[1-2] コケコッコー? 隣に居たのはパジャマの……彼!?

「……とまぁ、そんな感じでバタバタで。お母さん、三条聖弥くんって知ってる? なんか、歌が上手な子供で、テレビに出てたんだって。あたしと同じ歳」

「三条聖弥? うーん、顔見たら分かるかも……」

 お母さんの言葉が少ない。

 キッチンであたしと並んでいるお母さんは、先に鍋に入れた火の通りにくい野菜を炒めながら、なんとなく力のない笑顔を返した。

 たぶん、かなり辛いんだと思う。

 お父さんが居ない、イチゴの最盛期。

 朝早く起きて、箱詰めしたイチゴを市場へいっぱい運んで、日中はパン屋さんやケーキ屋さんへの納品……、そしてまた、気の遠くなるような収穫作業と、夜遅くまでの箱詰め。

 翔太のお父さんがいろいろと手伝ってくれているけど、けっこう人気のある街の電気屋さんだから、お爺ちゃんお婆ちゃんのエアコンの点検なんかで忙しくて、いつもいつもお手伝いしてくれるわけじゃない。

「なに? 日向。お母さんの顔になにかついてる?」 

「う、ううん。なんでもない」

 あ、お母さんの顔見ながら固まってた。

 今日の夕ご飯は、宝満農園特製肉じゃが。

 我が家の食卓にのぼる野菜は、ほとんどが我が家の畑で採れたもの。

 もちろん、この大きなジャガイモもそう。

 なので、メニューはぜんぶ、『宝満農園特製』ってネーミングになるの。

 実はあたし、ピーラーがちょっと苦手。

 なんだか、実の部分までたくさん削っちゃう感じがして、なんかもったいなくて。

 だから、ジャガイモの皮むきはいつも包丁でやっちゃう。 

 あたしが、皮をむき終わったつやつやのジャガイモをボウルの水に沈めると、それを順番にお母さんが拾い上げていく。

「ほんと、包丁が上手になったわね」

「そう? お母さんにそう言われると、嬉しいな」

 結局あのあと、三条くんは声を掛けて来た女の子たちとどこかへ行ってしまった。

 置いてきぼりになった小夜ちゃんは、それはそれはもう超不機嫌。

 そして、その不機嫌エネルギーはあたしのほうへ向かってきて。

『なんで聖弥くんがジャム子のこと知ってたのよっ! 白状しなさいっ!』

 その気迫に負けてついにあたしは、昨日の放課後、三条くんの顔にバッグを投げつけたことを話してしまった。ビンタしたことはナイショ。

 そしたらもう、手がつけられないくらい怒りまくっちゃって。

『なんですってぇ? 彼の顔はそこのジャガイモなんかとは比べ物にならないくらい大事なのよっ?  ジャム子のせいで彼がカムバックできなかったらどう責任をとってくれるのよぉぉ!』

 翔太が小さく『俺と比べるな』って言ってたのがおかしかったけど、笑うに笑えず、それからアニメ声でバババババーッと彼の事を解説する小夜ちゃんの話に延々と付き合った。

 彼のことなんか、まったく興味ないのに。

 なにやら、彼は歌がとても上手で、小学生のとき『UTA☆キッズ』っていうテレビ番組にレギュラー出演していたらしい。

 CDも出してて、けっこう有名だったんだって。

 あたしはぜんぜん知らないけど。

 でも、中学生になってしばらくして、なぜか突然ぜんぶの芸能活動を辞めて、いまは普通の人。

 お家は小夜ちゃんちのすぐ近くで、『ガオカ』の頂上付近らしいけど、小学校も中学校も遠い私立に通ってたから、地元の学校のあたしたちとはぜんぜん顔を合わせる機会がなかったみたい。

