[2-2] ごめんなさいっ! 失くしちゃったの、大事なもの。

「ご苦労さま。はい、これ領収書ね。間違いなくお母さんに渡してね」

「あああ、ありがとうございます」

 箱屋さんを出ると、三条くんが怖い顔をして外で待っていた。

 倉庫の壁に寄り掛かって、ものすごく不機嫌そう。

 結局、彼に甘えてしまった。

 早く家に帰って、とりあえずお年玉で三条くんにお金を返そう。

 でも、いったいどこで落としたんだろう。

「おい」

「はっ、はいっ!」

「とりあえず、これ飲め」

 え?

 三条くんが突然差し出したのは、ペットボトルの紅茶。

「あのう、でも」

「いいから飲め」

 ううう、怖いよぅ。

 思わず受け取る。

「いいか? 今朝からのこと、ちゃんと落ち着いて思い出せ。俺が立て替えた金なんて、返すのはいつでもいい」

 見上げると、彼がまたあの怖い目でジロリとあたしを見下ろしている。

 なんか、先生に叱られてるみたい。

 ペットボトルのキャップを開けて、目をつむってゴクリと紅茶を喉に流し込んだ。

 ふわりと広がる優しい香り。

 紅茶の香りには、心を落ち着ける効果があるんだって。

 もうひと口。

 ちょっとだけ、気持ちが楽になった。

 それからゆっくりとふたり並んで歩き出すと、しばらくして三条くんが顔も見ないであたしを呼んだ。

「おい、イチゴ」

 ああ、もうその呼び名に決定なのね。まぁ、『ジャム子』よりはましかな。

「しかし、なんでお前が支払いに行くことになったんだ? 家の手伝いって、そんなことまでやらされるのか」

「あの、やらされるっていうか……、えーっと、ゴールデンウイークに隣町で直売イベントが予定されてて、お母さん、その準備で今日一日ずっと忙しいから、あたしが代わりに……」

