第19話 なんでもないような幸せのこと。

 ◆



 ──どうしたらしあわせに、なんて。



 重たい思考を軽口の裏に追いやって、たわいもない話をしながらモールを歩いている最中。

 ショーウィンドウに映った自分たちの姿を見て、わたしはハッと嫌な気付きをする。


 ガラスに映ったわたしと彼を、見比べた。


 飛鳥は今朝、自分のことを『老けた』と冗談めかして言ったけど、あれは間違いではない。

 制服が似合うと思っているのは嘘じゃない。

 でも、それよりも大人っぽい格好の方が似合っている。

 ……高校生どころか、十八よりももっと年上に見えるかもしれない。


 一方、デートに合わせて少し甘い格好をした今日のわたしは肉体年齢そのまま、十六歳に見えるだろう。

 ……普段、露出が高いのはわたしなりの背伸びだった。

 そうでもしなければ、幼く見えてしまうから。



 ──飛鳥は大きくなってしまったんだ。わたしひとりを、置いて。



 そんな当たり前のことに今更気付いて、からからに喉が渇く。


 わたしは肉体どころか、おそらく精神まで十六で止まっている。

 わたしの・・・・不死は・・・そういうもの・・・・・・だから・・・


 ガラスから目を背ける。

 『本当に釣り合うの?』と自問自答がうるさくなる。



 わたしの考えなんて知らず「後で写真撮ろうぜ」とこちらに笑いかける彼に、頷くのが精一杯だった。


 ──写真には、わたしたちの差が写ってしまうのだろうか。


 十センチのヒール、必死の背伸びですら埋められない差が。



 置いていかないで欲しくなって、隣を歩く彼に手を伸ばしかけて、やめた。

 今はまだ友達だから、多分……手を繋いで歩くことはしないのだ。


 じっと彼の手を見つめる。

 握手ならできるのに。

 拳を合わせることもできるのに。

 繋ぎ方がわからないなんて、馬鹿みたい。


 自分の手をそっと握りしめて、視線を落とす。

 髪色もそうだけどわたしは生まれつき少し色素が薄い。

 すぐに顔が赤くなってしまうのもそのせいだ。


 細くて生白くて不器用なわたしの手は貧弱で、彼のどちらの手に比べても、どうにも頼りなかった。



 わたしの願いは一貫している。

 あなたをしあわせにしたい。

 それを見失うことはない。


 でも……今のわたしに、何ができるのだろう?




 ──わたしには、あなたと手を繋ぐ勇気すらないのに。





 ◆




 なんて裏ではうじうじ考えていても、表に出すのはそれこそ礼儀知らずだ。

 『楽しい一日にしよう』と誓った。

 その合意を破るなんてあってはならない。


 わたしは飛鳥と違って切り替えは上手くないけど、感情の分離くらいはできるので、哀と楽を並列させることはわけない。


 だから、お店を冷やかしながら、いつも通りに軽口を叩き合っていたのだけど。


 今更、大事なことに気付いた。



「あのさ、聞きそびれていたけれど……飛鳥ってそもそも、わたしと遊ぶ余裕あるの?」


 先月まで餓え死にしかけてなかった?

 この前も平然とラーメン食べに行ったけど。

 流石に懐事情が心配になる。


「ああ、うん」と飛鳥は微妙な顔で頷く。

 身の上話はお互い苦手だ。だって無駄にややこしい。

 けど隠すほどのことでもない、と教えてくれる。


「俺の方も少しだけ、仕送り貰えるようになったんだ。叔父さんに『高校くらい出してやるしたまには気にせず遊んでこい』って言われてる」

「……そう、よかったぁ」


「おまえの方こそ、仲直りできたか?」

「昨日実家に帰ったら、義母かあさまにしこたま叱られちゃった」


「琴さんは怒ると怖そうだよな」

「『あらあらうふふ』って笑いながらガン詰めしてくるし、足が痺れても正座を解くのを許してくれない……」

「こわっ」


「でも今まで叱られることすらなかったから……少し、嬉しかったかも」


 お互い少し気まずいやら気恥ずかしいやらで、小声で近況を報告し合う。

 飛鳥がへら、と曖昧に笑った。


「なんかさ、思ったより周りが子供扱いしてくるんだよな」


 ……気まずい理由は、多分それだ。

 まさか今更、子供扱いされるとは思っていなかった。


「厚意に甘えろって言われた分は、素直に甘えるんだけども……こそばゆいというか」

「〝普通〟になったみたい?」

「そう、だな」


 休日のモールのありふれた人波の中で、誰もすれ違うわたしたちに気を止めたりしない。〝普通〟の中に、埋もれている。


 周りの賑やかな光景に、飛鳥は目を細める。


「こっちに戻ってきた時さ。これから一人で生きていかなくちゃいけない、って思ってたんだ」

「そうね。わたしも……何も残らなかったと思ってた」


 現世もろくなものじゃない、なんて悲観していた。

 だけど。


「別に、そんなことなかったな」


 頷く。


「最近、学校で普通に仲の良い奴らもできてさ」

「うん」

「毎日咲耶に会えるし、こうして遊びにも行ける」

「うん」


 飛鳥がわたしを見る。

 目尻を下げて、眉を上げて、歯を見せて。

 満面に笑った。



「大したことなかったな、全部!」



「……うん!」



 そうだ。

 あんなに難しいと思っていた現世のこと全部!

 蓋を開けてみれば、あっさりと喉元を通り過ぎていった。


 これまでの努力は、思い返せば方向性が明後日だったけれど。

 明後日なりに報われているし、欲しかった笑顔は今ちゃんとここにある。



 もしかしたら──難しく考える必要は、何もないのかもしれない。



 少なくとも今は同じ気持ちだし。

 同じ歩幅で隣を歩くことだってできるのだから。

 それだけで全部、平気な気がした。





 ◆




 わたしを『元に戻す』なんて簡単に言ったけれど。

 それは実は結構、無茶な話だ。

 わたしの不死は結構、ろくでもない代物だから。

 ……でも。疑っていないし、信じているし、期待だってしている。


 けれど、ただ寄りかかるだけは嫌だとも思うのだ。

 負けたくない。

 対等でありたい。

 置いていかないでほしい。


 だから永遠なんていらないし、あなたの隣にい続けるためにはわたしも変わらなければならないのだと思う。


『大丈夫』とあなたの真似をしてわたしはわたしに言い聞かせる。

 少しずつ、変わっていけばいい。

 わたしだって少なくとも、昨日のわたしよりは前に進めているはずだ。


 そしていつの日か、あなたに釣り合うようになるだろう。



 ──あなたをしあわせにする方法が、意外と簡単だといいなと思う。



 いつかきっと叶うし、叶えるのだ。

 わたしが。


 この手で。 





 ◇





「ところでさ、おまえさっきから、手……」

「え?」

「いや、やっぱいいや」


 俺は咲耶から目を逸らす。


 どうやら先程の舌噛み醜態晒しからは立ち直ったらしい。

 よかったよかった。

 うっかり死に損なうと恥ずかしいもんな、落ち込むのもわかるよ。


 ……それはいいのだが。


 さっきから妙に、俺の手を見られていた。

 意外と視線はわかるものだ。

 気になってしょうがない。


 多分、そういうこと・・・・・・なんだろうけど。




 …………恋人未満って、どこまで許されるんだ?

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