第18話 サプライズには弱い。

 これはわかりきった結論だけど。

 今日、わたしはものすごく幸せだった。



 ◆



 眠れないほど楽しみにしたデートの始まりは、結局いつもの調子になってしまったし、飛鳥の私服のセンスがやっぱり変だった。

 でも、そんなことで今更へこたれるわたしではない。



 意気揚々と飛鳥をいい感じのお店に連れ込んで、選んだ服はごくありふれたシャツにスラックス、それからリネン地の夏用チェスターコート。

 寒色を基調にした、シンプルな装いだ。

 

 靴だけは元々妙にしっかりしたものを履いていたので、合わせるのは楽だった。

 多分今でも、足元がおろそかだと不安なのだろう。戦えない。

 わたしもヒールが低い靴を履くのは落ち着かないからわかる。魔女は踵の高い靴を履くものだ。




 買った服に着替えてもらった後の飛鳥は、少しそわそわとしていた。


「なんだか落ち着かないな。こう……背伸びをしている気がする」

「大学生が着る服みたい?」

「それだ」


 飛鳥は普段自分の年齢をよく口にするくせに、同時に自分を高校生だと強く意識している節がある。


 ──大学生みたい、なんて。

 わたしたちは本来の年ならばなっているはずのそれ・・に、なれなかったけど。


「似合っているわ。見れて嬉しい」


 わたしに褒められて居心地が悪いのか、照れくさそうに眉を下げる。

 かわいい。


 ──たとえ見た目だけでも、かつて諦めた未来がここにある気がして、嬉しかった。





 それに『よく似合っているわ』なんて余裕ぶって褒めてみたけれど、実は三秒しか直視できないので瞬きばかりしている。

 はぁ、と溜息を吐きすぎて酸欠になってしまいそうだった。

 でも飛鳥も緊張しているのか、わたしの多すぎる瞬きや溜息には気付いていない。


 正直、とっても……格好いいと思う。


 それが客観的評価として正しいのかどうかは、わからない。

 恋愛感情に支配された人間の主観は信頼できない。わたしには盲目の自覚がある。

 もしかしたらわたし以外の目には、飛鳥は冴えないやつとして映っているのかもしれない。


 ……でも。彼が格好いいことを知っているのが世界でわたし一人だけ、というのも悪くないんじゃないかしら。



 なんて──わたしはちょっと、気持ち悪いくらいに浮かれていた。


 だからまさか、あんなふうにとどめを刺されるとは、思っていなかったのだ。




 ◆




 ランジェリーショップで買い物を終えて、合流のため指定された場所へ。


 ショッピングモール一階の広間には、まだ六月の半ばだというのに七夕の笹が飾られていた。

 まばらに結びつけられた願い事の短冊が、冷房の風に吹かれて揺れる。

 あいつは短冊に『世界平和』とか書きそうね、と辟易しながら飛鳥の姿を探す。



『今どこ?』とメッセージを打ち、既読が付いたその瞬間。


「後ろ」


 と、返事の声に驚く。


「……さては気配、消したわね?」

「さっきの仕返しな」


 にやりと笑う。


「咲耶、手を出してくれ」


 飛鳥の声は少し硬く、後ろ手に何かを隠していることに気付く。


「?」


 言われるがまま、両手を差し出す。

 そして。


 ぽん、と軽々しく乗せられたのは、淡い色の小さな花束ブーケだった。

 重なる薄いピンクの花弁たちがリボンで綺麗にラッピングされて、わたしの手のひらの上で満開になっている。


「どういうこと?」


「祝われたら祝い返すのが礼儀だろ。こっちも、誕生日プレゼントってことで。……いや、値段は釣り合ってないんだけど」


 飛鳥は視線を逸らしながら言い訳を並べ立てる。


「趣味に合うかはわかんねぇけど、一応、咲耶のイヤリングと似てるやつを選んでみたんだ。消えものだから重たくもないはず……重くないよな?

 ──つまりその、軽く受け取ってくれると、嬉しい」


 語調が段々しどろもどろになっていく。

 慣れないことをしているのだろう。



「ずるいわ……」


 ようやくのことでわたしが絞り出したのは、そんな言葉だった。


「……わたしは、誕生日を言い訳に使ったのに。飛鳥はわたしを喜ばせようとした。ずるい」


 ああ、ちがう。言うべきは、そうじゃなくて。



「…………ありがと。嬉しい。大事にする」



 うずめるように花束で顔を隠す。甘い匂いにくらくらとした。



 わたしの答えに、ほっとしたような顔も一瞬。平静の調子に戻って飛鳥は言う。


「喜んでくれたならよかった」


 何を言っているのだろう。

 好きな人がくれたものを、喜ばないわけがないでしょう?

