第23話 文化祭・ジ・エンド。

 女を殴りなさい、と芽々は言った。


「なんて?」


 というか……なんで?


 無人と化した薄暗い講堂で、芽々は俺に手袋を差し出して言う。


「瑠璃さんを正気に返すんですよ。魔術による洗脳なら、魔術特攻の聖剣で脳を揺らせば解けるはずです。ある程度は」


「って、サァヤが言ってましたよ?」と芽々。


 これだけ時間を稼いで出てきた解決策が、シンプルな暴力かよ……。

 洗脳解除のためとはいえ、殴って正気に返すのは悪いだろ脳に。

 いや、俺が文句を言える筋合いではない。俺は浮気しかしていないので。

 ありがとう二人とも。


「だが聖剣は使えないだろ。ここじゃ、肉体が異世界以前のものに改変されてるんだから」


「そうですね。でも、異世界魔術では『魔女』以外、身体の時を戻すことも再生することもできない。そう見えるように、偽装するだけ。本質的にはないものはないし、あるものはあるまま。だからそこに聖剣はあるんです。封じられているだけで」


 芽々は、俺の右腕を指差す。差し出された手袋を受け取る。


「この手袋は、さっき作った認識改変を補助するアイテムです。ゲームで言う、非公式パッチですね。……手袋を付ければ手は見えない。つまるところは、その中身が生身か剣かはわからないシュレ猫状態になりますよね」


 シュレディンガーの猫をそんな雑な例えと略し方するな。


「そこで、こう、脳にクッと力を入れて、『この中身は聖剣である』と認識を改変してください。自己暗示は一番基本的な呪術ですから、いけますね?」


 そんな簡単にできるわけ……。

 ……クッ!

 できたわ。

 一瞬で右腕の感覚が消失し、覚えのある重さが返ってくる。

 めちゃくちゃキモい。絶望した。


「……結局、殴るしかないってことか」


 俺は、基本的に男女平等だと思っているけど、それはそれとして女子に紳士的でいたい見栄も年相応の男子並みにあるわけで。女を殴るのはな~、ちょっとな~。

 腹は括るが、少しだけぼやく。

 芽々は白い目で俺を見た。


「いや、ひーくんノーダメで人の脳だけ揺らすの、できるでしょ。サァヤと安全に喧嘩するためにテクい暴力身に着けてんの、こっちは知ってるんですよ」


「…………」


 ドメスティックバイオレンスがバレている。恥ずかしい。



 ◇



『それじゃあ、芽々は高みの見物してるんで。これ以上巻き込まれるの、気力的にムリー。部室で事が済むのをだらだら待ちます』


 と、芽々は去る。


 目標は、瑠璃を正気に返したのち、竜との契約の破棄、仮想空間を破壊すること。

 ——だがもし、瑠璃が正気で竜と契約し、この仮想空間を望んだ場合は?


 そのパターンは既に想定した。

 そして、あり得ない・・・・・と結論づけた。


 何故なら瑠璃は、こんな空間は望まないからだ。

 正気ならば絶対に・・・・・・・

 それは悪友として瑠璃を最も知る芽々と、見解が一致している。


 俺は約束通り、瑠璃の待つ後夜祭の会場へと向かう。

 校庭は禍々しい夕焼けに照らされ、キャンプファイアーが茜色の景色の中で、なお赤赤と燃え盛っている。


 本来ならばいるはずの、他の生徒は一人たりともいない。仮想空間から、もはや全てのNPCは消えている。術式ゲームも終盤、あとは瑠璃が『告白』という名の儀式を済まし、俺を洗脳するだけ。

