[3-3] 心配……。でもちょっとだけよ?

「は? それってプロポーズでしょ」

「え? そうでしょうか」

 いやー、やっぱりそう聞こえますよね?

 お昼休み、突然、保健室に呼ばれた。

 水城先生が、なにかあたしに頼みがあるんだって。

 あれから二週間。

 もうそろそろ五月も終わり。

 校庭の木の緑がとってもキレイ。

 目がくるくるなるほど忙しかったイチゴの旬も、翔太親子と三条くんのお手伝いのおかげで、なんとか乗り切ることができた。

 夏の間は野菜系の出荷と、冷凍ストックのイチゴで作ったジャムをスーパーに出すくらい。

 冷凍イチゴのジャムは、ちょっと味が落ちるけどね。

 でも、この時期にたくさん入って来る外国産イチゴでは作りたくないし。

 だから、うちのイチゴは、夏の間は冬に向けた子苗作りだけ。

 毎日やることはいっぱいあるけど、イチゴの旬に比べたらずいぶんゆっくりできる。

 三条くんは「お母さんが元気になるまで手伝ってやる」って言ってくれたけど、これは丁重に丁重にお断りした。

 来月にはオーディションを控えているって言ってたし、その邪魔にはなりたくない。

 実は、先週がお父さんの一周忌だった。

 でも、お母さんは入院しているし、イチゴの旬もクライマックスだったから、お坊さんにとりあえずお経だけ上げてもらって、ちゃんとした会はお母さんが元気になるまで延期することにした。

 お母さんの検査は、まだ途中。

 翔太のお父さんが、いろいろお医者さんから聞いてるみたいだけど、まだあたしは詳しいことは教えてもらえてない。

「宝満さんっ? ちょっとっ、聞いてるのっ?」

「へ?」

「なんかシレっとしてるわね。プロポーズに決まってるじゃないっ! 『お前を幸せにしたい』なんてセリフ、ほかにどんな意味があんのよっ!」

 うわ、水城先生、なにをそんなに怒っていらっしゃるのでしょうか。

 あたしにも確かにプロポーズのように聞こえたんですけど、あまりにも唐突過ぎて……。

「でっ? あんた、なんて答えたのっ?」

「え? あー、いや、あたしはちゃんと幸せだから心配要らないよ? ……って」

「はぁ? あんたバカなの? 鈍感過ぎっ! 三条もムカつくけど、その歳でプロポーズされるあんたはもっとムカつくわ」

 いや、分かってたんですってば。

 だって、なんて答えていいか分からなかったんだもん。

 あたしの返事を聞いて、一瞬ポカンとした三条くんは、それから苦笑いしながら、「そうか」って小さく言った。

 そして、そのあとはずっと普通。

 学校では顔を合わせば普通に話すし、しょっちゅうじゃないけどSNSのメッセージのやり取りもするし。

 三条くんは、あたしのお母さんのことをとっても心配してくれている。

 でも、小夜ちゃんのこともちょっと心配。 

 実はあれから、小夜ちゃんはずっとお休み。

 詳しくは聞いていないんだけど、なんか体調が優れないんだって。

 翔太もちょっと心配してた。

 もしかして、三条くんの問題発言のせいで体調が悪くなったのかな。

 あの発言のあと、台本どおり小夜ちゃんはギャーギャー言って騒ぎ出したんだけど、なぜかあたしの宝物の弟三人組が温室へやって来たとたん、突然、大人しくなってしまって。


『あ、聖弥さん、ちょっと遅かったぜ。もう、今日のぶんは終わったよ。箱詰めはメシのあとしよう』

『あー、セイヤ兄ちゃん、お友だちつれてきてくれたのー? うわぁ、かみがながーい』

『ねぇ、えほんよめる?』

 頬を引きつらせてのけ反る小夜ちゃんに、わらわらと寄っていく弟たち。

 なに?

 小夜ちゃん、子供が嫌いなの?

