第5話 君に写した自分
川辺で出会った女の名前はマリーだった。
「ねぇ、ジョゼフ。あたしをあなたの住処に連れていってくれないかな?お腹が空いて死にそう・・・・・・」
彼女は俺にそう言った。敵意は感じられなかったから、別に構わないと思った。俺は彼女に手を差し出して、ナディエージダまで案内しようと思った。マリーはなんのためらいもなく俺の手を取った。あたたかい感触に少し身を引いてしまったが、握り返した。
何も問題はない。
何かあれば、もし彼女が俺に攻撃する素振りが見られたら・・・・・・殺してしまえばいいのだ。
「無駄だよ」
彼女は突然足を止めて、何か察したように呟いた。まわりに生い茂る鬱蒼とした森がざわついた。
「ジョゼフ、あなたにはあたしを殺すことなんてできない」
・・・・・・まさか、心を読まれた?
いや、そんなことはありえない。偶然だ。人間にそんな真似が出来るはずがない。
だけどマリーは確信したように俺に言った。
「わずかだけど、あなたからあたしへの殺意を感じたの。ほら、人間って、たまに雰囲気とか出るでしょ?」
俺は驚いていた。
いや、初めての経験に身じろいだ。この女は普通の人間ではいない。今まで、俺の殺意、いや感情すら読み解ける人間はいなかったからだ。この女は何者なんだ?
俺は初めて出会う存在に恐怖していた。
「安心して、あなたを殺したりしないから」
俺はマリーから手を離した。それから一歩引いてから、逃げるように後ずさった。
だけど、マリーはいつのまにか俺の背後に回っていた。まるで瞬間的に動いたかのような感覚だった。ありえない、と額に脂汗が滲み出ていた。
だけど、彼女はそんな俺にお構いなく体を押さえつけるように首を絞めてきた。俺の首元にはマリーの腕があった。それを退けるために俺も抵抗したがびくともしなかった。
体を前に傾けて彼女を振り下ろそうしても、俺の足は何かにおさえられてまたびくともしなかった。
下の方へ目をやると、そこには何かによって縛られていた。縛られていたものに、マリーの足が繋がっていたように見えた。まるで、マリーの体組織が変化でもして形を変えて俺の足を縛っているかのように。
理解できない状況に混乱した。それでも声は出なかった。助けてくれ、俺は死ぬわけにはいかないんだ!ナディエージダ、イヴァン博士が俺を待っている!
「暴れないで、本当に殺すなんてしないから」
マリーの落ち着いた口調に影響されて、俺も少し冷静になった。
そうだ。確かに体は拘束されているが、痛みはない。それに見た限り、マリーは俺よりも強い。もし、殺す気があればとうにとどめは刺されているはずだ。
ならば、何が目的なんだ?
ただ単に空腹なだけなのか?
「逃げないって約束するなら、離してもいいよ。どうする?」
彼女は俺に訊くように耳元で呟いた。
次第になんとか少し冷静さを取り戻した俺は、マリーに返事するように頷いた。
仮に俺がこの後マリーから逃げるように走ったところで、きっと追いつかれるだろう。
さっき、マリーが瞬間的に俺の背後に回った速さからすると、おそらく俺よりも足の筋力が格段に強いからだ。
首を絞めていた腕から手を離すと、マリーも拘束をやめた。足に絡まれていた何かも解かれた。
「それで、ジョゼフ、あなたのコミュニティに連れていってほしいの」
俺はしばらく何も応えられなかった。マリーがナディエージダに来て何をしでかすか分からなかったからだ。
「ジョゼフ、あたしに敵意がないのはわかるでしょ?」
それはどうだか知らない。
俺はさっきまでこいつに絞められていたから、今度は何をしでかすかわかったものではない。
「大丈夫だから、もしあたしがあなたたちのコミュニティを攻撃するような素振りがあったら・・・・・・あたしを殺せばいいの」
そんなものはどうやって?
