幕間5 35話 病室での一幕。

「お見舞いといえば林檎よね」


 なんだかんだで魔女の傷の治りは早い。

 火傷はしれっと治って、咲耶の手にはいくつか絆創膏が残るだけだ。


 三つ編みに清楚なワンピースという装いで平日の放課後に見舞いに訪れた咲耶は、缶切りでガリガリと林檎缶の蓋を開けていく。


 飛鳥はその様子を微妙な顔で眺めていた。

 病院嫌いなのでテンションが低かった。家帰りたい。


「いや、なんで缶詰?」


 というか、林檎の缶詰なんてあるのか。


「ふふっわたしは林檎の皮、剥けないわ」


 さもありなん。


「手を血だらけにして毒林檎と化すわ」


 洒落にならない。


「やっと開いた!」


 見て見て、と開いた缶を見せられる。

 途中、缶切りがすっ飛んでいくなどのアクシデントはあったが、無事に達成できたようで何よりだった。

 正直、飛鳥は世話されるのは苦手だ。だが目の前で缶と奮闘している咲耶を目の前にして口を出せるだろうか? いや出せない。

「ありがとうな」と缶を受け取ろうとして。



「はい、あーん」



 フォークで差し出された林檎の水煮を前に、硬直した。

 ニコニコと笑顔の咲耶。


「いや、するわけないだろ!?」


 逃亡。即、服を掴まれて失敗。


「ウフフおとなしくしてるがいいわこの怪我人がよ……」


 よく見ると咲耶は据わった目をしていた。


「……あれっもしかして怒ってる!? 何に!?」


「ええ! あなたの無茶に怒ってます! わたしがけしかけたから怒る筋合いはないなぁ……って思っていたのだけどね? あんたさっき『思ってたより軽傷で済んだな』って言ったでしょ。もう許しておけません」


 肉を切らせて骨を断つのは悪癖だ。


「いや待て、よく考えてくれ。俺は一貫して無傷で勝ちたいと思っている。が、現実的ではないからどこまで食らっても動けるかは計算する。その上で、計算結果よりマシな決着になるように努力して、達成した。さっきのはその上で出た言葉だ。つまり、俺は褒められていい!」


 全力の言い訳に、咲耶は真顔になった。


「…………そうかも?」


「あとそれを言うと、俺もおまえが何回死んだのか追及していいってことになるぞ」


「…………数えてない」


 小言を言いたいのを堪えた。


「そっちの方がヤバイだろ」


 死ぬなと言えない時点でもう情けないのだが、せめて数えよう。頓着はしてくれ。


「……??」


 咲耶は指折り自分の消費したライフ数を数えて、やはり思い出せずに首を傾げた。

 駄目だ、両方異世界ズレしているからまともな判断ができない。平行線になる。

 飛鳥が生きるのが下手なら咲耶は死ぬのが雑だ。どんぐりの背比べと言うのもどんぐりに失礼。



「ところではい、あーん」


 しれっと再度フォークを向ける咲耶。


「なんでそうなる……」

「話題を変えて誤魔化そうとしても無駄ってことよ」


 ばれたか。家帰りたい。


「ふふ、観念なさい。今のあなたは実質両手が塞がっている……」


 右は聖剣なので咲耶に触れないし、左は絶対安静だ。


「つまりわたしを止めることは不可能よ!」

「止まれよ……」


 怪我したらしたで心配はするが、それはそれとして弱みを握るチャンスは逃さない、元敵として染み付いた咲耶のさがだった。


 あーんとか駄目だと飛鳥は思う。

 どのくらい駄目かと言うと、駄目すぎて「あーんとか駄目だろ」とも言えない。

 なんだこの恥ずかしい擬音。餌付けって言え。もう音が果てしなく子供扱いだ。

 子供扱いじゃないにしても。


「恋人じゃないんだぞ!」

「キスまでしておいて今更何を恥じらうことがあるの?」

「俺がおかしいのか!?」


 無敵モードが継続中だった。

 じっと大きな目でこちらを見つめる咲耶に、反論を突きつける。


「せ、正当性がない!」

「ないわ!」

「えっ」

「ないわよ?」


 あっさり認められて反論の矛先を失った。


 すっと手を胸元へ、開き直りというにはとても穏やかな微笑で、彼女は言う。



「ええ、これはわたしの我儘です。わたしがあなたを甘やかしたいだけ。

 ……でも飛鳥は優しいから、わたしの我儘、聞いてくれるでしょ?」



 その囁きに、


「……え、うん?」


 飛鳥は混乱した。

 いや、ちがくないか? あれ?

