第22話 選べるのは一人だけ。
恋人の人格のコピーとデートするのは浮気に入るだろうか。
特殊例すぎてわからない。
俺の人生、例外処理ばっかで頭はとうにパンクしたまま悪路を走っている。意外と行ける。
四捨五入したら浮気だろうなぁ……と思いつつ、文月にデートに誘われたからには断ることはできない。
彼女そのものが俺にとっての脆弱性だからだ。
惚れた弱みは突かれると死ぬ。
「心配しないで。
浮気、公認。何故なのか。
それに。たとえコピーであろうと、隣にいるのは文月咲耶に変わりなく。
文化祭の浮かれ切った中庭で、気を引き締める。
彼女の人格は二年前の『文月』だ。
まだ魔女ではなく、当然、恋人でもない頃の。
──つまり。
これは彼女にとっては、初デートなのだから。
……瑠璃とのデートが予習みたいになってしまったな、と一抹の罪悪感を抱えながらも。
中庭の屋台を巡る。
ふと、いい匂いがした。
「焼きそば、ちゃんと匂いが実装されているんだな」
文月は澄まし顔のまま、鉄板を見つめていた。
「食べるか?」
「え。わたしそんな、食べたそうな顔してた?」
いや。綺麗な能面だった。
「ジャンクフード、実は好きだろう」
「そっか、あなたはもう知ってるのね」
「ああ。清楚のふりも大変だな」
かつてお嬢様のロールプレイに真剣だった文月は、この手の食べ物は我慢していたはずだ。
今や何も気にしなくなり焼き肉やラーメンや餃子を「おいしー!」と頬張る咲耶に慣れてしまったけど、そこに至るまでは短いようで長かったんだな、と思い出す。
吹っ切れるまでが長い癖して、あいつは吹っ切れた後が極端。
文月のことは、咲耶よりも気持ち繊細に取り扱う。
「ここなら、どれだけ食べても気にしなくていいだろ」
「ありがとう。でもいいわ。今は、歯に青のりをつけたくない気分だから」
少し肩の力は抜けたのだろう。文月は冗談めかしてはにかんだ。
「……じゃあ、言ってもいいかな。実は行きたいところがあるの」
「お化け屋敷か?」
文月は照れ隠すように、むっとした。
「向こうのわたし、あなたに全部話しすぎじゃない?」
苦笑する。そりゃあ。
「伊達に恋人やってないよ、俺もあいつも」
二度目のお化け屋敷で、飛び出してきた死体役に文月は目をきらきらとさせていた。
そうそうこの血糊の鮮やかな発色、好きそうだと思ったんだよな。
俺は駄目です。
二度目だからって油断すると震える羽目になる。
……二回目で気付いたがこの震え、俺がビビリなせいじゃなくトラウマ性な気がするな?
死体を見ると肝が冷えて無力感で手が震えるだけか〜。養生と筋トレしよう。
別にホラー自体は怖かねえわ。と冷静になれば、どうにもならない震えも利用する気になる。
俺の顔色を、所在なさげに伺う彼女に。
「悪い、文月。怖いからさ、手を握ってくれないか」
「……いいの?」
その遠慮はきっと、本物の咲耶に向けたもので。
「よくない。でも頼む」
このくらいは許してくれ、咲耶。
罪悪感は疑似的な浮気であることよりも、彼女に、デートらしいことをひとつも提供できないまま終わることの方が上だった。
だってこれは彼女にとって初めてのデートで。
──そしてきっと、
お化け屋敷のひらかれた校舎から出ると、空は橙に染まり始めていた。
後夜祭が近い。
「ありがとう。最後にもう一つだけ付き合ってほしいの」
どこだろう。
「……空き教室、か?」
「ふふ。ハズレ」
いたずらに笑った。
「向こうのわたしと同じことするのは、つまらないでしょう?」
現実で行ったことを、本物から聞いて知っていたのだろうか。
そして文月は俺を導き、中庭の外れにある古い講堂の扉を開いた。
うちの学校には今時めずらしく、体育館と講堂の両方がある。
おかげで文化祭のプログラムによって使い分けがなされている。
椅子が備え付けで設置されており、収容人数が少なく、かつ舞台が広い作りの講堂で開かれているのは、演劇系のプログラムだった。
重い扉の隙間から、そっと中へ入る。
演目は途中、辺りは暗がり、席は生徒たちで全部埋まっている。
生徒たちはNPCとはいえ視界を遮るのは気が引けて、一番後ろの壁に身を預けることにした。
後ろは丁度よく無人で、小声ならば話しても互いにしか聞こえないだろう。
遠い目で、よく見えない舞台を眺めながら。
俺たちは囁くように話をする。
「覚えてる? 一年の頃の文化祭で、わたしたちのクラスが何をやったか」
「……演劇」
「惨憺たる有様だったわよね、準備」
そう、準備を担った実行委員の文月は、当日疲弊にぷつりと切れて空き教室に逃げ込んだのだった。
俺にとっては遠い記憶だが、彼女にとってはついこの間の記憶だ。
