ヒキガネを轢いたら

晴野幸己

第1話 滅びゆく世界で

 昔、ユーラシア大陸のどこかの都市には核の研究所があったらしい。とは言っても、それがあった時代でも世界の各地にも核の研究施設は存在していた。今では世界に一つしか残っていないと言われている。その研究所の名前は、ゴルバチョフ研究所。俺が生まれた場所だ。

 

 ゴルバチョフ研究所は、ある一族から出た核に関する研究を続けたロシア人の苗字から名付けられた施設だ。今ではロシア人だけではなく、世界の各地域から研究員が導入されていて、核に関する研究はもちろんだが、人間の体組織が放射線に耐える研究も行われている。その研究の末に俺は遺伝子操作などが行われて、人工授精によって生まれたらしい。

 母体の人間はこの時代では珍しいコーカソイド、いわゆる白人の女だったらしいが、俺は生まれた瞬間でさえその女に抱かれたこともなく、顔も覚えていない。母乳はさまざまな疫病や放射線に耐性のある成分を含めたものを摂取して、成長してからも特殊なものを食べ物としていた。

 ゴルバチョフ研究所にある実験室を人間向けの部屋に変えて、俺は幼児期をその部屋で過ごした。実験室とは言ってもベッドも玩具も十分に揃えてあり、俺は幼い頃から脳の発達を著しく促す環境が用意されてあった。その時の目標とされていた知能指数の発達は120以上だったのだが、それは無事に達成されて、計ったところによると今の俺の知能指数は140近くあるという。

 それから少し年齢を重ねると、今度は実験室から出ることが多くなった。実験室から出て、今度は運動のできる大きな室内の空間に入って身体能力を更に上げる訓練をするようになった。それに加えて、定期的に薬物投与もされていた。

 最初は何のための訓練だったのかはよくわからなかったが、それが少しずつ理解できるようになった。射的や武器の正確な使い方、筋力や神経の発達を促す運動など、それらは全て戦うための訓練だった。

 

 この世界はいつから始まったか定かでもない核戦争に侵されている。人類史上で初めて核爆弾が使われた時代の核保有国のほとんどは滅びた。残されたのは、寒帯以上にかつては寒い地域だった国々だ。


 核戦争によって多くの国が滅びたが、それ以前にもこの地球はさまざまな異常に蝕まれている。その代表とも言えるのが温暖化だ。かつては熱帯だった地方は砂漠化やそれ以外の異常気象によって人が住めなくなり、生き残った多くの人間は北へ北へと元々は寒かった地方へと逃れていった。辛うじて人が住める環境でも、それらの多くの場所も核戦争によってなくなった地域も多い。

 

 そんな中で人間社会として存在し続けている数少ない場所の一つが、このユーラシア大陸の最北端にあるゴルバチョフ研究所周辺だと思う。この研究所のおかげで、放射線に耐性をつくることができる薬の開発がされているため、人々は何とか生活できている。

 

 温暖化や核戦争だけが問題ではない。地球環境の著しい変化や核による土壌汚染によって、深刻な食糧不足による飢餓問題もある。しかし、ゴルバチョフ研究所はそれにも力を入れて、特殊な室内で主に水耕農業によってその問題をほぼ解決している。ゴルバチョフ研究所周辺の地域に限るのだが。

 

 人間が生きることのできる数少ない場所を巡って、今も世界は争っている。



 ジョゼフ・シュヴァルツヴァルト、お前が終わらせてくれ・・・・・・この戦いを。



 終わりなき絶望を、希望に変えてくれ。

 

 俺が生まれた理由はそんな願いからだった。







 ゴルバチョフ研究所の周辺を求めて、残党がまたやってきて、初めて戦いに仕向けられたのは俺が10歳の時だった。


 この世界は廃れている。このゴルバチョフ研究所の周辺は人間が辛うじて生きることの出来る場所だ。俺たちが残党と呼んでいる者達は、そんな場所を求めて争いに来る人間のことだ。

 

 俺が10歳以前の時も残党に襲われたことはあったが、それは軍の疲弊が激しかったらしい。ゴルバチョフ研究所は核物質に抵抗出来るように様々な薬品を兵士に投与しているが、それは必ずしも成功できているわけではない。

 普通の人間には、身体能力も細胞の自己修復能力も限られている。そのため、いくら多くの薬品を投与しても被爆する者はあとをたたなかった。

 

 残党は、核兵器をよく使う。とはいっても、前世紀の世界大戦で使われた核物質を含む廃棄物などを改良したり、小型銃に入れたり使うことが多い。それを普通の人間である兵士にあたってしまえば、薬品の投与があっても一部は被曝してしまう。

 

 だが、俺は違った。10歳の時、それはよく晴れた日常で突然残党はやってきた。そろそろ頃合いだろうと言われた時は最初は意味がわからなかったが、剣を渡された時はこれから何が起こるのかを予想できた。剣でいいのか?相手は拳銃を使っているのに。

 そんな心配をよそに、ゴルバチョフ研究所の所長、イヴァン博士は俺に言った。心配はいらない。お前は特別なのだ、と。特別かもしれないとは自覚していた。

 だが、部屋の窓から見えるのは100を超える人間の集団だった。古い防具服のような、彼らはそれを軍服としているのかわからないがこちらに敵意があったのは確かだった。

 

