない。


 身体が跳ねる。誰かが、私の肩を叩いた。


 後ろに向けて、顔だけ振り向く。


 そこには、私を心配する看守の顔があった。


 純粋に私を心配する顔と目を見て、漸く私は冷静になれた。


 視線だけで、どうするか訴えかけてくる看守に向けて、私は一言「大丈夫です」と呟いた。


 深呼吸。数度、呼吸を巡らせて、気休め程度に水を飲んで喉を潤しておく。


 ……………さて、忘れない内にメモを取っておこう。その時の私の考察も添えて、と。


 よし。では、取材を再開しよう。


「次の質問です。あなたは殺人を楽しんでいましたか?または、殺人という行為に対し、何か感情を抱きましたか?快楽とか、そんな単純なものでも構いません」


 これは、私が共通して犯罪者に聞く質問。テンプレートだ。


 だいたい、この質問に対する返答で、その犯罪者の思考がだいたい分かると、知り合いの心理学者に聞いたが……………どうなんだろうな。


 何度も同じ質問をしているが、私自身はざっくりと「へえ~」としか思わない。


 恐怖か、嫌悪感か、侮蔑か。


 殆ど、悪感情しかない。


 【解体屋】はどうだろうか。どんな返答をするのだろうか。不謹慎かもしれないが、楽しみではある。


『ふむ……………』


 【解体屋】が初めて微笑を崩し、考え込むように口元を軽く引き結ぶ。


 2分ていどの熟考で、この質問に対する答えは出た。


『人それぞれ、ですかね』


「それは、」


『まあまあ、【記者】さん落ち着いて。焦らないで聞いて下さい』


 これは私が悪いか。楽しみ過ぎて気持ちが逸ってしまったようだ。


 正気に戻って、少し前のめりになっていた身体を起こし、背もたれに体重を預ける。


 キィ……………という音が、妙にこの空間に響き渡る。


 無音だからだろうか。無音だからだろうな。


 息遣いを除けば、この場の音は私のメモ帳のページを捲る音と、ペンを走らせる音しかしない。


 看守はさっきを除けば微動だにせず、私の後ろで直立している。


 まるで機械のようだ。


 おっと、返答を聞かねば。


 私は意識を【解体屋】に引き戻す。


『さっきも言いましたが、殺人をどう感じるかは、その人によって違います。楽しい時もあれば、苦しい時もあったり、快楽しか感じないものもありましたよ』


 【解体屋】の顔が、歯が剥き出しに見える。


 それを見た時、私は反射的に後退りするように身体を反った。


 なぜなら、その顔は今まで見た【解体屋】の表情の中で、最も悪意というものを感じさせるものだったから。


『ただ、まあ……………老人を殺す時などは、面倒くさいと思った時が多いですね。逆に若者を殺した時は、惜しいと思いましたよ』


「それは……………なぜですか?」


 微笑みなどではない。ニヤリとした、わざとらしく嫌味な笑みを浮かべる【解体屋】。


『だって、老人を殺した所で、死ぬのが少し早まっただけですし。若者は未来があるじゃないですか。これから大人になっていく者を殺すのは、流石の私も心苦しく思いますよ。多少、ね』


