第6話 この夏がずっと続けばいいのに。
さて、稀にくだらないことで喧嘩することこそあったが、反省と改善の第一原則に乗っ取れば和解できないことはない。俺たちは仲直りのプロだ。
仲直りしたのに昼食に延々とカニカマ料理を出すあたり、咲耶は陰湿なのだが。
──共同生活もつつがなく、この一ヶ月が過ぎ去った。
まるで初めからこうであったかのような、しっくりと嵌った日々。
もしかして俺たちは初めから一緒に住んでいたんじゃないか、と錯覚するほどだ。
一方、魔王の尋問は順調ではなかった。奴はどうやら本当に、俺が寿命で死ぬまでしらばっくれるつもりのようだ。
流石に七輪で焼くのはやめたようだが、何やら魔法でやっているらしく、俺に手伝えることは精々咲耶の変身(角アリ)状態を引き出すことだけだ。
「なんか悪いな。俺が変われたらよかったんだが……」
「いいのいいの。正義の味方が汚れ仕事しちゃ世話ないでしょ」
一戦の後、自分が魔女であることに開き直った咲耶は軽く笑ってそう言ったが。その言葉に違和感を抱く。
「……俺、正義とか掲げたことないけど」
「あら?」
「咲耶さぁ、時々俺のことすげえ美化してるよね」
苦笑する。
咲耶はどうやらピンと来ていないようだった。
まあいいか。どうだっていいことだ。買いかぶられるのは、実はそんなに嫌いじゃない。格好はつけられる時につけておくものだ。
──そういう、少々アレな非日常と壁一枚を隔ててはいたが。
概ね、この一ヶ月は穏やかなもの。
大抵は課題やバイトに明け暮れていたが、そういった諸々をまとめて片付けたおかげで夏休みの後半には遊びの予定を詰め込むことが出来そうだった。
「あんた『休み』の意味知ってる?」
「休んでるだろ? この前も芽々ん家でしこたまかき氷作ったし、クラスのやつらと遊びにも行ったし、親戚に挨拶回りもやって、いい感じの滝も見つけた」
「それ全部用事よ。『休む』の定義は家でだらだらする、よ」
「……ああ! この前は咲耶と家で夜通しゲームしたな! あれは熱かった」
「そうじゃないわ、そうじゃないのよワーカホリック」
おかしい。俺はちゃんと休んでいるのに……。
「……ま、楽しめてるなら問題はないのかもね」
「楽しいよ。夏休みは有限だ。一日たりとも無駄にしたくない」
俺は夏が好きだ。
窓よりも好きだ。
一年で最高の季節だと思う。
夜が短く、鮮やかで、
なにせあの異世界に季節なんてものはなかった。
俺はもう二度と夏を迎えられないと思っていたし、現世に戻ってきた時でさえ、もう夏に期待をしていなかった。
──隣に彼女がいる夏なんて、夢に見ることもしなかったのだ。
さて今を〝最高〟と呼ばずして、何と呼ぶ。
──ああ。
「この夏がずっと続けばいいのにな!!」
彼女は、二、三度。耳を疑うように瞬きをして。
「……飛鳥、ねえ飛鳥、あんたテンションおかしいわ。夏酔いしてる? 大丈夫?」
「ははは」
「感情バグってない!? わたし心配になってきたんだけど!?」
◇
とはいえ。
夏休みだからと言って学校がないわけではない。
たとえば補習だったり文化祭の準備があったりする。今日は後者の用があり、久々に二人揃って学校に行く日だった。
八月も残り半分、夏休みが明けたら文化祭か。感慨深いな。
「文化祭準備の後なんだけど。わたし、実家に顔出してくるわね」
朝は日々の連絡事項を告げる場だ。
食卓の上にはいつも通りのトーストと味噌汁が並んでいる。
「俺も今日の帰りは遅くなる。盆だから墓参りに行かないと」
咲耶はトーストにバターを塗りながら、目を丸くして呟いた。
「……えらい」
「うん?」
「わたし、
「ああ、仲悪かったんだっけ」
合点がいく。
「あなたは、仲良かったのよね」
「祖母とはな。両親は……何も覚えてないけど、恩がある」
咲耶は無言でトーストを齧りながら、視線で相槌を打った。
時期のせいだろう。なんとなく話しておきたい気分だった。いわゆる生い立ちというものを。
「事故なんだけどさ、俺だけ生き残ったらしいんだ。庇われて」
頭の傷は子供の頃ガラスで切ったと言ったが、正確にはひしゃげた車のフロントガラスで切った傷だった。……記憶としては元々無いものとはいえ、ついこの間までその事実すら忘れていたというのは笑えない話だ。
「──いい人たちだったはずだよ。写真をたくさん残してくれたし、親戚から話もよく聞いた。蔵書はひとつ残らず読んだ、けど。まあ……正直、遠い憧れの人たちって感じだな」
写真でしか見たことがなく他者から語られる存在は観念的だ。例えるなら映画の中の登場人物のような隔たりがあった。存在の現実感を感じられず、好き嫌いを論じることすらできない。
──だから咲耶の持つ、親への愛憎のような生々しさや実感が、少し羨ましいような気もする。
咲耶はぽつりと呟く。
「愛されていたのね。……いえ、こんな言葉聞き飽きたでしょうけど」
「そうだな。……いや、聞き飽きないよ俺は」