 イヴァン博士は続けてこう言った。念のため、こちらも兵士を数人送っておくが、おそらくお前にはそれも必要ないだろう。ジョゼフ、お前は剣一本で奴等を倒せるからな。

 何故か俺にもそうだと自信があった。だが、普通に考えれば10歳の子どもが剣一本で100の軍に勝てるわけがない。それでも、本能が告げていた気がする。戦え、と。

 

 ジョゼフ、お前には核兵器は効かない。身体能力も細胞の修復機能も限界値まで上げたから傷も一瞬で治るだろう、動きも奴等に見抜けないだろう。イヴァン博士は続けた。

 

 その時、俺はさっきまで眺めていた絵本を閉じた。渡された剣を握りながら、絵本を棚にしまうと、行ってくる、と言って外へ出た。

 

 研究所のすぐそばまで軍が押し寄せていた。問題ない、倒せる。背後にはイヴァン博士が念のためと言って送ってきた兵士達も居たが気にならなかった。

 敵陣は俺を見て呆気にとられているようだった。それもそうだろう。目の前には戦意も感じられない10歳の少年が立っており、何世紀も昔もの武器、剣などを握っていたからだ。

 普通なら、そんなもので核銃に勝てるはずがない。そもそも子どもがここにいるべきではない。

 

 しかし、そんな世の常識など俺の存在の前では無意味だった。



 「ゴルバチョフ研究所は渡してはならない。よって、俺はお前達を追い出す」



 敵陣の1人が俺に向かって核銃を向け、打った。視神経を凝らした。弾の動きがはっきり、ゆっくりに見える。それをかわし、味方兵士に当たらないように剣で止めた。敵陣は驚いていた。確かに味方兵士は要らない気がする。足で跨いだ。

 

 それから敵陣は一気に襲いかかってきた。俺の腕が届かない範囲では、味方兵士の数人が肉の壁となって朽ちた。人間の死を初めてこの目で見た。味方兵士が来なければ、俺一人で倒せたのに。そんな他所ごとを思いながら剣を振るっていると、いつのまにか敵陣は全滅していた。時間にすると約1時間。

 


 「上出来だ、ジョゼフ。お前は実験成功だよ」



 戦いが終わり、周りに静かさが戻ると、イヴァン博士が確認のためか側にやってきた。

白い服が返り血に満ちて、真っ赤となっている。血の錆びた匂いが鼻について気分はあまり良くなかった。

 

 戦う使命感はあった気がする。だけど、血生臭いのはこの頃からあまり好きではなかった気もしていた。







 時は過ぎて俺も大人になった。

 

 あれから何度か他地方から残党が現れては倒し続け、そのおかげでゴルバチョフ研究所周辺の平穏は保たれている。

 普通の人間である味方兵士の育成も続いているが、研究所内では俺の後継者となる実験体も数体できるように研究もされているらしい。

 実際に生まれてきて成功できたのは俺だけらしいが。

 生まれてきたとしても、先天性の疾患を抱えていたり病弱なことが多いらしく、結局は処分されてしまう。



 「ジョゼフ、話がある。所長室まで来てくれないか」



 自室のインターホンからイヴァン博士の声がした。俺はすぐに向かった。所長室に着くと、軽くドアをノックする。イヴァン博士は穏やかな声で「入るといい」と言った。俺は辞儀をしてから入った。



 「ジョゼフ、お前は子どもの頃からあまり喋らないな」



 俺は頷いた。



 「何か、気にかかることでもあるのか?言葉が出辛いのか?」



 「・・・・・・」



 イヴァン博士の突然の問いに俺も戸惑った。確かに俺は昔と比べて話せなくなっていた。しかしそれで困ったこともなかった。

 何故なら俺はただの兵士だから。敵を倒してここの平穏を守っていればそれだけでいいから。それが俺の存在理由だから。

 思いを声に出す必要などなかった。だからきっといつのまにか声を失ったのだろう。



 「しまったな、まさかそれがお前の疾患なのか?」



 「・・・・・・」



 疾患とは、イヴァン博士が造っている兵士の失敗作に現れる欠陥のことだ。俺は成功作だと言われているが、他のものには疾患が多く、全て失敗として処分されている。



 「しかし、お前には喋らない以外に疾患はないからな・・・・・・どうしたものか」



 処分されるのだろうか、と一瞬思ったがそれはないだろう。戦闘においては何も問題はなく、意見を言わないのも返って研究所側としては好都合だからだ。



 「精神的なものなのか。それとも、言語障害が出たのか・・・・・・それにしても脳波には異常はないからおかしいな」



 イヴァン博士は1人で悩んでいた。俺はそれを静かに見ていた。



 「まあ、いい。こんなことのために呼んで悪かったな。部屋に戻るといい。けど、何かあれば教えてくれ。お前は我々の希望だからな」



 イヴァン博士は俺から何かを聞き出そうとしていた。何か不満はないか、困っていないか。それがわかれば喋れるようになるか。

 しかし今日も何も分からなかった。問題はない。俺が喋らなくても誰も困りはしない。

 ただ、戦えばいいのだ。この平和のために。

 今の俺にはそれしか存在理由はないから。

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