第21話 世界をお救いください、さもなくば。


 ──これは遠い昔、遠い世界の昔話だ。


 その世界には竜がいた。

 竜は世界を愛し、人を愛していた。


 理由などはない。

 星より生まれた彼らは皆が皆、人の願いを叶える魔法使いであり、地に満ちる人を愛するようにできていた。


 ある時、人と竜との間で戦が始まる。

 戦の理由を覚えている者はもう誰もいない。

 大事なのは、それはどちらかが絶えるまでは終われない絶滅戦争であったことだけだ。


 さて。

 その時代に、一体ひとりの若き竜がいた。

 名を星喰いのアージスタ。

 けして強くはなく、聡明ですらなく、けれど魔術にだけは長けていた彼の役割は異世界から魔女を召喚することであり。

 また、彼は魔女をもてなす従者の役を担っていた。


 魔女の役割は初め、ただ数滴の血を竜に捧げるのみだった。

 けれど同朋は次第に血に狂い、不死の少女を喰い散らかすようになる。

 従者たるアージスタはその制約により、ただ一体ひとりだけ血を捧げられずにいた。

 ただひとり正気で、生贄の魔女の悲鳴を聞き続けた。

 狂っていく竜たちを眺め続けた。

 そして。



 ──遅すぎる数百年目にようやく悟る。



『我らは疾く滅ぶべきだ』



 かつて誇り高い魔法使いであった竜は皆、言葉すら忘れ獣に堕ちた。

 世界にはもはや神話にも語れぬ惨状しか残ってはいない。


 狂いきった同朋を一匹残らず地に落とし、根絶やしにしなければならない。

 人の子を喰い物にするふざけた呪いなど、早く終わらせなければならない。


 ──わかっていた。そう思うのならば今すぐに皆の首を落とせばいいと。



 だが。

 だがその前に。




 この世界を・・・・終わらせ・・・・なければ・・・・ならない・・・・

 我らが滅ぶその前に。

 あの醜悪な人類を、なんとしてでも滅ぼさねばならない。



 その誓いだけが、若く、さして強くもなかった竜を魔王にした。

 神話にも語れず、うたにもうたえず、寝物語にすることもできない。

 これは最後にひとり残された魔法使いが世界一の悪となっただけの、つまらない昔話だ。




 ──だから。

 千年の過ちの果て。

 生贄の身でたったひとりで立った魔女のことを。

 人も竜も世界も全て滅ぼすと啖呵を切った弟子のことを。

 本当に愛していたなどということも。

 だから余計なことは知らなくていいと、どうせ滅ぼす世界の醜悪さなど知らないでいいと、師心おやごころに思っていたことも。



『所詮邪悪な竜には、無価値な話だ』






 ◆





 わたしは問う。


「考えたのよ。魔女も勇者も本質的には同じだわ。わたしたちは所詮、別世界から召喚しただけの人間。多少適性があるだけの器に過ぎない。そうでしょう?」


 特別な力などはない。

 そのままでは世界を滅ぼすことも救うこともできやしない。


 だからわたしは竜の因子を埋め込まれ、あいつは脳を弄られた。

 ……でも。

 それだけでは、足りない。

 それだけではまだ、滅ぼすことも救うこともできない。


 RPGに喩えれば、あの世界は始めからラストダンジョンみたいなものだ。

 経験値稼ぎのスライムをすっ飛ばしていきなり狂った竜が出てくる、Lv99でないと旅立つことすらままならない、ゲームバランスのイカれた異世界。


 ──そしてわたしの役割は本来、永遠にLv1の生贄だった。


 だからわたしは裏技を使った。

 死に続けながら正気を保つことで、自身の怨念を経験値に変換して。

 ようやく魔女として世界を滅ぼせるだけの力を得た。


 ──ならば、あいつは?


