第32話 祭りは別腹、駆け引きは大事。


 ──夕方。


 場所は閑散とした海水浴場から離れ、場所は海と山に挟まれた港町だ。

 行き交う人の向かう先を見れば屋台通りの光景が広がっている。


(流石にこっちは人が多いな)


 と、歩道の車止めにもたれかかって笹木慎は思う。


 祭りだ。

 花火大会だった。


 同日に海のち祭りとは、完全に体力バカの考える強行軍である。

 とはいえ夏休みの気力が有り余っている高校生にはそう難しいことではない。祭りは別腹だ。

 

 海水浴の後、一旦休憩を挟んで男女に分かれた。着替えなど諸々の準備があるためだ。

 再度の待ち合わせ場所で、スマホを弄りながら笹木は一人女性陣の到着を待っていたわけだが。


 カラコロと下駄を鳴らす音と馴染みある幼げな声が聞こえる。


「あ、いたいた! お待たせしました」


 芽々が人波からこちらを見つけ向かってきていた。

 それを少し後ろから追って文月もまた歩いてくる。

 浴衣姿で。


「マコのおよふくがビビッドカラーなおかげですぐ見つかりました!」


 笹木は私服のままだ。散々部活で和装をしているので今更浴衣など着る気がしなかった。


 だが見る分にはいいものだと思う。



 浴衣、いいよね。水着よりも好き。

 水着も好きだけど好きだということがバレたら社会的に危ういので、水着よりも浴衣の方が好きだという建前が必要なのだ男には──という説もあるが、『着込んでいる方がかわいい』というのもまた世の真理である。そういうことにしておこう。

 「いやスク水なら十年見てるし?」とか余裕ぶっこいてたら初めて見た幼馴染のビキニ姿が後からボディーブローのようにじわじわと効いている、とかではない。

 笹木は断固として浴衣派だ。



 まじまじと芽々の浴衣姿を見る。

 明るいレモン柄の浴衣だ。お団子は高い位置で左右に結われ、いつもより愛らしさを増してる。

 周りからくっきりと浮き出るような華やかな色彩が、幼馴染に非現実感を伴う不思議な存在感を纏わせていた。つまるところ、『画面から出てきたような錯覚』だ。

 似合う似合わないの次元ではない。

 十年一緒にいるのに、笹木は未だ幼馴染を見慣れることができていなかった。


 そんなどこか二次元的な雰囲気の幼馴染を、地に足つけた存在にするアイテムが〝分厚い眼鏡〟なのだが。


「あれ、裸眼で大丈夫なの?」

「はい! 今日はちゃんと・・・・見える寄りなので」


 笹木は幼馴染の眼鏡が伊達であることを知っている。

 が、それがなければ人の顔を・・・・見失いやすい・・・・・・ことも。

 目立つ色の服を笹木が着るようになったのは、初めは幼馴染のためだったけど。

 それも昔の話で今は単なる笹木の好みだ。


 さて、笹木は芽々の浴衣姿を褒めることはなかったし、芽々もまたそれを慎に求めることはなかった。芽々は自分の満足のために洒落込むたちだったし、幼馴染としての距離感と笹木の性格からしても、ない。


 しかし今日は珍しく、芽々はくるりと浴衣を見せつけてくる。


「見てください帯! すごくないですか? サァヤがやってくれたんです」


 言われてみれば結び方が凝っている、ような……?

 わからない。いつもと何が違うわけ?


 そこで初めて浴衣姿の文月を観察する。

 芽々とは一転、淑やかな雰囲気を纏っていた。

 着なれているのだろう品のある佇まい、芽々とは別種の綺麗さがあり静かに人目を引く。

 その髪は短いながらも流麗に編み上げられ、簪でまとめられていた。


 芽々よりお褒めに預かった咲耶は恥ずかしそうにはにかむ。腐っても旧家の養女である。着付けは昔取った杵柄だ。


「芽々こそ本当にすごいわ。こんなに綺麗にわたしの髪、編んでくれるなんて」

「ふふーん。やりゃできないことはないのですよ。とってもお綺麗ですよサァヤ……」


 自分そっちのけで女子二人がきゃいきゃいし始めるのを、笹木は微妙な面持ちで眺めていた。

 正直美少女二人が仲良くしている様子は絵になる、と笹木は思う。

 だがその対象が自分の片思い相手なので心中穏やかではない。


 飛鳥、早く来てくれ。



 丁度、文月も奴の不在が気にかかっていたのだろう。

 きょろきょろと辺りを見渡す。


「あいつは?」

「飲み物買いに行ってる……あ、話をすれば」

「ひーくん、こっちこっちです!」


 見つけた芽々が手を振る方向に後ろを振り向く咲耶。

 コンマ数秒飛鳥の姿を探し、すぐ前に彼を見つけて目を見開いた。



 ──浴衣姿だった。



「な、なんで」

「見たいって言ってたんだろ?」


 様になっている、以上に言うことはない。

 日南飛鳥は基本的に地味だ。整っているが印象の薄い顔立ち、辛気臭い雰囲気と気配を殺す悪癖のせいで、変な格好でもしてやっと常人並みの存在感が出る。

 よく見ると格好いいがよく見ないとモブだ。

 浴衣など着れば逆に、似合いすぎて風景と化し誰の目にも止まらないだろう。

 

 ──ただ一人、この場で彼しか見えていない生態の彼女を除いて。


「き」


 咲耶は悲鳴を押し殺して叫ぶ。


「聞いてないのだけど!?」

「別にわざわざ言わないだろ」


 笹木は頼んでいたドリンクを受け取る。

 お淑やかを投げ捨て顔面を炎上させている文月に対し、この男は飄々としている。


 すかしよって腹立つな、と思った。

 ストローに口をつけながらぼそりと笹木は、隣の芽々に呟く。



「……浴衣選んでくれって頼み込んできたくせに」

「ね!」



 ──経緯はこうだ。

 

