第14話 そもそも屋上は告白のためにある。


「恋の定義を、決めようか」




 ◆



 夜の屋上で、飛鳥は言う。


「おまえは言ったよな。恋は汚いから嫌いだって」


 頷く。

 飛鳥がわたしを呼び出した理由を悟る。

 これは、反論だ。

 想定しなかったわけではない。

 わたしはわたしの定義が一般的でない、つまり脆弱であることをわかっている。

 わたしがそう思うからそうである、以上の理由がない。


 ……だからこそ、正論で否定できるとは思えないのだけど。

 飛鳥はどう否定する気なのだろう?


 訝しんで見つめ返す。


「汚いって言うけどさ」

 

 飛鳥はへら、と気の抜けた顔で。



「……元々、そういうもんじゃね?」


「えっ」


 否定、しないの?



「ぶっちゃけ恋愛って……五割以上、下心だろ?」



 ピシッと空気が固まった。


「し、下心ってつまり……」


 下心って、下の心って、つまり……!?


「そう。つまりは、好きな子の前で格好つけたいだけの欲ってことだ」


 …………あれ?

 言葉への認識が違っていた。

 というかそもそも、下心自体にそういう・・・・意味・・はなかった。


 いえ別にそんなことに狼狽えるような年でもないし別に裸を見られても構わないと思ってはいるのだからたとえ下心がそういう意味だとしても引いたり幻滅したりしないしむしろ食と睡眠が破滅してるんだからその手の欲求も死んでるんじゃないかと心配……してない! 下世話! 流石にダメ、いくら親しい仲でもその憶測は失礼の一線を越えてる! でも、その、たとえそういう目で見られていたとしてあなたにだったら別に嫌じゃないかなあとか思うけどそれはそれとして、勘違いしなくて、よかったぁ……。



「なあ咲耶……すごい顔で頭抱えて、どうした? 頭痛?」


 無垢な目でこっちを心配してくる。


「なんでもないわ、その、ごめんね……」

「??」


 ころしてください……。

 


 気を取り直す。

 何もなかった、何もなかったのです。


「ええと、それがあなたの反論ってこと……?」

「ああ。少なくとも俺にとってはそういうものだよ」


 しょうもねーだろ、と自嘲するように言う。


「いいか。つまり異世界むこうで、俺は自分の下心でおまえのこと思い出して、駄々捏ねて現世こっちに帰ってきたも同然なわけ。あまつさえそれを『俺は強いからな』とか言ってカッコつけてんの。これ全部下心な。今までの全部、マジでそれだけだから」

 

 勿体ぶって、真剣な表情で、身も蓋もないことを飛鳥は言う。


「そ、そういうとなんかすごく……台無し?」

「そうだよ。ちょっと幻滅しろ。軽くなれ。おまえはさ、色々美化しすぎなんだって。俺のこと絶対だのなんだのって言ったけどさ、そんな大層なやつじゃねえよ」


 飛鳥が一言一言喋るたびに、いろんなものが陳腐になっていく。

 ……頭が混乱してくる。


「わたしたちの過去って、そんな適当に語っていいものだった?」

「今更大袈裟にしてどうするんだよ。状況がおかしかっただけで、俺は普通のやつだから、そりゃ動機だって普通だよ」

「あんたは変よ」

「うるせえな」


 いい加減認めなさいよ。




「あーあー、すっごい恥だ。これバラしたせいで、この先ずっと『それカッコいいと思ってやってんの?』って煽られるんだろ最悪だ。もう二度と何やっても格好つかん。てかなんだよ恋の定義って。自分で言っといて馬鹿じゃねえの? ねえだろ違い、恋だの愛だのラブだの全部一緒だろ。好きに理由とかそもそもいるかよ……」


