第33話 人の色恋に茶々を入れる。
死屍累々(約一名)の惨状から今度こそ立ち直り、屋台通りに向かう。
日は暮れかけ、あたりはほのかに明るく、花火が打ち上がるにはまだ早い。
始まるまでたっぷりと屋台を冷やかそうというわけだ。
活気ある人波を抜いながら歩いていると、飛鳥が金魚すくいの前で立ち止まる。
「お、金魚すくい。懐かしいな」
「風流だものね。あんた好きそう」
「芽々、飼ってますよ。ひーくんも?」
「ああ、金魚鉢で空気を飼ってたことがある」
「何言ってんの?」
今年もやりますか、と芽々が腕まくりしたところで。
桶を見ながら何やら考え込んでいた飛鳥が、はっと閃いたように呟く。
「……天ぷら食いたくない?」
「最悪だ」
「あんた小動物は全部食べれると思ってる?」
「次は仲裁しませんからね」
金魚を救うため、屋台から飛鳥を引き剥がした。
気を取り直して射的屋台に向かう。
「ハワイ仕込みを見せてやりますよ!」
芽々はじゃきんと(コルク弾なので音はしないが)構え、意気揚々と引き金を引くが。
「当たったのに落ちないんですけど!? しょぼ威力!」
全弾命中、しかし目当て景品のレトロゲームはびくともしない。
コルク弾がやわいのか、それとも銃の作りがゆるいのか。
後ろから二人が野次を飛ばす。
「力が足りないなら拳で投げればいいんじゃないか?」
「無理だよ」
「
「駄目だよ」
笹木は追加課金し、芽々を手伝って真っ当に景品を落とした。
笹木と芽々が縁日を遊び、飛鳥と咲耶は後ろから茶々入れるだけというのが続く。
「お二人はやらないんです?」
芽々の疑問を前に、彼らは至極真面目な顔をして答えた。
「やってもいいが加減ができない」
「浮かれてはしゃぎ過ぎてしまうわ」
彼らはそこそこ異世界ボケを自覚していたし、ほどほどに客観視もできていた。仮にも年上であり、十八歳相当の落ち着きは持ち合わせている。
自分たちのスペックがおかしいのはわかっているのだ。
──それを現世で発揮するとどうなるか、ということも。
ついでに異世界モノのラノベも大分読んでるし、
──そう、ここで縁日など遊んだら自制が吹っ飛んでやりすぎて、出禁になるのがお約束……!
「『なんかやっちゃいました?』とか言ったらヤバいのは知ってるんだ!」
「ええ、『目立ちたくない』って言いながら目立つことはしないわ!」
力強く自重を宣言する。
なんだかんだで初心が「現世で正しく生きていく」であることは忘れていなかった。最近ずっと色ボケてたけど。
笹木は白い目で見た。
「いや、結構やってるよ。そういうこと」
「えっ」
「えっ……」
互いに顔を見合わせる。
(確かにこいつはするよな。俺はしないが)
(確かにこいつはしてるわね。わたしはしないけど)
「諦めたらどうです?」
「そうだな」
「そうする」
そして二人は大はしゃぎで縁日に向かった。
「苦手なものならセーフじゃないか?」ということで幼児に混じって型抜きを始め、散々に砂糖菓子の型を破壊していた。
十八歳児共め。
慎は遠巻きにその様子を眺めながら、あきれたように半笑いで隣の芽々に声をかける。
「よくやるよね」
祭り程度であそこまではしゃげるのは才能だ。
芽々は型抜きには参戦せず、眠たげに目を細めて頷いた。
様子を見るに少し疲れているのだろう。文化系にはハードなスケジュールだった。
「でもわかりますよ」
「ああまではしゃぐ理由が?」
「駆け込みでも夏休みやりきろうとする理由も、です」
空はもう暗くなっていた。
夕方は夜に変わり始め、提灯の明かりが屋台通りを眩しく照らす。
明かりに染まった横顔。一音一句噛み締めるように、芽々は言う。
「あの人たちは同じ夏が一回きりしか来ないことをわかってるんです」
季節などない異世界で生きてきた彼らにとって夏は二年振りだ。
そして異世界帰りはこの先も必ず続く平穏を簡単に信じたりしない。
慎もまた、漠然とそれを理解する。
今年は駄目だったならまた来年行けばいい、とはならないのだ。
──自分みたいに。
「ま、だから無茶なハードスケジュールにも付き合ったりしちゃうわけですね」