 ひょんな雑談から文月が浴衣好きだと知ったので飛鳥に横流しした。

 そしたら相談された。

 「話は聞きました!」と芽々が嬉々として浴衣を用意し、押し付けた。今日。

 尚、その裏ではやはり芽々が咲耶に水着を選んでけしかけている。

 以上。芽々のやりたい放題。


「いや、水着も浴衣も二人で選びに行けばいいじゃん。どうせ付き合ってるようなもんなんだから」


 一部始終を把握して笹木は正論のツッコミを零した。

 二人きりで完結させないから芽々に玩具にされるんだよ。

 だが、解説の戦犯曰く。


「付き合ってないからですよ。どれだけイチャついても距離感バグってても、あの人たちは大真面目に『恋人未満』のつもりなんです」


 にたりと悪い顔で幼馴染は言う。



「だから好きあっているのを知ってなお──駆け引きしやがるのですよ」



 意味が、わからない。

 芽々はご満悦だった。


「あ〜楽し! これですよこれ! 人の恋路に首突っ込んで甘酸っぱい汁だけ啜ることこそ醍醐味です! こういうのでいいんですよカニとかいらん!」


 ──という背景があったりする。



 水着を着ると元々宣戦布告している咲耶に対し、しれっと不意打ちを仕掛ける飛鳥の方が圧倒的に姑息である。

 黙って好きな女の好きな格好をしてくるのは姑息。しかも「全然狙ってないが?」みたいな顔をしているのがもう卑劣。

 笹木は「全部バラしてやろうかな」とちょっと思った。

 笹木は普通に友達なので、奴が好きな女の前で格好つけたいだけの阿呆だということを知っている。



 ──だが、彼らは失念していた。

 文月咲耶が異様にサプライズに弱い女であることを。




 はわわわと小刻みに震えていた咲耶は、俯きがちに言った。


「ねえ飛鳥、ちょっとわたしの顎を持っててくれる?」

「なんつった? 顎?」


 ぷるぷると、涙目で顔を上げる。



「舌を、噛まないために。わたしの顎持ってて……」



「…………努力しててえらいな」



 ──そういやこいつ、ときめくと舌噛み切る女だった。


 と、飛鳥が諦めたように手を伸ばし。

 顎の裏に、指先が触れた途端。


「ひゃわぁああ!?」

「ウワッ変な声出すな!!? 猫か!?」


 敏感なところを触れられ取り乱した咲耶は反射的に舌を噛みそうになったが、悲鳴を上げたおかげで噛まずに済んだ。


「……ふぅ、耐えたわ!」

「もうさ〜、もうさ〜……バカだろ〜〜」



 目の前で繰り広げられる奇行に笹木は真顔になる。

 

 なにこれ。


 唖然としている間に、芽々は慎のドリンクをしれっと奪う。

 アイスティーを頼んだのが悪かった。紅茶系はよく芽々に奪われる。

 そのまま「は〜〜あ」と溜息を吐く芽々。


「折角愉悦しようと思ったのに。ひーくんは水着に反応しないし、サァヤはバグってるし。なーんもおもんな」

「人の恋愛を笑うとバチが当たるよ」

「甘んじて受けましょう。これが、罪の味……」


 ちゅーとアイスティーを吸われる。人の飲み物を勝手に奪うのも罪だ。

「ごちそうさまです」とドリンクを返される。まあ吸われた量は許容範囲だ。

 だが、ストローは少し、まずい気がした。

 ……数年前までは何も気にせずそのまま口をつけていたのだが。

 笹木はストローを抜いて蓋を開け、カップから直に飲み干した。

 氷を噛み砕くと頭が冷える。



 いつまでも惚けているわけにはいかない、と浴衣ショックから立ち直った咲耶は少し身を引いて、スマホを取り出し一心不乱に写真を撮り始めていた

 好きな男の写真はいくらでも欲しい。ましてや、自分の好きな格好をしている時など。


「最高…………」


 歓喜に打ち震えていた。基本独占欲丸出しの咲耶だが、ときめきが一定以上高まると自分が彼女(予定)だということを忘れてはたからストーカーする悪癖がある。恋の病を拗らせた公認ストーカーだ。

 悪癖のひとつに盗撮があったが、許可済みかつ真正面からの盗撮は果たして盗撮と言えるのだろうか?


「だからさー、おまえはなんで一方的に撮るんだよ」


 撮られることに異論はないが何かが不納得らしい。

 飛鳥は自分のスマホを取り出して、ぐっと彼女の身を寄せ二人で映るようにシャッターを押す。

 折角の写真は複数人で撮る方がいいだろう。

 というか、そういう写真が欲しい。



 しかし彼は失念していた。

 ──文月咲耶が急に写真を撮られるとバグる女であることを。



「ひぁ、」



 ──あと、急に推しとツーショットとか、ときめいて、死ぬ。



 今にも舌を噛み切ろうとした、その瞬間。

 無言でガッと顎を掴まれた。



「やさしい……」



 咲耶はきらきらとした目で見上げる。



「ああ、うん……どうも」


 

 飛鳥の目が死んだ。





 一連の不可解な情事に芽々は顔を覆ったし、笹木は素直に哀れんだ。


 そうだよな。こんなことで好感度稼ぐために浴衣着てきたわけじゃないもんな。

 スカしてて腹立つとか思ってごめんな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る