第三章 夏休み同棲編

1節 幼年期が終わらない。

第1話 一緒に暮らす、夏だから。

 其処は遠き異界の魔王城。


「情趣もクソッタレもない最終決戦だったな」


 竜の王にして魔法使い、翼持つ大蛇である魔王の死体を前にして。

 突き刺さる青い聖剣を引き抜き、勇者は呟いた。

 背後、あきれたように口を開くのは魔女だ。


「情趣って……あるわけないでしょ。裏切者わたしの手引きでこっそりお城に入り込んで名乗りもせずラスボスの口上も聞かず、後ろから暗殺ブチかましたら、そりゃそうなるわよ。最終決戦をなんだと思ってんの舐めてんの?? わたしたちの千年なんだったのよ……」


「いやーめちゃくちゃ油断してたな魔王。何あれ過労? 駄目だぞちゃんと寝ないと」

「目の下真っ黒なあんたにだけは言われたくなかったでしょうよ魔王せんせいも!」


 魔女は瞳を大きく歪めて呻く。


「ああもう! 最悪! 勇者も魔王も世界も全部このわたしの手で滅ぼしてやるつもりだったのに!! こんな、こんっな……ふざけた男に負けるなんて!!」


 忌々しげに足を踏み鳴らし、ハイヒールがひび割れた床を抉った。


「うはは面白。マジで地団駄踏むやつ初めて見た。ガキじゃん」

「その煽り方がクソガキなのよこのボンクラ勇者ーッ!!!」


 亜麻色髪を振り乱し苛立ち紛れに魔法を放つ魔女を軽くあしらう。

 つい先日まで殺し合っていたにしては、随分と安っぽい罵倒と攻撃の応酬だった。


「ま、いいけど。死体蹴りするから」

「クソ倫理女め。念入りにとどめ刺しとけよ」

「言われずともよ。──『爆ぜろ』」


 術に巻き込まれないよう、勇者は遠巻きにそれを眺める。

 出血の概念を持たない竜を相手に返り血を浴びることはなく、珍しく自らの血に汚れることもなかった。闇討ち様々だ。

 だが、こうもあっさり片付くと感慨も何もないのも確かである。


「……俺の二年、なんだったんだろうな」


 魔女は甲高く哄笑しながら魔王の死体を消し炭にしていく。

 爆炎が上がるたび肉片が散り、燃えて、火花と共に弾けていく。

 城の天井は魔術の余波に破られ、伽藍堂の城に星の灯りが降り注いだ。


 汚い花火だなと思った。それが何の文脈だったかは思い出せなかった。

 花火にしては風情がないが酒の肴くらいにはなるだろう。城で見つけた酒瓶を取り出し、けれど自分が何歳いくつだったかを思い出してやめた。

 燃え盛る遺骸の中に酒瓶を放り込む。ガシャン、と音を立て割れて、炎は一瞬勢いを増した。


「あははッッ、フランベだ! 食べられないけど!!」

「師匠をステーキにする弟子がいてたまるか」


 熱に浮かされる彼女とは対照的に、彼は静かに溜息を吐いた。

 その手に剣がある限り、彼は凪でいられた。

 だから、つとめて平静に。

 目の前の冒涜的な惨状を眺めて。


「おい魔女」

「なに。その呼び方やめなさいよ」



「おまえ──泣いてるぞ」



 彼女はきょとんと濡れた目を丸くして、煤に汚れた頬に手を触れる。


「……え? あれ。本当だ。おかしいな。全然そんなつもりないのに」


 ぼろぼろと鱗のように落ちるその滴を不可解そうに何度も拭って、けれど涙はとどまるところを知らない。見るに耐えなかった。


「別に、泣いてもいいんじゃね」


 頬を濡らしたまま、彼女は引き攣るように笑う。



「あはっ……声を上げて泣くって、どうやるんだっけ」


 

