第17話 洗脳VS耳掻きVS尊厳。



「悪い、芽々。終わった」




 ◆◇




 そして『自分の想い人は鈴堂瑠璃である』と洗脳された彼は、瑠璃の手を取りデートに行こうとするのだが。


「ギャーッ! 目の前で友達の浮気を見せつけられるの耐えがたい!」


「ハッ……!」


 芽々の絶叫で辛うじて我に返る。

 そのまま、自分のことを勢いよく殴った。


「えっ」


 突然の自傷に、びっくりした瑠璃。

 だが「先輩ならそういうこともあるか」と納得したらしく、頷いた。

 長い付き合いで日南の奇行に慣れてるせいか、この程度では『ここが現実でない』とは気付かないらしい。

 難易度高っ。


 頭にショックを与えて正気を取り戻した飛鳥は、よろよろと芽々に縋る。


「芽々、殺してくれ。俺が俺であるうちに……!」

「物騒なお願いしないでください!」


 一時停止、逃げるにしかずっ。

 芽々は脱兎の勢い……というにはのろのろと、飛鳥を引き摺って逃げた。


「何故だ、俺は理性に自信がある……。いくら魔術込みといえどこの程度、咲耶の夜這いに比べればなんでもないはずだ……! なのに、何故瑠璃にグッと来てしまった……!? 何故勝てない……!?」


 芽々はハッと気付く。


「そういえば。先輩の性癖、黒髪低身長スレンダーですよね。瑠璃さんって…………ドンピシャじゃないですか?」



「…………。馬鹿が!(俺が)」

 


 性癖とは本能であり、人は本能ぼんのうには逆らえない。


 愚か!

 あまりにも……愚かッ……!!



「いや待て。前から聞きたかった。なんで、知ってるんだ……?」


 人の性癖なんて最高機密情報を。



「え、だって。部室のパソコン、元は先輩の私物ですよね? 昔のアカウントでログインしっぱなしだったし。クラウドに意味深なフォルダがあっ……」


「ああああ嘘だやめろやめろやめろ!」



 完全に忘却していたブツの存在を思い出し、絶叫する。

 失踪する前にそういうデータは木っ端微塵にしておかなければ人の尊厳は死ぬ。


 自分しか使わないパソコンだからって、油断するのはやめようね。

 明日死ぬかもしれないんだからさ。



 芽々は予定外の失踪で性癖が筒抜けになったバカを可哀想なものを見る目で見た。


 ほんっと男の子って、ド愚かッ……!!


 だが寧々坂芽々は許そう。

 思春期男子の言いようの知れぬキショさを。


 寧々坂芽々は幼馴染がギャルゲという名目で「面白いよ」と勧めてきたゲームが全年齢移植エロゲであることを知ってたし、幼馴染は鍵付きの棚に全年齢じゃない版を隠していることを察しつつも、そしらぬ顔をして十七年生きてきた──!


 なんか、理解だけはある女子である。

 寧々坂芽々は菩薩のごとき表情で、肩に手を置いた。


「大丈夫、芽々が抹消しときました。アカウントごと」

「寧々坂大明神……」


 待て、よく考えろ。

 とバグった脳が言う。


 ──でもこいつ、処分する前に性癖よわみ把握にぎってるぞ。



「ついでにマコの性癖も晒しましょう。三つ編み地味眼鏡っ娘です」


「おまえさあ!!!」



 ほんとそういうの!

 よくないと思う!!


 あまりの暴虐ぶりに、ショックでもう一度、正気の逆に揺り戻された。


「グッ、頭が……!」


 もう一発、己を力一杯殴る。

 しかし貧弱な身体は己が拳の威力に耐えられず、脳震盪を起こして気絶した。


「……は?」


 寧々坂芽々も一介の女子である。

 男の愚かしさに理解はあるが慈悲には限りがある。

 性癖に屈する人間は生温かい目で見守れても、うっかり自分を気絶させる勢いで殴るゴリラには慈悲れない。


「こいつ救いようないな。ポイしていいですか?」


 仏の顔、残機ゼロ。


 だが、一時停止世界に、足音が響いた。


「捨てるならわたしにちょうだい」


 振り返る。



「あなたは……!」





 ◇




 目を覚ましたその時、感じたのはこそばゆさだった。


 頭の下には覚えのある柔らかさ。

 じんわりと伝わる熱は、人肌の温度。

 かりかりと、脳を引っ掻く感覚──。



 ────脳?



 違和感にようやく半覚醒した、その時。



「ふうっ……」



 耳に、吐息が、かかった。



 ────!!?



 俺は逃げる。


 柔らかな誰かの膝の上・・・から。



「あ、ちょっ、急に動いたら……」



 ブスリと何かが耳に刺さった。



 ────ああああ!! 俺の耳が! これ血!? 鼓膜死んだ!!



 痛みのおかげで意識は完全覚醒した。

 急ぎ、状況を把握する。


 先の現象をなんというか、知っている。

 経験はとんとないが……状況証拠は明らかだ。


 そう、耳に棒を突っ込む攻撃──『耳掻き』と呼ばれるものである。


 俺は攻撃を仕掛ける敵に臨戦体勢を取る。


 場所は畳の敷かれた和室──茶道部部室、略して茶室だ。


 茶室……?

 侘び寂びを重んじる静謐なる空間で、耳掻きを!!?

 千利休に殺されるぞ!?


