第8話 生きもがいた先に
数年後、オレは15歳になっていた。
相変わらずナディエージダの中心部にあるこの大きな病院に入院している。
脚はイヴァン博士の研究の成果があって少しずつ感覚を取り戻していった。だけど、まだ一人では歩けなかった。
この日の朝も、オレはベッドから降りて車椅子に乗ってから、屋上の庭園で過ごす日課をこなしていた。
ここからナディエージダ軍の鍛錬場が見える。このコミュニティの兵士達は解放感のある運動場で鍛錬に励んでいた。
そこには、誰にも遅れを取らない不思議な金髪野郎がいた。
聞けばそいつはイヴァン博士が造ったという生物兵器の人間・・・・・・いや、化け物か。身体能力は常人を超えてはるかに強く、どんな傷もすぐに修復する身体の造りだというのだ。
「チッ、つまんねぇバケモンもいたもんだ」
苛々して唇を噛んでいたら、血の味がした。
屋上でオレの背後から看護師が歩いてきた。
「アレンくん、体に障るから病室に戻りましょ?」
オレは睨みをきかせて看護師に反抗した。
「別に体調なんか悪かねーわ」
「いや、顔色が真っ青よ。さぁ、戻るわよ」
看護師は有無言わさず素振りでオレの車椅子を引いて病室まで動かした。
確かに今日も体調は良くなかった。
脚は少しずつ動くようになったが、身体は全体的に放射能の影響から逃れられず、どんな薬を投与されても延命の効果しかなかった。
放射線に効く薬が存在する。
コミュニティに伝わっていたこの噂はデマだった。
いや、デマというより、まだ技術が足りないために効果が完全ではないのだ。現にオレは最初の症状が出てから薬のおかげで6年も生きている。
母親は1ヶ月で死んだのに対して、オレは数年も生きることができている。
本当は、脚の感覚なんて完全に戻っていた。だが、身体が怠くて長く立っていられないから車椅子を使っていたのだ。
この怠さも放射能の影響だと知っている。母親もそうだったから。
この日はどういうわけか、オレは急に無理をして車椅子から離れた。看護師はまさかオレが急に立ち上がるなんて想像していなかったから、止められなかったのだろう。
「・・・・・・止めてくれ」
病室に向かう途中、看護師は不思議そうに車椅子を止めた。
「どうかしたの?気分悪い?」
そんな心配の言葉を無視して、オレは腕に力を入れた。痩せ細った腕に思いっきり力を入れても、すぐには立ち上がれない。
だけど、オレはなんとか立って車椅子から離れることができた。
「え、ちょっと、アレンくんそんな急に動いたら・・・・・・」
看護師はオレを車椅子に戻そうと手を差し出してきたが、オレはそれを振り払った。予想していなかった反応に看護師は戸惑っていた。
「すぐに戻るから、散歩してくる」
一体、何処へ散歩しに行くというのだろう。この日は少しおかしかったのかもしれない。それとも、放射能がとうとう頭にまでイカれちまったのか。
何故か走ることができた。看護師に追いつけないぐらいの速さで走れた。
走った先にどんな仕打ちが待っているのだろう。きっと、走った疲労にでもやられて翌日まで意識を失うかもしれない。
ああ、それでもいいか。
なるべく寝ていたい、現実を見たくない。このまま走ろう、どこまでも。
だけど、走る体力は数分にも満たなかった。病院の廊下で膝をついて、息は激しく荒れていた。
胸も痛みだして、オレは掻きむしるようにおさえた。動悸ととともに吐き気がして、そのまま口からおぞましいものが吐き出された。
オレは大量に吐き出されたその赤を見て絶望した。
このまま、死ぬのだろうか。
いつにも増して弱気になっていた。
早く、意識を手放したかったのに、苦しさだけが続く。
それでも、生きたい。そう思っていたからだ。
何のためにここで6年間治療を続けてきたのか。それは、紛れもなく「生きたい」という本能からだ。
オレはまだ、親の仇をとっていない。
この腐った世界に何も成せていない。
生きた証が欲しい。
オレが、存在していた証拠が欲しい。
だから、まだ死ぬわけにはいかないのに。
意識を手放す直前に、視界の上からぼんやりと白い手が見えた。
見上げたら、そこには金髪の青年が立っていた。イヴァン博士が造ったという、あのジョゼフだった。
「なんだ、テメー・・・・・・哀れんでるつもりかよ」
微かに枯れてしまった声で言うと、ジョゼフは無表情だった。オレは差し出された手を振りほどいた。
ジョゼフは息を吐いて肩を落とした。それからオレの意思とは関係なく、おぶってきた。
「・・・・・・離せっ!」
だけど、オレには体力がなく、それ以上何も抵抗することができなかった。それから、オレの意識はしばらく途絶えた。
気がついたらまた病室にいた。
