[2-3] 召し上がれ♡ あたしの特製夕ご飯。

「――姉ちゃん、ちょっといいか」

 ゴゴゴと炎が背中で燃えている晃。

 さすがに、この三条くんのデリカシーのない冗談は、初対面の晃には通じない。

「晃……、あのね?」

 見ると、ググッと肩をいからせた晃が、これでもかとあたしを睨みつけていた。

 思わず三条くんにも目をやる。

 するとこちらは、ふんっという感じで、「行ってこい」とアゴをしゃくっている。

 なんなのよ。

 バッと回れ右した晃。

 あたしは、三条くんに「ごめん、ちょっと待ってて」と口だけ動かして、晃の背中を追った。

 土間の奥の台所。

 ちゃっちゃっとローファーを脱いで板張りへ上がると、土間からは見えない冷蔵庫の横で晃が待っていた。

 あたしより頭ひとつ高い晃が、スッとあたしの両肩に手を置く。

「姉ちゃん……、正直に聞かせてくれ」

「な……、なによ」

「姉ちゃんは、あんなのが好きなのか?」

「え? いや、そういうんじゃないもん。ほんとに違うの」

「いや、メシ食わすだけと言っても、姉ちゃんが男を家へ誘うなんてこと自体がありえねぇことだろ」

「あー」

 まぁね。

 いままでそういう話と無縁だったから、そりゃビックリするよね。

「でも、ほんとお詫びとお礼なの。すっごく迷惑掛けたから。ほんとはあたしもあんまり気が合う人じゃないんだけど、これはどうしても必要なことだから、ね? 分かって?」 

「へぇー、そうか。ふん。あいつが姉ちゃんにふさわしい男かどうか、ちゃんと俺が見極めてやるよ。おーい、陽介ぇー、光輝ぃー、出てこぉーい」

 いや、だから違うって。

 なんでそんなに不機嫌なの?