 涙は出るのに嗚咽の出し方がわからないのだ。

 そのいたましさに、彼は深く顔をしかめる。


「なぁに。あんたこそひどい顔。泣くなら胸、貸してあげるけど? 柔らかいわよ」


 魔女は、晒け出された柔らかな双丘をわざとらしく持ち上げて。泣き濡れた童顔に不釣り合いな笑みをあでやかに浮かべてみせる。

 鼻で笑った。



「ハッ。俺は強くて格好いいから泣かねえんだよ」


「なにそれ。むかつく」




 

 それは今からたった、半年前のことであり。

 今となっては、あまりに遠い昔の記憶ことだ。





 ◇





 六月末の雨の日、橋での決戦の後。

 芽々を通じ現世にやってきた魔王を封印してから、一週間程が経った。

 無傷で完勝とはいかなかったため、俺が退院できた頃には七月。

 外はすっかりと夏になっていた。


「ね、飛鳥。帰ってきたところ悪いけど、先にわたしの家に来てくれる?」


 と、頼んでもないのに当たり前に付き添いに来た咲耶に言われた。

 わざわざ手間をかけさせたのだから頼みを断る気はないし、何か用があるのだろう。

 荷物もそのまま、彼女の家に向かう。

 

「お邪魔します」


 と玄関に上がるなり。


 一足先に玄関に上がった咲耶はくるりと振り返る。

 夏らしく一本にまとめた三つ編みと淡い色のワンピースの裾が揺れ、涼やかな笑顔がこちらを迎える。


「あら、もう『お邪魔します』じゃないわ」


 その言葉の意味を理解する前に、意味を突きつける。



「今日からここはあなたの家・・・・・なんだから」



「……何言ってんだ?」

「今日から一緒に住むってこと」


 さらりと涼しい顔で咲耶が言う。

 なるほど、と俺は頷いて。


「聞いてないぞ!?」

「言ってないもの!!」


 即座、赤く閃く左眼の魔眼。後ろでガチャンと玄関の戸に魔法で鍵がかかる音がした。

 クソッ内側なのに何故か扉が開けられない!!


「ふふふっ、かかったわね。退院早々問答無用で連れ込んだのはこのためよ……」


 悪の女幹部のような不穏な笑い声を溢し、彼女は俺にびしりと指を突きつける。



「観念なさい、逃げ道はないわ! 選択肢はわたしと一緒に住む・オア・デッドよ!」



「おかしいだろ」





 

 悲しいかな、咲耶に襲われるのも慣れてしまった。まあ魔女なら何も言わず閉じ込めるくらいやるな、とか、正面突破ばかりのくせにちゃんと不意打ちできてえらいな、とかそういうことを考える。現実逃避かもしれない。


「せめて理由ぐらいは教えろよ……」


 咲耶は真顔で言った。


「だって夏よ。あんたの家、エアコンないじゃん」

「窓がある」

「窓がないのは独房だわ。死ぬわよ」

「心頭滅却すれば火もまた涼し」

「普通の人間には無理よ。死ぬわよ」


 解せない。俺は強いので死なないが……。


「だから一緒に住むしかないじゃない。さもなくば死オア・ダイよ」


 咲耶の目が据わっていた。だがそこに狂気の色はない。完全に正気。


「もうね、あんたのパターンが分かってるのよ。お腹空いて倒れる、風邪引いて倒れる、次は熱中症よわかるわ。わかっていることを回避しないのは馬鹿よ。──三度目は、ない」


 そして咲耶はその辺から(魔法で)取り出した数枚の紙をパァンッと俺の胸板に叩きつける。


「部屋なら余ってる! ここに金銭・家事分担・設備使用における厳密なルール設定を書いたわ! これはあくまで健全な共同生活ルームシェア! さぁ、異論があるなら言ってみなさい! あと義母かあ様にも許可取ってるし! あなたに逃げ道はないわ!!(二回目)」

「なんで許可出すんだよあの人!! 仲直りしたようで何よりだよ!!」


 外堀を埋められている。退路がない。だが、諦めるのはまだ早い。

 ──常識的に考えて恋人未満の男女がひとつ屋根の下で暮らしていいわけがないのだ。


「……なあ咲耶。一緒に住むってどういうことかわかってるのか?」

「何を?」


「間違いが、起こるかもしれない……」

「なんで? あんた理性鋼鉄じゃない」


 そこまでではない。そこまでではないぞ咲耶!!

