第2話 声にならない
ナディエージダ。
俺たちが住んでいるこのゴルバチョフ研究所周辺のコミュニティはそう呼ばれている。
きっとこの時代には国も、都市も、市町村もないと思う。他所に人間が住める場所を公開してしまえば、それを求めて襲われるからだ。俺たちは自らを守るために、隠れて生きている。
人が住める場所が限られたこの世界では、このナディエージダ地域は貴重な生存場所となっている。ここでは、生き残った人間が集団を成して、コミュニティを作って生活している。
しかし、そんな貴重な生存場所を求めて他に人間が争いに来ないとは限らない。ここは、生きるのに比較的安定している地域だが、他の場所では安定していない地域もある。
なんとかコミュニティを成したものの、食料が不足したり、権力争いが現れて一部の人間が追放されていたりするところもあるらしい。
それに比べてナディエージダは何十年も安定しているのだ。それも、このゴルバチョフ研究所のおかげだと思う。
イヴァン博士は、核の研究以外にも食料の提供やその他に人間が生存できる様々な研究や取り組みを仕切っている。
もちろん、全てを一人でやっているわけではなく、研究所にはそれぞれの分野を担う色々なチームがある。
例えば、食料提供に関する水耕栽培研究科や耐放射線性家畜育成研究科、人口調整科、医療介護科、そして俺の出生にも関係する核兵器研究科などがある。
今日も俺はイヴァン博士に呼ばれて、所長室に来ていた。
「ジョゼフ、今日はお前に外を見てまわってもらおうと思ってな」
イヴァン博士はそう言ってすぐに俺にメモ帳のようなものと一本のペンを渡してきた。
「何か困ったらこれを使って意思表示するといい、使えるか?」
俺はこくんと頷いた。
どうやらイヴァン博士は俺に外出をしてほしいようだ。それが何を意味するのかはわからないが、きっとこれも命令なのだから従うのみだ。
「どこへ行っても構わないが・・・・・・とりあえず、コミュニティを歩き回るのはどうかな?」
無表情な俺にイヴァン博士は少し困っているようだった。何か応えたい。そう思っても声帯が動かないのだ。
長い間喋らない生活を続けたせいか、今となっては声を出したくても出ないのだ。他の人間と会話をしなくても困らなかったが、育て親であるイヴァン博士を困らせるような真似はあまりしたくなかった。
「ジョゼフ、お前の気持ちをくみとめる道具でも発明できたらいいのにな・・・・・・」
イヴァン博士はぽつりとそう呟いて、深く息を吐いた。それに続くように俺も息を吐く。早速メモ帳を持ってイヴァン博士に何かを伝えようとしたが、なんだか手が震えて上手く書けなかった。しまいにはペンを床に落としてまう。イヴァン博士はそれを見て少し驚いているようだった。
「ジョゼフ、まさか筆談も難しいのか?」
心配そうな声色で聞かれた。俺も同感せざるを得ない状況に悔し涙を流しそうになった。俯いて目を閉じていると、イヴァン博士は席から立ち上がった。それからそばにやってきて、俺の肩を軽く叩いた。
「わかった、私がなんとかしてみせる。心配するな、いつか喋れるようになる。約束だ」
約束だ、と言われると今度はペンを持っていた手を握られた。イヴァン博士はこの時、不安の色を浮かべながらもなんとか俺に笑顔を見せていた。
だが、それに関しては期待に応えられる自信がなかったのも事実だった。それから震える手でなんとか床に落ちたペンを拾った。それをまずは一瞬両手で握り、深く息を吸い、震えを止める努力をした。なんとかメモ帳に文字が書けた。
「ふっ、字は下手くそだな。ジョゼフ、昔はあんなに教えたのにな」
イヴァン博士はそれを見て笑っていた。仕方ないじゃないか、これでも一生懸命書いたのだ、と反論したかったが、やっぱり声は出なかった。
それでも俺はイヴァン博士の笑いに釣られて少し落ち着いたのかホッとしていた。
行ってきます、の一言しか書けなかった。
それから所長室を出ると、言われた通りに外出することにした。普段は研究所にある自分の部屋から軍の鍛錬場か所長室しか行き来しないから、これは何年かぶりの外出になる。敵に襲われた際の戦いとは別だが。
外に出るのもなんだか一苦労だった。太陽の光が目に眩しく、気温の暑さが普段部屋に篭っている肌に染みるようだ。そういえば、ここ一年近くは戦いがなかったから、余計に外出が大変なのかもしれない。
ゴルバチョフ研究所の門を通り、コミュニティに出た。歩いていると公園のような場所に辿り着いた。
なんだか気疲れをしていたので、そこのベンチに座ることにした。渡されたメモ帳を持って何か書くことはないかと考えていると、子連れの若い女が近づいてきた。その女の後ろにもまた数人の女の人がいた。
「あなた、珍しい髪の色ね」
子連れの女にそう言われた。俺はただメモ帳を握りしめるだけで何も反応出来なかった。
確かに俺の容姿は珍しいかもしれない。今となっては純粋なコーカソイド人種はほとんど存在しないからだ。
