第26話 不純異性交遊はまだ許されない。


「……なるほどね。そういうことだったのか」


 芽々と二人して笹木の前で正座する。

 笹木は染めた短髪にピアスという一見チャラい要素に反して、レッサーパンダのように平和的なのだが。そういうやつほど、怒ると普段との落差で怖い。

 俺たちの釈明を聞いて木刀を置いた笹木は、ずばりと判決を下す。


「芽々が悪いよ」

「だよな!?」

「なんでぇ!?」

「いや大人気ない日南もどうかと思うけどさ。もう仕方ないよ、日南だし」

「俺、なんだと思われてる?」

「それより、芽々がおしとやかなふみさんに変なこと教える方が悪いよ。あと紛らわしい悲鳴も!」


 どうやら咲耶は笹木にまであだ名を付けられていたらしい。仲良くなったようで何よりだ。……いや、おしとやか?


「芽々はただ、さっさと二人を進展させてやろうと思っただけなのに……」


 余計な下世話だ。


「おまえさぁ、なんでそんなに首突っ込むわけ?」


 人の色恋が『趣味』とは聞いたが趣味の理由がわからない。芽々は「んー」と考えて、答える。


「まず芽々、恋愛とかあんまよくわかんない系なんですよね」


 なんか咲耶みたいなこと言い出したな。


「でも、わからないものってウケるでしょ? なんで皆あんなに右往左往するんだろ〜、って! わからないから興味津々、間近で観察したいし、つい茶々を入れたくなっちゃうんです」


 いや、咲耶とは逆だ。寧々坂芽々は『恋愛モノはわからないけど好き』ということか。


「……ちょっとやりすぎちゃいましたかね。ごめんなさい? 自重しますね」


 よくわかってなさそうな謝罪だった。


「芽々、リビドーはわかるんですけど、ロマンスがさっぱりなんですよねー。さっさと抱けば良くない?」

「うん、芽々。ちょっと黙ろうか……」


 笹木のストップが入った。眉間にシワが寄っている。

 品性のない幼馴染を持つと大変だな、笹木……。



 説教の途中で、ピンポンと玄関のチャイムが鳴る。


「あ、サァヤ来た」


 これさいわいと芽々が立ち上がって迎えに行こうとする。その前に、俺の方を振り返り。


「大丈夫、どーせキス拒否ったのもくだらない理由ですって! 歯に青のりついてたとか。がんばれよっ飛!」

「ちゃんと呼べ名前」


 もうあだ名じゃなくて蔑称の響きなんだよ。


 そのまま、トントンと階段を降りていく音を聞く。なお、芽々の家族は共働きで不在らしい。


「お節介がズレてるけど、いいやつなんだよな……。なぁ笹木」


 正座を解いて笹木の方を仰ぎ見ると、何やら随分と渋い顔で、芽々の去っていった廊下の方を見ていた。

 そのただならない様子に、さっきのことを思い出す。

 俺たち常識人側が窓から入ってくるのは緊急時のみだ。悲鳴即突撃、あれほど深刻な顔をした笹木を見たことがない。


「笹木、まさかおまえ……」


 笹木は溜息を吐く。


「そうだよ。十年、おれの片想い」


「うわ」

「幼馴染ってさぁ、迂闊に関係変えられないんだよね……」

「その上、『恋愛がわからない』とか言われちゃあな」


 ……笹木、俺より大変かもしれない。


「なんか……がんばれよ」

「あはは。日南には言われたくないかな」



 最近、年下の同輩たちが辛辣だ。




 ◇




「え、飛鳥がいるの!? 聞いてない!!」と引き摺られるようにして連れてきた咲耶を部屋に放り込み、芽々は「あとは若いお二人でごゆっくり〜」と退出する。おまえの方が若い。

