3節 地下の国のリトルウィッチ。
第27話 真実はいつもおおまかにひとつ。
これは、少しだけ昔の話だ。
異世界のおぼろげな記憶の中でも、いっとう鮮烈な記憶がある。それは
眼前には赤い海の上に建つ堅牢な魔王城。茜に焼けた空を埋め尽くすのは、夥しい数の竜。
その
顔はヴェールで隠れて見えなかったが。その立ち姿だけを見て、既に薄れていたはずの意識の片隅で──綺麗だ、とかすかに思った。
かの世界での竜は、狂った目をした薄気味の悪いバケモノだ。だというのに、それらを従える彼女は〝魔女〟というよりも姫や巫女のように清廉に見えた。
同僚である〝聖女〟は言った。
『あり得えません……歴代のどの魔女にも、戦う力などないはずです』
だが魔王とて、たった一騎で世界を滅ぼせない。勇者の使命はあくまで、数多の竜を
──つまるところ、魔王城とは魔女を守るための鳥籠で。魔女とは大切に守られるべき〝最弱の駒〟だ。
だから。
『前線に出るなど、あり得ない』
はずなのに。現に、彼女はここにいる。
空を見上げた。遠く高く互いの顔など見えやしない。けれど彼女が恐れ知らずに真っ直ぐに、こちらを見据えているのは理解した。
号令。姫巫女のごとき魔女が手をかざす。彼女の命に従って、星が堕ちるように竜が降ってくる。
──ああ、なるほど。彼女は例外のイレギュラー。歴代最弱のはずの魔女の中で〝最強〟というわけだ。
その姿は〝絶対的〟で。見惚れるほどだった。
だから。きっと、彼女こそが
◇
「いや、変身シーンが雑なんですよ」
異世界カチコミ作戦決行当日。天気予報では夜から雨だ。今はまだ空の色が見える晴れ具合だが、まばらな雲は西日に色付きながらもどんよりと重い。
場所はかつて異世界から帰ってきたときに落ちた川、そこにかかった橋の上。人払いは魔法で済ませて、俺たちは支度──つまり、聖剣と角を出し終えたところなのだが。
寧々坂芽々はめちゃくちゃ不満そうな顔で文句を付けてきた。
「『やるかー』『はいはい』ってだるそうに指チョンして変身シーン終わりとか。ありえんでしょ……!」
芽々の理不尽な抗議に。隣、お馴染み破廉恥ドレスに衣装変えした咲耶と顔を見合わせる。
「やだよいい歳してポーズとるとか」
「そんな余裕ないわ。触るとバチってなるし」
「静電気かよ」
「じゃあそこは譲っても、ひーくんが制服のままなのは大問題だと思います!」
確かに異世界の魔法事情にとって、装いは大事である。それは魔法使いではない俺とて例外ではない、が。
「問題ない。制服は冠婚葬祭こなせる最強装備だ」
「マジで言ってます?」
「芽々こそ、その格好はなんなんだよ。無人島でも行くのか?」
芽々はポンチョ型の黄色いレインコートという重装備で、ついでに横長のトランクという大荷物だった。ちなみに、いつもの伊達眼鏡は魔法のために外してある。
俺の質問に、芽々はこてんと首を傾げた。
「だって今から異世界行くんでしょ?」
確かに今回の目的は『異世界と繋がる扉を作ること』だと芽々には説明してある。その後状況によってはカチコミだとも。だが。
「…………ついてくんの?」
むふん、と胸を張る芽々の態度が返答だった。
「あのなぁ、芽々? 向こうには鞄とか持ち込めないぞ」
「転移術式に弾かれるわ。着ている服くらいで精一杯よ」
「だからお二人手ぶらだったんですか!?」
……まあいいか。芽々が「ついてく」などと言おうが、
「それじゃあ、情趣もへったくれもないが始めるか。咲耶」
「ええ、任されたわ」
彼女は魔法を準備する。橋の上、既に描いてある赤い血文字の魔法陣の中心に彼女は立ち、
「定義するわ。ここは橋の上。そして橋とは古来、あの世とこの世を繋ぐモノよ。
詠唱の後、赤い光の粒子が瞬いて、そこには大仰な扉が出現する。きゃあきゃあと黄色い歓声をあげる芽々。少し離れた場所で俺は「いや、それってつまりどこでもドアじゃん」と思ったが、台無しになるので黙る。俺は空気が読めるので。
芽々はうきうきと扉に駆け寄り、手をかけて、不思議そうに言った。
「……あれ、開きませんよ?」
「ええ、まだ鍵をかけているもの」
彼女は淡々と答え、おもむろに魔法で虚空から水鉄砲を取り出した。プラスチックの透明な玩具の銃、その銃口は芽々に向けられていた。
「はい?」
ひと気の消えた逢魔時の橋は静まりかえり、分厚い雲が奇妙な茜に染まって、沈んだばかりの陽の反対に月が登り始めていた。
「動かないでね。ただの玩具でも中身はわたしの血だから。いつでも本物に変えられるわ」
「……なんのおふざけですか、これは」
引きつった笑みで芽々は訊く。
「悪いな。これも魔法の手順に必要なんだ。ちっとばかし茶番に付き合ってくれ」
芽々は瞳の星を輝かせ、皮肉げにハッと笑う。