 ああ……、結局、まだお母さんに彼の顔にバッグを投げつけてしまったこと話してない。

 言おう、言おうって、ずっと思ってるのに。

「お母さん、弱火にしたらあとはちょっとゆっくりしてて。あたし、洗濯物取り込んでくる」

「あー、ごめんね。ありがと」

 縁側の引き戸を開けて、庭に出た。

 見上げると、優しい光のお月さま。その光を受けて、庭の砂がキラキラしている。

 とってもキレイ。

 このドッジボールができるくらいの砂地の庭が、あたしが産まれる前からの我が家の中心。

 この庭を、母屋、納屋、鶏小屋、温室が取り囲んで、さらにその周りをちょっと背が高い雑木林がぐるりと巡っている。

 東側だけは、雑木林の代わりにお隣さんの石垣が我が家を見下ろしているけどね。

 庭の西の端にある納屋の後ろは、畑と野菜のビニールハウス。

 イチゴだけじゃなくて、季節ものの野菜もたくさん作っているの。

 そして、母屋の裏は、北側の丘に向かってだんだん高くなっていて、このなだらかな丘に我が家自慢のイチゴたちのビニールハウスがずっと奥まで海の波のように並んでいる。

 途中で急に坂がきつくなって、奥の方で一段上がっているから、なんだか日本画の波みたいに見えるのがちょっと面白い。

 ぜんぶ合わせるとどれくらいの広さだろう。

 たぶん、野球ができるくらいの広さかな。

 ただ、母屋もハウスもぜんぶ雑木林に囲まれているから、前の道を通る人にはここは単なる林に見えるみたい。

 だから我が家は、知る人ぞ知るミステリーハウスなの。

 物干しは温室の出入口の前。

 ちょうど、鶏小屋、温室、物干しが、L字に庭の端のとんがった部分で敵の侵入を防いでいる感じ。

 いや、なにが敵かは分からないけど。

 物干しの向こうの石垣は、あたしの背よりちょっと高い石垣。

 その上に建っているのは、我が家唯一のお隣さんである古い二階建てのアパート。

 このアパートがある東側だけは、雑木林も電線も無くて、とっても空が広い。

「うわ、物干しと温室の間に蜘蛛の巣が。昨日はなかったのに。たったひと晩でこんなに偉いね」

 物干しの前のベンチにカゴを置いて、乾いた洗濯物を取り込み始めると、今日もそのアパートの二階から聞き慣れた声が響いた。

「お? 日向ちゃん、今日もお手伝い、偉いねぇ」

「あ、やまいえさん、こんばんはー。いやー、それがあんまり偉くもなくてー」

 いやー、あたしなんかより、ひと晩であの立派な夢のマイホームを完成させた蜘蛛さんのほうがずっと偉い。

 この人は、お隣アパートの二階の部屋に住んでいる、自称デザイナーの山家さん。

 二階にふたつ並んだ左側の窓の縁に腰掛けて、たまにぼーっと夜空を眺めている。

 歳は……、そういえば山家さんがいくつか知らないな。

 たぶん、あたしより一〇コくらい上じゃないかな。

 ずいぶん前からこのアパートに住んでて、たまにこんな感じで話すんだけど、実はけっこう正体不明なの。

 黒縁のメガネ、チェック柄のシャツ、そして、トレードマークは茶色のベスト。

 なんのデザイナーをしているのか知らないけど、そのセンスは大丈夫なのかちょっと心配。

「ありゃ、どうした? 日向ちゃんらしくない」

「ううん。高校、入学したばかりだっていうのに、もういろいろやらかしちゃって」

「やらかした?」

「とある男子の顔にバッグを投げつけ、さらにビンタを……」

「そりゃ、すげぇ。どうせなら蹴りも食らわせりゃよかったのに」

 さすがにそれは。

 でも確かに、ビンタのあとに蹴りも出そうになったけど。

 山家さんが、ビールを持った手と一緒にクククと小さく肩を揺らす。

「そういや、イチゴはそろそろクライマックスを迎えるころじゃない?」

「うん。今月から来月にかけてが一番忙しいかなぁ。去年は山家さんが手伝ってくれたから、ほんと助かった。ありがとね」

「いやいや、突然のことだったし。大変だったね」

 お父さんが居なくなってしまって、もうすぐ一年。

 ちょうど、我が農園は一年で一番忙しい時期を迎えていて、お母さんは完全にパニックになっていた。

 旬のイチゴはどんどん出荷しなくちゃいけないし、夏に向けてほかの野菜たちの作付け準備もたくさんやらなきゃいけなかったし……。

 お父さんがやってたことを、突然、ぜんぶお母さんがひとりでやらなきゃいけなくなった。

 そんなとき、翔太のお父さんと、このお隣さんの山家さんがいっぱいお手伝いをしてくれて、宝満農園はなんとか危機を乗り越えられた。