 なぜだろう。この男の言っている事は理解できるようで理解し難い。


 理論的なようで、まるで理論だってない。


 そんなちぐはぐな印象を受ける。抱いてしまう。


 だが、元より彼は殺人鬼シリアルキラー。理解しようとする事が間違いなのかもしれない。


 確かに、これは同じ人間とは思いたくないな。私個人の印象としては、頭のネジが二、三本飛んでいるか、完全にどこかの感情が欠落しているとしか思えない。


 なのに、会話が成立する。返答はおかしかろうとも、【解体屋】の言葉遣いは丁寧で、受け答えも好感が持てる。


 もし、殺人鬼などではなかったら……………定番だな、この考えは。


 という言葉は、ある種の毒だ。


 その人の個人としての個性を、この場合は犯罪者/殺人鬼としての側面を、無意識に無視して、自らの瞳と思考を曇らせてしまう。


 はは、止めよう。今は、ただ質問を記録する事。


 それを重視していこう。


「では、質問の方向性を少し変えます。あなたが殺して来た人々の中で、好きになった、好意を持てる人か、端的に嫌いな人はいましたか?」


『ああ、それは当然ですよ。私だって〝人間〟ですからね。好き嫌いは当たり前にあります。

 ……………そうですね。では、二人を選びましょう』


 腕が自由なら、顎に手を添えていそうな仕草を、首から上だけでする【解体屋】。


 しかし、私だって〝人間〟ですから、か……………。


 現実として、当たり前の事とはいえ、疑問を抱いてしまうな。


 もし、私でなかったなら「そんな馬鹿な」とでも、【解体屋】を嘲笑った事だろう。


 1分もかからずに、【解体屋】が再び顔に微笑の笑みを描いて、口を開く。


『まず、好きな人から……………私が初めて好意を抱いたのは、私の兄、私が殺した姪の父親の生徒ですね。17人目でした。【記者】さんの事だから、私の身辺調査も済んでいるでしょうから、ご存じでしょうが……………私の兄は、そこそこ有名な大学で教授をやっていたんですよ』


 もちろん、知っている。


 彼の兄がAD大学の教授で、既にこの世を去っている事も。


 彼の妻が原因不明の病死を遂げている事も。


 全て、警察関係者の協力の下、情報は揃いすぎなくらいに出揃っている。


「ええ、存じ上げていますとも」


『それは良かった。もし私の勘違いでしたら、羞恥に顔を赤く染めていたでしょうから。恥はかきたくないですからね』


「ははっ」


 適当に笑っておく。


『まあ、私自身、なんで好意を抱いたのか、分かっていないんですがね。ちょうど、あの頃は私が兄の娘を、姪を殺した犯人だと気づかれた時でしてね。兄の自宅で、自首をするよう説得を受けていました。正直に言って……………煩わしかったです』


「なるほど」


 メモ帳にペンを走らせながら、彼の話に耳を傾ける。


『まあ、ありふれた話ですがね。誤って兄を殺してしまったんですよ。さしもの私も動揺してしまい、直ぐにその場を去りましたが』


 この男にも、肉親を殺した事で動揺する気持ちがあったのか。


 それはそれで初耳だな。


「痕跡が残るでしょうに。それに気づかなかったのですか?」


『もちろん、気づいてましたよ。動揺のあまり、自分の痕跡を消すだけで手一杯でした』


 ……………それくらいの余裕はあったのか。


『兄を殺した翌日。兄と約束でもあったのか。兄の教え子が朝になって兄の家に訪れましてね。その様子を目撃してしまい、私は兄の死体を処理する事ができませんでした。いやぁ、あの時は焦りましたよ。警察に捕まりたくなかったですしね』


「……………」


『まあ、遠方からその様子を観察していたのですがね。兄の死体を見付けた時の彼女の様子は尋常じゃなかったですよ。それこそ、愛する者を失ったかのような悲鳴でした』


「ああ、確かその教え子は――――――」


『ええ、兄の不倫相手です。教え子に手を出しおいて、私には自首しろと言うのだから、滑稽ですよね』


 その時の事を思い出しているのか、【解体屋】はクスクスと嗤う。


 その笑みはまるで、兄の事を嘲笑っているようだった。


「もしかして、あなたが殺して来た人の中で嫌いな人って……………」


『もちろん、兄の事です』


「……………実の兄なのにですか?」


『実の兄だからこそ、ですよ。元々、私は兄とは仲が悪かったんです。ずっと煩わしかった……………そんな肉親を殺した時、私はどんな感情を抱くのだろう。そう、期待していました』


 【解体屋】が微笑を崩し、残念そうにため息を吐く。


『実際、何の感情も沸かなかった。嫌っていた存在を殺しても、爽快感や快楽はなかったし、肉親を殺した時の悲しみなんて、まるでありませんでした。ただ、殺したという事実だけが、私の中にあった。それだけでしたよ』