きっと誰かに運ばれたのだろう。情けない、走らなきゃよかった。
「アレン、気がついたか」
そこにイヴァン博士がいた。
「イヴァン・・・・・・何でお前がここに?」
「君が廊下で血を吐いて倒れているところをジョゼフが見つけて、私のこの病院での作業室まで運んできてくれたのだよ。君の病室はどこだかわからないって顔して困ってたよ」
「そうかよ」
「とりあえず、ジョゼフには違う用事があったから、私が君をここまで運んできたわけだ」
「最強の生物兵器様が病院に何の用事だっつーんだよ」
イヴァン博士は一度、呼吸を置いてからオレに言った。
「君の、治療のための血清を作ってもらう用事だよ」
「あいつから、血清?どういうことだ」
「アレン、残念なことに被曝症を治す完璧な薬は存在しないのだ・・・・・・だから、私は一か八か、ある方法を君に試そうと思う」
「どんな方法だ、教えろ」
「DNAレベルまで傷ついてしまった細胞を修復させることは非常に難しい。だから、それを修復するためだけの薬は正直に言って至難の技だ」
「だから、あいつの血清が何の役に立つか早く教えろ!」
「幸いなことに、ジョゼフはたまたま突然変異で自ら細胞を修復できる機能が備わった生物兵器にできた。その原理は私でもはっきりわかっていない。ジョゼフのこの突然変異による細胞の機能をアレンくんになんとか移せば、被曝症は治るかもしれないのだよ」
「・・・・・・副作用とかねーのか」
「それもわからない」
イヴァン博士はもう一度言った。
「だけど、もう、君を救うにはもうこの方法しかないのだ・・・・・・」
イヴァン博士は間違っていない気がしていた。6年間の延命は確かにできているが、それでも身体の状態は少しずつ悪化していたから。
「わかった、生きていける方法なら試してやる」
オレはイヴァン博士の新しい治療方法を承諾した。
※
ジョゼフの血清から作られた薬は幸運にも効果的だった。
オレとジョゼフの年齢も近かった(近いというより同い年だったが)こともあってか、拒絶反応もほとんど全くなかった。年齢だけではなく、体質にも合っていたのかもしれない。
その薬が投与された最初の3日間は身体中が痛みで苦しみに悶えたが、なんとか乗り切ることができた。
イヴァン博士は、被曝症で弱っていたオレの身体が耐えられず死ぬ可能性もあったと言っていたが、もしかしたらオレの生存本能の方が強かったのかもしれない。
その薬によって、身体は楽になっていった。数週間の間に、オレは健康な人間と同じように治ったと思った。
だけど、やはりというべきか、あの生物兵器であるジョゼフの血清から作られた薬のためか・・・・・・オレも奴と同じようなバケモノの身体になっていたのだ。
被曝症によって傷ついた細胞はゆっくり修復され、オレは治ったかのように見えた。
身体能力も常人とは違う強さを得た。
だけど、これは元々はジョゼフの機能だった。
ジョゼフなら、瞬時に細胞を修復できる。
だけど、本来はオレのものではないその機能は、オレの身体ではそこまで早くない。
身体の内側を蝕んでいた放射能の傷は時間とともに修復されていったが、外側につけられた傷の治りは遅かった。
つまり、戦場では役に立たない身体になってしまったのだ。
例えば、切り傷には瘡蓋ができず、そのまま出血多量で死ぬこともありえるということだ。
切り傷を作ることができないから、オレはナディエージダ軍の鍛錬場にのみ働くことになった。
常人を超えた身体能力を活かして、鍛錬場で他の兵士の質を上げる。それしかできなかった。
※
8年後、それまでが今に至る。
「オレが、テメーの失敗作だからだ」
ジョゼフは考えた。
どういうことだ?つまりアレンは生物兵器のなり損ないということだろうか。確かにイヴァン博士は数年前から何人か生物兵器を造っているらしいが、どれも失敗しているというのに。
だとしたら、失敗作だというのなら余計にマリーに負けるはずなのに、何故刺すことができたのか?
よくわからず混乱していると、アレンは苛々した様子で言った。
「オレはテメーみてぇに、自分の力に自惚れて何もしないような馬鹿じゃねーんだよ」
アレンはそのまま言葉を続けた。
「テメーみてぇに、不幸面して何も変える努力をしねぇ馬鹿なんかに負けるわけにはいかねーんだ。わかったらさっさと鍛錬しろ」
アレンはそう言い捨てて、それから他の兵士の鍛錬の相手になるように俺から遠ざかっていった。
俺がわかったことは、アレンが実は生物兵器の被検体の一人だということと、それから彼はそれに加えて大変な努力をして俺を超えていたかもしれないということだった。
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