「それはおかしい。子は親の道具じゃない」

「えーっと」

 あたしは道具なんかじゃないもん。

 お母さんも、あたしを道具だなんて思ってないはず。

 あたしは、みんなのために一生懸命頑張ってくれているお母さんを、少しでも助けたいだけだもん。

「ふん。まぁ、とりあえず交番に行くぞ」

「え? いや、先にお家に帰って三条くんにお金返すから。三条くんはそのまま帰って? あとは自分で捜す」

「交番は通り道だ。もう誰かが拾ってくれているかもしれない。届けは早いほうがいい」

「えーっと」

 でも、これは三条くんの言うとおりだ。

 大人しく言うとおりにしよう。

 でももう、誰かイジワルな人が拾って、それでご飯を食べてるかもしれないよね。

 お母さんに、なんて言って謝ろう……。

 お年玉で払ったって言ったら、余計に怒られそう。

 もう……、そうとうヘコむ……。


「現金二万五〇〇〇円入りの封筒? どんな封筒かな? 中にキミのものと分かる書類かなにか入ってた?」

 初めて入った交番。

 うわぁ、お巡りさん、ちょっと怖い。

 パイプ椅子に座るように言われると、三条くんは「俺はいい」と言って、座ったあたしの横に立った。

 なにそれ、保護者みたい。

「最後にその封筒を見たのは、いつ?」

「最後に見たのは……、家を出るときで、朝、七時半くらいです」

 本当にあとはひとりでいいから先に帰ってって何度も言ったけど、三条くんは「はいはい」って言いながら、結局一緒に交番へ入って来た。

 お金はあとでアパートへ持って行くって何度か言ったんだけど、最後は「うるさいっ!」って怒鳴られて……。

「えーっと、あと、納品書が入ってました。宛名は『宝満農園』って書いてあって、イチゴを詰める紙箱の納品書で……」

「あー、キミ、あそこの娘さん? なんでそんな大金持ってたの?」

「あの、お母さんの代わりに箱屋さんへ支払いに行くために……」

「ふぅん」

 お巡りさんがなにか考えている。

 後ろのもうひとりのお巡りさんとなにか小声で相談して、それからパッと笑顔をあたしに向けてくれた。

「キミの封筒、届いてるよ。キミが話してくれた行動経路と時間、それと中の伝票からみて、キミの物に間違いないだろう」

「えっ? 本当ですかっ! よかったぁ!」

 思わず、横に立っている三条くんを見上げた。

 チラリとあたしに目をやった彼は、そのままなにも言わず立ったまま。

 あ……、ごめんなさい。

 ぜんぶあたしが悪いのです。

 お巡りさんが、ちょっと顔を低くしてあたしを覗き見上げる。

「ただ、キミが宝満日向さんだと証明するものが必要かな。学生証とか、パスポートとか。顔写真付きで、キミが宝満さんだって証明できる公的なもの」

「えっと、パスポートなんて持ってないし……、学生証も、まだもらってないんです」

「もう四月も終わろうかっていうのに、まだ学生証もらってないの?」

 今年から、学生証が交通系ICカードをベースにしたものに変わるらしくて、一年生のぶんはまだ作るのが間に合ってないんだって。

 学割定期券とか買う生徒には、個別に在学証明書を発行しているみたい。

「そうなんだ。そしたら、親御さんに来てもらってもいいよ?」

「え? でも、お母さんは無理です」

「お父さんは?」

「お父さんは……、その……、居ません」

 お巡りさんが、ちょっと怖い顔であたしを見た。

「なるほどね。キミ、これ本当に支払いのために持ってたの? 家のお金を勝手に持ってきたんじゃないだろうね」

 あたしがそんなことするわけないじゃないっ。

 でも、この状況からしたら、やっぱりそう思われても仕方ないよね。

 ぜんぶあたしのせい。

「えーっと」 

「それならもう、学校の先生に来てもらおうか。先生にキミの身元を証明してもらおう。そして、お金のこと、先生と親御さんと一緒によく話してね」

「え? いや、あの――」

 そう言ってお巡りさんが電話の受話器に手を掛けたとたん……。

「ちょっと待ってくれませんか」

 ハッとして見上げる。

 三条くん、ものすごく怖い顔。

「ん? なんだい? 彼氏さん」

 かかか、彼氏さんっ?

「これって、わざわざ学校に連絡してことさら荒立てることですかね。彼女はまだ学校へ連絡することに同意もしていませんが、それはプライバシーの侵害に当たりませんか?」

 三条くん、ちょっと怒ってる。

 でも、すごく冷静。

「俺が彼女の身元を証明します」

 三条くんはそう言うと、お尻のポケットから革のお財布を取り出して、そこからカードのようなものを出した。

 あれは、運転免許証だ。

 え?

 運転免許証?

 どうして、高校一年になったばかりの彼が免許を持っているの?

「三条くんか。しかし未成年のキミでは、彼女の身元保証人にはなれない」

 お巡りさんは、三条くんの免許証を見ながらなにかメモをとっている。

 なにがどうなっているのか、意味が分からない。

「それなら、俺の父親ならいいですか?」

「キミのお父さんは彼女のことを知っているの?」

「知っています。なんなら父をここへ呼びます」

 えええ?

 なんで三条くんのお父さんがあたしのこと知ってるのっ?

「俺の父は三条建設のさんじょうきんです。こちらの警察署連絡協議会の委員で、会社を挙げて警察に協力させて頂いているので、ご存じと思いますが」

「あー、あの三条建設の社長さんか」

 お巡りさんがちょっと考えている。

 社長さん?

 三条くんのお父さん、社長さんなんだ。

「彼女の母親は、支払いを娘にさせるほどの多忙さです。彼女は母親に心配を掛けたくないんです。学校に対しても同様です」

 うわー、確かに心配を掛けたくないのはそうだけど……、それを三条くんに言わせてしまうなんて。

 お巡りさんが、運転免許証を三条くんに返しながら、ちょっと笑顔を見せた。

「そういうことか。それなら、キミのお父さんと電話で話をさせてもらえるかい? わざわざ来てもらわなくてもいいから」

「はい。よろしくお願いします」

 三条くんがスマホを取り出す。

 画面をタップしながら、チラリとあたしを見た彼。

 数回のコールのあと、すごく渋いバリトンの声がスピーカーから漏れた。

『珍しいな。お前から電話してくるなんて』

「父さん、ちょっと頼みが――」

 かくかくしかじかと、「友だちが困っている」とか言って三条くんが事情を説明している間、お巡りさんはじっとあたしの顔を見ていた。

 まだ疑ってるのかな。

「そういうことだから、ちょっと身元保証してくれよ」

『お前、その子って、もしかして』

「ああ、例のイチゴの子だ」

『がははは! お前の顔にバッグ投げつけた子だな』

 えええ?