 ぶつくさと文句を言う。

 本気で不本意そうだった。

 意地っ張りで格好つけなのは、本人も多少認めているらしい。

 それでもなお、こんなことを言った理由を考える。


「あんたが何をしようとしてるのかは、わかるわ。……わたしの定義を否定せず、『くだらないもの』に落とそうとしているのね」


「そうだ。『恋が汚いもの』だとして。そもそも恋自体が『くだらないもの』ならば、汚い・・こと・・じゃない・・・・。だろ?」


 ──そのために、あいつは自分の感情と行動まで、自虐に貶めているのだ。


 それはちょっと。

 意味が、わからない。


 ……正直、わたしは全然納得してない。

 だってわたしが汚いと思っているのは「恋を追うこと」で、恋自体はむしろ綺麗だとすら思っている。

 だから、触れて壊したくない。

 今このままで──。



「わかるよ、このままでいたいのは。俺も、今が楽しいと思う」



 見透かしたのか。

 それとも偶然の一致か。

 飛鳥は言う。


「でも……『今』ってさ、すぐ『昔』になるだろ。今この瞬間以外は全部過ぎて、過去になるわけじゃないか」

「それは、そうね」


 ──だからかつてのわたしは、今を留めようと必死になっていた。



「これは咲耶とは合わないのかもしれないけど。俺は、過去に囚われていたくないんだ。上書きがしたい。今が楽しいのは分かる。でも『このまま』よりも、もっといい未来が欲しい。

 だから、その先を普通に望んでるし、咲耶とは…………付き合いたい・・・・・・と思って、  る」



 最後。

 飛鳥の言葉の調子がおかしくなって、ぐらっと黒い頭が揺れた。

 慌てて肩を押さえる。


「ちょっと、今めちゃくちゃ無理して言ったでしょ!?」


 初めて明確にどうなりたいのか・・・・・・・・、言った。

 だが──飛鳥には、それを言ってはならない〝制約〟があるはずだった。

 

 異世界むこうで脳味噌を弄られた後遺症で、飛鳥の自我は少し脆い。

 特に愛だの恋だの言葉は相性が悪く、明確に我事として口にすると、正気あたま削れバグる。


 少なくとも、ちゃんと『人間らしくなる』までそれを言ってはいけない。

 具体的には、わたしが角なしの状態で大きな魔法を使うくらいには危ないのだ。

 ……それなのに今、一般名詞や婉曲表現ではなく、はっきりと『告白』してしまった。


「大丈夫だ。ちょっとクラッときただけだから」

「あんたの大丈夫、信用しないからね!?」


 ちょっとクラッと、じゃなくて、正気がごっそり削れた、でしょ!?


『好き』までは言えるのは、あいつにとっての『好き』の価値がそもそも安いから。元々、誰にでも何にでも好きって言うから平気なだけだ。


「大丈夫だって。おまえが『六十点』をくれたから。一度くらいは、ちゃんと告白できる」


 人間として六十点、確かにそう言ったけど。


「六十点って、低いでしょ……」

「赤点越えたら全部高い!」

「ああバカ! 昔はそんなこと言わなかったのに!!」

「うるせえ! はっきり言わないと伝わらないおまえが悪い! 黙って聞け! ……いや、聞いてくれ」


 浮いた汗。浅い呼吸をひとつ。



「──好きだ、咲耶。今は無理だけど、いつかは付き合ってほしい。俺と、恋人になってくれ」



 なんの飾り気もない、明確な告白。


「わ、わかった、わかったから!」


 口を塞ぐ。

 手のひらに触れた肌がゾッとするほど冷たくなっていた。


 腕を掴まれ、口元から手を剥がされる。


「だから、大丈夫だってこのくらい。心配症め」

「青い顔で言うなばか!」

「おまえの顔は赤いけど?」

「う、うぅうるさいっ!!」


 はるか昔に直したはずのどもり癖が出る。恥ずかしい。

 余裕がないわたしよりも、もっと余裕がないはずなのに面だけは余裕を取り繕っている飛鳥のことが本当にむかつく。





「それにさ、おまえの定義を否定はしないけど。まるっきりそのまんまだと、ちょっと困るんだよな。ほら、それだと──俺が、存在まるごと間違ってることになるから」


「あ……」


 わたしを好きだったから現世のことを思い出したのだと、彼は言った。

 だからわたしを助けてくれたのだと。 

 動機がすべて下心こいだとすると、飛鳥のやったことが、汚いまちがったことになる……?