「山家さん、今年はお手伝い、大丈夫だから。いまのところ、翔太と翔太のお父さんがお手伝いしてくれてるし、山家さんのお仕事の迷惑になったらいけないし」

「うん。実はいまちょっと大きな仕事を抱えててね。残念だけど、今年は手伝いは無理みたい。その代わり、消費者として加勢するから」

「あはは。ありがと」

 我が宝満農園の主な商品は、ケーキ屋さんやパン屋さんに買ってもらう加工用イチゴのほか、そのイチゴで作った特製ジャム。それから野菜類が少々。

 それと、雑木林の外、前の道から敷地に入る門のところに置いてある自動販売機では、新鮮な卵も売っている。

 山家さんは、ジャムも野菜も卵も、とにかく我が宝満農園の商品をいつもたくさん買ってくれる、一番のお得意さまだ。

「あ、そういえば、駅前のスーパーに出してるジャム、ちょっと減らした? すぐ売り切れちゃうんだけど」

「うん。ちょっと手が回らなくて並べてもらう数を減らしちゃった。あ、もしかして……」

 山家さんに聞こうかどうか迷ってたけど、ちょっと聞いてみようかな。

 去年の秋から何度か届けられた、宝満農園宛ての励ましのメッセージカードのこと。

 スーパーに出したジャムの空瓶に、『とっても美味しかったです。また楽しみにしています』って書かれたカードが入れられて、それが玄関の郵便受けに入っていて。

 とっても嬉しかった。

 でも、カードには差出人の名前はなくて、お礼を言いたいけど誰だか分からないままで。

「ねぇ、あの空瓶のメッセージカードって、山家さんでしょ?」

「メッセージカード?」

「ありがとね。とっても嬉しい」

「あはは。俺はそんなロマンチックなことしないよ。きっと、すごいファンが居るんだよ。日向ちゃんの」

 とぼけちゃって。

 でも、ちゃんとそのうち、お返しするからね。

「あたしのファン? あはは、ファンかぁ、嬉しいな。でも、あたしじゃなくて農園のファンね」

 三条くんほど熱烈なファンに囲まれているわけじゃないけど、ファンだなんて言われたらやっぱり嬉しい。えへへ。

「さて、そろそろ仕事に戻るかなぁ。取り込みの邪魔してごめん。お母さんに宜しく伝えといて。それと、あんまり無理しちゃだめだよ?」

「あはは。無理なんてしてないもん。お仕事頑張ってね」

 グビッと残りのビールを飲んだ山家さんは、いつものようにニコニコ顔で軽く手を上げて、それからピョンとお部屋の中に引っ込んだ。

 窓は開いたまま。

 いつも開いたままだから、たぶん朝のニワトリの鳴き声がかなりうるさいんじゃないかな。

「あ、今日も点いてる」

 山家さんが引っ込んだ、左側の窓。

 アパートの二階には、その右にもうひとつ窓がある。

 一階は納屋になっていて、お部屋があるのは二階だけ。

 確か、右の部屋はずっと前から空き部屋だったはず。

 なのに、最近、その右側の部屋にときどき灯りが点いていることに気がついた。

 窓のカーテンは空き部屋のときもずっと掛けられたままだったから、新しく誰かが引っ越してきたなんてまったく気がつかなかったな。

 それにしても、もしなにも知らずにあの部屋を借りたのなら、ちょっと申し訳ない。

 朝になると、それはそれは度肝を抜かれる……、あの声が高らかに響き渡るから。

「姉ちゃん、ご飯よそったぞー。まだー?」

「お姉ちゃぁん、ごはんたべよー」

「おねぇたん、ごはんー」

 うおー、可愛い弟たちよ。

 いただきますを待ってくれているのね。

 こんな可愛い弟たちも、ビニールハウスの中で汗だくになって一生懸命に手伝ってくれる。

 あたしも頑張らなきゃ。

「はぁい。お待たせぇ。よいしょっ」

「よし、俺が運んでやる」

「あー、兄ちゃん、ぼくもぉ」

「いっしょにはこぶぅ」

 重たいカゴを受け取って、奥へと持って行ってくれた弟たち。

 その背中を見ながら縁側にあがったとき、なぜか気になってもう一度アパートのほうを振り返った。

 右側の窓。

 カーテンのすき間から、ちょっとだけ見えるシーリングの白い光。

 さらに、そのずっと向こうに目をやると、そこは目が覚めるような満天の星空。

 とっても素敵。

 そしてなぜか、三条くんもこの同じ空を見ているのかなぁなんて、そんな考えが一瞬よぎって、なにを考えているんだあたしはと、ちょっと自分に呆れてしまった。

「さ、いただきますしようね」

 

 コッ、コッ、コケーッ、コッコッ……。

 あら、もう朝?

