第18話 途中式が導き出せない。


 現実世界の空き教室。

 飛鳥と芽々が閉じ込められている仮想空間を、魔術改造PC越しに観測して。

 咲耶は言う。


「浮気はね、仕組んだやつが一番悪いのよ」


 だからたとえ飛鳥が瑠璃に目移りしてようと、怒ることじゃない。


「ええ、怒ってなんか、ないわ……」


 目からハイライトが消えていく。

 ガリッ、と爪を噛んだ。



(日南君日南君日南君……)



 仮想空間──昔の彼に会える素敵なシチュエーション、なのに!



「あの空間の中にわたしが入れなかったこと……ちっとも怒ってなんかないんだから……っ!」



 ──だから、せめて!




「浮気するなら、『文月わたし』にしときなさい!!!」




 そんなこんなで、反洗脳アンチブレインウォッシュ術式として、『文月コピー』の精神を送り込んだのだった。





(わかりません……)


 外付けハードディスクが如く、脳をコードでPCに繋げられたフィリア。

 脳の容量は咲耶の魔術演算のために持っていかれたので、思考がおぼつかない。

 でも思考が100パーセントできたところで、魔女が何を言ってるのかは何もわからないだろうな、ということはわかった。


 ネモフィリアは情緒成長期のサイボーグなので。


「さて、これで飛鳥が洗脳されるまでの時間は稼いだわ。この隙に……仮想空間を破壊する方法を探します」


 キリッと頭良さそうなことを言ったのも束の間。

 ドロッと咲耶の目がまた濁る。


「……帰ってきたら絶対に上書きする。絶対イチャイチャする。誘われた後夜祭までに! ぜっったい間に合わせてデートするんだから!!」


 修羅の如くキーボードを叩く咲耶に怯えて、フィリアは隣の笹木を仰ぎ見た。

 笹木は、フラットに頷く。



「すごいよね文さん。浮気されても平然としてる。あれが両思いの余裕だよ」



 平然?



「おれも早くああなりたい」



 あれに??



 フィリアは思った。

 ──この人間ひと、おかしい。




(……はやく帰ってきてください。アスカ……)





 ◇




 仮想空間の階段前。

 段差に座り、飛鳥は顔の前で手を組んだ。


「瑠璃の攻略を再開する前に、敗因を分析しよう」


 芽々は飛鳥の前に立ち、かしこまる。


「可愛くしすぎてすみません」

「……いいんだ、もう……」


 化粧も全部落とした。

 服も着替えた。


 もうしない。

 女装、二度としない。


「ともかく、反省点としては……アレだ」


 瑠璃の『好感度』を上げず、ここが『仮想空間』だと言外に気付かせるには。



「俺の顔面をコウメ太夫にすべきだった」


「それはちょっと芽々のプライドが許さなくてー」


 敗因、プライド。


「あとそれ、やっても意味なかったかもです」

「なんで?」



「思い出したんです。そういやるりさんの性癖……『おもしれー男』だって」


「は?」

「そして先輩はるりさんのツボです。もう箸転がしても面白いレベル」

「詰みじゃねえか」


 顔面コウメ太夫にしても好感度上がるってことかよ。

 特殊性癖か?