 わたしは今の彼のことを否定したくないと思ったばかりで、これはつまり自分を人質に取る所業で、多分飛鳥は、わたしがそれをされるとどうしようもないことをわかってる。


 ──ずるい。






「綺麗だの汚いだの言う気がなくなったか? ならよし。おまえが幻滅したら俺の勝ちだ」


「……え? 告白の、返事は求めないの?」


「言えないだろ。言えないって感じの顔してる」

「…………」


 ただの告白すら、危険。

 それを押して彼は言った。

 なのに。

 報いる言葉が、出てこなかった。


「おまえがうだうだ理屈を捏ねるのが気に食わなかった。だからおまえの真似をして、『くだらないもの』にしてやろうと思った。それだけだよ。というか正直、返事は聞きたくないな! 幻滅させすぎてもう一回フラれそうだ!」


 わははと笑う。この男、さてはヤケだ。


「せめて最後まで格好付けなさいよ」

「俺は緊張とか気まずいのは駄目」

「もうぐだぐだよぉ……」




「ま、なんだ。前提として、俺はおまえが好きだ。その正当性を証明することも関係を進めることもまだできないけど、咲耶が好きじゃなかったら、今の俺はここにいない。それは忘れないで欲しい」


「うん……」


「あと、何をうだうだ言っても、おまえが俺のことを好きなのは知ってるから。……その上で、よく考えて。それでもやっぱり恋人にはなれないって言うなら、それでいい。いやよくない。ぜんっぜんよくないけど。一生このままっていうのもそれはそれで、アリだしな」


「ねえ、あんたも大概……重くない?」

「気のせいだろ」

「そうかしら……」


 手は掴まれたままで。

 体温は、少しだけ戻ってきた。





「話は終わり! あー、恥かいた! さっさと忘れるか! 飯食って帰ろうぜ」


 飛鳥としては勝利条件はクリアしたようで。

 わたしだけが「え、それでいいの?」と思っている。


「というか、この話、わざわざ夜の屋上こんなところでする必要あったのかしら? 家じゃダメだったの?」


「だっておまえ、大事な話をするならシチュエーションが大事だろ。家は微妙に緊張感がなくなるからな。大事な話をするには向いてない」


「だから友達の定義とか、わざわざ教室で話したりしたの?」


「ああ、環境や場の空気を味方につけた方が交渉の勝率がよくなるものだろ。世の中でプロポーズが景色のいいレストランと相場が決まってる理由も、フラッシュモブプロポーズなんてものがこの世にある理由もそれだ」


「わたし、フラッシュモブってすっごく怖いと思う」

「なるほど覚えておこう」


 ……?

 なんでプロポーズのシチュエーションの話をしてるの?

 おかしくない?


「あなたって……すっごい浪漫主義者よね?」


「当然!」


 飛鳥は断言した。

 そこは自覚あるんだ。


「おまえはいつも大事な話を微妙な場所でする! なんなら話どころか殴りかかってくる! ずっとどうかと思ってた!」


 すごく真剣な形相で詰め寄る。


「道端で喧嘩売るな! どうせならもっと決闘っぽい場所を選べ! バイト終わりに普通に帰ってたら急に売られた時の俺の気持ちを考えろ! もうテンションだだ下がりだ!」


「ええ……? 何に文句言われてるの?」

「ちゃんと果たし状とか出せ!」


「い、意味わかんないんだけどぉ……ふ、ふふ」

「何笑ってんだよ、くくっ」


 そっちこそ。

 シチュエーションを整えたからって肝心の告白の前後がこうもぐだぐだじゃ、飛鳥の言葉を借りると『情趣もへったくれもない』だ。




 でも……汚くても、それでいい。

 そう言われて少し、ほんの少しだけだけど。

 軽くなった気がする。


 少なくとも。

 あなたの感情を否定することはないだろう。


 そう思えた。




 だからわたしは──。

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