「友達だしね。そのくらいの特別扱いは……」
「違いますよ?」
透き通る緑の両眼でこちらを見つめて。
「芽々は、『友達』は特別扱いしません」
らしくなく、落ち着いた声音で言った。
「あの人たちは友達だから、じゃなくて『特別』だからです」
こちらを向いているはずなのに、何を見ているのかわからない遠い目だった。
息を飲む。
──ああ、まただ。
夏の始まりに感じた焦燥が錯覚ではなかったというようにぶり返す。
いつから芽々はこんな目をするようになったのだろう。
一緒に育ってきた幼馴染の考えることが理解できなくなったのはいつからだったろう。
七年目か、八年目か、分水嶺はとうにすぎていたのかもしれない。
「……十回目」
ようやく慎が絞り出したのは意味をなさない呟きだった。
「? ああ、マコと夏を過ごすのは丁度十回目ですね!」
聡い幼馴染はそれだけで意図を拾う。
慎と芽々は生まれた時からの付き合いだ。
だけど幼い頃芽々は海外にいたから、顔を合わせるのは親戚の集まりだけ。
こちらに越してきたのは小学生の頃だった。
──好きになったのは、一年目の夏だった。
屋台ではしゃぐ年上の友人たちを見やる。
くだらないことに全身全霊をかけて、夏をしゃぶり尽くそうとする彼らを。
(そうだよな。来年も再来年も同じ夏がある保証なんてないんだ)
たとえ『幼馴染』だとしても。
そんな関係は、ずっと隣にいることを保証しない。
「あのさ」
幼馴染を呼ぶ。
呼びかけられた、背の低い幼馴染は自分を見上げる。
自分は幼馴染の目を、見れないまま。
「芽々はおれの『特別』なんだけど」
口をついて出たのは告白の前座でしかない言葉だった。
自分が何を言ったのか遅れて、はっとする。
『なんだけど』ってなんなんだよ。
違う、こんなところで言うつもりじゃなかった。
それなりの状況を整えて、少しだけ関係を前に進めようとしただけなのに。
今話すことじゃないだろう。
──だけど、そう思い続けて十年が経った。今言わずしてどうするのだ。
心臓が早鐘を打ち始める。後戻りはもうできない。
こんな、中途半端な告白ではなくちゃんと言い直そうと、芽々の瞳をようやく見て。
にぱ、と無邪気すぎる笑顔に迎えられる。
「はい! 『幼馴染』ですもんね」
迷いのないその返答に、慎は言葉を失った。
そうじゃなくて、と訂正を入れられなかった。
他に解釈の余地のない決定的な告白を畳み掛けられなかった。
「当然、マコは特別扱いさせていただきますとも」
その笑顔に。嬉しそうに続ける、その言葉に。
──わかってしまった。
芽々の『特別』は、自分の『特別』とは別物なのだと。
「……そっか。よかった」
かろうじて当たり障りのない返事をし、薄く作り笑いをする。
眼鏡をかけていない今の芽々は人の微細な表情の変化までは読みきれないだろう。
(……ああ、そうだった)
寧々坂芽々が人の恋愛に首を突っ込む趣味はそもそも、知らないことを知りたいという好奇心からだ。
彼女は恋愛をパターンと理屈で概要的に理解しているに過ぎない。
他者の恋愛を分析することはできても、自分が感情を向けられる可能性を加味していない。
聡いはずの彼女は、幼馴染から向けられる感情の正体を解することができない。
「あ、綿飴! 買ってきますね」
そのまま風のように目当ての屋台めがけて去ってしまう。
その様子を慎は、ぐっと奥歯を噛んで見送った。
「……それで。二人とも何見てんのさ」
いつの間にか戻ってきていた飛鳥たちが、物陰からこちらを見ていた。
悪戦苦闘の末型抜きに成功したらしい。そんなドラマは知ったことじゃないが。
最後の方は見ていたのか、或いは雰囲気で何があったのかを察したのだろう。なにせ笹木は今の自分がわかりやすくフラれた時の顔をしている自覚がある。
「いやなんだ」
感嘆を込めて飛鳥は言う。
「人が恋愛に右往左往してるのめちゃくちゃおもしれ〜……」
イラッとした。
「この世で飛鳥にだけは言われたくないよ」
「気付いてしまったんだ。他人事だとウケるって」
根本的に芽々側の人間だった。性格くそやろう。
おまえだろ散々右往左往やってるのは!