 なんか最近、朝になるのがすごく早い気がする。

 農家の朝は早い。

 お母さんはもうとっくに起きて、市場へイチゴを出しに行っているはず。

 ううう、まだ眠いけど、あたしはいまから朝ご飯の準備。

 昨日の肉じゃががまだ残ってたから、申し訳ないけど朝も食べてもらおう。

 横を見ると、小学三年のようすけと、保育園年長さんのこうのコンビが布団からはみ出して、畳の上で団子になっていた。

 ううう、カワユすぎる。

 ほんと、この姿は最高に可愛いんだけど、ふたりともなかなか起きてくれないの。

 もうひとり、中学一年生のあきらは、自分の部屋でスリープアローン。

 去年の春、「母や姉と一緒に寝るような男は男じゃないっ」って言って、自分の部屋でひとりで寝るようになったんだけど、台風のときはしれっとお母さんの隣に布団を敷いてたっけ。

 寝ぼけ頭でそんなことを思い出しながら、ぼーっと聞いていたニワトリの声。

 しばらくして、だんだん意識がハッキリしてくると、その様子がなんだかいつもとちょっと違うことに気がついた。

 ん? 朝鳴き……してないよね。

 いつもなら、新しいお隣さんの度肝を抜くすっごい声が鳴り響く時間なのに。

 あれ……?

 なんだろう、この砂を踏む音は……。

 縁側のサッシの向こう、カーテンに隠れて見えない庭のほうから聞こえる、数羽のニワトリたちがぞろぞろと歩き回って砂を踏む音。

 ハッとして飛び起きた。

 思わず縁側へ駆け寄って、ガバッとカーテンを開ける。

 えっ? 

 なんでみんな小屋から出てるのっ?

 ちゃんとカギを掛けたはずなのに、小屋の扉が開いていて、ニワトリがぜんぶ庭へ出てしまっている。

 まだ薄暗い空の下、うっすらと見える庭でウロウロと歩き回っているニワトリたちの姿。

 ちょっと、どうしたっていうのっ?

 思わず、縁側の引き戸を開けて、スウェット姿のままサンダルを引っ掛けた。

 駆け寄ってみると、小屋の中には一羽も居ない。 

 えっと、庭に居るのは……、に、し、ろっ、ぱ、と、じゅうに、じゅうよん……。

 うわ、一羽足りない。

 さらによく見ると、どうも居なくなっているのは、最年長のリーダー雄鶏、『ベートーベン』。

 彼は、温厚で皆からの信頼も厚い、まさにリーダーにふさわしい人格者だけど、ごく稀に若き日の冒険心に火が着いて、誰にも告げずに孤独な冒険へと旅立ってしまうことがある。

 この前は、裏の上のハウスの向こうまで遠征していて、なぜかひっくり返った大籠の中に閉じ込められているところを晃が率いる捜索隊に発見された。

 また、ハウスのほうへ行ったのかな。

 いつも、けたたましい朝鳴きをとどろかせる『ベートーベン』の声が聞こえていないということは、かなり遠くへ行ってしまったってことだ。

 これはマズい。

 でもとにかく、この子たちを鶏小屋に戻さなきゃ。

 あたしはすぐに雨戸の横に立て掛けていたホウキを取って、それからニワトリたちを鶏小屋のほうへ追い立てた。

 一羽、また一羽と、ニワトリが開いたままの扉から鶏小屋の中へと入っていく。

 よしっ、ぜんぶ戻したっ。

 あおり止めをしっかり掛けると、汗がつーっとこめかみを伝った。

 でも、どうしよう。

 ベートーベンを捜しに行くのが先か、それとも弟たちの朝ご飯を作るほうが先か。

 あたしも早く用意しないと、新入生の遅刻第一号になっちゃう。

 そうして、うううと唸ってホウキを胸に抱き寄せたとき突然聞こえたのは、朝の静けさに似合わない叫び声。

「うわっ! うわぁぁぁ!」

 えっ?

 ハッと声のしたほうを見る。

 聞こえたのは、山家さんのアパートのほう。

 右も左も窓が開いている。

 声は……、山家さんの声じゃない。

 もしかしてっ!

