第20話 それがあなたの奈落と今更知って。
──数日後。
「ひどい顔だね」
朝方、かつて飛鳥の部屋だった牢獄で。
いつも通りに尋問に来たわたしを見て、
「その様子だと戦果は芳しくないようだ」
どうやらこちらの状況は割れているらしい。
その通り、あれから数日が経過した今も聖女を捕まえられないでいる。
この数日、吸血鬼みたいな昼夜逆転で聖女を探していた。
人目のこともあるが、幽霊としてこちらに居る聖女も魔女であるわたしも夜が領分だ。
聖女は逃げに徹してる。
わたしの呪いで存在を現世に固定化されたから、異世界に帰れない代わりに現世で自由に動けるようになったのだ。
勝てない戦はそもそもしない、奇襲にしか興味がない。聖女の戦い方は彼に似ている。
多少の魔法は聖剣で無効化されるし、やりにくいったらありはしない。しかもこちらは殺しては駄目とくる! 向こうはこっちを殺す気なのに!
時間経過で不利になるのはこちら側だ。
『いつも通り』を演じる限界は刻一刻と刻まれている。
──早く終わらせないと。
終わらせて、それで……
こちらの旗色を見破って、魔王は嘯く。
「どうだい? やっぱりボクと契約して世界を滅ぼそうよ……」
「うるさい」
剣でざっくりと殺ると魔王は取れた首で「うわー」と棒読みの断末魔を上げた。
聖剣以外では殺せないとはいえ痛覚はきちんとあるはずなのに、けろりとしている。
何か役立つ情報を吐く気配もない。
何よりも忌々しいのは。
魔王が未だに芽々の顔をしているということだ。
感性が人外に寄ってしまっているわたしでも、流石に良心の呵責はある。
友達と同じ顔の相手を傷つけるなんて、ほんといや。
人を殺すんじゃないから脳に悪くないとしても、心臓にすごく悪い。
痛む胸をしかめ面で押さえる。
「六十点。殺し方に遠慮があるね。斬り口が汚いよ」
「採点するなクソ師匠」
殺し方とかどうでもいいじゃない殺せたら。
魔王は鎖に繋がれたまま器用に落ちた首を拾い、不満げに戻した。
「
斜めにずれた首でにっこりと微笑む、その目を見て。
思い出す。
──
飛鳥は
友達を同じ顔の相手を殺すことを。
──違和感がくっきりと輪郭を帯び始める。
いえ、そもそも。
あいつ、なんで殺しちゃダメって知ってるの……?
呪いに詳しくないはずの勇者が。
魔女ですら知らなかったことを。
──嫌な連想が繋がる。
聞かなくちゃいけないことが出来た。
「……帰る」
踵を返した。
背後から甘言が聞こえる。
「いってらっしゃい魔女。手遅れにならないように足掻くといい。
──次にここに来たときは、ひとつ質問に答えてあげよう」
◆
急いで窓を開ける。
部屋に入ると朝焼けの薄明るいキッチンの中に、ぼんやりと壁にもたれかかる飛鳥がいた。
開いた窓から戻ってきたわたしを見て、飛鳥はくつくつと笑った。
「変な感じだな。今更おまえが窓から入ってくるのを見るのは」
「……まだ起きてたの」
先に休んで、って言ったのに。
目の下の隈が絶望的に濃くなっていることと、笑いの沸点がおかしくなっていること以外はいつも通りの様相で、
魔法で眠らせてあげられたらよかったけど、あれは呪いなので乱用すると脳に悪い。使ったのはこの前の一度きりだ。
「また膝枕でもしましょうか」
「あれ割と寝にくいぞ」
「じゃあ抱き枕」
「何を?」
「わたしを」
「それで寝れるやつはもう勇者だろ」
「あんたじゃん」
「俺だわ……」
中身のない、脳が回ってない会話を淡々と回す。
このまま軽口で全部うやむやにしてしまえたらいいのにな、と。
さっき決めたばかりの覚悟が鈍る。
躊躇っている間にポットから電子音がした。
お湯が沸いて、マグカップに注がれる。コーヒーの香りがし出す。
安っぽいインスタントの、馴染んだ朝の匂いにわたしの心は落ち着いて。
落ち着いたから気付けた。
──これは眠りを殺す匂いだと。