 して。

 場に相応しくそこに正座しているのは、亜麻色の髪をお嬢様結びにした、淑やかな少女であり──。



「文、月?」


 呼びかけに、にこりと小さく微笑んで。

 元茶道部員の、彼女は言う。


「ええ。お久しぶりね、日南君」



 その語調に、この半年慣れ親しんだ『咲耶』の色は限りなく薄く。



「あと、ごめんね……鼓膜…………」



 その不器用さは紛れもなく『文月咲耶』だった。




「なんで、この世界の文月はNPCのはずじゃ」

「送り込まれたの。いえ、正確には……NPCを乗っ取った、かしら?」


 文月の説明は、どうにも要領を得ない他人事のようだった。


「待ってね、カンペ預かってきてるから。本物の・・・わたし・・・から」


 メモをチラ見しながら、文月は説明する。

 咲耶が何をやったのかを。


咲耶わたしはNPCとして用意されたわたしを乗っ取って、この世界ゲームに侵入しようとしたんだけど。【魔女】は入れないってルールに、弾かれたみたい。だから、【魔女】じゃない文月わたしを代わりに送り込んだの」


「魔女じゃない、って……」


「そう。わたしはこの二年と半年の記憶を持たない、『文月咲耶』の精神のコピー・・・・・・です」


 分身の文月は、淡々と自らを解説する。


「正確には、魔女としての『力』は多少、引き出せるらしいけどね。この結界を破壊するくらいの力はないみたい、よ?」


 そして、文月は耳掻き棒を魔法のステッキのように振った。


「わたしにできるのはせいぜい、これを使ってあなたの洗脳を解除すること。耳から脳に魔術を通し、あなたにかけられた魔術を書き換えることくらい」


 ……くらい?



「つまり、『洗脳には洗脳をぶつけるのよ!』ってこと──ね?」



 文月は自分で言っといて「え、わたし、何言ってるの?」という顔をしていた。

 本物カンペに言わされている。



 …………理解が追いつかないが、理解しよう。


 目の前にいるのは、昔の文月の人格だ。

 しかし、今の咲耶に『この二年何があって現状どうなってるか』は教わっているらしい。

 カンペ付きとはいえ魔術を解説できる理由だろう。


 なるほどな。


 ……いや、なるか!!


『なるほどー』って!!!


 あいつ絶対今頃「耳掻きって実質脳クチュじゃない?」とか言ってるって!!

 馬鹿がよ!!! 



「あ、洗脳解除、まだ片脳しかできてないの。こっち来て? もう片方も耳掻きしなきゃ」



 文月はぽんぽん、とお膝を叩いた。



 俺の尊厳は死んだ。





 ──茶室が何故狭いのか、知っているだろうか。


 獲物を逃さないためである。


 退路は断たれた。

 膝の上に頭を乗せる。

 心音が全身に響いてうるさい。

 これが本物のドキドキか。……本物か?


 もう何もわからない……。


 柔らな指が耳に触れる。

 吐息がかかるほど近く、彼女は囁いた。


現在いま咲耶わたしじゃなくてごめんなさい。がっかりさせちゃった?」


「いや。いや……」


 穏やかな声音。そこには多少、演技が混じるものの。


 目の前の彼女の記憶なかには、いがみあった過去も確執も存在せず。

 血みどろの日常も生き恥の醜態も知らない。


 故の透き通った、自然体の、静かな微笑み。


 かつての──『文月』そのもの。



「……もう一度、会えると思わなかった。正直、喜んでいるかも、しれない」


 もうわからん。自分の感情が。

 この短期間で滅茶苦茶にされ過ぎて。


「急に異世界だの魔術だの言われて……混乱しなかったか?」


 ふふ、と文月は笑う。


「平気よ。わたし、状況に適応するのは大得意なの。信じられないことがあったとしても、現実としてそうなってるんだから。受け入れる以外、ないでしょう?」


 そういえば、彼女はたしかにそういう人だった。

 夢と現実の区別をつけないところがあるというか。

 ある日突然良家のお嬢様になってしまっても、ある日突然異世界で魔女になってしまっても、適応してしまえる異常な才能の持ち主だ。



「ただ──今のわたしが、あなたの、か、彼女……と、いうのは理解しがたいけど! それが現実というならば、ええ! 仕方ありません」



 あ、そこは適応しきれないんだな。

 恥じらいに声を上擦らせたまま、文月はこちらの耳から手を離した。


「はい、終わりです」


 膝からこちらを覗き込む顔は、微笑みに限りなく違い無表情。

 だが、その頬は赤く、色づいている。

 ほんの少し、不安の滲む声で。

 彼女は、か細く囁いた。



「どう? ちゃんと、わたしのこと──好きになった?」




「……そりゃあ、もう」



 ここまでされてまだ他の女に靡こうものなら、そいつはひとでなしの非人間のキショカスゴミクズだ。


「ありが……」


 と、礼を言いかけたその時だ。


 バーン! 

 と茶室の扉が開いた。


 芽々である。


「さあ先輩! サァヤのおかげでセーブポイントができました! これで洗脳され放題です! 浮気しに行きますよ!!!」



 俺はキショカスゴミクズだ……。



「勘弁してくれ……」


 泣きそう。

 というか。


「いいのか?」

「なにが?」


 その問いに、文月はきょとんとしている。

 そうか「文月」なので嫉妬深くはないのか。

 なんかちょっと、寂しいな。


 だが、文月は何かにハッと気付く。


「そういえば、日南君に言っておいた方がいいこと……ある、かも」

「なんだ?」


 文月が言うなら、きっと真面目な話だ。

 立ち上がり、姿勢を正す。


 文月は、頬を赤く染めそわそわと。

 こちらを上目で見やり、口を開く。



「その格好は、その……ちょっと、どうかと思うわ」



 自分の姿を見下ろす。



 あ。

 メイド服のままだった。




 言葉に反してちらちらと何度も、往復する文月の視線。



「…………」




 俺の尊厳は死んだ。

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