 笹木は「飲み物持ってくるね」と階下に降りて行った。芽々の家だと言うのに立ち振る舞いが慣れたものだ。なるほど、これが幼馴染。

 そして部屋に残された俺たちは、微妙に距離を取って立ち尽くしている。


「えーと」

「待って」


 咲耶はすーはー、と深呼吸をして「逃げちゃダメよね、そうよ逃げちゃダメ……」とぶつぶつ呪文のように唱えたあと、俺に向き直ってお辞儀をする。


「避けてごめんなさい……その、心の準備とか頭の整理とか、必要で。なんならまだ踏ん切りがついてないけど、言うわ」


 顔を上げた咲耶はきり、と真っ直ぐにこちらを見ていた。


「だってここまでお膳立てされて逃げるとか女がすたるもの……!」


 御膳立てっていうか騙し討ちだけど。こいつ、覚悟決めると強いんだよな。





「結論から言うわね。昨日の風邪──原因はやっぱり、間接キスだわ。おそらく、あれは呪いに抵抗した結果の知恵熱みたいなものね。元々風邪気味っていうのもあったんでしょうけど……」


 なるほど、風邪にしては何かおかしいと思ったが。軽く呪われていたのか。


「それから……あの時、あなたがわたしにキスしようとしたのも……きっとそのせい……」

「は? 俺の過失じゃなくて?」


 理路整然と話していた咲耶が、しどろもどろになっていく。


「多分、洗脳してました……洗脳っていうか、軽い思考の誘導……? わたしがずっと『キスしたい』って考えてたせいで、思念それがあなたに流れ込んでいた、かも……」


「…………嘘だろ」


 最悪だ。自我の保証どころか選択の責任すらないのかよ。

 ──だが待て、今さらっとすごい惚気ことを言わなかったか? 

 いや、そんな場合ではないな。もう少ししっかりしろ俺の理性。


「だが待て、血を媒介とするならともかく。唾液の交換かんせつキスごときで呪われるはずがない。その程度で呪われるなら、普段大皿で一緒の飯を食ってる時点で詰んでいる。……おかしくないか?」

「それは、えと。わたしが、これは『キス』だって強く意識したせい、だと思う……」


 あんなに涼しい顔してたのに裏でおまえも意識してたのかよ……。


「それだけで?」


 頷く。


「したことないから知らなかったのだけど、『恋愛感情の付随するキス』も、魔女の呪いのトリガーだったんだわ、うぅ……」


 それ、遠回しに『好き』って言われてないか? 今のは実質告白じゃないか? 状況が状況だから喜べないのが悲しいな。

 羞恥が臨界点に近付きつつあるのか、咲耶は目を回し始めている。


「……だけどそれもおかしくないか」


 現状を整理しよう。まずは俺の方の脆弱性の話だ。

 確かに色ボケるのは問題だ。愛なんぞ語ればアウト、言葉は自己洗脳の呪いになる。

 だが俺が制限されているのは直接的な発言くらいだ。婉曲表現ならば回避可能、心の中で考えるには問題がなく、デートや手を繋ぐなどの行為にも一切の支障はない。

 名付けも即ち呪いになるので、関係を明確に恋人にするのもまずいが「付き合ってない」と言い張れば、自己暗示でセーフになる。

 まだ付き合えないだのなんだのと大げさに言ったが、意外とたいしたことではないのだ。抜け道はいくらでも作れる。……そうしてチキンレースをした結果が、昨日の惨状と言ってしまえばそうなのだが。

