第三章
[3-1] なんだったのかなぁ?お話って。
「ジャガイモっ、ちょっとあんた、アタシに野球のルールを教えなさいよっ!」
「はぁ? 前にも言わなかったか? 俺はそんなにデコボコしてねぇ」
ゴールデンウィーク中は、ずっと翔太と翔太のお父さんが手伝いに来てくれた。
隣町の直売イベントが開催されていた間は、日中はお母さんの代わりにイベントへ行ってくれて、それが終わったあと、またわざわざ我が家へ来てくれて。
実は……、三条くんもずっと来てくれた。
三条くん、あの日だけかと思っていたら、あれから毎日来てくれて。
翔太たちが居るから大丈夫だよって何度も言ったんだけど、最後は「うるさいっ!」って怒鳴られた。
ううう、ちょっと笑ってくれるようになったから気を抜いていた。やっぱり怖いよぅ。
でもそのうち、手伝いに来てくれるのが当たり前になってしまって、夕ご飯を食べて帰るのも普通になっちゃって……。
弟たちは三条くんが来てくれると、とっても嬉しいみたい。
晃は宿題をみてもらって、陽介はピアノを教えてもらって、光輝は絵本を読んでもらってと、もうほんと、なんてお礼を言ったらいいか分からないくらい。
でも、どうしてそこまでしてくれるのかは謎。
育ちのいい三条くんからしたら、こんな汚れる農園の仕事なんて、まったく面白くないと思うんだけど。
でも、とにかく助かった。
そして、連休明けの今日は、もうヘトヘト。
一日中、眠くて眠くてしょうがなかったんだけど、もしかしたら先生たちは、あたしが気絶しそうに白目丸出しだったのをずっと見逃してくれていたのかも。
やっと放課後。
その眠気をぶっ飛ばすように、教室の前のほうでいつものアニメ声がグイグイと翔太に絡んでる。
小夜ちゃん、ほんと声が大きいよね。
「アタシ、キャッチャーの後ろでイケたポーズする、あの役をやってみたいのよっ!」
「なんだそれ?」
たぶんね、それ、審判のこと言ってると思う。
そして、それがなんの役目をしている人なのか、たぶんまったく分かってないんじゃないかな。
「病院の待合室のテレビで見たのよっ! あれがやりたいのっ!」
小夜ちゃんは、いつもこんな感じで話が噛み合わないし、ドン引きするほど面倒くさいので、クラスのみんなはあまり相手をしない。
でも、意外にも翔太は毎回毎回、嫌々ながらもちゃんと相手をしてあげている。
けっこういいコンビなんじゃないかな。
でも、野菜の名前で呼ばれるのはやっぱりいただけない様子。
「おい、イチゴ」
あら、そういえば彼があたしを呼ぶときも野菜の名前でしたね。もう慣れましたけども。
廊下から響いた、あたしを呼ぶ澄んだ声。
振り向くと、彼が小さく手を挙げていた。
「もう帰るか?」
「あ、三条くん」
うーん、あんまり小夜ちゃんの前で声を掛けないでって言ったのに。
「病院、寄るのか」
「えーっと」
ハッとして横目で教室の前のほうを見た。
やはり。
「ちょーっとぉ、ジャム子っ! なに、聖弥くんと馴れ馴れしく話してるのよぉ!」
次の瞬間、ババーンと激しい音がして翔太がひっくり返った。
「うわっ!」
おお、でたっ! 小夜タックルっ!
転げる翔太を飛び越して、ササッとあたしと廊下の三条くんの間に駆け入る小夜ちゃん。
両手を広げてあたしをギョロリと睨みつける。
うわぁ、見得を切る歌舞伎役者さんみたい。
次の瞬間、彼女はパッと笑顔になって彼のほうを向いた。
「聖弥くぅん、一緒に帰ろうっ?」
「お前は合唱部だろ。俺は用事があるんだよ」
「アタシ、今日は病院なの。一度帰ってから行くのよ? ね、一緒に帰ろうっ?」
「そうだ、小夜。いいものがあるぞ?」
あ、もしかして、いつも持ち歩いているという、『小夜除け』?
