幕間4 26.5話 水泳の授業での一幕。


 六月中旬。

 梅雨真っ盛りでまだ肌寒いが、プール開きの季節である。


 当然、入るわけがないのだが。


 水泳の授業は受けたくなければ受けなくていい、というふうにこの学校はなっているのだが、しこたまレポート課題が出るのでわざわざそうする人間は少ない。


 そんなわけで体育の授業中、二人は教室で机を合わせて課題をこなしていた。

 ちなみに教室は二階で、真下にはプールがある。窓際の席から水音はよく聞こえる。風流だな、と向かい合わせた咲耶の方をちらりと見て。


「……いや、おまえは泳げるんじゃ?」


 なんで一緒にサボった?

 咲耶は手を止め、曖昧に笑う。


「流石に目がばれそうだし」


 眼帯はとうに辞めたとはいえ、コンタクトを付けたままでは水に入れないし、前髪で隠せもしない。


 それに。


 咲耶は赤くなった顔を背け、絞り出すように言った。



「……スクール水着を、着たくなくて」



 正確にはスク水着て「でもこの人十八歳(数え年で十九)なんだよな」と思われるのが、嫌。

 留年組に付き纏う年齢コンプレックスであった。たまに制服も恥ずかしい。

 いや、多分クラスメイトもそろそろ忘れてきた頃合いだけど。

 なお自分のことは棚に上げて飛鳥には一生制服着て欲しいと思っている。似合うから。


 飛鳥は飛鳥でこの学校の制服が一番似合うのは咲耶だとなんの疑いもなく思っているため、その辺の機微が微妙に分からず「水着のデザインが嫌なのか?」と考える。


 論理的に考えてスクール水着にいやらしい要素はない。

 地味だし布面積も多い。

 学校指定という時点で健全なのである。


 ──だが、そこに強い恥じらいを加えると、ものすごく駄目なもののような気がしてくる。


 うっかり想像した。

 紺の布地にぴったり覆われたお腹とか。

 食い込んだ太腿とか。

 明らかに容量をオーバーしそうな胸元とか。

 その上で、恥じらいながら身体を抱く彼女の上目遣いを──、


 バキリとシャーペンの芯を折った。


 ……速攻、廃止すべきでは? 破廉恥だ。



 うう、と火照った顔で咲耶は溢す。


「スク水着るくらいなら、紐みたいな水着の方がマシだわ……」


 うっかり想像──しない。理性の生き物なので。


「頭おかしいのか?」


 ……こいつもしかして普通に馬鹿っていうか痴女なんじゃないか?


 まあしかし。

 確かに咲耶の水着姿が衆目に晒されない、というのは自分にとっても利である。

 見学しろ。水着着るな。


 だが、そこで気付いてしまった。


「海行く時どうするんだ……」


 そういや、誘ってしまった。

 夏、海に。


 その時は「水着が見たい」とかいう下心なしに誘ったため、考えるに至らなかった。

 いや、見たいか見たくないかで言ったら見たいけれど。あの状況と雰囲気で、水着見たさで海に誘う男は嫌だろ……の深層心理が、今この瞬間まで飛鳥の理性を強化し「水着」という発想をロックしていた。


 ロック解除。

 想像──海水浴場で衆目を集める水着姿の咲耶。

 キレそう。

 シャーペンの芯がバッキバキになった。


 誰だ海に誘ったの。馬鹿じゃないのか?