 正直、意外だと思った。【解体屋】の事を調べていく内に、彼の性格は心理学的に解析できる範疇にあった。


 ただ、殺人鬼としての側面だけは理解できなかっただけで。


 【解体屋】自身は、普通の穏やかな青年だ。好青年、とすら言える。


 いくら嫌っていたとはいえ、肉親を殺した事に何の感情も沸かないなど、普通の範疇にない。異常――――――いや、これは別に彼に限った話じゃない。


 確かに、彼のように何の感情も沸かなかった、というのは珍しいが、私が調べた限り、肉親を殺した事に対し、〝虚しい〟と感じるだけの人は、少なくとも存在する。


 ……………では、これを聞いてみるか。


「あなたは、兄の身体を解体した時も、何の感情も沸かなかったのですか?」


『ふふっ……………あなた、意地悪な質問をするんですね』


「【解体屋あなた】という人間を理解するためには、こういった点も解明する必要があるだけですよ」


 私は淡々と答える。私自身、普通の人間とは異なる感性を持っている事は確かだが、それについて卑下するつもりはないからな。


 そもそも、私は【記者】。情報を扱う仕事をする者だ。


 ならば、少しでも情報を汲み取る努力をする事こそ、【記者わたし】の義務と言える。


 【解体屋】が、少々、歪んだ笑みで口を開く。


『そうですねぇ……………まあ、有り体に言って〝楽しかった〟です。人の身体が解体ばらされていく光景は、実行者である私だけの特権だ。それを味わえるのだから、嫌っている人間だろうと、その気持ちを無視する事は失礼でしょう?』


 クスクスと、【解体屋】が嗤う。


『随分と脱線しましたが、そろそろ話を戻してもよろしいですか?』


「ええ、続けて下さい」


『では……………私が今まで殺してきた人々の中で、唯一〝彼女〟だけは好意を持てる人間でした。ええ、その息絶える最後まで、息絶えた後の解体作業も、一番丁寧に行いました』


 正気じゃない。


『先ほども申し上げた通り、彼女は兄の教え子で、同時に不倫相手でした。兄を殺した時の夜も、何かしら会う約束があったのでしょう。鍵まで渡していたようですからね』


※ここから先は省かせてもらうが、補足すると【解体屋】の兄であるA教授(仮)は、大学での勤務と研究活動を行うための個人施設を所有している。

 つまりは、A教授(仮)は家庭外で別居していた事になるが、週に二回、自宅に帰宅していたようだから、完全に別居している訳ではないが。

 夫婦仲も悪くなかったのに、教え子と不倫する事になったのは、単に誘惑に負けただけだろう。

 この事実は公にされていないが、【解体屋】の逮捕から法定での判決に至るまでに関わった者の殆どが知っている事実だ。

 当然、奥さんには明かされている真実だ。A教授(仮)の子供達にまで、それが明かされているかは定かではないが(教授の家庭には娘以外に双子の兄妹がいる)。


『――――――誰かが来た事に気づいた私は、慌てて自分の痕跡を消し、外に出ました。しかし、焦る気持ちよりも好奇心が勝りまして。兄の研究所に誰が来たのか、気になって外から観察していたんです』


 好奇心からの観察。実際にやるかどうかは抜きにして、誰もが見たくなるだろうな。実際に不倫をしている男女の邂逅など。


 私も、やってみたいと考えた事があるだけに、何故だか身震いしてしまう。


 この男の観察の意味は、私や万人のとは違うだろうから。


『鍵が開く音がして、兄を呼ぶ彼女の声が聞こえました。兄の返事が聞こえない事を不審に思ったのでしょう。彼女は、兄の居る部屋を目指して真っすぐと向かいました……………その時は、私も彼女の行動する様を観察する為に、彼女の方と一緒に動くように外から移動していましたので、その様子ははっきりと覚えています』


 この時点で意味が分からない。本当に。観察対象が来るのを待つのではなく、観察対象を直で観察するために移動するなど。


 ……………この男には、何かの執念でもあったのだろうか。


『やがて、彼女が兄の死体が転がる部屋まで辿り着きます。ノックを三回。返事がしない事に不安でも覚えたのですかね?勢いよく、彼女は兄の部屋のドアを開けました』


 喉を休ませる為だろうか。【解体屋】の口が止まる。


『彼女が目の当たりにした光景は、血溜まりに沈む兄の身体。少しも動かぬ身体。一目で、兄が死んでいるという事を理解させられた時、彼女が取った行動は、私にとって意外なものでした』


 ほう、と僅かに赤らんだ頬を緩ませて、【解体屋】がため息をく。


『兄の死体を、愛する者の物言わぬ、動かぬ冷たい身体を抱きしめて、彼女はひたすら、泣いていました。叫びもせず、喚きもせず。ただ、ただ、泣いていた』


 高揚したのだろう。【解体屋】の声のトーンが一段と上がる。


『その姿は、美しかった。まさに、聖女の如く光景でした。あんな行動を取れる者など、彼女の他には数えるほどしかないでしょう。真実、彼女は本当に兄を愛していた。その証明を、この私だけが目の当たりに出来た!』