「確か……第三希望か何かで、出し物が決まってしまったんだよな」
文化祭の出し物は枠が決まっている。希望が被れば、あとは抽選だ。
「そう。正確には、第四希望。純然たる余り物ね。誰も乗り気じゃなくて困ったわ……」
「俺の目には逆にやる気が空回ってたように見えたな。折角ならオリジナルでやろうって、盛り上がってさ」
視点によって物事の認識は違う。悲観的な彼女と楽観的な俺では、同じ思い出でも理解が変わる。
「けど、台本が上がってこなかったんだよなぁ……」
気付けば迷走したまま準備期間の夏休みが終わりかけ。
流石にこの状況はヤバいのでは? と、俺が途中で、追加の実行委員に名乗り出たことは覚えている。
リーダーシップのある蘇芳がいればまだマシだったんだろうが、高一の頃の蘇芳は実のところ、別のクラスだった。
もっと早く手伝えていればよかったとは思いつつも、俺は俺で祖母の一周忌の用意があったりしたもんだから。
「いっそわたしが台本書けばよかったのかしら? ……いえ、駄目ね。きっとZ級サメ演劇しか書けなかった」
「キャラ壊れるな。それはそれで楽しかったろうけど」
文月は、ようやく素を口にして。
「そうね。むしろ、そこで壊しておけばよかったのかも。きちんとした優等生の
遠く、目を細める。
「そしたら、もっと。高校生活が楽しかったのかしら。……日南君とも、先に仲良くなれたのかしら」
曖昧に、頷いた。
「いや、悪くなかったよ。あの文化祭も。結局何を
記憶は取り戻してなお朧げである。加齢か??
「結局どうにもならなくて、演劇部に頭下げに行って融通してもらったのよ。部に代々受け継がれてる台本と衣装を、内容を改変するという条件付きで」
「思い出した。ロミオとジュリエットか。ベタだな」
「男女逆転の改変でね。おかげで主演女優をやらずに済んでよかったわ」
「そのせいで俺がジュリエットに指名されかけたんだよ……。衣装サイズが合うとかでさ」
「ふふ、日南君の本読みがあまりに棒読みすぎて却下されたんだっけ。残念だわ」
俺は嘘も下手だし演技も下手だ。大道具とかで駆けずり回る方が好き。
「文月こそ、別に役者やってもよかったと思うけどな。演じるのは得意だろ」
「もう知ってるんでしょう? わたし、深海魚だから。表舞台でスポットライトなんて浴びたら死んじゃうの」
お互いに、筋金入りの裏方気質。
「まあ、セリフはまだちょっと覚えているけど……」
「へえ?」
「言わないわよ」
残念だ。
「それで、ようやく上手く行きそうだったのに文化祭前で卓袱台返しされそうになったのよね」
「ああ、あれは最悪だった! 担任が急に男女逆転はポリコレがどうとか言い出してひっくり返そうとしてきやがったんだ。あんな教師にはなるまいって思ったね」
校風は自由でも教師はガチャ。
正しさは大事だが、直前にいきなりそういうこと言い出すのは正しくないだろ。
どうにかこの演劇は倫理的に正しいものある、何故なら伝統的にも歌舞伎とか〜とか、なんとか言いくるめて無事の開演まで漕ぎ着けたが。
……昔から詭弁と屁理屈ばかり捏ねてるな?
文月は溜息を吐く。
「大人ってバカよね。教科書通りの倫理を大事にしすぎて、ほんとうの善が分かってない」
「銀河鉄道?」
「それは『ほんとうの幸せ』かな」
「覚え間違った。演劇部に借りる台本の候補で流し読みしただけだから」
「日南君、意外と古典読まないわよね」
「読むぞ? 平家物語とか史記とか」
「それは古典の教科書でしょ」
「バレた」
基本的に俺は教科書しか読んでなかった。
これは優等生とガリ勉の会話である。
「いいよね。木曾義仲とか項羽とかの死に方。アガる」
男児なら、一度は経験したい切腹と四面楚歌。
「銀河鉄道の死に方は、なんかよくわからん」
「謝りなさい宮澤賢治に」
現代文は得意じゃないんだよな。古典は誦じれるけど。
「あ、こころの死に方は好きだ。アガる」
「なんなの。自決がお好きなの?」
そうかも。
「……日南君、才能ないわ。古典を読む才能が…………」
「文月こそ。なんでB級好きの癖に古典にうるさいんだよ」
「B級好きは同じくらいにS級が好きなの。サメと同じくらいにタイタニックが好きなの」
「……おまえ、恋愛映画は苦手じゃなかった?」
「B級の恋愛とS級の恋愛は好きなの。高確率で死ぬから」
「なんだこいつ」
無類のバッドエンド好きがよ。
おまえこそねえよ。古典の才能。
「でも、ロミジュリは苦手かな。最後に死んじゃうバッドエンドは最高でも、あまりに囁く睦言が甘すぎるから」
講堂、座席の後ろの
いつの間にか壇上の演目は、文月の記憶を読み取ったのか一年の頃のそれに変わっていた。
有名な窓際の、逢瀬のシーンだ。
報われぬ恋に身を焦がす少女役がバルコニーに立ち、あのセリフを言う。