 ちょっと今、何言われたのかわからない。


「はい、あーん」


 混乱のまま、うっかり言われるがまま口を開きかけ──



「病院でイチャつくなクソボケェ!!」


 突然、扉が開く。

 罵声と共に高水圧水鉄砲が放たれ、顔面がビシャビシャになる。


 下手人こと寺戸は「チッッッ」と盛大な舌打ちをしてそのまま病室から出て行った。


「……何今の?」


 野生の寺戸?


「タイミング悪くてごめんねー」


 苦笑しながらポニーテールを揺らして入ってきたのは、クラスメイトで学級委員長で演劇部の女子生徒、麻野だった。


「あ、私は提出物届けに来ただけ。先生が文月ちゃんに渡し忘れてたから。寺戸はイチャつきの波動を感じとってついてきた。邪魔し終わったから帰るってさ……」


「妖怪か?」


 とりあえず顔を拭いて、「わざわざ悪いな」と書類を受け取る。


「いいのいいの。私は学級委員長という名の担任のパシリだから」


 憂いを帯びた横顔で麻野は言った。


「あの人には私がいなくちゃ、ね……」


 遠い目だった。

 沈黙。


「淫行教師じゃねーですか!!」


 窓から芽々が生えた。

 ちなみにここは一階だ。


「おまえどこからでも出てくるよな」

「芽々ですからね」

「芽々ならしょうがないな」


(魔女はダメなのに?)


 と置いてけぼりになった咲耶は訝しんだ。

 とりあえずあーんは諦めて林檎は缶ごと飛鳥に渡す。


「でも悪い教師じゃないよな。本当はダメなのに夜の屋上に入る許可くれたし」

「それは悪くないですか?」


 告白の時の話である。『何をするんだ?』って聞かれたから『女子を口説きます』つったら担任はめちゃくちゃウケてた。『フラれたら酒奢ってやるぞ!』と言っていたので、まあクズではある。


「賄賂におはぎ持ってかれたけどな」

「収賄教師じゃねーですか」

「そもそもなんで学校におはぎ持ってるのよ」


 説明する。


「朝早く起きるじゃん」

「うん」


「山行くじゃん」

「うん?」


「帰りに商店街通るじゃん」

「うん……」


「おはぎもらう」

「??」


 解説の芽々。


「あ〜、ひーくん妙に年上ウケいいんですよね。うちのおじいちゃんも『あれはうっかりカレーを極めにインドに行く器ですね。将来有望ですよ』と褒めまくってました」


 何を褒められているのか。


「ちなみに『見舞いにはカレーですよ』って持たされてるんですけど」


 道理で匂うと思った。



 話を聞いていた麻野が言う。


「にしても。日南君は橋から落ちて、文月ちゃんはグラタン皿で火傷するなんて。二人ともツイてないねー」

「……グラタン皿?」


 咲耶が目を背けた。


 あ、言い訳?

 こいつ聖剣のことグラタン皿と同列視してる?? マジで??


 非難の視線を送り続けていると麻野がふと不思議そうに零した。


「…………あれ? というか。二人って一緒に失踪してたよね? あれなんだったの?」


 もう六月なので「あんまりその辺気にしないように」という暗示も解けかけているのだ。今更猜疑心が湧いたらしい。


 やべえ! と無言で顔を見合わせた。

 咲耶がスッと目元に手をやり、瞳がこっそり光る。

 魔法発動。


「多分ヤクザ」

「うん、多分ヤクザ」


 採用、ヤクザ誘拐説。

 まあ異世界人なんてヤクザみたいなもんだからね。


「記憶喪失だからわからないけど」

「ほら、わたしお嬢様だから。誘拐くらいされるし。こっちはとばっちりで巻き込まれた人っぽい」

「犯人捕まってないの怖いよなー」

「ねー、こわい」


 言い訳が雑である。


 だが無事に再洗脳がかかり、麻野は「そうなんだー」とあっさりスルーした。



 病院も警察も面倒ごとは全部、魔女の雑洗脳でクリアしていた。

 現世なのでめちゃくちゃな無法ができるわけではないのだが、異世界に関係があることについては魔法に補正がかかるのだ。 

 関連事象については魔女としての力を引き出せるとか言い様は色々あるが、要するにご都合異世界パワーだ。



 洗脳耐性持ちの芽々だけがしらけた目で見ていた。


「倫理観どうなってるんですか二人とも……」

「俺もか?」


 共犯である。



 そして無事に咲耶のあーんは有耶無耶のまま阻まれたのであった。

 林檎は自分で食べた。

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