コミュニティで一番の兵力である俺ですら歯が立たないのに?せめて弱点でもあれば
「弱点を教えてあげる」
予想していなかった言葉に目が見開かれた。俺は息を呑んで彼女の言葉を聞いた。
「あたしは、もう滅ぼされたあるコミュニティの生物兵器として造られたの。機能としては、心臓と肺以外の細胞を変化させることが出来るから、常人を超えた攻撃も防御も出来る。だけど、心臓と肺は変化できないから・・・・・・あたしを殺すためには溺れさせるか、心臓を貫くしかない」
弱点・・・・・・。
いや、仮にマリーが俺達を攻撃したとして、その弱点を狙って倒そうとしても大きな被害が出るだろう。彼女の隙を狙って心臓を貫くためにはまた多くの兵士が犠牲となるに違いない。溺れさせるためにも同じことが言える。
無謀だ。俺はマリーには勝てない。こいつをナディエージダに連れていくわけにはいかない。本当に敵意がない保証なんてどこにもないのだから。
俺は拳を握りしめた。
武器は持っていなかった。だが、どうする?ここでマリーに殺されてナディエージダの場所を隠すか?
いや、マリーは本当に俺を殺す気はないのかもしれない。
マリーの目的がわからない!どうすればいいのかわからない・・・・・・!
「お腹が・・・・・・空いているだけなのに」
ふと、マリーの表情が暗くなった。深く息を吐いてから、俺から視線を逸らして空を見上げた。
「同じ生物兵器にも、あたしはそんな目で見られるんだね・・・・・・」
それを聞いて、俺はなんだか力が抜けたように体の震えが止まった。
マリーは心の底から悲しそうに見えた。その姿に何か違和感を感じた。いや、共感したかもしれない。何か、同じ感情があった気がする。
そうだ、俺も・・・・・・そうなんだ。
同じ・・・・・・化け物なんだ。
「ねぇ、ジョゼフ・・・・・・あたしは本当にあなたを殺したりしないから、お願いだから連れていってよ」
すると、マリーは俺の前へと飛びついてきた。俺は両肩を握られて、彼女は悲痛な表情で俺に向かって叫んでいた。
「食べ物なんて恵まなくていいのっ、あなた達に技術があるなら!この近くにコミュニティがあるなら連れていって!!お願いだから、もうっ・・・・・・」
マリーは力が抜けたように地面に膝をついた。握りしめられた両肩が痛い。下の方に視線をやると、彼女の嗚咽の混じった苦しげな泣き声が聞こえた。
マリーは取り乱して泣いてたのだ。
「もう、いやだ・・・・・・生きながらえるのも、もう・・・・・・っ!」
目の前には、少女の苦しい姿があった。
マリーは何かが爆発したかのように泣き喚いていた。そして、俺に縋るように叫んでいた。
「お願い、連れていって!あたしを殺してよ・・・・・・!」
そうか・・・・・・。
「お願いだから、もう終わりにして・・・・・・もう耐えられない。化け物として生きるのも、ただ、生きる場所を探して苦しんでいるだけの人を殺し続けるのも!壊れていく世界を見て何もできないでいることもっ!!」
そうか・・・・・・
この人も、死にたいんだ。
目の奥が熱くなった。俺も気がつくと涙が流れていた。マリーが哀れに見えたからではなかった。
俺も、生きる理由を探していたからだ。
マリーの目線に合わせるようにしゃがんだ。それから、マリーの頭を撫でた。
「・・・・・・一緒に、生きよう」
信じられなかった。
何年ぶりだろうか。俺は、声を出せた。喋ることができたのだ。
「・・・・・・生きる?」
だけど、それ以上は声が出なかった。
俺はマリーの疑問に頷いた。
マリーの悲痛な叫びを聞いて、その心苦しさが痛いほどよくわかった。同じだったのだ、俺と。
なんだか、俺も一人ではない気がして何となく安心したかもしれない。
ずっと、孤独感に囚われていた心が躍るように力に溢れた。マリーを助けたい、そう思った。彼女が死にたくなるほどの残酷な世界を、俺は知っていたから。きっと、俺だけが知っているから。
生きる理由を見つけた気がした。
君を守ろう、どんな残酷な世界からも。
俺は立ち上がって、もう一度マリーに手を差し出した。マリーはその手を握って、俺に導かれてナディエージダへと向かった。
沈んでゆく夕日の太陽がやけに美しくも、残酷な世界を照らしていた。
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