 あいつだって初めはLv1だったはずだ。

 それがただで勇者Lv99になれるわけがない。

 真っ当なやり方で強くなれるほどあの世界は甘くない。



 魔王はらしくなく勿体ぶることもせず、淡々と頷いた。


「そうだ。キミも彼も本質的には同じモノ。召喚された者の役割は、等しく生贄・・だ」


 彼は言う。

 勇者の定義は聖剣の使用者であり、魔女とは違って勇者が別世界の人間である必要はないのだと。


「聖も魔も本質的には同じ呪いだ。聖剣とは名ばかりの呪いの武器だ。血と怨念を媒介に、命を力に変換し、われらを殺す」


 意外には思わなかった。

 呪いは呪いでしか打ち勝てない。

 呪いを断つ剣が、別種の呪いそのものであるのは納得がいく。


「その剣の担い手を選ぶ儀式に、生贄として捧げられるのがキミたちだ」


 ──殺される、ただそのためだけに喚び出される。

 その身勝手は、今はどうでもいい。

 眉を潜める。


「わからないわ」


 話が繋がらない。


「生贄だというのなら……あいつは、なんで生きてるの」


 殺しても死なないわたしとは違うのに。



生き残った・・・・・からさ・・・



 呼吸を止める。

 嫌な予感が確かな輪郭を持ち始める。


「魔女も勇者も本質的には同じだ。キミたちは等しく呪われている」


 瞬きを止める。

 何に、と問う。


「……ああ、確かこの世界にも似た呪術があったね。壺の中に毒虫を入れて、最後の一匹になるまで殺し合わせる」


 心臓が止まる。

 いつか踏み潰した百足が、脳裏を這う。


「もし壺の中で最も弱いはずの金の蚕いけにえが生き残れば、それは極上の呪いに化ける……そういう呪いが、あったろう」




 忌々しさを隠しもせずに、師は吐き捨てる。





「勇者の造り方は蠱毒だよ」






 ◇






 ──夢を見ている。



 これが夢だとわかったのは、視界のど真ん中に過去の自分の姿があったからだ。

 俺は『今』の姿をしていて、一歩引いて『過去』を眺めている。

 他人事のように。



 場所は円形に囲まれた祭壇。

 吹き抜けた天井から覗く空は朝夕を問わず焼けている。

 異世界の空だ。


 いつの夢かを理解して、俺は溜息を吐いてその辺の瓦礫に腰を下ろす。

 思い通りにならない類の明晰夢だと察したからだ。



『世界をお救いください』と聖女は言った。

 滅びゆく世界を救うことは正しいことだと思っていた。

 その方法に正しさが微塵もないとは聞いていなかった。


 ああ、まったく。馬鹿げた話だ。

 ──勇者になりたい奴らが殺し合って最後に生き残った奴だけが勇者、だなんて。



 そして──とっくに事は終わった後だった。



 祭壇は血に濡れていた。

 自分そいつはひとり立っていた。

 額は裂け、腕は千切れ、死ぬほど血が出ていて、死んではいなかった。

 生き残っているのは自分そいつの一人だけで、周りは皆死んでいた。



 目の前には少女の死体がある。

 高潔な少女だった。

 『人を殺すために勇者になろうとしたんじゃない』と真っ先に異を唱えた。

 けれど儀式を止めることは叶わず、自分そいつを庇って死んだ。


 目の前には少年の死体がある。

 苛烈な少年だった。

『こんなところで死ぬために勇者になろうとしたんじゃない』と真っ先に剣を抜いた。

 けれど最後の最後に僅かに躊躇を見せ、自分そいつに殺され死んだ。


 他にも、自分が手にかけたわけではない、けれど俺が生き残る代わりに死んだ誰かの死体が幾つも転がっている。

 きっと地獄の方が穏やかな景色をしていると思った。


 その地獄に似合わぬ聖女が降り立つ。


「選定は成りました。すべての祈りは一振りの剣に。すべての命は御身の糧に」


 唱える祝詞は目の前の女こそがこの地獄の取り計らっているのだと示していた。

 


「どうか世界をお救いください、勇者様」


 聖女は血に濡れた祭壇に傅く。

 人形のごとき表情に、なんの感情も浮かべずに、祈り手を組む。



 自分そいつが何と答えるかはよく知っていた。

 そいつは、死にかけの、引きつれた声で。

 割れた眼鏡の奥で、青く濁りきった目で、呪詛を吐く。



「……滅んじまえよクソ異世界」



 ──ああ、そうだな。

 そしてそのまま死んじまえ自分おまえ




 遠巻きに自分かこを眺める。

 とっくに過ぎ去ったことだからだろうか。

 或いは他人事・・・だからだろうか。

 ひどく冷淡な気分で、怒りも悲しみも湧かない。

 ただそれでも、目の前の光景のすべてが肯定できない「間違い」であることだけは痛切に理解した。



 足元には千切れた自分そいつの腕が無様に転がっている。

 あの後、何故か・・・聖女の術でも繋がらなかったのだったか。

 だが惜しいとは微塵も思わなかった。



 あれは人殺しの手だ。

 あんなものは・・・・・・失って・・・当然だ・・・




 ──夢はまだ、醒めない。






 ◆◆





「我が愛弟子よ。勇者を愛した愚かな魔女よ。思うだろう?

 ──あんな世界は、滅んでしかるべきだ、と」

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