今、昼夜は逆転している。
眠るべき時間にコーヒーを飲む理由は眠ってはいけないから
わたしは軽口を装って、切り出した。
「覚えてる? いつか、もしも
──わたしたちがようやく友人になった五月の屋上でのことだった。
『その時は。おまえがあの世界をめちゃくちゃにするのを隣で大人しく見ていたよ』とあなたは答えた。
「あったなそんなこと」
甘くも苦くもないだろうコーヒーを啜って、飛鳥は相槌を打つ。
「意外だったわ。あなたって正しさに厳しいと思ってた」
「そこまでじゃない。俺がほんとに正しかったらおまえと一緒に住んでない」
「そうね。あんた意外と誘惑に弱い」
「分かっててやってるのかよ」
? あっさり『おかえり』に釣られたことだけど。
「あの時も……あなたの答えは似ていたわ」
──六月の夕方の海で。
もしも異世界に戻ることになったら滅ぼしてもいいか、とわたしは聞いた。
『戻れなくなる。だから、駄目だ』と言った。
「おまえ記憶力良すぎない?」
「日記つけてるから」
頭の出来には自信がないから沢山復習をするのと同じこと。
大事な思い出は何度も反芻して、
「あなたは一度もわたしに間違っているとは言わなかった。……間違っているから駄目とは、言わなかったわ」
だから。あの時、『分かり合えない』と思い込んでいたわたしたちは互いに歩み寄れたのだ。あの時、頭ごなしに『間違っている』と言われなかったから、わたしは言うことを聞こうと思えたのだ。
そういうところが多分好きだった。
そういう中庸の取り方に、わたしは「日南飛鳥」らしさを感じていた。
でも、もしも。
否定しなかったのではなく。
「あなた、本当は。
──わたしたちは最初から、分かり合っていたんじゃないの?
ガシャン、と耳をつんざく音がした。
床にはコーヒーが溢れている。
揃いで買ったマグカップが無残に割れている。
手を滑らせた、飛鳥の顔を見る。
「まさか。そんなわけないじゃないか」
……嘘吐き。
笑って誤魔化そうとするのは悪い癖だ。
本当に悪い。
だって、笑えてない。
──歪んだその顔は、泣き顔にしか見えない。
頭の血管が弾けた。
「なんて顔をしてるの」
マグカップの破片を裸足で踏みつける。
黒い水溜りに血が混じる。
止める声は無視した。
ちっとも痛くなかった。
でも目尻に滲んだ熱いものは痛みのせいだということにして欲しかった。
胸ぐらを掴む。
ずっと言いたかった。
抱きしめて、胸を貸して、背をさするくらいはやってあげるって。
あの時! あの世界で! そう、言ったじゃない!
──いつまで強がっているつもりなの!?
「泣くなら、ちゃんと泣きなさいよ!!」
だけど彼は、胸ぐらを掴まれたまま。
ひどい顔のまま、ぽつりと零す。
「……どうやるんだっけ」
ああそっか。
こいつは泣かないんじゃなくて。
──泣けないんだ。
『ああ──もう、いいか。全部』
頭の中で悪い魔女が囁く。
うるさい。黙って。
けれど頭の中の声は止まらない。
だってわたしはもう。
世界が壊れる音を聞いている。
◆
わたしはひとりで牢に戻る。
朝でも真っ暗な部屋の中で、待ち構えていた魔王は言う。
「おかえり魔女」
「おまえにおかえりなんて死んでも言われたくない」
「彼はどうした?」
「眠らせて置いてきたわ。寝不足引き摺り回して聖女の捜索とかやってらんないもの。うっかり殺されるでしょ。正直足手纏い。
──ここから先はわたしひとりでいい」
「ねえ
目の前にはすべてを知るだろう千年を生きる魔法使い。
すべてを知っていて黙っていただろう、人でなしの師。
囚われの身であるにもかかわらず、傲岸不遜に笑みを浮かべる魔王。
「
わたしは覚悟を決めた。
土足で過去に踏み入る、覚悟を。
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