咲耶のその声に僅かに羨望が滲んだことに気が付く。
……まったく。お互い、隣の芝生が青いにも程があるな。
俺は味噌汁を一気に飲み干した。
「実は俺は、愛されて生きてきた自信がそれなりにある」
咲耶はあきれて笑った。
「あんたのその意味わかんない自己肯定感! わたし、好きだわ!」
……まあ、俺っていうか正確には昔の自分なのだが。
それを言うのは流石に野暮というものだろう。
朝食を終えた後、家を出る前にカレンダーをもう一度確認する。
お互い家の事情や立場が特殊なので、盆の法事に縁がない。つまりただの休みだ。
「咲耶、明日の約束は覚えてるよな?」
「当然よ。──海、でしょう?」
『夏になったらもう一度海に行こう』と約束をした。
明日がその日だった。
「──せいぜい水着、楽しみにしてなさい?」
蠱惑げに首を傾げ、挑発的に微笑む咲耶を、白い目で見る。
「……いやそれ目当てじゃねえから」
断じて。
咲耶は愕然とした。
「うそ……見たくないの? 健全な男子高校生が?! 彼女(予定)の水着を見たくないなんてそんなッ……嘘よね??」
無視した。
「Gカップよ!? み、見たいって言いなさいよ!! 見たいって!!! わたしの水着、見たいって言え、言えーーっ!!!!」
無視して先に家を出る。
「うわーーん飛鳥のばか!!! もう知らない!!!」
◇
夕方。つつがなくその日の文化祭準備を終えた後、隣のクラスに顔を出す。少し芽々に頼み事があったのだ。
だが、扉の前で芽々を呼ぼうとしたその時。
「やあ、
後ろから聞き覚えのある声がする。
驚いて反射的に振り返る。背後に人を立たせるとは不覚──じゃねえわ。俺は結構背後ガラ空きで生きてるわ。
だから驚いたのは、その
「……
瑠璃は真っ黒な瞳で俺を見上げ、ゆっくりと微笑む。切れ長の目の下には泣き黒子がある。
横でひとつ結びにした黒髪が、僅かに首を傾けた時にゆらりと揺れた。
「
弾むように言葉を発しながらも、その笑みはどこか冷ややかである。
溌剌とミステリアスの同居、纏う雰囲気が中性的で、その声は凛と澄んでいるようでしっとりと耳に残る……鈴堂瑠璃は雨が降りそうで降らない乾いた曇天のような少女だった。
そして何よりも。彼女は、
現世に帰って来てすぐのことだ。鈴堂瑠璃は俺を見て呟いた。
『──君は、センパイじゃ、ない』
あいつは一眼見ただけで、俺の自我の連続が曖昧であることを看破していたのだ。もはや霊感の域である。
あれ凹んだ。めっちゃ凹んだ。実は更地よりキツかった。もう人生駄目だろ感があった。そんな面と向かって言うかよ。いいけどさ、事実だし。
──だからもう二度と、瑠璃に話しかけられることはないと思っていたのだが。
廊下に立つ鈴堂瑠璃は制服のループタイを弄びながら、軽やかな調子で言う。
「ああ、わかってる。僕に用ってわけじゃないんだろう? ──芽々、君に用だよ」
教室の中へ呼びかけた。よく通る彼女の声に気付いて、人だかりの中で芽々が手を振った。「ちょっと待っててください!」
俺は戸の前で待ちぼうける。何故か瑠璃が側から動かないのだ。
こちらを見上げる、品定めする流し目。
「最近調子はどうだい?」
「あ、ああ。すこぶるいいけど」
「ふぅん? ……そうは見えないけどね」
けれどそれ以上の追求はなく、黒髪の尾を揺らして瑠璃は教室へと戻っていった。
「…………」
あいつ、なんか怖いんだよな。咲耶の数倍くらい怖い。昔は子犬みたいに懐いてくる可愛げのある後輩だったのだが。
──彼女は俺のいない二年の間に変わってしまったのだろう。
異世界なんか経なくても、月日は人を変えるのだ。
「お待たせしました!」とようやくこちらへぱたぱたと駆け寄ってきた芽々は、入れ違いになった瑠璃を横目に、不思議そうに俺に訊く。
「るりさんに嫌われてるんじゃなかったんですか?」
「どう見ても嫌われてるだろあれ」
俺はちゃんとわかってるぞ。
「ん、んんん……いや、やめときます。それで、ご用件はなんでしょーか?」
「ああ、オカ研の部室に入りたいんだ。昔置きっ放しにした本があることを思い出してな」
「それなら、今丁度空いてますよ。先客がいるので」
「先客?」
◇
離れの古棟にあるその部屋は、今は芽々が取り仕切るオカルト研究部の部室で、二年前は俺が所属していた天文部の部室だった。
備品をそのまま引き継いているため、望遠鏡やら本やらがそのままになっている……俺の私物もそのままに。
用件というのは、その私物を取りに行くことだった。
今朝咲耶と話していた時に思い出したのだ。親の蔵書の一冊が確か部室に置きっ放しになっていたことに。
部屋の戸を開けると、その
「……お、日南じゃないか!」
派手に染めた赤髪の男が、屈托なく俺を呼ぶ。
……いや、なんでいるんだよ大学生。
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