第一章

[1-1] 負けてないんだから! 無名のイチゴだって!

「――で? そこで今度は思いきり顔をひっぱたいたってのか」

「だってぇ、パンツ見せろとかありえんもん。だいたい、翔太が変なこと言うからでしょっ? 責任とってよねっ!」

「せ、責任っ? 日向を嫁にもらえってのかっ?」

「ちっがーうっ!」 

 放課後になって、やっと翔太と話ができた。

 今日はこのあと新入生への部活動紹介があるらしく、まだけっこうみんな教室に残っている。

 でも、あたしには関係ない。

 高校では部活はしないって決めてるから。

「もうっ、翔太がちゃんと三条くんに話してよっ! イチゴ柄パンツの話はウソだってっ。あんなこと翔太が言わなかったら、三条くんをひっぱたくことだってなかったんだからっ」

 空いている翔太の前の席に後ろ向きに座って、じろりと翔太を睨みつけた。

 あさってを向いて、ちょっと唇を尖らせる翔太。

「はぁ? いや、バッグを投げつけた件は確かに半分は俺も悪りぃかもだけど、ビンタしたのは俺は関係なくねぇか? それにあのときは、別の中学から来たやつがお前のこと紹介してくれっていうから、俺は善意でだな――」

「あーら、またジャガイモがジャム子とイチャついてるわ」

 翔太の言葉に重なって突然聞こえたのは、聞き覚えのある甘ぁーい甘いアニメ声。

 うわ、久しぶり。この感覚。

 あたしと向かい合った翔太の向こう、そこにぬっと顔を出したのは、あたしが一番苦手な彼女。

「あんたたちねぇ、こんな目立つとこでイチャつかないで、ふたりの時間はイチゴのビニールハウスの中とかにしなさいよ」

「あ、ちゃん。もう帰るの?」

「ううん。部活動紹介を見に行くの。ジャム子はもう合唱やらないの?」

「え? うん。ちょっとやれそうにないから」

「大変ねぇ、農家は」

 彼女は、小学校のときにあたしたちのクラスへ転校してきた女の子。

 長い髪がすごくキレイでとっても美人なんだけど、身長はあたしとあんまり変わらない。

 歌が上手で、小学校も中学校もあたしと同じく合唱部に入ってて。

 いつごろからか、なぜか彼女はあたしを『ジャム子』って呼ぶようになった。

 まぁ、中学ではずっと違うクラスでそんなに深い付き合いでもなかったし、あたしは中学三年のコンクール前に合唱部を辞めちゃったから、それからは彼女とほとんど顔を合わせてなかったんだけど……。

 あ、言っとくけど、小夜ちゃんが苦手で合唱部を辞めたんじゃないよ?

 いろいろあったの。いろいろ。

 まぁ、小夜ちゃんはすごくわがままだし、ズケズケと人を傷つけるようなことを平気で言うし、遠慮もおしとやかさやデリカシーもまったくないけど……、どうもこれは天然もので悪気はないみたい。

 それなりに付き合ってみると、意外にも感動屋で涙もろかったりするところも見えてきて、そんなに悪い女の子じゃないってことが分かる。

 でもやっぱり、あたしはちょっと苦手だけどね。

 ふと見ると、翔太の眉がピクピクしていた。

 真後ろでキンキン鳴ってるアニメ声がとうとうガマンできなくなったらしく、翔太がはぁーっと大きなため息をついて、グイッと後ろを振り返る。

さぎがわ、いい加減、俺のことジャガイモって言うのはやめろ。おれはそんなにデコボコしてねぇ」

「えー? アタシにはあんたはジャガイモにしか見えないのよ。だからそう呼ぶしかないじゃない」

「さっさと部活動紹介に行けばいいだろ。いちいち俺たちに構うな」

 ずっと野球をやっている翔太は、小学校のときから変わらずこの坊主頭。

 転校してきた小夜ちゃんは、初めて会ったときにこの翔太の頭がジャガイモに見えたらしく、それ以来ずっとこの呼び方。

「ジャガイモがなんか偉そうに言ってる。あんたはまた野球なんでしょ? 飽きないわね」

「うるせぇなぁ。だいたい、なんでお前この県立に来たんだよ。『ガオカ』のやつはみんな名門私立に行くんじゃねぇのか?」

「ふん。アタシがどの高校に行こうと勝手でしょ?」

「結局、どこも受からなかったんだろ」

「うるさいっ」

 彼女は『ガオカ』の住人。

 『ガオカ』っていうのは、あたしたちの街のすぐ隣にある新興住宅街、『ほしふるおか』のこと。

 もちろん、この『ガオカ』って言い方は、『星降が丘』に住んでいる人たちも使う呼び方だけど、『ガオカ』ができる前からずっとこの街に住んでいる人たちが言うときは、実はちょっとだけ違う意味が入っている。