『小夜さんっていうんだ。俺、晃。こいつは陽介、こっちは光輝』

『へ? あ、そっ、そう』

『小夜さんも手伝いに来てくれたんだろ? 姉ちゃん、俺、腹減っちまった。メシ先にできる? 小夜さんも一緒に食べなよ。箱詰めはそのあとだから』

『……はい?』

 動揺する小夜ちゃんは、晃のペースに乗せられてあれよあれよと我が家の中へ。

 晃のやつ、三条くんを連れて来たときにはすごく反抗的だったくせに、女の子を連れて来たらまったく反応が違うんだからっ。

 土間に入って、目をくるくるさせた小夜ちゃん。

 居間に上がってもらって、あたしがバタバタと夕ご飯の支度をする間は、三条くんに小夜ちゃんのお相手をお願いした。

 すごく嫌そうな顔にちょっとウケたけど。

 すると三条くんは、小夜ちゃんから三つ離れた座布団に腰を下ろして、すぐに弟たちを呼んだ。

『晃ぁ、陽介ぇ、宿題持ってこーい』

『はぁい』

 台所からちょっとだけ様子を窺ってみると、小夜ちゃんは完全に放心状態。

 どうも、三条くんが我が家に馴染んでいるのが理解できない様子。

 しばらくして、晃と陽介が三条くんの両側に座って、テーブルの上に宿題を広げた。

 小夜ちゃんがそれをポカンと口を開けて見ていると、奥の仏間から可愛い声がした。

『こうきもいれてぇ』

 両手いっぱいに絵本を抱えた光輝。

 どうするのかと見ていると、光輝はタッタッとなんの迷いもなく小夜ちゃんのところへ駆けてきて、ニコニコしながらストンとその隣へ座った。

 ギョッとする小夜ちゃん。

 じっと彼女を見上げる光輝。

『な……、なんなの? アタシに絵本を読めとでも言うの?』

 唇の端をぴくぴくさせて小夜ちゃんがそう言うと、瞳をキラキラさせた光輝が絵本を両手で差し出しながらうんうんと頷いた。

 しばらくの沈黙。

 小夜ちゃんは、なにやらじっと考えている。

 光輝はただただ、ニコニコして小夜ちゃんを見上げている。

 しばらくして、小夜ちゃんはチッと舌打ちすると、頬を真っ赤にしてバッと光輝の手から絵本を取り上げた。

 いまにも光輝を弾き飛ばしそうな勢い。

 思わず、居間へ踏み出しそうになった。

 しかし……、なんと意外なことに、光輝から絵本を取り上げた小夜ちゃんは、じとりと三条くんへ目を向けたあと、すーっと彼に背中を向けて座り直し、それから光輝に顔を寄せて小声で絵本を朗読し始めた。

 思わず笑ってしまった。

 小さな声で、光輝に耳うちするように絵本を読んであげている小夜ちゃん。

 それから、あたしのお料理ができ上がるまで、とってもとってもゆったりした時間が居間を包んでいた。

 夕ご飯ができ上がったのは、小夜ちゃんの朗読が六冊目になったとき。

『さぁ、みんな手伝ってー』

 あたしが台所から居間へ向かってそう声を掛けると、三条くんが晃と陽介の背中をポンと押した。

 光輝もさっと立ち上がる。

 小夜ちゃんは、なにが起こったのかと目を丸くしている。 

 そして、あっという間に、食卓はあたしのお料理でいっぱい。

『ジャム子、これ、ぜんぶあんたが作ったの?』

『うんっ。これね? うちのニワトリたちが産んでくれた卵で作った卵焼き。サラダやお味噌汁のお野菜もぜんぶうちの畑で採れたものよ? いっぱい食べてね』

 あたしがよそったご飯を両手で受け取ると、小夜ちゃんはしばらくそれをポカンと眺めていた。

『小夜、日向の卵焼きはマジ旨いぞ? 店で出してもいいレベルだ』

 うわ、三条くん、それは褒めすぎ。

 小夜ちゃんは、『貧乏人のご飯なんて食べられない』って言うかと思ったけど、なぜか、ずっと大人しく箸を口に運んでくれていた。


「……ふぅん、まぁ、そうとうムカつくけど、やっぱり若いっていいわね。あんたがそこまで三条聖弥と仲良くなってるなんて思わなかったわ」

「いやいやいや、お母さん公認の農園スタッフという位置づけなので。あれは、お給料の代わりです。それにもうお手伝いは終わったので、特に顔を合わせることもありませんし」