どうして貴方はロミオなのか、と。
有名過ぎてもはや聞いているだけで少し気恥ずかしくなる、愛の言葉をだ。
文月は深々と溜息を吐いた。
「本当、好きとか愛してるとか直接的な言葉を使わずに、よくもここまで愛を語れるわ。オエーッ」
文月らしくない悪態に、ぎょっとする。
文月は、悪戯に口角を上げた。
「今のわたしって、もしかしてこんなふうに喋るんじゃないかなって思って。あは、その反応。あたりだった?」
そして少し恥じらうように目を伏せて、打ち明ける。
「色事には呆れるけど……本当は、少し憧れてるの。わたしもあんなふうに、正直に、好きだと言えたらよかったのかしら」
言えるよ俺は、と言いかける言葉を飲み込んだ。
それは、ライン越えだ。
言ってはならない。
彼女は、彼女ではないのだ。
だから思ってしまう。
──どうして文月なのだろう。
ここにいるのが、咲耶ではなくて。
そうであればいくらでも、楽観的な言葉を、明るい軽口を言っても、無責任にならずに済むのに。
黙り込む俺を、文月が覗き込む。
「違う女のこと考えてる?」
「…………」
俺は最低なやつだ。デートなのに。
もうわかっていた。
もうすぐゲームが終わる、このタイミングで。
文月が、俺を誘った意味を。
暗い講堂。縁に置いた隣の彼女の手は、白い指先は、透明に透け始めていた。
幽霊のように。
NPCの彼女は、ゲームが終われば。
二年前の恋に呪われたままの、文月のまま。
咲耶はバカだ。
過去の、救えなかった頃の自分をここに送り込む残酷さを、それを如何ともできないままに消し去る非道を、分かってるのかおまえは。
わかっているのだろう。
わかっていてそれを良しと為すのが、悪役である彼女の在り方だ。
否定はしない。
ただ、俺にできるのがこんな半端な、浮気でしかないことに吐き気がする。
「ねえ。もしかしてあなた、責任があると思ってる?」
咲耶が聞く。
何のだろうか。
「好かれることへの責任」
否定できなかった。
与えられる感情に応えられないなどあってはならない、そう心のどこかで思う自分がいる。
「わたしの思う日南君は同時に二人、三人、四人……愛せるほど器用じゃないけど。違った?」
仰る通りで。
芽々の『やーい甲斐性無し』と煽る声が聞こえた気がした。
「違う女のこと考えてる?」
はい……。
「そうだな。悩んでるのかもしれない。どれだけ貰っても、結局は突き放すしかできないことに」
瑠璃のことを思う。
「あら。あたり前だわ。一人を大事にするって、それ以外を大事にしないってことでしょ。──もうあなたは、一番大事にする人を選んでしまったのよ」
ならば『文月』すら選ぶことはできない。
「君は、いいのかそれで」
文月は透ける指先を翳す。
「別に? わたしがここに発生した時からそういうものだと理解してたし。
苦虫を噛む。
文月は困ったように眉を下げた。
透ける指がこちらへ伸びる。
「そんな顔しないで。求めないわ、あなたには。ただ、
制服のネクタイが掴まれる。
身体が引かれる。
跳ね除ける間もない一瞬。
唇に何かが触れた。
やわくて冷たい、感触。
その正体は、知らないようで知っている。
「な……」
俺を手離した彼女は、自らの薄い唇をそっと撫でて、嬉しそうに言った。
「知ってたでしょう? わたし、昔から──悪い子なの」
頬を真っ赤に染めて、完璧な微笑みを浮かべて。
「それじゃあ、幾百にも幾千にもご機嫌よう。忘れてもいいわ。上書きしてもいい。でも『日南君』にキスしたのは
「魔女じゃないけどわたしにも、少しだけ呪わせてね」
そして文月は赤い光の粒子になって、透けるように消えていった。
◇
文化祭は終わった。
文月だけではなくすべてのNPCが消え、講堂は伽藍堂。
文月が、最後に口ずさんでいたのが劇のセリフだったことを思い出す。
「『ご機嫌よう』って……」
機嫌よくいられるかよ。
だが喪失の余韻に浸る間はない。
バンッ、と重い扉を開く音が空の講堂に響く。
芽々だ。
「お待たせしました! 解決法が完成しました。切り札のお届けです」
結界を破る手段、あるいは瑠璃の洗脳を解く手段のことだ。
タイミングよく現れたのは、事前に文月が芽々に居場所を伝えていたんだろう。
戻る手間が省けてありがたい。
そして芽々はぺちりと、片手分の
なんの変哲もないように見えるそれは、現実で俺が嵌めていたのとよく似ているが。
……これでどうしろと?
「咲耶さんが言うにはこれで──」
芽々は、真剣な顔で言う。
「『女を殴りなさい』だそうです」
「なんて?」
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