 ──要するに『間接キスだろうが直接キスだろうが大した問題はない』というのがお互いの共通認識だった。それが、今更ひっくり返った意味がわからない。


「仮におまえのソレ・・が魔法になるものだとして。普通、逆じゃないか? 俺は詳しくないけどさ、ファンタジー的にソレと言ったら〝呪いを解く魔法〟だろ」


 思い浮かべるのはオーソドックスな童話だ。


「なんでそれが〝呪い〟になるんだよ」


 咲耶はぴしりと固まって、背を縮こめた後。「隠しごとはなし、よね。言いたくないけど、流石にこれは、無関係じゃないし……」と目を潤ませた赤い顔で、俺を見上げる。


「その、わたしは極めて純潔の処女・・・・・・・・なんだけど」


急に何をを言い出してるんだこいつ……。


「でも魔女──つまり悪性の魔性を意味する存在には〝性的不道徳〟っていう文脈があったのよ。……今日、異世界むこうの記憶に潜って確かめた」 


 確かに、向こうの同僚なんかは魔女のことを『竜を誑かした毒婦』みたいに散々な蔑称で呼んでいた気がする。

 ──汚い言葉をあえて使うと、異世界において『魔女』と『阿婆擦れ』は同義語なのだ。


「つまり、当代魔女わたしの肉体にも、いつの間にか〝そういう文脈〟が付与されていたっていう、ことで……」


 ……まずい。話の雲行きが怪しくなってきた。


「なんかっ、処女とか関係無しに、いつの間にか魔女わたしは不埒って定義されててっ、だから、そ、そのっ」



「──そういうこと・・・・・・をしたら、あなたの脳味噌めちゃくちゃに壊しちゃうわ」



「……って、昨日……寸前で気付き……ました……」


 死んだ目と消え入る声。

 なるほど、要するに。俺には『言葉の制限』が、一方で咲耶には『行動の制限』がかかっていたということか。貞操観念がどことなくおかしいのも、その影響が入っていたのかもしれない。


 いや。


「……何やってんのクソ異世界?」


 一から十まで最低じゃねえか今の話。最低すぎて凪ぐわ。


 と、廊下からドシャっと物音がした。ドアを開けると、廊下では菓子盆をひっくり返した芽々があからさまにうろたえている。こいつ盗み聞きしてたな。後で絞める。


「は? え?」 


 芽々は口をパクパクさせて、一言叫んだ。



「──エロゲじゃん!?」



 黙れ寧々坂……。


「え、ヤったら精神崩壊エンド……? CEROセロZゼットじゃねーですか!?」


 こいつ殴っていいかな……。

 あんまりにデリカシーのない発言に、とうとう咲耶が決壊した。



「ふえーん」



 ガチの泣き方だった。溜め込んだ涙がぼろっぼろと溢れる。


「魔女になんかなるんじゃなかったぁ〜……」

「あーあー、泣くなって。いや、合意無しでえげつない人体改造されたら泣くか。やっぱ泣いていいぞ」

「合意したらいいわけないでしょばかぁ〜……」


 なんでどさくさに紛れて俺が怒られてるんだ? おかしい。

 とりあえずハンカチでぐすべそする咲耶の顔を拭く。

 ……しかしこいつ、前まで声も上げない変な泣き方しかしなかったのに。いつの間にこんな、ちゃんとした泣き方ができるようになったんだろう?


 遅れて、茶淹れてきた笹木が開けっ放しのドアの前でぎょっとする。


「うわっ日南が泣かせた!?」

「芽々だよ」

「……オーケー、土下座させるね」

「あ、ちがっ違うんです事故なんですっ、盗み聞きしてたわけじゃなくてっ、声が漏れ、あー! おでこ減る! おでこ減っちゃうから!! ゆるしてぇ……」


 ちらりと様子を伺う。咲耶は長い睫毛をしとどに濡らしながら「ひくっ」としゃっくりをひとつ上げて。

 くす、と吹き出した。


「ふ、ふふ、あは」


 指で涙を拭う。



「……もう、なんか、笑えてきちゃった。みーんなばかなんだもの」



 ようやく顔を上げることを許された芽々が、地べたに伏しながら俺を見上げる。


「……大丈夫そうですね?」

「どうやら無様な土下座がウケたぞ」


 咲耶、変なところで立ち直りがいいよな。


「え、何? どうなってるのこれ? おれ何もわかんないんだけど」


 笹木が芽々の首根っこを掴みながらひとり困惑していた。


「いや、ただの痴話喧嘩」

「あと芽々がうっかりセクハラしただけですね」

「そうね、それだけの話だわ。……すんっ、大したことじゃないの」

「そうなの? そうなんだ?」


 悪いな笹木。


「まいいや、仲直りできたみたいなら」


 いいやつだな笹木。おまえが芽々の頭を廊下に擦り付けてくれたおかげだよ全部。



 