「ふぅん」

 ニヤリとする水城先生。

 なんですか、その顔。

「と、ところで、あたしに用件ってなんですか?」

「あ、そうそう。あんた、鷺田川さんと仲いいんでしょ? 家に上げてご飯食べさせるくらいだし」

「え? いや、あれは成り行きで」

「そう? ま、いいわ。その鷺田川さんの仲良しのあんたに、ちょっと手伝ってもらいたいことがあんのよ」

「手伝う?」

 

『明日の土曜日、鷺田川家に潜入して、小夜の不登校の原因を調査せよ』

 それが水城先生からの指令。

 なんであたしがっ?

 当然、そう聞き返しますよね?

 そうしたら、耳を疑うような答えが返ってきたのです。

『鷺田川さん、誰にも会いたくないって先生の家庭訪問を拒絶しているみたいなんだけど、「宝満日向になら会ってあげていいわ」って言ったらしいのよ』

 なんなのよ、それ。

 それで、昨日の夜、三条くんにメッセージしたら、【よほどこの前の晩メシが美味しかったんじゃないか?】って返してきて、それっきり。

 三条くん、最近ちょっとそっけない。

 オーディションが近いからかな。

 いつかあたしと一緒に出ようって言ってたオーディションは受けないことにしたらしいんだけど、なぜか先週、『どうしても受けないといけないオーディションができた』って、難しい顔をしていた。

 なんだか、『自分では受けたくないのに、受けさせられる』って感じ。

 でも、自分の実力で芸能界復帰を目指すって言ってたのに、それって自分から望んでるオーディションとは違うの?

 ちょっと心配。

 え? 

 ちょっとだけよ? ちょっとだけ。

 小夜ちゃんが聞いたら、きっと小夜ちゃんもすごく心配すると思うな。

 あ、もしかして、小夜ちゃんが二週間も休んでいるの、三条くんのオーディションとなにか関係あるのかも……。

 でも小夜ちゃん、ちゃんとあたしに話してくれるかな。 

「ううう、本当はあたし、こんなことしてる暇ないんだけどなぁ」 

 今朝早く、お母さんから届いたメッセージ。

【昨日、検査の結果が出ました。ちょっと説明したいから、今日、手が空いたときに病院へ来て】

 なんだろう。

 メッセージでは説明できないくらい、難しい結果なのかな。

 どうしよう……、すごく不安。

「えっと、星降が丘南一丁目……、うわ、相変わらず立派なお家がいっぱい」

 じわっと背中に汗をかきながら坂を上る。

 丘の上へと続く『ガオカ』のメインストリートの両側は、ずっと向こうまでお菓子みたいなお家が並んでいる。

 たぶん、雪が降ったらお菓子の家を乗せたクリスマスケーキみたいになるんじゃないかな。

 この『星降が丘南』のメインストリートは、南の丘の頂上から下ってくると、北側にある我が家の前の道に丁字にぶつかって、そこで突然終わっている。

 本当はそこからさらに我が家を通り越して、北の丘へと上っていって、そこが『星降が丘北』のメインストリートになるはずだった。

 でも、我が宝満農園が立ち退かなかったせいで、この北の丘はいまも未開発のまま。

「ここ……かな? うわ、でっかい」

 大理石風の門柱に埋め込まれた、金属製の表札。

 なに? この、草のつるみたいなくねくねした文字。

 たぶん『SAGITAGAWA』って書いてあると思うんだけど、あたしには読めない。

 とっても立派なレッドロビンの垣根が、目が覚めるような赤茶色の葉っぱをツヤツヤさせて、向こうの角までずーっと長く続いている。

「ううう、緊張する」 

 こんなお金持ちのお家なんて訪ねたことないし、どんな格好して行こうかなんてちょっと考えたけど、三条くんに聞いたら、【いつもの格好、可愛くていいと思うぞ?】って、思いきりガリガリと神経を削る回答。

 いつもの格好って、制服か作業用のオーバーオールのことでしょ?