 そこには、他の登場人物などもう要らない。


 賑やかな余韻の残る無人の校庭は、まるで悪い夢のような、ひどく違和感のある光景だ。だが洗脳にかけられ、ここが非現実だと気付いていない瑠璃は。

 俺の姿を見つけては、上機嫌に微笑んだ。


「センパイ」


 篝火を前に、瑠璃の隣に立つ。瑠璃は間を詰めることはせず、人ひとり分、先輩と後輩らしく適切な距離感を守ったまま。

 その顔が不適切に赤く染まっていることは、火に照らされているせいだと、言い訳ができなくもない。

 だが瑠璃は、そういう照れ隠しをしたりしないやつだった。


「なんだかどきどきするね。後夜祭に誘うなんて、ベタすぎて芸がないと思ってたけど実際やってみると、悪くない。こういうのもいい思い出になりそうな気がしてくる」


 わが校には、後夜祭で告白すると成就するというジンクスがある。

 それ故に、後夜祭で誘うことそのものが告白の根回しだ。


「ありがとう、来てくれて」


 その文脈を知らないはずがないと、お互いの共通認識が取れている。

 そして瑠璃は知らない。 


  

 『センパイ、後夜祭は僕と二人で踊ってくれる?』


 そう聞かれた時に、断る選択肢はなく。

 働いたのは魔術ゲームの強制力。


 ┌───────┐


 │ はい    │


 │ うん    │


 │▶わかった  │


 └───────┘


 ――俺が俺の意思で、ここに来たわけではないことを。



 さて。

 後夜祭で為す告白成就の儀式ジンクスには、ある手順がある。

 

 それは"篝火を囲み踊っている最中に告白をすること"。


 元々は、衆目の前で告白するという難易度を、当人にしか聞こえない近距離と音楽に搔き消されることによって相殺するために生まれた慣習だろう。

 なんなら、暗くなってきたところでどさくさに紛れて、キスする輩もいるらしい。破廉恥極まりない。高校生がやっていいことじゃないだろ。


 ……ともかく。

 その手順を踏まえることで、この空間で『告白』は呪術として効力を発揮する仕組みとなっていることは、魔女によって既に読み解かれている。


 吹奏楽部のエキストラすらいないのに、空間に流れ出す音楽。

 音感など少しもないが、薄気味の悪い不協和音に聞こえてならない。

 お膳立てされた、破滅のエンディングを前に。


「約束通り、僕と踊って――」


「悪いが瑠璃、俺は君の告白を聞けない」


 俺は瑠璃の誘いを、差し出した手を、前に。




「今から君を、殴るからだ」



 俺は瑠璃の手首を、左手で捕らえる。


 力簡単に動けぬように、力をかける。

 瑠璃は文化部にも関わらず、生まれつき運動神経が異様にいい。体格差と筋力差にそこまでの違いがない、俺の過去の肉体では油断などできない。


 瑠璃は戸惑う。


「……どういう冗談? 僕、センパイにそういう面白さは求めてないんだけど」


 いや、戸惑ってはいないのかもしれない。


 ┌────────────────┐


 │▷system: 好感度は下がりません  │


 └────────────────┘


 瑠璃の瞳は冷静。掴んだ腕に震えや力みはなく、俺の言葉が本気だと信じていない。既に手を出しているこの後に及んで、俺を信じているかのように。

 逃げようともしなかった。


 胸の内を罪悪感が過ぎった。

 そんなものを抱えては人を殴れない。

 だが今の俺は、聖剣が使えても自分の感情を弄ることを、もう良しとしない。

 

 だから、代わりに、拳には本気の殺意を込めた。

 それが一番、感情を持ったまま精度の高い攻撃をできるからだ。

 

 殴っても万が一にも瑠璃に傷を与えないよう、手加減をするために。

 無駄な躊躇で、しくじったりはしないように。

 手加減無しの殺意を込めるのが、せめてもの誠意だと。


 振りかぶった、その瞬間。 


 瑠璃は呟いた。



「違う……」



 はっ、と。

 我に返ったように。


 反射。

 顔面、寸前で。俺はピタリと拳を止めた。

 

「おかしい……先輩が僕にその色を向けるわけない……その色は、"敵意"だ……それだけは絶対に、向けるわけがないと知っている・・・・・

 