「頭に銃口突きつけて、それが人に頼みごとをする態度ですか? まあいいですけど。友達なので」
寛容で助かる。今度プリン奢ってやろう。
「それじゃあ、腹を割って話そうか。お互いの、
俺は魔法陣の縁まで近付き、左右を魔女と扉に挟まれた寧々坂芽々に向き合う。
さて、
──寧々坂芽々が何であるのか、その答えを。
「第一に、おまえは初めからおかしかったよな。こちとらそんなことは一言も言ってないのに、俺たちを『異世界の』と呼んだだろう」
「想像ですよひーくん。ファンタジー好きとして当然の思考でしょう?」
「でもおまえは、この世界がファンタジーだと知っている。なら、俺たちも現世に由来していると考えるはずだ。なのに、迷いなく『異世界』と言った。不自然じゃないか」
「偶然です。人間は意外と理屈で行動しないんですよ、飛鳥さん」
「おまえはふざけたやつだけど理由のないことはしない。今も昔もそうだろう?」
「あはっ記憶が戻ってるようで何よりですね、先輩?」
寧々坂芽々はころころと呼び名を変えて、愛嬌を顔面に張り付かせたまま、冷淡な声音で受け答えをする。その様は、人形か何かのようで不気味だった。
「それから──極め付けは先月のことだ。咲耶が俺を襲ったあの事件。その前に、おまえが咲耶に妙なことを吹き込んだ」
『あれは俺ではない』と間違いではないが重大な誤解を導く発言を、寧々坂芽々に吹き込まれさえしなければ、あんな過度な実力行使は起こらなかっただろう。
「おまえのせいにするつもりはないが、随分とタイミングがいい話だな? その上喧嘩の場面まで見ていたってのは、ただの偶然と片付けるには
寧々坂芽々の言動は、『最初から異世界を知っていた』と考えれば理屈に合う。
そして。寧々坂芽々の『行動が合理的すぎる』という不合理の正体には──
「
芽々は、目を細めた。
「やですね。めっちゃ正気ですよ芽々は」
「洗脳と言っても『思考の誘導』程度の軽いものだろうな」
術者の望む方向に、無意識に動いてしまうだけの。勇者時代の俺が特に思い入れのない世界を「とりあえず真面目に救っておくか」と考えるようになる程度の。軽度の洗脳だと勘を巡らせる。
芽々の返答は無反応。
「では誰がおまえを洗脳したか。簡単だな、動機があるのは
──思うと先月のあの喧嘩は、咲耶をけしかけて狂気に陥らせることで、『俺が魔女を倒さざるを得ないような状況』を作り上げるのが、狙いだったのかもしれない。
アイツらは俺が魔女を連れて逃げたことと、聖剣をパクったことにブチ切れて、向こうで散々追いかけてきたのだから。
だが、異世界のモノが
第一原則として、奴らは現世までは追いかけて来られない。だから、俺たちから自発的に戻らせようとしたのだろう。転移術式の破片で異世界と繋がってしまった寧々坂芽々を使って──聖剣を取り返すために。
妥当性から導き出した推論はあくまで想像。証拠はない、が。証拠がなければ実力行使で引き摺り出せばいいだけだ。
「悪いなつまり。『これから異世界に行く』っていうのは、嘘だ」
だって必要がない。
そして、彼女がもう一度呪文を唱える。
「再定義する。『其は異界を繋ぐ扉にあらず。繋がり、異界の真実を写す鏡である』」
──異世界の言語で、本当の呪文を。
寧々坂芽々の前にそびえ立つ大きな扉が輝き、姿形を変える。彼女が真に組んでいたのは、寧々坂芽々に繋がってる何かを、引き摺り出すための
わざわざ素知らぬ顔で、相手の思惑に乗った目的は二つ。巻き込まれた寧々坂芽々という人質の解放。そして相手を確実に、この場に引き摺り出すためだ。
そう、やることは変わらないのだ。場を整えて、罠を仕掛けて、宣戦布告。主導権を手放さない。
相対するは、魔法の鏡に映る寧々坂芽々の〝虚像〟。
「それじゃあ、交渉といこうじゃないか。異世界人」
鏡と咲耶に挟まれた、本物の寧々坂芽々は、人形のように無表情にこちらを見つめ──否。眉を下げて、僅かに微笑んだ。悲しそうに。
「……待って。違うかも」
咲耶が芽々のこめかみに銃口を突きつけたまま、震える声で言う。
「ねえ。
答えの撤回、その根拠を。
「異世界のことを誤魔化したり気を逸らしたり、他のものに注意を向けたり、そういう誘導とか暗示とかが得意なのはどちらかというと……
──彼女が、何を言おうとしているのかに気付く。
「それに。先月のあの事態は……途中まで、
敵を想定する選択肢は、初めから二つしかないのだ。
「馬鹿な。
──くす、くすと。鏡に映った〝虚像〟の唇が歪む。鏡の中、寧々坂芽々の自我の裏に巣食っていた〝何か〟が、異界の言語で嗤う。
『正解だ。
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