第3話 うまれた理由

 死んでも、よかったのに。


 そう書かれたメモ帳の一枚を破って、丸めてズボンのポケットに突っ込んだ。


 くだらない、そんなことは許されないのに。俺がいなくなってしまえばナディエージダはどうなる?廃れた軍隊が核兵器を持つ敵を追い出せるのか?確かにここ一年は敵に襲われていないが、やつらがまたいつ襲いに来るのかは誰もわからないのだ。


 もう一度、メモ帳に何かを書こうとした。が、手が震えてやっぱり何も書けなかった。


 俺は、曇り空を見上げた。世界がいくら崩壊していようと、雲は存在するのかとつまらないこと考えていた。

 それから風が吹いて、土埃が目に入った。違和感がして目を擦るとそこが濡れていた。

 立ち上がって、今度こそ自室に戻ろうと動いた。

 しかし、この格好では戻れないと思った。さっき、撃たれた白いシャツの肩の位置が血で汚れている。ズボンも、服が全体的に蹴られたあとで汚れていた。

 仕方ないので、裏にある非常出口から入ってまずは浴室に向かった。そこには予備の服がいつも置かれている。その服に着替えた。汚れていた服はそのまま洗濯機に放り投げた。

 

 それから、台所に向かっていつものように切れ味の良さそうな包丁を借りた。俺はそれを使って自分の肉をえぐる。

 今回は、さっきアレンに撃たれた銃弾を取るために使う。場所を移動し、もう一度浴室に入った。近くに誰もいないことを確認してから扉を閉めた。

 それからなんの躊躇いもなく、肩に包丁を向けて、深く刺した。違和感のあった位置にやっぱり銃弾があった。包丁を床に放り投げ、今度は自分の手で、指でその銃弾を抜き取った。肩には深い切り傷ができた。傷が深ければ、やっぱり治りはいつもより遅いので、しばらくの数分間は手で押さえた。肉と肉を、皮膚をくっつけていればそのうち塞がる。

 しかしいつも何故か出血だけは多い気がする。

 傷を押さえながら、流れていく血を眺めた。痛くはなかったが、血生臭いのは苦手だ。そして、なんだか少し悲しかった気がする。


 傷が塞がったあと、軽くシャワーを浴びてから借りていた包丁も洗って台所の元の位置に戻して、俺は自室に戻った。


 数時間後、自室のインターホンからイヴァン博士の声が聞こえた。


 「ジョゼフ、急いで所長室に来てくれ」


 何事だろうと思っていたが、所長室へ急ぐことにした。そこへ着くと、イヴァン博士が扉の前で俺を待っていた。


 「来たか、ちょっと聞きたいことがあるから入ってこれを見てくれ」


 言われるがままに所長室に入ると、俺はそれを見てはっとした。イヴァン博士の机の上には、洗濯機に入れた服と丸めていたはずのあの紙切れが置かれていた。服は洗われていて、綺麗だったのだが。


 「ジョゼフ、私がお前に渡したメモ帳は防水加工がされているんだけど」


 「・・・・・・・・・・・・」


 「これは、なんだ?」


 イヴァン博士はその紙切れを、文字が見えるように俺に見せた。


 「お前が書いたのか?」


 しまった、燃やせばよかったか。と後悔してももう遅い。俺はそのまま頷いた。


 「何かあったか?教えてくれないか?」


 イヴァン博士は声を荒げて聞いてきた。だが、俺は何も答えることができない。メモ帳をもう一度取って、ペンも握ってみてもそれでも何も出来なかった。


 「わかった、外出先で何かあったんだな?」 


 「・・・・・・・・・・・・」


 視線を逸らすように横に振ったら、イヴァン博士はため息をついた。


 「誰かに何か言われたのか、どうなのか。すまない、少しでもお前の気晴らしにでもなると思って外出を提案したが、それは逆効果だったのか・・・・・・」


 あながち間違っていないが、アレン達は鍛錬の間も来るので外出だけが原因ではない、とも言える。


 「ごめんな、外出はこれから護衛でも付けるから気落ちしないでくれ。二度とこんなことを書かないでくれ」


 それから所長室を出た。なんだか口の中が血の味がした。無意識に唇を噛んでいたようだ。

 メモ帳を捨てようと思った。

 これで意思の疎通が図れると思ったが、何回も手が震えて何も書けなかった上に書けたものがイヴァン博士を心配させるようなつまらないものだったから。







 この世界は孤立している。

 いや、もしかしたら逆に自由なのかもしれない。


 かつて、世界は争いを無くそうと国境を定めた時代もあった。しかし今度はその国境を越えるために人類はまた争いだした。


 それから国境なき平和な世界を試みた。

 しかしそれでも人類は己の欲望のためにまた争ったという。

 

 世界は、約100年前の殺戮兵器によって滅びかけた。

 核兵器によって地球は汚染し、人類の住処は限られるようになった。


 わずかに生き残った人間は、わずかに汚染されていなかった土地に住み着き、それから独自に発展を遂げていった。 

 生き残るために。


 ナディエージダ以外にも、地球のあらゆるところにコミュニティが存在しているのかもしれない。


 そんなどこかにあるコミュニティでまた、生物兵器が造られた。





 あたしが物心ついたのは、無機質な部屋で目の前には白衣を着た老人がいた時だった。


 目を開けたら、その老人はとても嬉しそうに何かを話していたけど、ガラス越しではほとんど何も聞こえなかった。体のいたるところに管が刺されていて、なんだか動きにくいし不快だった。