 三条くん、親には話さないって言ってたのに、お父さん知ってるじゃないっ。

 それから、三条くんはその通話をお巡りさんと代わった。

 ほんの数分。

「それでは、書類には社長さんの名前を書かせてもらいますから、よろしくお願いします」

 そう言って通話を終えると、お巡りさんは納得した様子で三条くんにスマホを返して、それからパッとあたしにニコニコ顔を向けた。

「じゃ、キミの身元は彼氏さんのお父さんが証明してくれたから、このお金、このまま持って帰っていいよ。受領書にサインして」

 もう、涙が出そう。

 もう一度、三条くんを見上げた。

 あ、まだ怖い顔してる。 

「お前、拾ってくれたやつに礼しないといけないだろ」

 あああ、そうだった。

 もう、あたし完全にダメ子になってるな。

「あの、お巡りさん、拾ってくれた人って――」

「お礼がしたいの? でもね、拾ってくれた人が、『名前も連絡先も教えなくていい』って手続きを希望したから、僕らは教えてあげられないんだ。ごめんね」

 そうなんだ。

 つい、また三条くんを見上げた。

「いちいち俺の顔を見るな」

「ごっ、ごめんなさい」

 それを見て、ちょっと苦笑いしたお巡りさん。

「おいおい、ケンカしないで。まぁ、いつかキミが拾う側になったときに、この拾ってくれた人と同じ優しい気持ちで届け出をしてくれれば、それがその人への恩返しになるからね」

「はいっ!」

 思わず立ち上がる。

 あたしは封筒を胸に抱き寄せて、それから深々と頭を下げた。

 交番を出て見上げると、もう空はキレイな朱色。

「あああ、あの、これ」

 あたしは封筒から納品書を引き抜いて、お金を封筒ごと三条くんに差し出した。

「立て替えてくれてありがとっ。それとっ、お父さんにもお礼を言っといてっ」

「え? ああ」

 三条くんは、ちょっと複雑な表情。

 もしかして、あんまりお父さんと話したくなかったのかも。

「あああ、あのっ、バッグ投げつけてしまったこと、なんでお父さん知ってたの? 三条くん、親には話すなって……」

「あ?」

 やばいっ。

 余計なことを口走ってしまった!

 うわぁ、怖いよぅ。

「ふん。あの日、保健室を出たあとすぐ、親父に電話したんだ。母親に知れる前に、俺から聞いたからもう連絡は要らないと学校に言ってくれって」

 あー……、そういうこと。

 仲がいいってわけじゃなさそうだけど、一応、お父さんは三条くんの味方ってことなんだね。

 でも、そんなにお母さんに知られたくないなんて、三条くんのお母さんっていったいどんな人なんだろう。

「あ、えっと、そうなんだ。それで、お父さんがあたしのこと知ってたのね。と、とにかく、今日はホントにありがと」

「まぁ、小夜の代わりに掃除することになった埋め合わせだ。それと、こんな大金、学校に持って来るんじゃない」

 いやいやいや、それよりもっと大きい額のお金をあなたは持って来ているじゃあーりませんか。そっくりそのままお返しします。

「う、うん。今後は気をつけるね。でも、どうして三条くんはそんなお金を持ってたの?」

「あ? これは独り暮らしの生活費だ。メシ代とか、そのほかもろもろ」

「生活費? そういえば、なんであのアパートで独り暮らししてるの? お家は近いんでしょ?」

「親父の勧めでな。まぁ、実のところ体よく追い出されたって感じだ。俺が居ないほうが、母親が穏やかに暮らせるんでな」

 追い出された?

 お父さんとは普通に話してたみたいだけど、お母さんと仲が悪いのかな……。

 ちょっと、返す言葉がない。

「えっと、その……、そんな大事な生活費で立替えなんてさせちゃって……、ごめんなさい」

「え? お前、なんでもかんでも謝るんだな。気にするな」

 なんか、複雑。

 軽薄なのか優しいのか、ほんとよく読めない人。

「あああ、あの、ごっ、ご飯はどうしてるの?」

「メシか? 外食はあんまりしないな。買って来たものを食うことが多い。一番食うのは食パンだな」

「そ、そうなんだ」

 ううう、ムズムズする。

 これはいかん。あたしのお姉ちゃんモードが……。

 待て待て待て。

 この人は、あの『パンツ見せろ』の三条聖弥だ。

 血迷ってはだめ。

 でもでもでも、あたしのためにあんなに一生懸命に……。

「えっと、それならまだ今日の夕ご飯決めてないでしょ? 今日のお礼もしたいし、前のお詫びもしてないし、よかったらうちに夕ご飯食べに来ない?」

「は?」

 うわぁぁ!

 なにを言っているんだ、あたしはっ!