 お姉ちゃんは誰のものにもならないから安心して。

 お母さん、さっきの電話ではもう帰るって言ってたのに、まだ帰り着かないのかな。

 さて、三条くんをサッともてなして、あとはまたお母さんのお手伝いしなきゃ。

 まぁ、朝、お家を出る前に野菜は切っておいたし、唐揚げもタレに漬け込んでおいたから、もうあとは簡単。

 今夜はスーパーに出すジャムも作らないと。

 そういえば、最近はあの空瓶に入ったメッセージは届いてない。

 もう、あたしのジャムに飽きちゃったかな……。

 土間のほうで、晃が三条くんを呼ぶ声が聞こえた。

「兄さん、あがりなよ。俺は中一の晃、こいつは小三の陽介、こっちは年長の光輝」

「こんにちはぁ。うわー、せがたかーい」

「ねぇ、えほんよめる?」

「おう、お邪魔するぜ。俺は三条聖弥だ。よろしくな」

 どうも、男の子の関係って、よく分からない。

 いがみ合ってるように見えるのに、ほんとは心の中では信頼し合ってたりするし。

 女の子って一度関係がこじれると、もうなかなか戻らないもん。

 だから、嫌いでも苦手でもちょうどいい距離感で居られるように、女の子はいつも気を遣ってる。

 それからすると、小夜ちゃんは実に分かりやすい。

 めちゃくちゃだけど、それはたぶんまっすぐな気持ちをぶつけてるからで、あたしも嫌われてる感じはしないし……。

 ふつふつと煮えたお鍋にカレールーを溶かして、同時進行で唐揚げを揚げ始めると、ふと、制服の上に着けたエプロンがずいぶん汚れていることに気がついた。

 うわ、こんなに汚れてたっけ。

 あー、こりゃ三条くんには見せられないな。

 まぁ、もともとけっこうズボラな性格ではあるけど、清潔感がないようには思われたくない。

 彼はあんな感じだけどお部屋はかなり片付いてたし、たぶんけっこう几帳面な性格なんだと思う。

 お料理、いつもどおりに作っているけど、雑な女の子に見られないかな。

 そんなことを考えながら、揚がった唐揚げをテーブルに移動して鍋の火を止めると、突然、居間のほうからピアノの音が聞こえ始めた。

 縁側に置いてあるアップライトピアノ。

 あたしが保育園のとき、まだ元気だったお婆ちゃんがあたしのために買ってくれた。

 小学校四年生までは習ってたんだけどね。

 合唱を始めてからは、ずっとお休みしてるの。

 辞めたんじゃないよ? お休み中。

 だから、あのアップライトピアノはもう何年もフタを開けられないまま、ずっと縁側の端で寂しそうにしていた。

 久しぶりに音を聞いたな。三条くんが弾いてるのね。

 この曲は知ってる。

 最後の発表会で弾いた、『糸つむぎの歌』。

 くるくると糸巻きを回すような旋律がとっても楽しくて、何度も何度も弾いたっけ。

 三条くんが弾いているところ、また見てみたい。

 いや、ちょっとだけよ? ちょっとだけ。

 そうして、居間から聞こえるピアノの音が気になって目を向けていると、突然、晃が台所へ入って来た。

 うわっ、なによっ。

 思いきりバチンと目が合う。

「なんだよ、姉ちゃん。そんなに彼氏が気になるのか?」

「彼氏じゃないもん」

「姉ちゃん、まぁ、いけすかねぇが、あいつはそれなりにすげぇやつみたいだな」

「は?」

 腕組みをして、台所へ入って来た晃。眉の間にこれでもかとシワを寄せている。

 なんなのよ。

「姉ちゃん、知ってるんだろ? あいつ、駅前に支店のビルがある『三条建設』のひとり息子なんだってな。家は『ガオカ』のてっぺん、すげぇ豪邸だ」

「それがどうしたの? お父さんが社長さんっていうのは知ってるけど、あたしには関係ないもん」

「それに、頭もいい。あのわけの分からん方程式ってやつを、ものの数秒で解いちまう天才的頭脳」

「ふうん、そうなんだ。どうでもいいけど。さ、もうすぐできるからお皿とか運んで?」

「まぁ、母性が強い姉ちゃんだが、意外とああいう歳上の彼氏のほうがいいかもな」

「うん?」

 なにか変なことを言ったなと思ったけど、振り返ると、もう晃は食器を抱えて居間のほうへ行ってしまっていた。あたしもサッとエプロンを外して晃を追う。

「すごぉい! セイヤ兄ちゃん、ぼくにピアノおしえてっ!」

「ねぇねぇ、あにめのひいて。セイヤにいたん」

 居間に入ると、陽介と光輝がピアノに向かっている三条くんの両側に張り付いて騒いでいた。

「ねぇ、セイヤ兄ちゃんって、ピアノのせんせいになるの?」

「あにめのひいて」

「いやぁ、俺は先生とかは……、でも、なりたいものはあるぞ?」

「え? なになにっ?」

 え?

 三条くんが笑ってる。

 うわー、彼、あんな顔で笑うんだ。

 陽介と光輝の顔を覗き込んで、すごく優しい、素敵な笑顔。

 ふぅん。

 ん? んんっ?

 いやいやいや、彼はあの三条聖弥なんだから。

 あれは子供向けの営業スマイル! 

 元芸能人の笑顔に騙されてはいけません。

 あたしはすーっと大きく息を吸うと、それから居間へ顔を覗かせて弟ふたりに声を張り上げた。

「陽介っ、光輝っ、ほら、晃お兄ちゃんがお手伝いしてくれてるよっ? 偉いよね」

「あっ、ごめんなさいっ」

「あとであにめのひいてっ」

 うんうん。

 ふたりともいい子。

 なぜか、三条くんはきょとんとしてあたしの顔を見ている。

 なによ。

 ちっちゃくても、ちゃんとお姉ちゃんなんだから。

 元気いっぱいの陽介と光輝が唐揚げの大皿を運んで、まだ真面目な顔をしている晃がスプーンとお箸を並べてくれた。

 三条くんは、夕ご飯はいつもお母さんとふたりきりだったって言ってた。

 お父さんはいつも仕事で遅くて、一緒にご飯を食べたことがあまりないって。

「いただきまーす」

 メニューは、宝満農園特製の野菜カレー。それと、特売品だった鶏モモ肉のゴロゴロ唐揚げ。サラダも作った。

「みんな、いっぱいおかわりしてね」

 三条くんが、あたしが作ったカレーと唐揚げを食べてくれている。

 よく見ると、彼は少しお箸の持ち方が個性的。先っぽのほうがクロスしちゃって、挟んでつまむのが苦手みたい。ちょっと可愛い。

 味はどうだろう?

