第9話 被爆者の棟

 鍛錬の時間は終わり、俺は入浴でも済ませようか思ってそこから出ていこうとした。

 視界の片隅に鋭い視線を感じた。アレンに睨まれていたが、気にせず鍛錬場を去った。


 鍛錬場を出ると、すぐ近くにマリーがいた。半日もここで待っていたのだろうか。


 「ジョゼフ、アレンはまだ鍛錬場にいるの?」


 俺はマリーの質問を肯定した。アレンは終わりの時間になってもたまに夜遅くまで鍛錬をしていることがある。


 「そう、鍛錬の時間はもう終わったんだから、あたし、もう一度アレンと話してくる。それじゃ」


 マリーは俺を通り過ぎてからもう一度鍛錬場に入っていった。俺は2人から見えない位置で、出口の近くでその様子を見守っていた。



 「ねぇ、アレン。約束通り鍛錬の時間には入らなかったよ。だけど、こんなことをされたら困るの。あたしだってイヴァン博士から恩をもらってるんだから」


 アレンは木刀を置いて大きくため息をついた。


 「だから何なんだ?だからってオレが女なんかの力を借りて鍛錬しろってか?冗談じゃねぇ、ただでさえジョゼフっつー馬鹿がいるのによ」


 「あたし、イヴァン博士から聞いたんだけど、あなたは実際に戦場に出たことないみたいじゃない」


 「なぁんだ、知ってるのかよ。そうだ、オレは戦場には出られないからだ」


 「そうよ!戦場も知らないくせに偉そうにしないでよ!あたしがいるっていうのに!」


 「うるせぇなぁ!テメーらのそういう自惚れたところが嫌いなんだよ!」


 アレンは怒りに任せて、ほぼ反射的に木刀をマリーを向けていた。

 マリーもそれを対応するように木刀を避けて、アレンを攻撃した。今度の攻撃は、アレンの肩に当たって、マリーの爪によって切り傷ができてしまった。

 アレンの右肩から、かすり傷とは思えないほど血が滲み出ていた。


 「え、なんで」


 マリーは、攻撃されてうずくまるアレンを不思議そうに見ていた。アレンは右肩を押さえて額に汗を流していた。それから出血多量によって顔色も青くなっていった。明らかに貧血の症状だった。


 「あーあぁ、切り傷作っちまったなぁ、オレが死んだらお前のせいだぞ・・・・・・これ、何ヶ月後に治るんだろうなぁ」


 「待って、どうして?あなた、生物兵器じゃないの?それに、その出血の量は普通の人間でもおかしい」


 マリーは俺達の会話を聞いていたらしく、アレンは『自分は生物兵器だ』という話で理解していた。


 「どいつもこいつも馬鹿しかいねーのか、話を聞いてたんなら、オレは失敗作だっつったろうが・・・・・・うっ」


 アレンは吐き気を催したのか、口をおさえて苦しんでいた。俺は、そんなアレンの姿を初めて見たから信じられず固まっていた。アレンはいつも誰に対しても粗暴な性格だったから。