「今日はカレーと唐揚げなの。朝、下ごしらえして来たから、あとはちょいちょいっと仕上げるだけ」

 いやいやいや、あたし、どうかしてるっ!

「お前がメシ作ってんのか。まぁ、それはありがたいが、そんなのお前の母親が賛同しないだろ。俺んちなら大変なことになるぞ?」

「大丈夫。お母さんにはいまから電話するから。たぶん歓迎してくれるよ?」

 ちょっと待てっ。

 お母さんには「そんなに親しくない」としか言ってないし、まだバッグを投げつけたことも話してないのにっ!

「そうか? お前の母親がほんとにいいのなら、邪魔させてもらうかな」

「うんっ。電話してみるねっ!」

 いいい、いったいなにをやってるんだぁっ、あたしっ!


「ただいまー」

「おー、ずいぶん土間が広いな。いかにも古民家って感じだ」

「あ、姉ちゃんおかえ……、え?」

 玄関から入ってすぐの土間で、イチゴの箱の組み立てをしてくれていた弟一号機の晃。

 あたしの後ろに続いて入って来た三条くんを見て、完全に固まっている。

 なによ。その目は。

「男だ……。姉ちゃんが……、男を連れて来た」

「えーっと、そういうんじゃなくて」

 いまからイベントの準備を終えて帰るというお母さんは、電話口でこの暴挙に即賛成だった。

『いつか話してた元芸能人? お母さんもいまから帰るから、先に食べてていいよ』

 我ながら、どうしてあんなことを言ったのかと、ちょっと理解に苦しむ。

 まぁ、どうせお母さんに今日彼に助けてもらったことを話さないといけないし、バッグを投げつけたお詫びも、思いきりビンタしたお詫びもしてないし……。

 これは、小夜ちゃんには秘密にしておかないと、いよいよ大変なことに……。

「あのね? この人、お姉ちゃんが何度かすごく迷惑を掛けちゃった人なのよ。今日もとってもお世話になって……。で、ちょっと夕ご飯ご馳走しようと思って誘ったの。お母さんにはさっき電話はしたから」

「イケメンだ……。しかも……、すごいイケメン」

 晃、ちゃんと聞いてよ。

 そりゃ、いままで男の子って言えば、翔太くらいしかあたしの周りには居なかったからビックリするのも分かるけど、あたしだってもう高校一年生。

 男友達のひとりやふたり……、いえ、ウソです。

 見栄張りました。ごめんなさい。

 立ち尽くす晃。

 その手からポロリと落ちた、組み立てたばかりのイチゴの箱。

 うわぁ、そんなマンガみたいな驚き方する?

「晃、あのね? この人は――」

 あたしがまた口を開いた瞬間、突然、晃はハッとして三条くんの前までダッシュ!

 おっ? と一瞬ひるむ三条くん。

 ズバッとキヲツケした晃が、一年に一度見せるかどうかのキリリとした真面目顔になった。

 三条くんより晃のほうが頭ひとつ低い。

 唖然として見ていると、晃がグギギと三条くんを見上げて思いきり胸を張る。

「姉ちゃん、このイケメンは誰だ? ちゃんと紹介してくれ」

 うわぁ、なにそれ。

 なんか対抗心むき出しって感じ。

 そんなにお姉ちゃんのこと好きだったの?

「えーっと、三条くんは、お姉ちゃんの同級生で、そこの山家さんのお隣の部屋に住んでて――」

 そう紹介を始めると、ググッと顔を下げた三条くんが晃を睨みつけた。

 晃がグッと肩を上げる。

「お前、イチゴの一番上の弟だな。たまに庭でよしまつ翔太とキャッチボールしてる」

「ああ? なんでそんなこと知ってんだ。それに、イチゴって……、それ、姉ちゃんのことか?」

「あと、いつも庭でベートーベンを追い回してる中くらいのと、縁側で絵本ばっかり見てるちっちゃいのが居るだろ」

「あぁ? ベートーベンのことまで知ってんのか。あんた、マニアかぁ?」

 うわ、三条くんの部屋からそんなとこまで見えるんだ。

 そしたら、あたしが縁側から足を踏み外してコケたり、物干しに頭をぶつけたりしているのも見られてたの?

 あああ……、それじゃ、干している洗濯物もっ……。

 あたしがハッとすると、三条くんがあたしをジロリと見下ろした。

「まぁ、なんとでも言え。洗濯物もよく見えるぞ。まだ姉ちゃんのイチゴ柄パンツにはお目にかかれてないけどな」

「なっ、なっ、なんだこの野郎はぁぁーーーっ!」

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