第13話 夜の屋上は天体観測のためにある。

「こんなところに呼び出して、一体何?」


 次の日。

 日没後の学校の屋上に、約束通り咲耶は来た。


 今日の咲耶は、料理の際でもないのに珍しく髪型を変えていた。

 両側に結んだ長い三つ編み。髪型自体は古風なのに、咲耶がすると不思議と垢抜けている。

 綺麗な美人から、健康的な美少女、といった雰囲気に変わっていて、教室でも見ているはずなのに改めてまじまじと見てしまう。


 その上いつもの白い眼帯は無く、咲耶の両目は揃いの自然な茶色だった。

 芽々に譲ってもらったというコンタクト。

 少し意識をずらせば左目は赤く見えるのだが、まるで昔に戻ったような気がして妙な気持ちになる。


 妙、を言い換えるとなんだろう。

 懐かしさともうひとつ何かの感情が混ざっている。

 焦り、だろうか?

 ……ああ、そうか。

 早くこれを現実にしなくちゃな。


 そう思いながら、返事を返す。

 

「何って、天体観測に誘ったんだけど?」

「……はい?」


「いや、芽々に誘われて部室に入った時から思ってたんだよ。天文部だった時の望遠鏡とかが部屋に残ってただろ? それで久々にやりたくなって、借りてきたんだ」


 なお、今日は屋上に進入していない。

 使用許可はあっさりと取れた。


 しかし咲耶は微妙な顔をしている。


「あれ。もしかして伝わってなかった?」

「聞いてない。『夜の屋上に集合な』って言われただけ」

「でも夜の屋上でやることなんて、決まってるだろ?」


 咲耶は首を傾げる。

 三つ編みが振り子のように揺れる。目で追う。


「ねえ飛鳥。わたしとあなたの常識は違うのよ?」

「……そうだったな。うっかりしてた」


 早朝と昼休みに補習の予定があったため、今日は咲耶とあまり話せていなかった。

 そのため、昨日メッセージで伝えたきりだったのだが。

 どうやら俺たちは文字でやりとりをすると伝達率が下がるらしかった。


 芽々相手だと文字でも十全に意思疎通できるので、性格の問題か相性の問題か。次からはせめて通話にしよう。


「そうだ、言いそびれてたけど。今日の髪型めちゃくちゃいいな。新鮮だ」

「……っ!?」

「いい編みだな。綱引きしたくなる」

「いや、褒めるならちゃんと褒めなさいよっ」


「かわいい」


「……ッ!!!!」


「あっおまえ今、舌噛み切っただろ!? なんで!!?」

「こふっ」

「あーあー、口から血出てるし! もう褒めない! その癖直さない限り二度と褒めないからな!!」


 最悪だクソッ!

 



 ◇




 気を取り直して、天体観測である。


 正直なところ。

 話をするには、まずそれなりのシチュエーションが欲しかったのだ。

 経験上、普段通りだと誤魔化してしまうのはお互い様だった。


 ……まあ、久々にやりたかったのは本当だ。

 咲耶が二つ返事を返したから気乗りだと思ったのだが、そもそも何も伝わっていなかったとは誤算だった。

 しまったな。


 初めは不本意そうにしていた咲耶も、なんだかんだと楽しそうに望遠鏡を覗く。

 流星群も何もない、いつも通りの空なのだが意外とウケがよかった。


「そういえばわたし、望遠鏡覗いたの初めてだわ!」 

「でかくてカッケーよな、望遠鏡」

「え、それはわかんないけど」

「?」


 ちなみに、思っていたよりも俺はこの手の知識を忘れていて困った。

 真面目に天文部をやっていたのは中学の頃なのだが、中学の頃の記憶は特別に穴が多かった。


 ……自分で誘っておいたくせに駄目だな。

 昔はできたことが今はできなくなっているのはもどかしい。


 だが山間の町の夜空は雲もなく、丁度いいことに新月で、星がよく見えた。

 まあ、十分だろう。


「そういや。おまえが喧嘩売った時のことだけど」

「うっ、何かしら……」

「いや、今更怒らねえよ。身構えんなって。ほら、あの前日って確か月食だったよな。なんでその日にしなかったんだ?」


 シチュエーションが大事なのは魔法も同じだ。

 特別な状況や縁起の良し悪しは、能力の上方・下方修正に影響するらしい。

 月食なんてレアな日、いかにも効果が出そうなのだが。何故そうしなかったのだろう?