 その呟きは要領を得ないようで、なんの話か、すぐに思い出した。

 共感覚。

 感情が見える瑠璃は、人の好意と敵意がわかると、言っていたことを。



 瑠璃は、黒い目を見開いて。

 言った。

 

ここは現実じゃないな・・・・・・・・・・?」


 俺ではなく、ここにはいない誰かに――世界に、問いかけるように。



 ……瑠璃に違和感を覚えさせて、ここが現実でないと気付かせる。

 とっくに頓挫した作戦が、今更、殴るまでもなく通ったのだ。


 肩透かしであっけなくも、喜ばしいことではある。

 人を殴らずに済むことは、いいことに違いない。


「瑠璃、」


 よかった、と。

 俺は力を緩めそうになった。


 その時だった。


 黒々と目を見開いた瑠璃は、にまりと唇を歪めた。


「――ああ、思い出した。そういえば言ってたねえ、芽々によく似た偽物が。『ここで叶えた願いは現実になる』、だっけ」


 捕まえているのはこちらのはずだ。

 足先は地面から浮きそうで、細い手首はがちりと押さえている。

 動けないのは、瑠璃の方。


 だが。


 瑠璃の瞳は俺を逃がさぬようにと。

 獲物を捉えた毒蛇のように。

 俺を映して、舌なめずりをした。



「ねえ。聞きたくなくても聞いてよセンパイ。僕の願いを」



 今、この瞬間。

 瑠璃はまさしく正気のはずだった。

 ——ただ俺が、瑠璃という少女を、長年見誤っていたことを。

 今から理解わからされることになる。




 ◆◆




「あーあ、つまんな」



 部室の窓から顔を出し、後夜祭の様子を眺めながら芽々はぼやいた。


 はっきり言って、飛鳥が瑠璃の説得に成功しようが失敗しようが、芽々はどうでもよかった。


 魔王は地球人に危害を加えられないよう縛りを科されている。

 自分が傷付けられることは、日常が破壊されることは絶対にない。


 芽々は部外者で、傍観者だ。どこまでも。

 安全圏故の退屈に焦燥しながらも、自分にできないことはしない主義。


 だから眺める。観察する。それを趣味とするのが、芽々の常。

 色恋沙汰は見る専に限る、はずなのに。

 今は、見下ろすこの茶番が、退屈で仕方がなかった。


 普段の芽々には友達の心配をする良心はあっても、今この瞬間ばかりは、腐れ縁の悪友・鈴堂瑠璃のことも、ザリガニ釣りに誘うとしたら優先順位が幼馴染の次に高い飛鳥マブのことも、どうだってよかった。



(どうせしくじったとして、ご都合主義デウスエクスマキナはサァヤがやるし。まあ、芽々もけっこー頑張ったから、しくじったら凹むけど)



 ――それ以上に今は、昔のことを思い出すのに忙しかったから。


「……ねえ、ひーくん先輩」


 耳のいいあの人に、聞こえないように。

 小さく呪詛を吐く。


「芽々、先輩のこと嫌いだったんですよ。貴方が、るりさんをつまらなくしたから」


 おそらく寧々坂芽々だけがこの世で唯一、正しく理解していた。

 鈴堂瑠璃の恋のその始まりと終わりを、その愚かさを。


 失恋話なんて全部、つまらないだけ。

 だって何も生産性がない。楽しみがない。無為だ。

 そんな話を聞くくらいなら、バカップルの痴話喧嘩の仲裁を夜中にやらされるほうがまだマシだと、芽々は思う。



「だから悪いんです。好きになった方が、絶対に」



 ――それは、恋のためには悪にも愚かにも堕ちることができた魔女とはたちの違う。

 ただ初めから、何の理由もなく悪だった少女が愚かにも堕ちてしまった、つまらない恋の話を。


 寧々坂芽々は、思い出す。

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