 艶美に、【解体屋】は己の口から零れかけた涎を舐めとる。


『余韻を楽しむのも良いでしょう。ですが、私は無性に、その光景を壊したくなった。だから窓を割り、中に入り、自分が兄を殺した犯人なのだと、彼女に告げたのです』


 それは、懺悔にも似た何かだった。母親に話を聞いて貰いたい幼子のように。あるいは、自らの体験をひけらかしたい若者のように。


 その時の【解体屋】という男性の姿は、これまでで一番、人間らしい一面だった。


 初めて、本当の感情を表面に出した気がしたのだ。


『彼女は静かに、私に問いかけました』



――――――「なぜ、この人を殺したんですか?」


――――――「彼は私の存在を否定した。だからですよ」


――――――「……………私も、殺しますか?」


――――――「それはもちろん。まだ、やりたい事も出来ていないですからね」


――――――「……………いつか、あなたは想像以上の苦痛に苛まれるでしょう」


――――――「ふふ、遺言はそれだけですか?」


――――――「……………」


――――――「そうですか。では――――――さようなら」



『彼女の首を掻き切った時、生暖かい血が、私の身体を濡らしました。それは、とても快楽をそそられるものでした。とても、とても、彼女は美しかった』


 ……………。


「では、次の質問です。あなたは、自分が殺した人間を解体する時、どんな感情を抱いているのですか?」


 【解体屋】の顔が、耳まで裂けようというまでに、深い、笑みの形を象る。


『愉悦です』


 ……………悪魔、とでも言おうか。この男は、既に人の道を外れるだけでなく、人の精神からも外れているのだろう。


 人が自分を殺しに来る事、それを返り討ちにする事。


 人を殺す事、人の身体を解体する事。


 自らの殺人という犯罪を誇示するように、解体された人間の身体は、丁寧にベッドの上に飾られる。


 それが【解体屋】という男の所業。


「最後の質問です……………あなたの人生において、今日という日は、どんな時間でしたか?」


 心からの笑みを、彼は満面に浮かべる。


『とても、楽しかった。それ以外に、もう言い残す事はありません』


「そうですか……………私も、今日という日、この時間は有意義なものでした。【解体屋】と呼ばれた貴方の胸中を知れた事を、私は生涯、忘れる事はないでしょう」


 私は椅子から立ち上がる。そして、背後の看守から、ボタンを受け取った。


「……………【解体屋】さん、実は私、まだ貴方に言ってない事があるんです」


『……………それは?』


 何かを察して、【解体屋】は首をかしげる。


 その顔は、嗤っていた。


「貴方が殺した、その女性。彼女は、の姉だ」


『……………』


 嗤う【解体屋】。


 対比して、僕の顔は怒りと憎悪、復讐心に歪んでいた。


「地獄に落ちろ、殺人鬼シリアルキラー


 ボタンを押す。


 次の瞬間、【解体屋】の居る部屋の左右の壁が、勢いよく動き出す。


 【解体屋】は嗤っていた。大声で、狂ったように嗤い続けた。


 その最後の瞬間まで、彼の嗤い声が途切れる事はなかった。



※※※



 史上、最も残虐非道と呼ばれる者の性格とは。


 精神のタガが外れていると言うが。


 私は、それとは違う観点を持った。


 残虐非道、そう呼ばれる者達は、むしろ。


 生まれた時から、もしくは生まれた後の何かの衝撃を受けて。


 人が理性と呼ぶブレーキが。


 壊れて。


 無くなって。


 止まれなくなった者。


 それをこそ、彼らが犯罪者と。


 殺人鬼シリアルキラーと、呼ばれる所以なのだろう。





――――――殺人鬼の殺人鬼【記者】 著


『殺人鬼の定義 ~理性の箍~』より、抜粋。



※※※



 数多の殺人鬼を殺して来た私は、殺人鬼の殺人鬼と呼ばれている。


 個人で出版した、犯罪者をテーマにした書籍を世に放り出しているが。


 未だに、警察は私を捕まえられないでいる。


 はは、それも当然か。


 何故なら、【記者】とは個人を指す言葉なのではない。


 【記者】とは……………殺人鬼に殺意を抱き、復讐を為そうとする者達を指す、一種の忌み名なのだから。



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