「てか芽々、文さんのこと遊びに誘って連れてきたんだろう?」

「そういう口実で釣りましたね」

「騙されたわ……」

「すまん」


「騙すのはよくないよ」と笹木の正論。ごもっともだ。ちょっと騙し討ちが癖になってるよな俺たち……。

 笹木は少し、空気を探るように見回して。


「じゃあ……皆でゲームでもする?」


 提案に、俺は咲耶の方を盗み見る。反応は……悪くなさそうだ。


「よし! 芽々をボコボコにするか」

「こいつめっちゃ強いよ」

「ですよ」

「大丈夫だ。二人がかりなら勝てる」

「大人気ないな?」

「ふふ、任せて。飛鳥の雑魚プレイを完璧にフォローしてみせるわ」

「雑魚なのに啖呵切ったんです!?」

「いや勝つし。見てろよ俺は実戦で成長するタイプだ」

「はぁ〜? 芽々のこと舐めやがって返り討ちにしてやりますよしゃーおらっ」



 めちゃくちゃゲームした。




 ◇



 散々っぱら遊んだ後、夜の帰り道。笹木たちのおかげで関係を修復したはいいものの、二人きりに戻るとまた空気が妙になる。なんかこんなのばっかりだな、と思いながらそれなりの距離を開けて並んで歩いている最中。

 ひと気も信号機もない横断歩道の前で、ぴたりと咲耶は止まった。


「どうした?」


 おそるおそる、というふうに。咲耶はこちらを仰ぎ見る。


「さっきの……はしたない女って思わなかった? 嫌わない?」

「安心しろ、元々思ってる」

「どういう意味よそれ……」

「嫌うわけないだろ」


 へにゃ、と咲耶は崩れるように笑って。

 こちらも、ようやく緊張が解ける。


「まだちゃんと謝ってなかったな、昨日のこと」


「ううん、謝らないで」と首を横に振る。


「……嫌だったわけじゃないから」

「……そうか」


 半ば不可抗力だったとはいえ、最近少し浮かれすぎていたし調子に乗っていたのは、よくなかったな。初心に戻ろう。大事なのは清く正しく健全に、だ。


「まあなんだ、悪いとは思ってるんだ。埋め合わせはさせてくれ」


「じゃあ……」と咲耶は、少し恥ずかしそうにはにかんで言う。



「いつかわたしが風邪を引けるようになったら、たっぷり甘やかしてね?」



 ふ、と笑みが溢れる。


「任せろ。俺は粥を炊くのが上手い」

「ばか」

「冗談だよ」


 本当は雑炊の方が得意だ。



   ◇



 さて、そろそろ切り替えよう。

 駅前からも遠ざかり、夜道は暗く、見慣れたいつかの岐路に差し掛かる。


ここから・・・・どうするか・・・・・の話だが」


 咲耶の望みを叶えるためにも、色ボケている場合ではない。本題だ。

 

「こっちは順調よ。そっちは?」

「ああ、なんとかなりそうだ」


 すったもんだは別にして、やるべきこと・・・・・・は裏できっちりと進めているのだ。


「仕掛けは上々、あとは場を整えて、決行するだけ、か。日付はどうする?」

「満月がいいわ。来週」

「時間は」

「丑三つ時と逢魔時で迷ったのだけど、目的を考えると後者が最適ね。これはあの子も同意見」

「日没か、ちょっと面倒だな。相性が悪い」

「月が丁度昇るくらいね。雨が降らないといいのだけど」


 手を繋ぐのは棚に上げて、拳を合わせる。

 今はまだ、こっちの『いつも通り』でいい。


「あと少し、だな」

「ええ、がんばりましょう」



 待ってろよクソ異世界。

 ここからが、反撃だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る