 あたしはすぐにアパートのほうへ駆け出した。

 物干しを通り越して、石垣をよじ登る。

 アパートの階段は、建物の向こう側。

 タタタとその階段へ駆け寄って、バッと一段目に足を掛けた。

 いっ? 前よりボロボロになってるっ!

 錆びてあちこち穴が開いた階段。

 ところどころ欠けて落ちているパイプの手すり。

 うわぁ、怖いよう。

 すると、またその声が聞こえた。

「ちょ、ちょっと待てっ、こっち来るなっ!」

 ううう、頑張れあたしっ!

 恐る恐る、一段ずつそっと足を掛けて、ゆっくりと階段を上る。

 階段の先は二階の通路。

 右が山家さんの部屋、左が見知らぬ声のヌシの部屋。

 やっと上り終わると、左側の部屋の中からガタゴトと音がした。

 もしかしてっ。

 見ると、玄関扉のすぐ横のお風呂場の高窓が開いている。

 思わず、その窓に首を突っ込んだ。

 まさか、まさか、まさか!

 次の瞬間、突然聞こえた、その度肝を抜かれる朝鳴きの声。

 コケコッコーーッ!

 この声っ! やっぱり!

 我が家のリーダー雄鶏、『ベートーベン』がこの窓から入り込んだんだ!

 あたしは思いきり伸び上がってその高窓から身を乗り入れると、それから湯舟の縁に手を掛けて体を滑り込ませた。

 うわっ、バランスがっ!

 ドスンっ! と重たい音。

 ううう、痛ぁい。

 いや、痛がってる場合じゃない。

 ハッと起き上がってお風呂場から這い出ると、先の薄暗い部屋の中に、窓から差し込む淡い朝日を受けてよちよちと歩くニワトリが見えた。

「こらっ、なにしてんのっ!」

 思わず声を上げて、そのふわふわを目掛けて薄暗い部屋へ飛び込む。

 ガチャン!

 突然、足になにかが触れた。

 鈍い音。

 ぐるりと回る部屋。

「ああっ!」 

 無意識に声が出る。

 そしてその声に続いて、なにか陶器のような物が弾け飛んだ音がした。

 カシャーン!

 コントロールを失って、まるで勢いよくプールに飛び込むみたいに空間を泳ぐあたし。

 すると突然、両手を伸ばしたその先の暗がりに、キラリとふたつの目が光った。

 ひいいいいいっ!

 ゾワッと背筋に冷気を感じて、思いきり目をつむる。

 次の瞬間。

 ゴツッ!

 頭蓋骨に重たい衝撃があって、ひと呼吸遅れて激痛が走った。

 痛ぁぁぁい!

 でも声が出ない。

 直後に柔らかなものに体が沈み込んで、耳のそばで、「うう……」と押し殺した唸りが聞こえた。

 怖い怖い怖い!

 ギューッと目をつむって体を縮こまらせると、食いしばった歯が小さくカタカタと鳴った。

 一瞬の沈黙。

 ん……?

 なんだか、いいにおい。

 あたしはすーっと息を吸って、それからじわりじわりと目を開いた。

 ゆっくりと顔を上げると、なんとそこに居たのは……。

「うわ、お前、なにしてんだ」

 ななな、なにっ?

 どうして彼がここにっ?

 のけ反って顔を離すと、そこには目を丸くしてポカンと口を開けている、三条聖弥くん。

「さささ、三条くんっ? どうしてここに居るのっ?」

「いや、それはこっちのセリフだろ」

 少し目が慣れた。

 見回すと、ここは畳のお部屋。

 部屋の真ん中ではガラステーブルが派手にひっくり返っていて、そのすぐそばには、畳に転がった空のマグカップ。

 なぜか、あたしが居るのは畳の上に置かれたふかふかのベッドの上で、さらになぜか、ひんのいい紺色のパジャマを着た三条くんにしっかりとしがみついてて。

 意味が分からない。

 すぐ近くに三条くんのキレイな瞳。

「えっと、えっと、えっと……」  

 このシュールな状況を把握しようと頭をフル回転させていると、なにやらモゾモゾとあたしの背中を異様な感触が這い上がった。

 次の瞬間、どさりとあたしと三条くんの間に毛の塊が落ちる。

「ベートーベン!」

「うぎゃぁぁぁぁ!」

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