 そんな俺とは違ってマリーはすぐにアレンに駆け寄った。だけど、アレンはマリーを避けるように後ずさった。

 それからまだ血が止まっていない右肩を押さえながら立つと、ばつが悪そうにこう言った。


 「オレは、切り傷の治りが遅いんだ」


 「え、それって戦場に出たら致命傷になるんじゃ・・・・・・あっ、だから」


 「まあ、オレに切り傷作ったし、今回はお前の勝ちでいいんじゃね」


 アレンはなんだか投げやりな態度だった。それから、出口の近くに立っていた俺を通り過ぎて鍛錬場を出ていった。





 次の日、鍛錬場に行ったらあの2人がまた何か言い合っていた。

 アレンは右側に腕吊りをしていた。


 「鍛錬場に来るなっつったろうが!帰れ!」


 アレンは左手で木刀を持って、それをマリーに向けて叫んでいた。マリーは手ぶらだった。


 「なんでよ!昨日はあたしの勝ちだって言ったじゃない!?その腕が何よりも証拠よ!というか、その腕吊りは大袈裟じゃないの?!」


 「テメーの汚ねえからばい菌が入って神経痛なんだよ!」


 「あんなかすり傷で?!おかしいよ!病院行けばっ?!」


 そう言われてアレンは腹が立ったのか、木刀を床に投げて、オールバッグだった髪を右手でぐしゃぐしゃにして鍛錬場を出ていった。


 「ああ、そうする!テメーが指揮をとれ!」


 そしてマリーに向かってそう叫んで本当に鍛錬場を出ていった。


 「えっ?!ちょっと待って、あたしに何ができるっていうの?!」


 だけどアレンはもう姿が見えないぐらい遠かった。どうやら今日は鍛錬場に来ないらしい。

 アレンは時々鍛錬場に来なかったり、急に休んだりすることがあった。まあ、あの粗暴な性格からしてきっとやる気がない日もあるのだろう。

 しかし、アレンはそんな性格だから鍛錬の指揮も気分次第で変わる適当なもので、結局他の兵士もついてこれず自由にやることも多かった。

 だから、アレンがいない時はあまり問題もなく、皆も自由に鍛錬していた。


 「え、とうしよう。指揮官がいなくなったら・・・・・・」


 俺は不安そうにしていたマリーにメモを渡した。


 『大丈夫、皆も自由にやるから。終わりの時間になるまでここにいよう』


 「うん、終わったら殴りに行ってもいい?」


 ・・・・・・え?殴る?マリーは何を言っているんだ?


 「鍛錬が終わったら、アレンを一発殴りに行くからついてきてよ」


 ・・・・・・俺は嫌だ。こっちがアレンに殴られるからだ。

 だいたい何でマリーがそこまで怒っているのかよくわからない。放っておけばいいじゃないか。


 と、思っていたが。鍛錬が終わると、俺は結局マリーと一緒にアレンのもとへ向かうことになってしまった。






 夕方、鍛錬場から出て俺たちは中央総合病院の受付に来ていた。俺も一緒だったのは、マリーに強引に連れてこられたからだ。


 マリーは受付の女性職員にこう言った。


 「すみません、ここにアレンっていう男は来ませんでしたか?」


 「申し訳ありません。面会の方以外に患者様の情報を提供するわけには・・・・・・」


 「うーん、えっと、そう。面会なんです。23歳のアレンっていう男のカルテとか調べてください」


 「かしこまりました。面会でしたら大丈夫です。今お調べしますので、少々お待ちください」


 鍛錬場でのあのやりとりから、話の流れではアレンが病院に寄って帰るという感じだったが、俺はあんな粗暴で屈強な男が本当に病院に来るなんて思えなかった。

 だが、マリーはアレンの言葉を信じてここまで来ていた。本当に殴る気だろうか。


 いや、受付の女性職員は面会だけと言っているのだから、入院患者にしか会えないのではないか?それだったら余計にこんなところではアレンには会えないだろう。あいつが入院するなんて全く想像できない。


 「はい、ありました。付属のアパートに滞在入院してる男性の方ですね」


 「・・・・・・?!?!」


 えっ、嘘だろう?

 俺は自分の耳を疑った。

 受付の女性職員は確かにアレンの入院を認めているような返答なのだが、いや、それは別人だ。

  