三条くんが、財布の中からなにやらチケットのようなものを取り出した。
「えええ? これ、駅前のSAKURAカフェの無料券じゃないっ! しかもっ、期間限定ストロベリースムージー! アタシっ、これ気になってたのっ! 聖弥くんっ、ありがとぉぉぉっ!」
ニヤリと笑う三条くん。
チケットをもらってバンザイする小夜ちゃん。
その、SAKURAカフェで使ってるイチゴ……、たぶんうちのです。
「ジャガイモっ、野球の話はまたあしたっ、悪いわねっ」
「え? いや、俺から頼んだわけじゃねぇし」
そう言って翔太が後頭部をさすりながらヨロヨロと立ち上がったとき、もう小夜ちゃんはバッグをひったくって教室を駆け出て行ってしまっていた。
ほんと、忙しい子。
茫然としている翔太に、廊下から三条くんが声を掛ける。
「吉松、お前、今日から練習に戻るだろ?」
「え? う、うん。農園のほう、あんたに頼んどくわ」
あれから、翔太はなんかぎこちない。
ゴールデンウィークの作業中も、ずっとこんな感じだった。
三条くんがほんとはひとつ年上で、ひと学年先輩だって知ってしまったから、ちょっと戸惑っているみたい。
あたしもあのあと少し戸惑って、「それじゃ、三条さんって呼ばなきゃ」って言ったら、「そしたら俺は日向って呼び捨てにするぞ?」って返された。
いや、『イチゴ』って呼ばれるより『日向』って呼ばれたほうが気分的にはいいんだけど、そしたらその、あまりにも、なんか、彼氏さんに呼ばれてるみたいで……。
あ、翔太にも『日向』って呼ばれてるけど、翔太は身内みたいなもんだから。
まぁ、三条くんから『日向』って呼ばれるのもちょっとアリかなぁなんて思ったけど、それを小夜ちゃんが聞いたら発狂しそうだから、結局、これからも『イチゴ』のままでお願いしますってなった。
あぁーでも、もし三条くんから『日向』って呼ばれたら、あたしはどう呼んだらいいのかなぁ。
やっぱり、『聖弥さん』?
それとも、『聖弥くん』?
それともそれとも……、『聖弥』なんて、呼び捨てにしてみたりとか。
うわ、そんなことしたら、それこそ小夜ちゃんが気絶しちゃうかも。
いやぁ、それに、そんなのそうとう恥ずかしすぎるでしょ! むりむり! あはは。
おおお? あははじゃないっ! なにを考えているんだっ、あたしはっ!
「おい、なにぼーっとしてんだ。病院行くぞ? イチゴ」
「う、うんっ。え? 三条くんも病院来てくれるのっ?」
「お母さんっ、具合はどうっ?」
軽くノックしたあと、お母さんの返事が明るい声であることを確かめて、それから元気よく病室のドアを開けた。
学校からそう遠くない、お母さんが入院している病院。
「日向、ありがと。あ、三条さんも、ありがとね」
「いえ」
お母さん、やっぱり顔色が良くない。
連休明けに検査だって言ってたから、もうそろそろだと思うけど。
「お母さん、下の売店に田中さんとこのサクランボ売ってたよ? 買ってこようかと思うけど、食べられる?」
「うん? そうね。明日からいくつか検査を受けないといけないから、夜9時以降はお水も食べ物もだめって言われたけど、時間的にまだ大丈夫ね。食べようかな」
「よかった。じゃ、買ってくる。三条くん、ちょっとここで待ってて?」
さっき売店で見つけた、二丁目の田中さんが作ってるサクランボ。
とってもキレイで美味しそうだったんでお母さんに買ってあげようと思ったら、三条くんから「検査前は食べられないこともあるから、ちゃんと確認してからのほうがいい」って言われた。
そういうとこ、やっぱお兄さんって感じ。
三条くんはたぶん、あたしなんかよりずっと大人なんだろうと思う。
きっと、小さいときに芸能関係のお仕事してたとき、大人に混じってずっと気を遣ってただろうから。
「おい、ちょっと待て」
病室を出ようとしたところで、三条くんから呼び止められた。
あ、ちょっと怖い顔。
「な、なに?」
「俺が買ってくる。お前はお母さんと話をしてろ」
「え? でもっ」
「限られた面会時間だ。少しでも一緒に居て話せ」
「えーっと」
それはそうだけど、三条くんはお客さまだし、お遣いに行ってもらうなんてできないよぅ。
思わず固まる。
すると、三条くんがあたしの肩にそっと手を置いて、ベッドのほうへ押しながらドアの取っ手に手を掛けた。
「ほら、ちょっとそこどけ」
あのう、なにをそんなに怒っていらっしゃるのでしょうか。
「三条さん? いいの。日向に行かせて」
お母さんの声。
ハッと声のほうへ目をやると、肩を震わせながらお母さんがゆっくりとベッドから体を起こそうとしていた。
思わず駆け寄る。
「お母さんっ!」
「日向……? 売店に行くなら、三条さんに飲み物を買ってきてくれない? お金はそこのお財布持って行って。サクランボのぶんもそれから出してね」
「ちょっと、お母さんっ、起きちゃだめっ」
背中に手を回して支えると、お母さんが大きく息を吐いた。
辛そうな顔。
すごく頭が痛いらしい。
早くなにが悪いか調べて、お薬をもらえればいいのに。
床頭台へ手を伸ばしたお母さんを見て、三条くんもあたしの横に来て手を差し出した。
「いや、俺はなにも要りません。俺が居るせいで気を遣わせるんなら、日向だけ残して俺は先に農園へ行ってます」
なに? ひ、ひなたって。
「あ、大丈夫よ? ごめんなさいね? そんなんじゃないの。そうね、それじゃあ、私があなたに少しお話があるってことじゃだめかしら」
お話?
なんだろう、お話って。
いや、たぶんこれはとりあえず言ってるだけだ。
そうでも言わないと、三条くんがサクランボを買いに行っちゃうもん。
横を見上げると、三条くんもとっても真剣な顔をしてお母さんを見つめていた。
すると、その瞳がすっとあたしに落ちる。
「そう言われると仕方ありませんが……。日向、いいか?」
えっ?
