第22話 手向け花の追憶。
「あれこそが退廃と悪逆の都だ。
命を焼べ、祈りを焼べ、意思も心も焼き尽くして、ただ生きながらえるだけために生贄を捧げ続ける。
そこに罪悪の念も良心の呵責もありはしないよ。
儀式を執り行う心なき人形に感情はない。
人は何食わぬ顔で堕落と安寧を享受するだけ。
我らが獣に堕ちたならば、あれは家畜に堕ちたのだ。
救いはないよ。どこにもない。
だから滅ぼさねばならない。
かつて人を愛した我ら竜が、最後の知恵ある者が、あれに引導を渡してやらねばならない」
人を愛し、人を憎んだ竜は囁く。
◇◇
──その人形は失敗作だった。
滅びかけた異世界に生き残る人類はごく僅か。
唯一残されたのは人形が支配する、機械の都だ。
人は心ある限り呪いの前に破れる。
故に前線に送られるのは心なき人形兵ばかり。
それが
それでも、人以外には竜殺しの聖剣を扱えない。
──人でなければ勇者になれない。
それは使命に反する。
彼らは冷徹だからこそ、無駄な犠牲を是とはしない。
だから
──限りなく人間に近い人形を。
そうして生まれた唯一の成功例に近い存在。
それが蒼眼式十三号・生体人形兵、のちに『聖女』と銘打たれる一人の
だが、
どれだけ竜を殺しても戦闘の技能が向上することはなかった。
どれだけ身体を作り替えても性能は理想に至らなかった。
聖剣の力を十全に引き出すことができなかった。
──魔女を殺すことができないと、判断された。
結論は、「異世界召喚と
そうして限りなく人形に近い人間は、『勇者』ではなく『聖女』となった。
◇◇
──勇者選定の儀から数日が経った。
魔王城へと出立する、そのために聖女は部屋を訪れた。
生体反応を認証し、扉は自動で開く。
白い部屋は病室に似て無機質で冷たい。
「時間です。お加減はいかがですか。準備はできましたか」
「──ああ」
聖女は彼を目にし、僅かに驚く。
召喚した時とはまるで別人だった。
背丈が数日で随分と伸びている。
実年齢よりも二、三ほど年を重ねたように見えた。
服装は旧時代の軍服を転用したそれだ。
鎧の類はないに等しい。竜の前では鉄の硬さなど無意味だ。ならば軽い、守護を織り込んだ布でいい。
目の色には青が混じり始めていた。
元の黒色と混ざり合って色彩は濁っているが、聖女と同じ目だ。
聖剣の使い手はもう彼なのだと思い知る。
──自分ではなく。
聖剣を見る。
青味ががった刃の色。使用者によって形を変えるその剣は、無骨な大剣に変わっていた。
幅広の剣身の切っ先は僅かに鈍く、突くにはあまり向かない。
その分側面の刃がずっと鋭く磨かれており、触れるだけで指が落ちそうだった。
「刀が良かった。これじゃまるで処刑人の剣だ。……まあ介錯って考えたら同じだからいいけどさ」
ちょっと何言ってるかわからなかった。
異文化わからない。
「その腕は……」
「ああ、聖剣の一部──鞘が腕になっているらしいな。ちゃんと動くぞ」
そのまま真剣な顔で腕を弄り始めた。ギシギシ軋んでる。
何してるの?
「クソッ仕込み銃ないのかよ」
「ないんですか。私はありますけど」
「は、サイコガンじゃん!? 羨ましい……」
羨ましいんだ。
男の子わからない。
見せてって言われた。見せない。
今から出立って言ってる。時間押してる。
──千切れた腕を繋げようとはした。
だが如何な回復術をかけても腐り落ちてしまったのだ。
原因は呪い。
あの儀式の際に、
──この世界では、莫大な感情はすぐに呪いに転じる。それを自在に操ることは人には難しく、大抵は自滅する。
彼もまたその例に漏れなかっただけの話だ。
……それにしてはあまりに、陽気すぎやしないだろうか?
まるで別人のようだと思った。
───あの時『滅んでしまえ』と呪った、その声を聖女は覚えている。
訝しみながら問う。
「貴方の使命を理解していますか」
「『魔女』ってのを殺せばいいんだろ。サクッと終わらせる」
聖女は思い出す。
召喚したばかりの頃、彼が言ったことを。
『やるよ勇者。終わったら家に帰してくれるんだろ?』
「……終わらせても貴方を元の世界へ帰すことはできません」
帰還の術式を組むには人類の技術では足りない。
竜の魔術系統を合わせれば可能だろうが、魔王を倒さなければ手に入れることはできない。魔王を倒すことは勇者でも不可能のはず。
「……別に、もう帰る気はないけどな」
ごくあっさりと彼は言った。
「ま、ついでだ。終わったら魔王もぶっ飛ばすか!」
なんの、憂いもなく。
笑って。
──その様子に、恐怖のような何かを覚えた。
感情はないけど。
「……ごめんなさい」
謝罪は口をついて出た。
──私が失敗作でさえなければ。
「私に勇者の資格があれば。あんな儀式を取る必要はなかった」
彼は無感動に視線を聖女にやり、不可解そうに問う。
「……おまえは何を謝っているんだ?」
(……そういうことですか)
聖剣の精神汚染は既に始まっていた。
真っ先に削られたのは
その記憶があれば、自分で自分を呪ってしまう。
それでは回復術が効かない。
それでは死ぬ。
聖剣の精神制御は確かに機能している。
──使い手をこれ以上壊さないために。
「行こうぜ。時間がないんだろ。……準備はとっくにできてるさ」
彼の目を見る。その青は濁っている。
たとえ笑っていたとしても。
その目に光は、ずっと無い。
(私が、失敗作でさえなければ)
──始めから壊れている勇者など造らずに済んだのに。
聖女は人間だ。
けれど人形として造られ、育てられた。
使命だけが絶対だった。
だからわからない。
論理で理解しても、感情で理解することはない。
善も悪も、心も。
旅立ちは夜明け前だった。
空にはまだ星が残る。
都を出た彼らを見送る者は誰一人としていない。
この世界の人間は、そも知らない。
世界が滅びかかっていることなど。
生まれてから死ぬまで機械の都から一歩も出ることはない。
人間は世界が滅びるという絶望に耐えられず、絶望すれば自らを呪って破滅する。
あまりにも弱過ぎる彼らの目と耳を塞ぐ以外に、守る方法はない。
そこには安寧だけがある。
人は何も知らない。
魔王のことも。
勇者のことも。
──世界が滅びることを知り、勇者候補に志願し、死んだ彼ら以外は。
聖女は振り返る。
生きて帰ることはないだろう。
生まれ育った場所を最後に目に収める。
中心には白亜の塔。
その塔から空に巡らされた結界が、かろうじて人を守り続けている。
いつか苦しまずに死ぬその日まで。
真っ白な都は墓標そのものだった。
それでもこの墓標を守ることだけが少女の生まれた意味で、存在する意味だった。
「おまえ、名前はなんていうんだ」
前に向き直る。
「聖女とお呼びください。或いは十三号と」
「それ、名前じゃないだろ」
「……
「へえ。どんな」
聖女は勇者から目を逸らした。
「とうに滅びました」
目の前に広がるのは枯れた大地だ。
草木の影も形もなく、ひび割れた灰色だけが続く。
夜明けの空には竜の影。
鳥も虫もそこにはなく、瞬く星の神話すら失われて久しい。
世界は滅びに瀕していた。
どうしようもなく。
世界を救う。
そのために払う犠牲に痛める心など──心など、ない。
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