 

 枯れないように、加工しようと思った。

 水にわたしの血を混ぜて呪えば長く持つだろう。


「大事にする、絶対」

「はは大袈裟。一週間くらいかな、飾れるのは」


 一生飾る。一生。







「ところで、これは何の花? 薔薇に似てるけど……」

「いや確か、ピオニー? つってた」


 名前を聞いて思い出す。

 ブーケが洋風だから気付かなかったけど、わたしは華道も少し齧ったので知っている。


芍薬しゃくやくね」


「ああ〝立てば芍薬〟のアレか。へえ、こんな花だったのか」


 立てば芍薬、座れば牡丹──美人の喩えの慣用句だ。


 飛鳥は「なるほど」と、わたしと花を見比べて頷く。



「似合うよ」



 さらっと。

 本当に、ただ思っただけのことを言ったのだろう。


 わたしはすっと呼吸を止める。

 ふわりと意識が遠のく。



「──こふっ」



 気付けば舌を噛みちぎっていた。



「あ、おい咲耶!?」



 ……今のは、効いた。

 朝から頑張っていたのだけど、ちょっと耐えられなかった。

 

 完全にオーバーキルだ。

 不意打ちのサプライズからの、ダメ押し、追い討ち、死体蹴り。

 わたしのステータスは攻撃一辺倒なので、防御がからっきしである。

 花束の時点でわたしのMP(メンタルポイント)はゼロだったのだ。


「うふ、ふふふ……ごめん……しあわせすぎて死にそうっていうか一回死んだわ……」


 よろめくわたしを前に、飛鳥は心底の恐怖を表情に浮かべて呻く。



「こ、壊れた……俺、何もしてないのに……!」



 いえ、あなたのせいです。





 ◆





 結論──原因はあいつだけど、根本的にわたしが弱いのが悪い。

 

 再生までの小休止中。

 モールの隅っこ、ひと気の少ないソファで顔を覆う。


 あの後、口直しのコーヒーまで買ってもらう有様だ。

 だめすぎる……。



 

 わたしはなんというか、幸福に耐性がなかった。

 悲観主義者の弊害だろうか。

 ……むしろ少し不幸なくらいが落ち着く、なんて。

 最悪な性根を拗らせている。


 ──その辺の歪みを自覚させられたのがこの前で。

 それを直したいとも思っているのだ、今は。



 自制、自制、深呼吸。


「落ち着いたか?」

「ええ大丈夫。デートを再開しましょう。次こそ、がんばるわ……!!」

「……何を?」


 心を強く、保つことを……です……。



 そして明るいモールのメインストリートに戻る。

 大丈夫、わたしたちは普通のデートができるはずだ。


 でも紙袋の中から溢れるブーケに目をやるたびに、にへらと頬が緩んで駄目になってしまいそうになる。

 こんなにしあわせでいいのだろうか、と不安になる。


 隣を歩く飛鳥を見上げる。

 ヒールの分で目線が同じ高さになったはずなのに、彼の方が高かった。

 そうして初めてわたしが肩を縮こめていたことに気付く。

 原因は気後れ。

 なんだか、情けなくて。

 胸を張れない。


 だって、勝負なんて言ったくせに。

 わたしが一人で勝手に負けてるんだもの。

 こんなの全然ちっとも、対等じゃない。



 対等じゃないということは──もしかして。

 今、しあわせなのはわたしだけだったりしないだろうか?



「ねえ、飛鳥。今……」

「なんだよ急に黙って」

「えと。ううん、なんでもないの」


 けれど、飛鳥は無駄に察しがいいものだから。

 なるほど? としばらく考えたのちに。


「今、めちゃくちゃ楽しいよ」


 なんて、くしゃっと笑って答えてしまう。

 無邪気な笑みだ。

 心底の言葉だ。

 

 嬉しい。

 だけどそうじゃないのだ。

 このパーフェクトコミュニケーション野郎、わたしに都合のいい言葉ばかり言わないで、と理不尽にも思ってしまう。


 わたしが問いたいのは、そうじゃない。


 たとえ飛鳥がいくら察しが良いとしても、完璧な以心伝心は不可能だ。

 聞きたいことがあるのならば、ちゃんと言葉にしなければならないと、わかっている。

 


 でも──。


 わたしは今、しあわせだけど。

 どうしたら。何をしたら。

 あなたをしあわせにできるのだろう?


 ──なんて。



 聞けやしなくて、わたしは困る。

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