 マリーは続けて質問した。


 「アレンはどこにいますか?」


 「はい、アレンくんは厳重保護棟の第1階にあるバリアフリーの部屋で、16号室にいます」


 ナディエージダの中央総合病院には、被爆者を保護する付属のアパートがある。そのアパートの住民は「滞在入院」という形で無償で治療を受けることができる。


 そのアパートには3つの棟があり、それぞれの住民の重症度を分けるように、軽度を保護棟、中度を支援保護棟、重度を厳重保護棟とある。


 また、それぞれ3つの棟の一階はバリアフリーとして、身体障害も兼ねて持っている被爆者のための部屋になっている。

 その中でも、厳重保護棟の1から5号室は最重症度の患者、6から15号室は要注意観察の患者で、それからの部屋順で重症度が軽くなっていく。


 受付の女性職員が言うには、アレンは・・・・・・厳重保護棟のバリアフリー16号室に滞在入院している、らしい。


 「よし、ジョゼフ、殴りに行くよ!」


 マリーは俺の手を引いて早速歩き出したが、俺は動かなかった。マリーが俺の方に振り向くと、俺は顔を横に振った。


 絶対、違うぞ。絶対に別人だからやめてくれ!


 アレンなんて珍しい名前でもないし、仮に同い年のアレンがもう1人いてもおかしくないのだ。

 マリーが殴りに行こうとしているのは、きっとただの病人。というか、病人を殴りに行こうとするこの人の頭は大丈夫か?

 俺は基地外をナディエージダに連れてきてしまったのか?


 「大丈夫、怖くないよ。あたしがついてるからね。あたしがちゃんと殴っておくから、アレンはジョゼフに手なんて出さないよ」


 マリーの口角は上がっていたが、目が笑っていなかった。俺はお前が怖い。


 結局その時、俺はマリーの怪力に負けて引きずられるように付属のアパートへと行くことになってしまった。

 どうか、その部屋が留守でありますように。





 付属のアパートに着いてしまった。厳重保護棟の一階、バリアフリー16号室のドアの前まで来ていた。


 マリーがインターホンを鳴らした。反応がなく、誰も出てこなかったのでもう一度鳴らそうと指を近づけた瞬間、ドアが勢いよく開かれた。


 そこから、前屈みの男が現れた。体調が悪い様子で、顔色は青く、呼吸もなんだか乱れていた。メガネをかけていたが、長い前髪でそれが隠れている。


 ほら!やっぱり別人じゃないか!!


 俺はそれを訴えるようにマリーを凝視した。

 俺達が知っている粗暴で屈強なあのアレンではない、明らかに。まず、アレンの髪型はオールバッグでメガネなんてかけていないし、こんな風に姿勢が前屈みになることなんて見たことがなかった。この顔色の悪さも何よりも証拠だ。というか、あいつがこんなところにいるはずがない。

 

 「あっ、ごめんなさい。人違いです。お邪魔しまし・・・・・・」


 流石にマリーもこれは別人だと思ったようで、俺達が帰ろうとした、その時だった。


 「テメーら!何しに来やがった!?帰れ!」


 前屈みの男が俺たちに向かって叫んだ。

 その声は今朝の鍛錬前に聞いたあのアレンの声だった。


 「ええっ?!嘘、アレンなの?!本当にアレンなの?!ここで何してるの?!」


 マリーも流石にあいつを殴ることを忘れているのだろう。俺も混乱してしばらく固まっていた。


 「ハァ?!人の家に無断で来て何言ってんだ!帰れ!」


 アレン……かもしれないこの男はマリーを押し返そうとした。だが、怪力女であるマリーはそれを受け止めて、2人で引き分けている。


 「いいや、帰らない!一発殴ってやるから表出なさいよ!」


 忘れてなかったのかよ!まだ殴る気なのか!?


 「テメー、正気か?!バカなのか?!仮にもびょうに・・・・・・ゔっ?!」


 すると突然、アレンかもしれない男がその場で膝をついて屈み込んだ。左手で口元を押さえている。よく見ると右側に腕吊りをしていた。今朝のアレンと同じように。


 マリーはこの光景を前に流石に驚いたようで、


 「・・・・・・え、本当に病気なの?」


 と、聞くとアレンな気がしてきたこの男は


 「・・・・・・は、吐く」


 と、玄関先でえずきだしていた。


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