第6話 君と食べる飯のことしか考えてない。

 次の日の夜、いつも通り咲耶の家に行く。

 手の中には、ついこの間渡されたばかりの「合鍵」があった。


『はい、鍵。いちいち面倒でしょ?』と、当たり前のように渡されたのだ。

 いや、意味がわからん。

 無用心だってこんこんと説教したのだが。


『でも、いざという時にあなたが入って来れない方が危ないでしょ?』


 俺たちの間において「いざという時」は大体洒落にならない。


『そんなに深く考えないで。合鍵は……そうね、「わたしはもう二度とあなたの敵にならない」って示すためのものだから』

 

 などと言われて丸め込まれてしまった。


 ……いやでも、おかしいだろ。

 合鍵を渡される関係って、諸事情を抜きしにしても、それはもう「友達」じゃないだろ。


 

 一応、インターホンは鳴らしてから鍵を開ける。


「いらっしゃい」


 扉の向こうには咲耶がいて、当たり前のように出迎える。


「お邪魔します、って。迎えに来るなら、鍵渡した意味ある?」

「あら。客人を迎えるのは当然の礼だわ」


 澄まし顔で礼儀を語るけれども。

 ……咲耶に正論を言われると釈然としなかった。



 夏めいてきたせいか、咲耶は随分と薄着だった。

  

 ざっくりと胸元のあいたブラウスに、ショートパンツといういでたち。

 傷ひとつない白い柔肌が、無防備に晒されている。


 最近、気付いたが。どうやら咲耶は露出に対して無頓着だ。

 向こうでえげつないデザインの服ばかり着ていたせいだろう。

 その辺が、麻痺しているというかなんというか……。


 ……まあ、人の部屋着にとやかく口を出す権利はないのだが。

 

「ふふ。こうしてあなたを招くのにも慣れて、『いらっしゃい』って言うのもなんだか変な感じね」

「それはわかるけど」


 こっちの葛藤だの動揺だのは知らず、こちらを出迎えた咲耶はわかりやすく上機嫌だった。


 そう、何事もなかったかのように。

 これがいつも通りであるかのように、だ。


 溜息のひとつでも吐きたくなる。


 おまえ、昨日俺をフッてんだけど。

 本当にわかってる?

 わかってないんじゃないか、これ。

 念を込めてじっと見つめてみる。


「どうしたの? こわい顔して」


 あっ、これはわかってないな。確実に。


「なんでもな……いわけじゃないけど。今はいいや。先に飯作ろうぜ」


 靴を揃え玄関を上がって、もうすっかり見慣れた廊下を抜ける。

 

「あ、そうだ」


先にキッチンに入った咲耶が、何やら手に持ってこちらに戻ってくる。


「あなたのエプロン買っておいたから。ありがたく使うといいわ」


その手には、いつか見た咲耶のエプロンの色違いが。


 いや、色違いって。

 つまるところ。


「お揃いじゃん……」

「……は、ハァ!?」


 咲耶は急に顔を赤くして、新品のエプロンを投げてきた。

 避けずに受け止める、けど。

 なんで顔面に投げるんだよいつも。

 顔? 顔がムカつくのか?


「ち、違うから! 機能性とか、なんかそういう基準で選んだだけなんだから!! ほんとに!!」


 上擦った声で言い訳する咲耶。

 ……この反応、さては本気でお揃いだとか今まで気付かなかったな。

 それが指摘されて初めて恥ずかしくなったんだろう。


 その証拠に、こっちは早々に観念して「うっわ。バカップルか? 恥ずかしっ」とかいう考えを投げ捨て、エプロンを着けているというのに。

 咲耶はまだ自分の分を握り締めたまま、葛藤するようにチラチラとこちらを見ている。


 ……いや、意識しすぎだろ。

 なんだかばからしくなってきた。



 最近ずっと、この調子だったのだ。

 そんなの浮かれるし、勘違いだってするだろうが。


 なんでこれでフラれてんだよ。

 本当に。






 ◇





 いつまでもうだうだとやっていると夜が更けるので、程々に。

 しばらくもすれば、夕飯の用意も終わる。


 咲耶に「料理を教えてほしい」と言われてから半月だが。

 教えるほどのことはないな、というのが所感だった。

 元々、咲耶は生真面目なので、多少不器用だとか鈍臭いだとかは問題にならなかった。つまり、着々と上手くなっている。


 そりゃ、俺がバイトでいない時もひとりで黙々と自炊しているのだから、上達もする。

 努力家で偉いよな。

 千切りすら面倒くさいからキャベツめくってそのまま食う、とか、俺みたいなことはやらないらしい。


 料理ができるからといって、実際やるかどうかは別の話だ。

 一人分の飯なら、俺は正直なんだっていいのだが、二人分なら流石に気を使う。

 だって、延々とキャベツの千切りを食ってる咲耶なんて見たくは…………いや、それはそれで愉快かもしれない。 


 咲耶は、困らせると良い反応をするのだ。

 山盛りの千切りの皿を抱えて、『え、なんで? 今日キャベツだけ……?』とうろたえる咲耶をたっぷりと堪能した後、惣菜屋で買ってきたコロッケを出すとどんな反応をするだろう。わくわくする。


 ──などと考えながら、生姜焼きのタレが染みたキャベツに箸をつけたところで。


「あれ、あなた左利きだった?」


 咲耶が俺を見て、不思議そうに言った。


「刃物は元々両利き。箸は左に矯正している途中」

「なんで今更……?」

「いや、問答無用で右腕引っこ抜こうとしたやつが言うかそれ?」


 喧嘩の原因がコレだったことくらい、重々理解している。


「別に……『今はまだ必要だ』って言っただけで、いつかは捨てるよ。そりゃ」

「ぶっ壊していいの!? やったー!」


 うわ、物騒なのに無邪気ないい笑顔。なんだこいつ。

 まあいい。咲耶がちょっとアレなのは今更だ。


「全部終わったら好きにしろよ。粉々にして燃やして焼き芋でもしよう」

「可燃ゴミじゃないのよ!?」

「芋食いてぇな。次はめちゃくちゃポテトサラダ作ろうぜ」

「……あんたもしかして、ご飯のことしか考えてない?」

「最近はな」


 咲耶は、にまーっと満足そうにこちらを見ていた。

 ……なるほど。

 そもそも料理を教えるだのなんだのは、こっちを心配しての口実だったな。


「人間として何点?」

「六十点あげる!」

「採点が甘すぎる」


 自己評価より二十点も高いとか、どうかしている。






 物騒な話題も下らない話も全部、同じように消費して、共有する時間。

 日に日に、どちらかの家にいる時間が長くなってきた今日この頃。

 隣の居心地はぬるま湯のようで、まあいいか、と少し思ってしまう。


 まあ、こんな日常が続けば。

 それでもいいか……と。


 そんなことを考えて。


「なあ、咲耶」


 ふと、思い至る。



「もしかしておまえは、『このまま』がいいのか?」



 聞こうと思っていた、昨日の話の続き。

 主語も抜けてわかりにくいはずの問いかけ。

 けれど咲耶は、なんの話かを即座に理解したように。


 揺るぎなく頷いた。


「ええ、その通りよ。相変わらず察しがいいわね?」


 ……残念ながら、咲耶が昨日、俺をフッたことは揺るぎない事実らしい。





 あーあー。

 もしかしたらアレ、夢かもしれないと期待したのに。


 上手くいかねーなー、現実。

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