前世紀の時代に、世界の交通便がとても普及していたらしく、それから人種の混血が進んだらしい。グローバル化、と呼ばれていたらしい。
しかも、そのグローバル化が進んだ少し後の頃に世界規模で核戦争が起こり、人々はさらに混ざり合い、今となってはほとんどの人間は茶髪に少し色づいた肌が普通となった。
それより少しだけ髪の色が違っていたりする人間ももちろんいるのだが、俺はそれに比べても今の時代の普通より離れた見た目をしていた。
「あなた、よく見たら瞳の色も不思議ね。グレー?グレーに近い明るい水色?」
「・・・・・・・・・・・・」
「あっ・・・・・・あなた、もしかして」
その女は一歩引いて、何かに気づいたような素振りをすると今度は俺に向かって頭を下げた。
「これは、失礼しましたっ」
ああ、そうか。俺が研究所のあの兵士だと気づいたのか。
「まさか、こんなところにジョゼフ様がいらっしゃるなんて思わなかったから、ごめんなさい」
言い逃れるようにその女は連れていた子どもに「ほら、行くよ!早くしないと殺されるわ」と、俺に聞こえないように去っていった。
身体能力が常人ではない俺にははっきりと聞こえたのだが。後ろにいた他の女達にも「いやだわ、あの人、無情で人が簡単に殺せるんですって」周りにいた女たちも不気味なものを見る目で俺を罵って去っていった。
俺は彼女らがいなくなったあとで、ベンチから立ち上がって研究所に戻ろうと思った。外出はした。イヴァン博士の命令通りに動いた。これで何も問題はない、早く戻ろう。
研究所の門を通り抜けようとしたら、後ろから敵意を向けられていた。
「よお、天下のジョゼフ様よぉ。気分はどうだ?」
ナディエージダ軍隊の指揮官、アレンという男に銃を向けられていた。大きな音とともに銃弾が走ってきた。俺はそれを受けて肩を負傷した。
だが、身動きはしなかった。肩を打たれようと酷い痛みは感じなかったから。
「チッ、まともに受けんなよ。テメェなら簡単に避けられんだろうが、化け物め」
アレンは苛立って銃を持っていた手で頭を掻きむしった。俺はそこに振り向くと、アレン以外にも数人の兵士がいたこと気がついた。
「打たれても無表情かよ、気味わりーな」
他の兵士が呟いていたような素振りをしていたが、まるで聞こえるように言っていた気もする。
「あいつ、鍛錬の時も汗ひとつかかねーんだ」
「おれ達と同じ厳しい鍛錬してんのにな、化け物だな、やっぱり」
兵士達は続けて言っていた。俺はもう傷が塞がってしまった自分の肩に触れていた。銃弾、イヴァン博士に見つけられたら心配されるだろうな、と考えていた。
今回も自分でえぐって探し出して抜き取るしかないだろうな。大丈夫だ、俺の傷はすぐに塞がる。傷跡も残らない。
だが、自分で自分の体をえぐるのも少し痛いからあまりやりたくはなかった。しかも、傷がすぐに塞がるから、それが塞がる前に銃弾を見つけないと時間もかかってしまう。
この際、正直に話すか?いや、軍隊にそんなことをされたなんて言ってしまえばそれも困るだろう。どうしたものか。
「おい、何考えてんのかわからねーがちょっとおれ達と遊ぼうぜ」
兵士達は俺に向かってきた。心なしか、にやにや笑っている気がする。いや、気がするのではない。これはいつものことだ。
彼らは定期的に自らの不満を俺にぶつけるように来る。鍛錬の厳しさが不満なのか、この世界に対する不満なのか。わからないが、俺が彼らのストレスの捌け口にされていることは確かだった。
体は床に落とされ、俺は至る所に衝撃を感じていた。数人に蹴られていることがわかる。それからアレンが銃を持ち、その銃口を俺の口の中へ突っ込んだ。それからそれをぐりぐり動かしながらこう言った。
「こいつをテメェの口ん中に撃ったら喋れん声帯が治んじゃねーか?くくっ」
口の中に無理やり押されて、苦しくて思わず生理的な涙を浮かべる。吐き気がした。俺は、呻き声すら出すことができない。
しかし、口の中に銃弾を撃つのは流石に困る。そうしたら、自分でそこをえぐらなければならなくなる。いや、口の中に撃たれたら流石に死ぬのではないか?
「オレらは優しいからなぁ、明日は他のやり方で治す方法を実行してやるよ。楽しみにしとけよ」
突然、アレンと他の兵士達が去っていった。きっとあまり長い間こうしていると異変に気づいた誰かに気づかれてしまうからだろう。
研究所の偉い人間、イヴァン博士にもこの行いが知れてしまえば当然アレン達は罰せられるだろう。何せ、ナディエージダで戦力として一番頼りにされている兵士への暴力だから。
口が銃口から解放された。少し咳き込んでいたが、それがおさまると俺は再びメモ帳を取った。ペンを持って、そこに気持ちを書いてみた。たどたどしい文字でこう書かれていた。
死んでも、よかったのに。
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