 実を言うと、お料理は小学生のときからやってるけど、味付けにはあまり自信がない。

 弟たちはみんな、なにを作っても絶対「美味しい」って言ってくれるから、正直な意見を聞かせてくれる人が居なくて。

 どうかな。

 三条くんの口に合う味かな。

 いやいやいや、なにを考えているんだ、あたしは。

 三条くんがすっとあたしのほうを見た。

 ちょっとびっくりしたような顔。

「旨い。お前、料理上手なんだな」

「そっ、そう? よかった」

 えっ? 美味しいっ? 

 やったぁ! 嬉しいっ! えへへっ!

 うわっ、えへへっじゃないっ。

 ついつい、無意識に喜んでしまった。

 ダメだ。口元が緩んでしまう。

 ググッと奥歯を噛んで土間のほうへ顔を向けると、すごい呆れ顔の晃と目が合った。

 慌てて反対を向くと、ニコニコ顔の陽介が、マンガみたいに口の周りにカレーをつけたまま、ちょっと身を乗り出して三条くんを覗き見上げた。

「ねぇ、セイヤ兄ちゃんのなりたいものってなに? ピアノのせんせいじゃないの?」

 どうも、さっきの話の続きみたい。

「ん? ピアノの先生にはならないな。うーん、ちょっと説明が難しい……。陽介、お前は大きくなったらなんになりたいんだ?」

「ぼく? ぼくは、おかあさんのおてつだいっ。いっしょにイチゴをつくるのっ」

 へぇ、という顔をした三条くん。

 すかさず光輝も参戦。

「こうきはぁ、おねえたんのおてつだいっ」

 うわ、光輝はあたしのお手伝いなのね。

 お姉ちゃん、嬉しいよぉ。

『子は親の道具じゃない』

 三条くんのあの言葉。

 どんな家庭なのか知らないけど、もしかしたら三条くんって、お父さんお母さんから道具のように扱われて、仕事の手伝いをさせられていたの?

 さらに、へぇという顔をした三条くんが、正面に座っている晃に瞳を向ける。

「お前はなんになりたい? お前の夢はなんだ」

「あ?」

 すごいしかめっ面の晃。

 うわ、まだケンカ腰なのね。

「俺は……」

 そういえば、晃の夢なんて聞いたことないな。

 小学校では野球をやっていた。

 お父さんとよくキャッチボールしてたっけ。

 中学でも続けるんだろうって思っていたのに、いまのところなんの部活にも入らないで、まっすぐ帰って来て農園の手伝いをしてくれている。

『俺は姉ちゃんと一緒に、宝満園芸部で活動するよ』

 入学式のあと、お母さんに野球頑張ってって言われたときに、晃はすぐそう返した。

 お母さん、晃の言葉を聞いてちょっとうるうるしてたな。

「俺は……、俺の夢は、この農園をもっと立派にして、お母さんを楽させることだ」

 えっ?

 ちょっと、思わずキュンってなっちゃったじゃない。

 中学一年の晃が、そんなこと考えてくれてたなんて……、ちょっと嬉しすぎる。

 ゆっくりと、三人を見回す三条くん。

 ほんのちょっと沈黙があって、それから三条くんがもう一度、晃へ顔を向けた。

「ふぅん……、お母さんのため、お姉ちゃんのため……、みんなずいぶん家族思いなんだな。お前ら、自分のための夢はないのか? 自分はこうなりたい、自分はこれをやり遂げたい……、とかいう夢は」

 まぁ、我が家の家族思いは、ちょっと特別だからね。

 特に、お父さんが居なくなってからは、その思いがすごく強くなったし……。

 はーっとため息をついた晃が、ジロリと三条くんを睨む。

「そういう兄さんはなんか夢があんのか? すげぇ夢なんだろうな」

「俺の夢か?」

 三条くんの夢って、なんだろう。

 コップの麦茶をひと口飲んで、三条くんがちょっとだけ難しい顔をした。

「お前らには少し難しいかもしれんが……、俺は小学校までキッズ歌手やっててテレビに出てたんだ。でもな? あるときそれが、実は自分の実力でやれてたんじゃないってことに気がついちまってな」

 実力じゃない?

 あんなに歌が上手なのに?