 そんな格好で行けないよぅ。

 まぁ、結局、いろいろ考えた割には大したことない、普通のスカート姿になったんだけど。

 小夜ちゃんちの住所は、三条くんがメッセージで教えてくれた。

 メッセージには、【小夜のお母さんは俺の母親と違ってめっちゃ優しいから心配するな】って、なんと返事をしていいか困るコメントも添えられていたけど。

 お土産は、摘んだイチゴだと持って行く途中で傷んだらいけないから、いつもスーパーに置いてもらっている自慢の瓶詰ジャムにした。

 カメラが付いたインターフォンの前で大きく息を吸って、それからそーっとボタンに手を伸ばした、その瞬間。

「うるさぁぁぁーーーいっ!」

 突然、レッドロビンの向こうで聞こえたアニメ声の絶叫。

 ハッとして、門柱越しに中を覗く。

 キレイなお庭。

 よく手入れされた芝がキラキラしていて、周りを花壇が取り囲んでいる。

 続けてなにか大きなものが、その芝の上にドカッと転がった。

 え? なに?

 あれは……、ソファー?

 庭に面した掃き出し窓から転げ出たのは、とっても立派な皮張りの一人掛けソファー。

 さらに、聞こえたアニメ声。

「アタシは飼うっていったら絶対飼うのぉぉぉーーーっ!」

 これは……、小夜ちゃんの声だっ!

 え? いったいなに?

 思わず門の扉に手を掛けて、インターフォンを鳴らすことも忘れて敷地へ駆け込んだ。

「小夜っ! もうやめてっ!」

 いまにも泣きだしそうな女性の声。

 これはっ、病院のときみたいに小夜ちゃんが暴れてるんだ!

「小夜ちゃんっ!」

 声を張り上げて庭へ駆け入ると、水を撒いたあとらしく芝がつるつるしていて、思うように足が進まない。

 うわわっ!

 倒れそうになりながら、開いている掃き出し窓のサッシ枠を掴んだ。

 すると、そこにはっ……。

「あっ! ひなっ! 来てくれたのねっ!」

 ん? 

 ひな?

 パッと顔を上げて、満面の笑みをあたしに向けた小夜ちゃん。

 見ると、リビングの絨毯の上で小夜ちゃんがお母さんらしき女性に馬乗りになって、その長い髪を思いきり引っ張っている。

「ちょっと、小夜ちゃんっ、ダメっ!」

「あっ、なにすんのよっ!」

 あたしは思わず小夜ちゃんに飛び掛かった。

 脱ぎ放った靴が芝の上に飛んで行く。

「小夜ちゃんっ、どうしたのっ? 落ち着いてっ!」

「なによっ! 例えひなでも許さないんだからっ! こいつがアタシの計画を台無しにしたのよっ!」

 だから、『ひな』ってなに?

 ハッと見ると、押さえつけられているお母さんは、完全に涙目。

「もうっ! あたしが話を聞くからっ、ちょっと離れるのっ!」

 力いっぱい小夜ちゃんの腕を引っ張って、手前に引き倒す。

 うわ、病院のときと同じ。

 あたしに引っ張られた小夜ちゃんが、バランスを崩して絨毯の上に倒れた。

 すぐにお母さんを脱出させて、その背中を押す。

 お母さんが立ち上がった。

「小夜っ! もういい加減にしてっ」

 スカートをはたきながら、あたしたちを見下ろす小夜ちゃんのお母さん。

 あたしは一緒に寝っ転がったまま、小夜ちゃんを羽交い絞めにして笑顔を作った。

「どっ、どうも初めまして。小夜ちゃんの同級生のっ、こら、じっとしてなさいっ、宝満日向っ、ですっ」

「ええっ? あなたが、日向さんっ?」

「はいっ! えっ? あたしのこと知ってるんですか?」

「もちろん知ってるわ。小夜のこの世でたったひとりの親友なんでしょ?」

「え? ええっ? ええええーーーーっ?」

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