えーっと、その、ひなたって……。
なぜか、背中が固まる。
「えっと、あの……、うん。じゃぁ、あたしちょっと行ってくる」
どどど、どうしたんだ! あたしっ。
ゆっくりとお母さんから手を放すと、あたしはギギギと音がしそうな体を回して、ゆっくりとベッドを離れた。
お母さんの声がする。
「日向、ごめんね?」
ドアの前。
立ち止まって、もう一度、お母さんのほうを振り返る。
半身を起こしてベッドに座っているお母さん。
その横に立って、こちらを向いている三条くん。
ふたりに、さらにギギギと音がしそうな笑顔で言う。
「ええっと……、うん。ちょっとお話してて。お母さんをお願い。聖弥くん」
「ああ」
トンと閉じたドア。
その音に繋がって、耳の奥でトクトクと音が聞こえた。
あたしも『聖弥くん』なんて言っちゃった。
そうよね。
お母さんの前で『イチゴ』なんてあだ名で呼べないもん。
そういうとこ、やっぱ大人だよね。彼って。
それにしても、あたしが『聖弥くん』って返す必要なくない?
なにをやってんだろ、あたし。
ここは、この辺りでは一番大きな総合病院。
通路は壁も天井も、とっても品の良い薄緑色。
その柔らかな薄緑で気持ちを落ち着けながら、お母さんの病室がある二階からゆっくりと階段を下りた。
明るいエントランス。
売店は総合案内所の横を奥へ進んだ先。
車椅子でも楽に通れる堅さの清潔感のあるタイルカーペットが、ずっと奥まで続いている。
売店は、あの耳鼻咽喉科の向こうだ。
そしてちょうど、その耳鼻咽喉科の待合室の前まで来たとき……。
「なにが『様子を見ましょう』よっ! 分からないなら分からないって正直に言えばいいのよっ! このヤブ医者ぁぁ!」
「ちょっと、いい加減にしてくださいっ! 警察呼びますよっ?」
突然聞こえた、覚えのあるアニメ声の絶叫。
うわ、これはまさかっ!
ガタガタッと激しい音がして、耳鼻咽喉科の受付横の扉が乱暴に開いた。
見ると、わーわー大声をあげている長い黒髪の女の子が、看護師さんに片腕を押さえられて診察室から引きずり出されている。
げっ! 小夜ちゃんっ?
「離せーっ! アタシのパパがこの病院にどんだけ紹介状書いてやってると思ってんのよーっ! お前みたいなヤブ医者は、ここで働けないようにしてやるからなーっ!」
うわー、関わりたくないっ!
でもっ、看護師さんがすごく困ってるっ。
あたしは思わず駆け出して、小夜ちゃんのもう片方の腕を押さえた。
「ちょっとっ、小夜ちゃんっ! なにやってるのっ? 看護師さん、困ってるじゃないっ!」
「はぁぁ? ジャム子っ、こんなとこでなにしてんのよっ! こらっ、離せーーーっ!」
「とっ、とにかくちょっと落ち着いてっ!」
うわ、すごい力っ!
もうっ! こうなったらっ!
あたしは小夜ちゃんの腕をむんずと掴みなおすと、それから思いきり体重を掛けてソファーのほうへ体を倒した。
「げげっ?」
すごい顔の小夜ちゃん。
次の瞬間、看護師さんと小夜ちゃんが、ふたり一緒にドスンとソファーに倒れ落ちた。
「痛っ! なにすんのよっ!」
「小夜ちゃんっ、落ち着いてっ? なにがあったのっ?」
「あああっ、あんたには関係ないっ!」
逃げようとする看護師さん。
両肩を押さえたあたしを突き飛ばして、小夜ちゃんが立ち上がりかけていた看護師さんにガバッと腕を伸ばす。
こらっ、大人しくしなさいっ!
あたしはすぐに看護師さんの背中をトンと押して、それから小夜ちゃんの上に馬乗りになった。
「ちょっとっ、んぐぐっ、落ぢ着ぎなざいっ」
そう言ってあたしがさらに腕に力を込めたとき、背後から聞こえたのはドカドカという病院に似合わない乱暴な足音。
「こらっ、キミっ、なにしてるんだっ!」
ちらりと振り返る。
あ、お巡りさん。
お金を落としたとき交番で会った、あのお巡りさんたちだっ!
よかったっ。もうあたしひとりでは限界っ!
「大人しくしろっ!」
え?
わわわ、なにっ?
いきなりドンと背中に衝撃があって、お巡りさんの手があたしの腕に回る。
いやいやいや、あたしは止めてたんだって!
小夜ちゃんからひっぺがされたあたし。
そのままドサリとカーペットに転がって、思いきりお尻を打った。
痛ぁぁぁい!
その瞬間、ソファーの上にバッと仁王立ちした小夜ちゃんが、腰に手を当ててあたしを睨みつけた。
「ジャム子っ! 今度ばかりは親友でも許さないわっ! 警察官、その女を逮捕しなさいっ!」
は? 親友?
逮捕って……?
ええっ? えええっ? ええええーーーーっ?
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