 そんな内心などは知らず、咲耶は「そうね、海に行くなら新しく水着買わないと」と呟く。


「どんなのがいい? あなたの好きなのを着たいわ」

「ウェットスーツ」

「却下よ」


 露出が高いのは駄目だ。

 ウェットスーツにフィンをつけてペンギンみたいにベチベチ歩く咲耶を想像する。至極健全である。

 よし、それで良い。そのままいけ。ビキニなんて着るな。海の幸でも取ってろ。酸素ボンベもあるぞ。


「なんなのよ」とむくれる現実の咲耶は放置。

 海でビタンビタンするナマコに情けない悲鳴を上げる咲耶を想像しながら高速でレポートを片付けた、その後だ。


 ガラリと教室の扉が開いた。

「やほ」と手を振るのは芽々だ。

 隣のクラスは前の時間がプールだったので、髪がしっとりと濡れている。


「どうした芽々。授業中だろ?」

「自習だから抜け出してきたんですけど?」

「自習しろよ」


 フリーダム。


「ひーくんはい、お土産」

「何?」

「塩素玉」

「なんでだよ」


 芽々はふふんっと笑い、



「芽々は! 潜水が得意です!!」



 ドヤァとキメッキメのポーズを取った。


「仲間だな」

「おそろです」


 キャッキャした。


「いや、あんたの場合は沈んでるだけよそれ」


 聖剣は結構重い。

 実はめちゃくちゃ肩が凝る。


 貰った塩素玉は後でプールに返却しよう、と思った。

 勝手にとっちゃダメ。




「てか学校でイチャつくのやめた方がいいですよ」


 突然真顔で芽々が言い出す。


「別にイチャついてないけど……なんでだ?」

「え、知らないんですか? ひーくんとサァヤがいつ付き合うか、一部ではもう賭けが始まってますよ」

「何それ!?」


 咲耶が叫んだ。


「この高校のやつら、祭り好きなんですよね……」

「ああ……」


 自由な校風に惹かれてわざわざ辺鄙なところに進学するだけあって、生徒は地元の人間or変人というラインナップだ。

 飛鳥はただの地元民である。変人の側ではない。


「ま、せいぜい儲けさせてもらいますけどねー」

「……え、おまえ賭けたの?」

「胴元にいっちょ噛み」

「なんなんだおまえ」


 賭博は犯罪だが金をかけずになんか上手いことやれば健全な「遊び」である。

 世の中にはいろんな抜け道があるし、特に学校というのはひとつの独立した世界なので、なんだかんだでお目溢しが効くのだ。

 人の色事で稼いだ焼きそばパンは美味い。


 二人して頭を抱えた。


「わ、わたしは何もしてないわよ! 学校ではお淑やかにしてるんだからっ!」


 ちょっと前に我を忘れて飛鳥を連写した女が言う。


「俺だって暇な時しか咲耶に話しかけてないだろ!」


 咲耶が辻斬りならぬ辻告白を受けて以来、イヤ過ぎて無意識に暇さえあれば咲耶に話しかけるようになった男が言う。


「……まじ言ってます?」


 隣のクラスの芽々がそれを知っている時点で完全にアウトである。


 どこでミスったのかわからず真剣に検証(笑)と議論(笑)を始める窓際の二人を、芽々が生温かく見守りながら「この情報はオッズにどう影響を及ぼしますかね……」と脳内電卓を弾く。

 寧々坂芽々は人の恋愛を食い物にする女である。



 そして、授業終了のチャイムが鳴った──その時だった。

 突如窓から塩素玉が飛んできて、防御ガラ空きの状態の飛鳥の頭部に激突した。


っ……誰だ今の!?」


 なお、塩素玉は水でぐずぐずになっていたため、衝突時のダメージは四捨五入してゼロと換算する。


 飛んできたのは教室の真下のプールからである。

 プールサイドで一部始終を見ていた笹木が犯人に問う。


「……寺戸、何やってんの?」


 辻告白の下手人、眼鏡のチンピラ猿こと、合気道部の寺戸である。

 水泳なので眼鏡の代わりにゴーグルだが。

 供述。


「人がクソ寒い中泳いどるのに教室でイチャつきおってからに、腹が立った」


 合気を極めれば人の後頭部にノーダメージで塩素ぶち当てるくらい余裕なのである。古武術はすごい。


「俺は俺の視界でイチャつく男女の存在を絶対に許さん。俺にカワイイ巨乳の彼女ができるまではすべてのアベックを滅ぼす。そういう生き方をな、すると決めたんじゃ……」


 控えめに言ってテロリストである。

 が、チャイムが鳴り授業が終わった今、生徒が何をしようと教師は咎めないのがこの学校の理だ。

 自由時間とは何をするのも自由である。テロ行為も自由。


「あ゛??」


 ちなみに飛鳥はキレていた。

 人間一年目なので沸点が低い。


 こんなこともあろうかと、芽々は懐に忍ばせていたものを差し出す。


「ひーくん、はい」

「何?」

「くそつよ水鉄砲。水圧やばくて当たるとめっちゃ痛い」

「なんで?」

「夏の乙女の標準装備ですよ」

「そうか」

「ちがうわよ」

「ちょっとってくるわ……」


 飛鳥は出て行った。

 窓から。


「???」


 あいつ、窓から出る癖ついてきたな? と咲耶は思った。



「……わたしのせい?」



 その後飛鳥はプールに落とされて上がってこなかった、などがあるが、まあ些事である。些事なんじゃないかな。

 ついでに塩素玉も返した。えらい。

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