『いやぁ、あいつは「ガオカ」だし』

『ほんと、そういうとこが「ガオカ」なんだよな』

 こういう感じ。

 実を言うと、あたしの家、『宝満農園』は、この『星降が丘』の人たちからあまり良く思われていない。

「それからなぁ、日向を『ジャム子』って呼ぶのもやめてやれよ。もう高校生だぞ? もうちょっとマシな言い方があるだろ」

「へ? そう? アタシはサイコーにイケてると思うんだけど。ジャムにしかならない無名イチゴ作りに誇りを持ってるって素敵じゃない? きっとパンツまでイチゴ柄に違いないわ」

 いや、だから、イチゴ柄なんて持ってません。

 でも、ジャムの話はそんなに間違ってない。

 うちはひと粒いくらで売られるような、有名なブランドのイチゴは作ってない。

 でもね? 愛情はほかの農家さんには負けてない自信がある。

 ひと粒ひと粒を大事にして、さらに、お母さんが素敵な歌を毎日歌って聴かせてるから、ブランドイチゴに負けないくらい美味しいもん。

 あたしも一緒に歌ってる。

 だから合唱部を辞めても、ぜんぜん寂しくなかった。

 でもまぁ、こんな話をしても、小夜ちゃんだけじゃなくて、あの『星降が丘』で暮らしている人たちには、たぶん分かってもらえないんじゃないかな。

「なぁ、日向。もう、『ジャム子』って言われるの嫌だろ? ハッキリ言ったほうがいいんじゃねぇか?」

 そりゃぁ、もうちょっと可愛いあだ名で呼んでくれたほうが嬉しいかなって思うけど、まぁ、小夜ちゃんだし。仕方ありません。はい。

「あああーーっ! 聖弥くんだっ!」

 そのとき突然、大音量で教室に響き渡ったアニメ声。

 ハッと顔を上げると、小夜ちゃんが翔太の肩に手を掛けて伸び上がって叫んでいる。

 小夜ちゃんって、こういう軽いスキンシップに無頓着なのよね。

「うわっ!」

 次の瞬間、ドカンと音がして翔太が視界から消えた。

 駆け出した小夜ちゃん。

 椅子がひっくり返って、翔太が床になぎ倒される。

「せぇーいやくぅぅぅん!」

 うわぁ、久々見た、小夜タックル。

 何度このタックルで膝を擦りむいたことか。

 続けてガシャーンと椅子がひっくり返ると、小夜ちゃんが床に投げ出された翔太の背中を思いきり踏みつけて乗り越えた。

「ゔげぇっ!」

 うわー、痛そう。

 でもこれは、小夜ちゃんの平常運転。

 別に驚くことじゃない。

 ん? 

 小夜ちゃん、いま『聖弥くん』って言った?

 駆けて行った小夜ちゃんを目で追うと、彼女は廊下に飛び出して長身の男子に思いきり抱き着いている。

「ねぇねぇ、聖弥くぅん、一緒に部活動紹介に行こうよぅ。合唱部っ!」

 よく見ると、小夜ちゃんが見上げているその顔は、ちょっとばかし見覚えのある顔。

 昨日と同じで、すっごく面倒くさそう。

 そう。彼は、因縁の……、三条聖弥。

 左の頬にシップ貼ってる。バッグが当たって、ビンタが炸裂して……。

 うわ、目が合った。

 こっち見ないでっ。

 なに? 

 小夜ちゃんと友だちなの?

 すると、もしかしてあんたも、『ガオカ』の子?

 思わず目を逸らして、それから横目でチラリともう一度彼を見ると、小夜ちゃん越しの彼はまだじっとあたしを見ていた。

 あー、なんか言いたそう。

 その整った顔の不気味な無表情に負けて、あたしはちょっとだけ小さく頭を下げた。

 すると彼は、さらに面倒くさそうに小夜ちゃんへ視線を移す。

 くーっ、嫌な感じ!