 アマゾンで除夜の鐘買うか……。


「大丈夫よ。洗脳キスでもしない限り起こんないわ」


 咲耶は微塵もこちらを疑わず、ふふんと胸に手を当てる。


「まかせて、わたしがんばる」


 嘘だろ……こいつ、自分が襲う可能性・・・・・・・・しか想定してねぇ!! 痴女か!? 




 これ以上の追求は分が悪い。別の切り口で反論を探す。


「えー、あとあれだほら! 居住空間に聖剣があるの、嫌だろ!」


 魔女である咲耶にとっては聖剣は存在するだけで不愉快なもの。いわば蚊と蚊取り線香の関係だ。そんなものを腕にひっさげてる俺は本来彼女にとって『生理的に無理。近付かないで』のはずなのだ。……いや、自分で言って悲しくなってきたな。なんで仲良くできてるんだ?

 咲耶は真顔で頷く。


「そうね。呪いの人形と暮らすくらいにイヤね」

「めちゃくちゃイヤじゃん!!」

「慣れよ!!!!」

「慣れ!??」


「半メートル間隔空けたら全然平気だし。ちょっとゾワってなるだけだし。全然平気よ。今更だわ」と咲耶。

 聖剣、蚊取り線香より弱い。


「それに腕、まだ動かせないのは不便でしょ?」


 確かに前回ざっくりと切った左腕はまだ治っていないが。


「別に片手あれば事足りるだろ」

「すぐに利き手変えられる異常器用人間め……」

「はは、おまえ不器用だもんなー」

「煽ってんの? 久々に喧嘩する???」


 ムッとして臨戦態勢を取る咲耶だが。


「……いや、今更喧嘩になるかよ俺たち」

「……ふふ、そうね。実は全然腹立たない」


 すぐに柔らかく表情を崩した。



「不思議! ちょっと前まではあなたが何を言ってもむかついたのに!」



 そういや、あまり「あんた」って呼ばれなくなったな。

 この半年で、順調に馴れ合っていた。



 



「それに、何よりも。わたしと一緒に住むと毎日『おかえり』が聞けるわ」


 ──それはもう、何年も聞いていなかった。


「……魅力的で逆らえないな」

「でしょう?」


 わかってるんだ。多分、俺たちはずっと『おかえり』が欲しかった。


「ほら、わたしに言うべきことは?」

「わかったよ。俺の負けだ。──ただいま」


「ふふ……おかえりなさい。飛鳥」




 そして七月、なし崩しに同居生活が始まったのだった。






 ◇





 ようやく居間に入り、ふと花を飾ってあるのを見つける。

 その花は色こそピンクから紫に変わっているが、先月のデートで俺があげたものと同じだと勘付く。

 それは一ヶ月弱が過ぎた今も、赤い花瓶の中で咲き誇っていた。

 ──恐ろしいほど瑞々しく。

 長持ち、という話ではない。それにこの色と妙な気配は……。


「おまえ、まさか……呪った?」

「一生飾るの。ウフフ」


 ゾッとした。ものすごい納涼感である。

 やべえ女を好きになっちまったな……。

 今からでも逃げた方がいいんじゃないか、と退路を確認したのだが。


「ね、ね。お寿司とる!?」


 こちらを呼ぶ咲耶に毒気を抜かれる。


 ……ま、いいか。咲耶がワサビ入りなのは今に始まったことではない。毒を食らわば皿までだ。



「……怖いなー、惚れた弱みって」

「?」

「いや、なんでも」

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