「ああ、それは」と咲耶は手の内を明かす。


「ほらわたし、名前に『月』が入ってるでしょ。『月が食われる』なんて縁起でもないわ。そんな日に喧嘩売ったら負けそうじゃない?」


「なるほど……?」


 名前とは〝定義〟であり、名付けるという行為はすなわち〝呪い〟だ。

 ──という話を、異世界むこうの同僚から聞いたことがある。

 実は異世界についての知識がちっともない。

 何も考えずに特攻ばかりさせられていたので。


「まあ、短い付き合いの名前だけどね。異世界むこうだと、月がないから気にしなくてよかったのだけど」


 魔法使いではない俺には、名前云々はあまり影響がない話だった。





「あ、そういえば。今日は日食だったらしいぞ。日本こっちじゃ見えないけど」


 いいなー見たかったなー、とぼやくと咲耶は不思議そうに言う。


「思ってたのだけど。飛鳥ってそもそそも、なんで宇宙が好きなの?」

「え、人はみんな好きだろ?」

「別に」

「そんな」

「あんたいい加減自分を人類代表だと思うのやめなさいよ」


 俺以外全員、人類の自覚がないな。


 しかしあらためて聞かれると……


「え、なんだろ。好きに理由とかいらないと思っていたからな。理由……遠いから?」


 空を見上げる。

 日没の空はまだうっすらと明るく、夜というには浅い色だ。

 けれど浅く見える宵の空も、手を伸ばしても届かないほど遠いことに変わりはない。



「多分……絶対的なものが好きなんだよ俺。人ひとりじゃどうしようもないような、絶対的な何かが」


「『絶対的』ってつまり『最強』ってことだろ。最強はカッコいい。だから、深海とか南極とか宇宙とか。絶対的に遠くて、過酷で、手が届かなさそうな場所に惹かれる」


「そんで、人間の足じゃ辿り着けないはずの場所に行けてしまった人類が好きだ。それってほら──最強にカッコいいだろ?」



 咲耶の方を見れば、彼女は「馬鹿の語彙ね。いい笑顔で何言ってんだか」と呆れたように笑って言っていた。


「でも、ちょっぴり理解できるかも。共感はしないけど」

「はは。あんまり合わないよな、俺たち」


 合わなくたっていいわよ、とどこかで聞いたようなことを咲耶は言う。


「だから天文部だったの?」

「ああ。なんせ天文部は、隕石が部費で買える」


 咲耶の表情が渋くなる。


「……あんたのその、隕石への執着は、何?」


 何、と言われても。

 


「だって。絶対的に届かないはずの宇宙が、向こうから来てくれるんだぜ? ──それは最早、愛だろ」



 あーあ。

 この言葉も、咲耶に向けてじゃなければ言えるんだけどなあ。


 咲耶がぱちくりと目を瞬いて、渋柿三個を一気に食った時みたいな顔をした。


「うっそ……こいつ宇宙人なの? 意味わかんないんだけど」

「あ? おまえに宇宙人呼ばわりされる筋合いねえよ」

「は? わたしのどこが宇宙人だっていうのよ」

「うるせえ脳味噌ミステリーサークル女」

「なにその悪口!?」


 肩をガクガク揺すられた。うざい。

 ひとしきり揺すって諦めた咲耶は、屋上に座り込む。


「はーあ、あんたがこんな奴だとは、ほんっと思ってなかったわ……」

「それ、この前から聞いてるけどさ。おまえ、俺のことなんだと思ってんの?」


 三角に立てた膝の上、組んだ腕に、咲耶は頭を乗せて横の俺を見た。

 伸びた首、編んだ髪の隙間から白いうなじが見えて、どきりとする。


「そうね」と少し考えて、咲耶はこちらを見つめて、


「あなたは。何考えてるかわかんないし、すっごくばかで時々無神経で、ありえないくらいに楽観的だけど……世界で一番信じられる、」



 ふわり、と柔らかく微笑んだ。



「──わたしの、絶対のヒーロー」





 その、答えに。


 絶句する。


「…………お、まえ」


 いや、おっもっ…………!!?