 その老人の口の動きが止まった後、ガラスの壁が開いた。あたしはこの時に初めて外の空気に触れた。深く呼吸してみたら、全身に痺れが走った。


 「君は、我々の希望だよ」


 老人は言った。それから体中に付いていた管を一つ一つ取り除いてくれた。体は自由になって私はその老人の前に立った。


 「鏡を見るといい、それが君の姿だよ」


 老人に見せられた鏡を覗くと、そこには若い女性が映っていた。


 「君が目覚めるまで16年かかったんだ、ありがとう。ようやく話ができるね」


 老人は続けて嬉しそうに微笑んでいた。あたしはまだ状況が分からないでいた。


 「あの、あたし・・・・・・ここは?」


 老人はあたしの言葉を聞いて「ああ、そうだね」と呟いてから、


 「私は君を造った科学者だ。君は、そうだな。私の妻の名前だったマリーと名付けようか」


 「マリー?」


 「そうだよ、君のことはこれからマリーと呼ぶからよろしくね。大丈夫かな、言葉はわかるね?」


 「うん」


 「そうだね、君の脳に情報を直接送り込んだけど、それが成功してるみたいだね」


 「大丈夫みたいだよ、ありがとうオリバー博士」


 老人の名前はオリバー。そしてあたしもマリーと名付けられた。


 周りを見渡せば部屋の奥に窓があった。そこには灰色の景色が広がっていた。よく見てみると崩壊した建物がいくつかあって、物寂しい気がした。コンクリートの瓦礫の隙間には吊る植物に侵蝕されていた。


 少しずつ情報が頭の中で浮かび上がってきた。この世界のこと、生まれた理由。あたしは生物兵器。オリバー博士の研究所の周辺には小さな、貧しいコミュニティがある。あたしは外からやってくる敵を倒すために作られた・・・・・・と思っていた。


 しばらく経つと、オリバー博士の様子がおかしくなっていった。たびたび敵が現れては倒していったけど、コミュニティの状況は相変わらず厳しかった。

 食糧不足による飢餓や放射線汚染による病気の蔓延が絶えなかった。唯一なんとか生きていけるのが、オリバー博士とあたしの2人が住んでいるこの研究所だけ。

 周辺の住民の不満はどんどん溜まっていった。それなのにオリバー博士は何の解決策も練らなかった。


 ある日、あたしは思い切って博士に聞いてみた。


 「博士、あの、話したいことがあるんだけど」


 博士はあたしの部屋に入ってきていて、いつものように手入れをしていた。時々「私の妻ならこうすれば喜ぶな」と呟きながら。


 「何だい、マリー」


 「近辺の住民が最近すごく不満を言ってるの」


 「そうかい」


 「オリバー博士は一体何の研究をしてるのか、とか。研究所だけ楽しててコミュニティだけ苦しいから耐えられないって・・・・・・」


 する博士は私に向き直ってこう言った。


 「マリー、私のことを博士と呼ばないでくれ。君は私の妻なんだ。昔のようにオリバーと呼んでくれ」


 博士は私の話を聞かない。

 あたしが目覚めた時からオリバー博士の目にはあたし自身の姿が映っていないような気がしていた。

 それどころか、なんだかその目には狂気があるようにも感じていた。


 オリバー博士はまた一歩私に近づいた。頬を触れられた瞬間、背中に寒気を感じた。


 「最初はね、コミュニティのために君を最強の兵器として造ろうとは思ってはいたんだ」


 博士はそのまま言葉を続けた。


 「だけど、マリー・・・・・・君がいなくなったから、もう一度会いたくなったんだ」


 それからまたあたしに近づいて、顔がすぐそこまで映った。あたしは反射的に後ずさった。それでも博士はあたしの頭を両手で掴んで、今度はこう言った。


 「そうだ・・・・・・どうせ何の欠陥のない兵器を造るなら、その体を私の妻のものにすればいいと思ったんだよ。いいだろう?マリー、君は生まれ変わったんだ。君は私の妻なんだ、間違いない・・・・・・誰にも殺されない、不死身になった、私の妻なんだよ」


 博士はそう言い終わると、まるで人が変わったように笑い出した。あたしはその笑い声を不気味に感じていた。


 あたしには生物兵器としての機能が備わっている。体の原形は人間ではあるけれども、細胞を変化させることができる。その細胞を自由に増殖させたり、死滅させることもできる。通常の何倍もの速さで変化させられる。

 例えば、爪を瞬時に伸ばして、刃物のように変形させて敵を殺すことだってできる。切り傷も銃撃による怪我だって一瞬で治せる。脚の筋肉を発達させて、時速80キロまでのスピードで走るようにすることもできる。その他にも、あたしが知らないだけで色々できるかもしれない。

 その中で一番よく使うのが、喉から19ヘルツ以下の音を出して人間の脳に直接ダメージを与える手法で、それによって敵は幻覚を見て自ら自滅するというもの。

 その中でも生き残った敵が攻撃した時には、あたしは細胞変化で対応する。

 こうすれば、敵が何人来ようとあたしは全滅させることができる。 

 これがあたしの生物兵器としての能力だとオリバー博士から聞いたことがある。


 オリバー博士はあたしの部屋から出て行った。

 静まりかえった部屋にはきらきらした小物で装飾されている。ベッドの枕元にはぬいぐるみが数個置かれていたり、タンスには花柄のシールが貼られていたりしていた。これらは全てオリバー博士が亡くなった妻を思って装飾したものだと思う。


 壁にはオリバー博士の妻の写真が飾られていた。そこには中年の女性が微笑む姿が写っていた。肩までかかる短く茶色い巻き髪で、黒い瞳の女性だった。あたしはそれを手に取って呟いた。


 「・・・・・・見た目が全然違うのに」


 あたしは腰までまっすぐ伸びる黒髪で、瞳は緑色だからオリバー博士の妻とは違う。

 それなのに博士はあたしを妻のマリーとして認識していることが、なんだか狂気のように感じていた。いや、思い込もうとしているのかもしれない。

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