第28話 魔法使いは窓からやってくる。
それは雪の降る二月の夜のことだった。
空から落ちてくる人間の幻覚と、目の中に何かが刺さったような錯覚を体験した寧々坂芽々は、その不可思議に困惑した。
「一体、なんだったんですか……?」
その正体をまだ知る由はない。瞳は既に異世界と繋がり始めていたが──まだ、はっきりと
だがその後。五月のある夜に至って。寧々坂芽々の瞳は完全に異界と接続する。
二度目の不可思議が、寧々坂芽々の前に現れる。それは、自室の窓に映る〝蛇〟の影だった。
『なぁキミ。そう、そこのキミだ。見えているのだろう? 聞こえているのだろう?』
──見えてはいけないものが見えるというのは危険なことだ。
『目を背けてはならない。耳を塞いではならない。ボクはキミを見つけ、キミはボクを見た。それだけで
──
『さぁ、契約をしようじゃあないか』
蛇は囁く。
『君の願いを、なんでも叶えてやろう』
人を惑わす甘言を。
『代わりにキミの名を、キミの存在を、少しばかりこのボクに分けておくれ』
「……何者、ですか」
しゅるしゅると、奇妙な笑い声を立てて。影は答える。
『とある世界で一番の、魔法使いさ』
◇◆
くすくす、ころころ、かんらから、ゲラゲラと。魔術で作り出した鏡の中。寧々坂芽々と瓜二つの虚像は、同じ声で嗤う。
「死んだはずだって? ああ、確かに死んださ。見事な奇襲に、念入りな
しゅるりと二股に分かれた舌で、唇を舐める。
「だがね、キミ」
緑の瞳は赤く染まり、爬虫類の瞳孔が開いた。
「──この
鏡の中、
「そう、ボクこそが星喰いの竜にして
名乗りを上げる。
「
そして、ふらりと本物の芽々は倒れる。魔王との接続を急に断たれ前後不覚に陥ったのだろう。咄嗟に受け止めた咲耶の腕の中、芽々は苦しげに目を瞬き、
「ハッ……魔王が時!?」
「言ってる場合!?」
いやこいつ余裕じゃん、と飛鳥は思った。
考える。寧々坂芽々に取り憑いていたのは、想定していた相手ではなく、殺したはずの魔王だった──なるほど、少々面食らいはしたが。
「都合がいいな」
「ええ、僥倖だわ」
魔女は抱きとめた少女を降ろし、向き直る。
「お久しぶりね、
「どうだったかな? 最近物忘れが酷くてね。年だから」
「知ってる。こいつ絶対知ってる」
「御託はいい。
魔王はふむ、と小さな顎を撫で、自らを閉じ込める鏡面を吟味する。
「なるほど。『真実を映し出す術式、本物と分離させる術式、寧々坂芽々の瞳から欠片を移し異世界と接続、その上で厳重に鍵を掛け、檻としての強度を保っている』……
「──だが、あと二点足りない」
手をかざす、それだけで。
「……ッ!」
「師匠越えにはまだ早かったようだね?」
ずるり、と。中の
純正の異世界の者は現世に渡れないという第一原則を破り捨てて。
(……そういうことかよ)
──寧々坂芽々を通して異世界に繋がる門を作らせようとした、その目的は自分たちを向こうに呼び戻すことではない。
──
「どれ、折角ヒトの形を得たんだ。少し遊ぶとしよう」
細い指を鳴らすと、
速攻、
しかし。魔王は聖剣の刃を、少女のか弱い指先のみで受け止める。ジュッと刃に触れた指が焼き焦げるのも厭わない。
「『魔女殺しにして竜殺しの聖剣』……
あっさり受肉しておいて何を言うこのバケモノめ、と吐き捨てる。友人と同じ顔を斬る羽目になるとは、本当に人生ツイていない。
後退。問う。
「テメェの狙いはなんだ」
「当然、あの星を滅ぼすことだ。そのために、最高傑作たる
「ふざけんな!」
「お断りよ!」
彼が低く剣を薙ぐ。その背後、魔女は構えた銃から血の弾丸を撃つ。けれど魔王は軽やかに刃を避け、弾丸の術式を
不死身の特性上、魔女は回避が不得手である。跳ね返った弾は赤い左眼を撃ち抜いて、脳髄に入った。