「なんでそんな、開けっ広げに言えんだよ!!? 正気か!? 恥がないのか!?」


 この前までの澄ました猫はどこやった!?


 だが咲耶は顔色を変えるでもなく、拗ねるように唇を尖らせる。


「なによ。秘密は無しでしょ?」

「だからって、言っていいことが……!」

「悪いの?」

「悪くは、ない、けど」


 ……こっちが恥ずかしくなるだろうが。



 なんだか、咲耶の様子がいつもと違っていた。

 髪型とか、見た目の話だけではない。

 何か心境の変化でもあったのだろうか?


「ま、安心して。今はそれ以上に飛鳥のこと、変な子だと思ってるから」

「……子? 子供扱いされてる? 失礼な」

「たまには自分を振り返ってみたら?」

「は? しっかりしてるだろうが。十八だぞ」

「そういうところが子供なのよ」


 なんでだよ。

 くすくす、と楽しそうに笑う咲耶には言い返せない。




「……ねえ、もしもの話をしてもいい?」


 黙って頷く。

 わざわざ許可を取るような話題は、なんとなくわかる。


「もしも二年前、異世界転移あんなことがなかったら……あなたのことを、こんなに知ることもなかったのかしら」


 もしも、何も起きなかったら。

 まともに話したのは一度きりで、そのまま何事もなく同級生ではなくなっているはずだった。

 でも。


「どうだろうな。俺は結構、未練がましいやつだったから。あのまま普通に進級できていたとしても、なんだかんだと理由をつけて文月に会いにいったかもしれない」


「……そんなに好きだったの? わたしのこと」


「まあ。終業式の日に、フラれるとわかっていて告白しようかと考えるくらいには」


 咲耶は驚いて固まっていた。

 照れすらしなかった。

 多分、あまりにも想定外だったんだろう。

 

 ……俺も正直、昔の俺じぶんの発想に引くけどさ。

 フラれるってわかってて告白するって、どう考えてもエゴだよなぁ。



 ──結局、あの時は実行できないまま時間が過ぎて。別々に教室を出た後、転移に巻き込まれたのだが。



 もしも。

 あの時それを実行していたら、どうなっていたのだろう。

 未来は変わっていたのだろうか、なんてことを考える。


 バタフライ効果、というやつだ。

 蝶の羽ばたきが竜巻を引き起こすかもしれないように、ほんの些細な違いひとつで因果が変わる可能性。


 だから、もしかしたら──たったひとつの行動で世界線が変わって。

 あの時、たったひとつ告白さえしていたら。

 二人で教室を出て、そのまま召喚なんて起こらない、都合のいい未来に分岐したんじゃないか。

 そんなくだらないことを考えてしまうのは、ファンタジーよりはどちらかというとSFの方が馴染みがあったせいだろうか。



 ──あの時の俺は、何も言わずに終わらせるのが『正解』だと信じていた。

 文月が自分以外の誰かと幸せになるなら、それでいいと思っていた。


 でも今は、絶対に嫌だ。

 めちゃくちゃ嫌だ。

 それが、ただの執着エゴだとしても。

 分別と物分かりがいいフリは、絶対に違う。



 昔の俺は『正解』にこだわるやつだった。

 でも、それが『間違い』だったかもしれないのだ。


 ──だから、今度の俺は〝正しい間違い〟すら選んでみせる。

 昔の俺アイツと同じ轍は踏まない。

 そう、あの夜に決めている。



「なあ、咲耶」



 咲耶は「なに?」と柔らかに、けれど表情はどこか硬く、続く言葉を待っている。

 その両眼を、真っ直ぐに見据える。



 ──そう、やることは同じなのだ。

 咲耶があの夜、俺に喧嘩を売ったように。

 場を整えて、罠を仕掛けて、宣戦布告、主導権を手放さない。


 今度は俺が、おまえの呪いに勝ちに行く。



 それじゃあ。

 彼女に合わせて、真正面からぶつかろう。




「──恋の定義を、決めようか」

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