 みんなスプーンを止めて、三条くんを見ている。

「だから俺の夢は、自分の実力だけで、もう一度ステージに立つことだ。子ども騙しじゃない、本物の歌をみんなに聴かせて、俺の実力を認めさせることだ」

「ふぅん」

 あんまり興味がない様子の晃。

 その顔を見て、三条くんがちょっとだけニヤリとした。

「晃、実は最近、もうひとつ夢が増えてな」

 そう言って、パッとあたしへ瞳を向けた三条くん。

 え? なに?

「もうひとつの夢は、お前の姉ちゃんとユニットを組んで、一緒にデビューすることだ」

 うぐっ!

 唐揚げが喉にっ!

 晃が「ハァ?」みたいな顔をしている。

 いやいやいや、あたしはまったく望んでないからっ。

「姉ちゃん……、そういうことだったのか」

「うぐぐっ、ちっ、違うっ。あたしちゃんと断ったもんっ。あたしの夢は晃と同じっ!」

「しかし、姉ちゃん……、アイドルを目指すには身長もルックスも足りてねぇぜ……」

 しっ、失礼なっ。

 まぁ、でも確かに、背はちっちゃいし、ルックスもぜんぜんだし。

 あたしの顔が面白かったのか、陽介と光輝がおなかを押さえてゲラゲラ笑っている。

 もうっ、意味なんて分かってないくせに。

 すると、陽介の頭に手を置いた三条くんが、晃の顔を覗き見上げた。

「いや、実はそうでもないぞ? うちのクラスに、なん人かイチゴが可愛いって言ってるやつらがいる。俺の顔にバッグを投げつけたときも、吉松がクラスの男にイチゴを紹介してるときだったんだぜ?」

「え? 翔太兄ちゃんが姉ちゃんを男に紹介っ? それはひどい」

 どういう意味だ。

「あたしのこと可愛いなんていう男の子が居るわけないじゃない」

「いや、イチゴ。ほんとにけっこういるんだぞ? ただ、みんな眼鏡掛けてるけどな」

 チーン。

 とうとう、晃もゲラゲラ笑いだした。

「くははっ、聖弥さん、傑作だ」

「でもなぁ、晃。実は俺もそいつらに同感なんだよ。ちなみに俺はコンタクトだけどな」

 えっ?

「へぇー、聖弥さん、変わってるなぁ。よかったな、姉ちゃん。聖弥さんも姉ちゃんが可愛いってさ」

「もうっ、ふたりしてからかわないでよっ!」

 三条くんが笑っている。

 晃もおなかを押さえて笑っている。

 陽介と光輝も、意味なんて分かってないくせに、一緒になってゲラゲラ笑っている。

 久しぶり。

 夕ご飯のときにみんながこんなに笑ったの、ほんと、いつぶりだろう。

 ちょっと嬉しい。

 まぁ、今日、三条くんを誘ってよかったかな。

 弟たちの、こんなに楽しそうな顔を久々に見られたし。

「んんっ……。三条くん、おかわりは?」

「あはは。あ、すまない。頼む」

 ううう、なんだかめっちゃ恥ずかしい。

 冗談だって分かってるのに、可愛いなんて言われ慣れてないから。

 真っ赤になった顔を片手で押さえながら、三条くんのお皿を受け取る。

 そして、頬から離した手をテーブルに置いて立ち上がろうとした、そのとき。

 突然鳴った、スマホ。

 居間と台所の境、バッグを投げ置いたすぐそばに転がっているあたしのスマホが、けたたましい着信音を響かせた。

 お母さんかな。

 チラッと、壁の時計を見た。

 もう、帰ってきて一時間半以上経っている。

 とうにお母さんも帰って来てないとおかしい時間なのに。

「あ、電話。三条くん、おかわり、ちょっと待ってね」

 お皿を置いて膝立でひょこひょことスマホまで近づくと、画面には『翔太のお父さん』の表示。

 なんだろう。

 ちょっと嫌な予感。

 思わず三条くんを見た。

 彼がきょとんとする。

 あたしは、そっとスマホを取り上げると、すぐにアイコンを押した。

「はい。もしもし?」

『あ、日向ちゃんか? いま、家か?』

「うん。みんな居るよ? どうしたの?」

 みんなが一斉にあたしを見た。

『あのな、落ち着いて聞けよ? お母さんが病院へ運ばれた。突然、倒れたみたいでな。いまから日向ちゃんたちを迎えに――』

「えっ? あのっ、ええぇぇーーっ?」

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