「趣味悪いですよね〜、るりさんも」


 となれば……。


「なるか。つまらねー男に」

「無理ですよ先輩、珍妙だもん」


 百歩譲って珍妙ではあるとして、面白くはないだろ。




「てゆか。そろそろ、はっきりさせときたいんですけどー」


 立つ芽々は冷ややかな眼差しで、階段に座る俺を見下ろす。


「先輩、気付いてた・・・・・でしょ。るりさんがアプローチしてたこと、昔から」

「……まあ、な」


 しれっと『膝枕してあげようか?』とか言ってくるのは昔からだ。

 それこそ、瑠璃が小学生だった頃から。


「ですよね。察しがいい先輩が気付いてないわけがないですもん。見て見ぬフリしてたなんてカスですね」

「…………」

「なんでですか?」





「だってあいつ、本当は俺のこと好きじゃなかっただろ」



「…………っ」




 確かに瑠璃は慕ってくれた。

 その距離感はえげつなく近しい。

 だが向けられる感情が恋愛ではないとも感じていたのだ。


 何が目的で仕掛けていたのかは知らないが……。

 若気の至りだな。見て見ぬふりをするのが年の功だ。

 そう思ってスルーを決め込んでいたのが、中学の時の自分だ。

 下手に天文部の関係を壊すわけにもいかないし、指摘して親友の妹のプライドを傷つけるわけにもいかないだろう。


「は〜〜〜〜〜」


 芽々はでかい溜息を吐いた。


「先輩、キッッモ……」

「おい」

「何がキモ、って。正解・・なのがキモキモです」

「はあ?」

「先輩はいつも、正解の仕方がキモいんですよ。なんでわかるんですか? 論理が飛躍ってます」

「いや普通に考えたら……」


 俺の言葉を、芽々は遮って首を横に振る。


「いいですか? 芽々フツーの考え方はこうです」


 芽々は一本指を立てた。


「まず前提として──『①るりさんの人間性はカスである』」


「マル一から言い過ぎだろ。確かにちょっとアリの巣を滅ぼすところはあったが……」

「それは芽々もしますね」

「………………」

「サァヤもしそう」



「俺の周り、アリの巣を滅ぼすような女しかいない?」


「かわいそ〜」



 殺生の罪で等活地獄行きだぞ全員。



 それはさておき、と二本目の指を立てる。


「②るりさんは腹黒カス女なので、人間らしく『恋にうつつを抜かしたりしない』」

「俺の知らない瑠璃の話しかしないじゃんおまえ」

「るりさん、先輩の前では猫被ってましたからね。いや……犬被ってたな」

「なんだよ犬って」


「だてに悪友じゃないです」と芽々はイヤそうな顔をして言った。

 仲良いのか悪いのかどっちなんだ。


 ともかく結論、と芽々は指は三本目。


「③よって、『先輩へのアプローチには裏がある!』です」


 いや、まあ。

 裏ってほど疑ってたわけじゃないが。


 芽々はビシリ、と三本の指を突きつける。


「先輩のキモいところは、①と②の『根拠』に気付いてないのに③の『結論』に気付くところなんです!! 思考が、変!! 論理的じゃない!」

「お、おう」


 普段フワフワの芽々に、ゴリゴリの論理を詰められている……。


「あ、納得してないですね? いいでしょう。先輩の好きそうな喩え話をしましょうか」


 場所は階段前。段差に座る俺の横で、芽々はとん、と階段に足を置く。


「これは『思考の階段』です。普通の人の思考は一段ずつ登って、結論に辿り着きます」


 とん、とんと芽々は細い足で階段を上がる。


「でも先輩は一足飛びに、二段飛ばし。論理が飛躍してるのに正解に辿り着いてしまう」


 段差を飛ばして、芽々は踊り場へ行ってしまう。

 俺は立ち上がって追いかける。


「あまりピンと来ない。参考例ないか? 他の人とか」

「そうですね……咲耶さんなんかの思考は、重りを背負って一歩ずつって感じです」


 のろのろと芽々は階段をまた、上がる。

 確かに、やたらと同じところでノロノロ悩んでたりするな。

 恋人になるならないで揉めたくだりとか、それだ。


「だけどいつのまにか思考がムキムキになってることに気付いてないから、すごく遠くまで行ってしまう」


 芽々は階段を駆け上がって、手すりから俺を見下ろす。


「つまりいつもの、『考えすぎて結論どころか極論を出して怒られる』ってパターンですね」


 そうか、あいつは思考がムキムキだから目を離すとメテオストライクしてきたりするのか。

 どゆこと?


「おまえは?」

「私は……普通ですよ。ただ、目が悪いから人をよく見てるだけです」


 薄らと芽々は冷めた笑顔を作った。

 一人称は、いつもと違う『私』。

 ぴくりと眉が動く。


「おまえさては。キャラ作ってんのか……」


 知らなかった。

 芽々はしれっと言った。


「誰しも多少は演じるものでしょ。なりたい自分を。芽々はそれが痛カワイイ電波系サブカル女だっただけです」

「何もわからねえよそれ」

「は〜! 一周回ってヴィレバンを憎んでる逆張りサブカルクソ女になりたいな〜!」

「わかんねぇよ〜……」


「余談は斜め上に置いときまして。──先輩は、なまじっか正解しちゃえるから、思考をすっ飛ばしてるのがわからないんでしょうね」

「…………正解してるならよくないか?」

「そゆとこですよ」


 とんとん、と階段を降りてくる。

 諭すように芽々は言う。


「先輩は察しがいい代わりに、一度正解だと思い込んだことを疑わない。一度貼ったレッテルを剥がすのが苦手でしょ」


 ぐ。

 身に覚えが、うっすらとある。



「『るりさんは先輩を好きじゃない』なんて応用問題が勘で解けちゃうから、先輩は基本を見落とすんですね。『人の気持ちは変わる』っていう、基本を」


「…………」


 わかっていた。

 スタート地点では、瑠璃は本当に俺を好きじゃなかったとしても。


 この仮想空間は、感情を燃料に構成されている。

 俺の自我を塗り潰すに値する、『文月咲耶と等価の感情』を持つ存在として、竜は瑠璃に目をつけた。


 それが恋愛感情でなくてなんだというのだろう?


 ならばそれを、良かれと思って見て見ぬ振りしていた俺は。

 一体どれだけの時間、瑠璃の気持ちをないがしろにしていたのだろう。



「先輩。気に病む必要はありませんよ」


 芽々は階段の途中で、足を止め。


「だって悪いのは、るりさんですもの」


 階段から、踊り場へ飛び降りる。

 着地。


「るりさんは思考の階段をワープしてしまうんです。正解を始めから知っている。だけど途中式を知らない。証明問題だとゼロ点ですね。

 ──だから、自分の感情なんて基礎的なことがわからないんです」


 頭がいい人はバカで大変ですね、と芽々は嘲る。


「あの人が自分の感情に気付いたのは、もう手遅れ・・・・・になってからですよ」


 無慈悲に人の心をぶちまける、芽々のその目は。



「それに──恋愛なんて、好きになる方が・・・・・・・絶対に悪い・・・・・んですから」



 ゾッとするほど冷たかった。


「おまえ……その、論理は」


 残酷じゃないか、と言おうとして。

 にこ、と。芽々はいつも通りに、微笑んだ。



「だって先輩、ろくでもねー男だもん。そんなん好きになる方が悪いでしょ」



 こいつッ……。

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