「ちょっと離れろ。小夜、俺は合唱なんてやらないって言ったろ? 俺なんかより、誰かもっと仲のいいやつと一緒に行けよ」

「えー? 聖弥くんはアタシの一番の仲良しよ? ライブで聴いた聖弥くんの歌が忘れられないのっ。ね? 一緒にやろう? アタシの二番目に仲良しの彼女はもう合唱しないって言ってるから」

 振り返る小夜ちゃん。

 え? あたしって、小夜ちゃんの二番目の仲良しなの? 

 知りませんでした。

「へぇ、お前、イチゴの子と仲良しなのか」

「そうなのよぉ。小学も中学も一緒に合唱しててね? 彼女ったらいっつもアルトが専門なんだけど、声がぜんぜんイケてなくてぇ……、ん?」

 あ、なんか嫌な予感。

 小夜ストームが荒れ狂う前触れを感じる。

「ちょっと聖弥くんっ! なんで宝満日向がイチゴの子って知ってるのっ? もしかしてパンツを見たのっ?」

 いや、だからイチゴ柄とか持ってないって。

 三条くんの胸に両手を置いて、ピョンピョンと飛び跳ねる小夜ちゃん。

 その背中越しに彼はじとりとあたしを見て、それから昨日と同じように、あたしに向かって小さく手招きした。

 なによ。

 パンツなんて見せないんだから。

 あたしは、倒れた翔太の腕を引っ張って起き上がらせてから、ちょっと身構えながら廊下側の窓のそばまで近づいた。

 恐る恐る、彼の手招きに応える。

「えっと……、なに?」

「お前、なんで合唱やらないんだ」

「え?」

 ぎゃーぎゃー言ってる小夜ちゃんの頭を押さえつけて、彼は真剣な瞳をあたしに向けた。

 予想外の言葉。

 なんでって、そりゃ、うちはイチゴ農家だし、お手伝いは大事だし。

「お前、もしかして農園の手伝いで歌えないのか?」

「え? えっと……、まぁ」

「なんで親の仕事を子供が手伝う必要があるんだ。お前、親の言いなりか」

「言いなり?」

 言いなりなんかじゃない。

 大好きなお母さんがあたしたちのために頑張ってくれてるから……、弟たちも一緒に頑張ってくれてるから……、あたしも頑張ってるんだもん。

「そ、そんなんじゃないもん。あたしはお母さんのために――」

 ちょっとムッときて言い返し始めた、その瞬間。

「きゃーっ! やっぱり間違いないわっ! ねぇねぇ、あなたって、『UTA☆キッズ』に出てたセイヤくんでしょっ?」

 三条くんの後ろで、きゃぁきゃぁ言って騒いでいるほかのクラスの女子がふたり。

 三条くんの手前には、なぜあたしを知っていたのかとぎゃぁぎゃぁ言って彼に迫っている小夜ちゃん。

 なんだろう。ウタキッズって。テレビ?

 一瞬、あたしをじっと見た三条くんは、それからちょっと面倒くさそうな顔になって、唇の端をくいっとさせながら後ろを振り返った。

「まぁ、そんなこともやってたな」

「私っ、セイヤくんの応援アカウントやってたのっ!」

「私もっ! 大ファンだったんだからっ」

 ファン?

 三条くんって有名人なの?

 すると、三条くんに頭を押さえつけられていた小夜ちゃんが突然ハッとした。

 おおっ、素早いっ。

一瞬で三条くんの脇をくぐって女子集団の前に立ち塞がった小夜ちゃん。

 大股で両手をいっぱいに広げたけど、やっぱり小さい。

「あんたたちっ、ちょっと待ちなさいっ! 聖弥くんに話しがあるならアタシを通しなさいっ!」

「え? あんたなにっ?」

「そうよっ、ちょっとそこどいてよっ」

 なんか修羅場。

 振り返ると、後ろで翔太がポカンと口を開けている。

「なんかすげーな。そいつ、日向の知り合いか?」

「えーっと」

 面倒くさそうな顔の三条くん。

 彼が大きなため息をつくと、さらにババッと両手を振り広げた小夜ちゃんが、これでもかとアニメ声をとどろかせた。

「聖弥くんに気安く話し掛けないでっ! アタシは聖弥くんのマネージャー、鷺田川小夜よっ!」

 あ、また新しい設定が出て来た。

 小夜ちゃんは三条くんのマネージャーらしい。

 なんのマネージャーかは分からないけど。

 女子集団のひとりが、パッと三条くんの腕を抱いた。

「あんたのこと知ってる。確かあんた、鷺田川病院の娘でしょ。あんた有名よ? 思い込みが激しい性格ブスだって」

「はぁぁぁ? なんですってぇぇぇ?」

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