「ッ……」
悲鳴も上げずに硬直。一回死んだ。いつものことだ。
即座に損傷を再生──、その途中で。
ぐるりと世界が回った。
「……あ、れ?」
──脳の中に撃ち込まれた
魔女は、目を押さえ、膝から崩れ落ちた。
「──言っただろう。
膝をついた魔女の前に、ゴシックドレスと金の髪を揺らしてトン、と降り立つ魔王。
聖剣に焦げたその指先に触れられる前に、魔女は咄嗟に魔眼を発動する。
左眼、〝鍵〟の
──とうに陽は沈み、夕は夜へと塗り変わっていた。流れる暗雲もまた停止し、東の空の隙間には黄金の月が覗く。
硬直した世界で、魔王は口だけを滑らかに動かす。
「覚えているだろうか。キミが弟子となった時、契約としてボクに名を捧げたことを」
──寧々坂芽々が持ちかけられた契約と同様だ。
『名を捧げる』というのは存在を分け与えるということ。対価として力を与えるが、代わりに相手の精神に穴を空ける。魔法使いの弾丸が撃ち抜いたのは、魔女のその『穴』だ。
魔法使いは、詠唱する。
「『名付けは存在の定義であり呪いだ』。キミが地球で魔術を十全に使うには満月を待つ必要がある。だが『この地球において満月は狂気の象徴でもある』
──つまり、キミの力は月が満ちるほどに高まるが『満ちるほどに
蜥蜴の瞳を輝かせ、少女の形をした竜は、二又に割れた舌で囁く。
「さて、思い出させてあげよう文月咲耶。『──キミが、かつて世界を滅ぼしたいと願ったことを』」
唱えるは過去への再生。精神の退行。狂気の最盛へと誘う、揺れ戻し。
「あ、……あぁ、」
(──
眼前、角のある頭を抱えた彼女を見て。飛鳥はいくつかの筋繊維を代償に、硬直を振り切って動く。
「咲耶!!」
名を呼ぶ。それが彼女を
だが。既に彼女の眼に、
惑う瞳を見開いて、叫びがつんざく。
「嫌っ……! 来ないで……」
「
「────は?」
(一体、何を言っている?)
脳裏を過ぎる疑問は一瞬。察しがいいことだけが取り柄だ。
(……まさか)
解けきらない硬直の魔法の中。鉛のように重い腕で、剣を悪竜に突きつける。
「なぁ魔王。アイツに、何をした?」
振り向きざま、悪竜は「知らなかったのか?」と少女の顔を白けさせる。
冷たい汗が背筋を流れる。
──ひとつ。〝魔女の役割は竜に強化の魔法をかけることである〟
心臓が嫌に鳴って、頭に血が昇る。
──ふたつ。〝魔女の魔法には捧げる血肉が必要である〟
迫り上がる吐き気を、唸るように捻じ伏せる。
──みっつ。〝魔女はいくら血を流し肉を削ろうと再生する、不死身である〟
「……まさか、テメェら」
「
悪食の竜は嗤う。
「ご名答」
◆◇
──かつて〝竜〟とは最も恐ろしく、最も強靭な怪物の名であった。
その爪はどんな剣よりも鋭く、その瞳はどんな宝石よりも力を秘め、その翼は嵐を引き起こし、その頭蓋は千年の叡智を湛える、かの異世界で最強だった種族だ。
──それがどうして、世界を滅ぼすために〝魔女〟を召喚する?
弱い人間の少女なぞ。必要がない。使い道がない。その筈だ。
──だが、彼らは気付いてしまった。
別世界の少女に竜の因子を植えつければ、人ならざる〝魔女〟となることに。魔女の血肉が、どんな美酒も敵わない〝至上の甘露〟となることに。そして何度でも死ねる魔女は、怨念という最上級の
歴代の魔女に戦う力などない。
──魔女とはすなわち、竜に捧げられる〝生贄〟の名なのだから。
(……何が勇者だ)
すべてを、手遅れになる前に救えずして。
(何が……やるべきことはすべてやった、だ)
彼女の落ちた無間地獄を知りもしないで。
その元凶を、人を喰い星を喰う
(──俺は何も、救えてなどいないじゃないか!!)
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