左右どころか上下にびたんびたん跳ねてるくせに!
『はねる』ばっか繰り出すギャラ○スみたいなもんだろおまえなんか……!
流石の笹木も性格:おだやかを返上し噛みつこうとしたが。
一方はらはらと見守っていたらしい、人の恋愛事情を見ると共感性羞恥で舌を噛み切る体質の咲耶が貧血気味の顔でぐっと拳を握りしめる。
「ま、まだ負けてないわ。脈はあるはず……!」
「慰めが痛いよ文さん」
口の端に血がついてるから目にも痛いよ。
溜息を吐いた。
まったく騒がしい二人のせいで落ち込む気分じゃなくなってしまった。
でも。
──人の恋愛を笑うヤツにはバチが当たれ。
「そういや『負けたらなんでも聞く』って海で賭けたよね。あれだけ啖呵切って飛鳥の負けだったけど」
「!? いや、アレは同点のまま俺がボール割って試合終わったろ!」
「おれのボール割ったから飛鳥の負けだよ」
「ぐっ……ごめん!」
笹木は飛鳥の弱みを知っている。
「というわけで今度、ホラー映画鑑賞会しようか」
「いッ……」
飛鳥が青ざめる隣で、咲耶はぱぁっと顔を輝かせる。
「大丈夫よ、血が出なくてもこわーいのは沢山あるわ!」
「大丈夫じゃないだろそれ……!!」
そこに丁度、綿飴を手に戻ってきた芽々が乱入。
「え、何なに? ひーくんの情けない鳴き声聞き放題の会!?」
「俺は鳴かねえ!」
「そういえば、全員分の言うこと聞いてくれるのよね?」
と思い出した咲耶が聞く。
「芽々はどうするの?」
「ん〜……ウケること思いつかないんで、とっときます」
んふふっ、と怪しげに目を細めて。
「飛鳥さんになんでも言うこと聞かせられる権利、なんておいしいもの。つまんないことに使えるわけないでしょ?」
飛鳥は真顔になった。
「いや、芽々のは聞かないが」
「ええっ、なんで!?」
「ろくなこと考えてなかったろ、今」
「心外ですっ」
「つか綿飴旨そうだな。くれ」
「は〜〜?? いいですよ!!」
騒ぎ始める三人を、少し引いて眺めて。
慎は思う。
(悪くないな、うん。悪くない)
今日この日を手に入れるために、彼らに何があったかは知らないが。
彼らが費やした時間と自分が待っていた時間は知っていて、一度きりの夏の終わりの思い出としては悪くないものを作れた気がした。
皆が楽しいなら十分だ。
「……マコ? 黙り込んでどうしました?」
「いや、なんでもない」
肝心の、芽々との関係は一歩進んで二歩下がってしまったが。
幼馴染との距離はここから詰めていけばいい。
ずっとの保証はないけど、焦ることもないだろう。
「行こうか、そろそろ花火が上がる」
「前いきましょ、前!」
「わたしたちはいいわ」
「人混み苦手だしな。高台行くか」
また後で合流しようと言って、飛鳥たちとは別れる。
予定通りだ。
事前に聞いてなかった芽々は少し不思議そうに、彼らを見送ったが。
「じゃあ、行っちゃいます? 二人で」
はにかんで、芽々は何の逡巡もなく、子供の時と同じように手を差し出した。
その手の大きさが変わっているのに、何も変わらずに。
「手ぇ繋ぎましょ。芽々が迷子になるので」
「やっぱ眼鏡しなよ。よく見えなくなってきたんだろ」
「うぇ〜、芽々実はあの眼鏡好きじゃないんですよぅ」
慎はその手を今は幼馴染として握り返して。
「そういや、いいものがあるんだ」
もう一方の手で鞄から二枚のチケットを取り出した。
──花火大会の特等席のチケットを。
「どうしてそれを!?」
高校生が手に入れるには難しいそれを、芽々は驚いて見る。
本当は、これの力を借りて告白のための下準備を整えようと思っていたのだが。中々実際には上手くいかないものだ。
苦笑して、慎は答える。
「夏休みだからね」
(おれもそれなりにさ、頑張ってみたんだよ)
──普通なりに、少しだけ『特別』な夏になるように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます