第5話 プロポーズは済んでいる。

 ◆



 文月咲耶という人間わたしを語る時に、賛辞はすべて無意味だ。

 だって、人目に映るわたしは全部、演技ウソでできているんだから。

 自分の『本当』を演技で包み隠して生きてきた人間が、わたし。


 異世界を経験したからと言って、わたしはあまり昔と変わっていない。

 被る皮がただ、お嬢様から魔女になっただけ。


 自分自身をロールプレイする演劇体質。

 それは決して、褒められた生き方ではない。

 要はただの、嘘吐きなのだから。

 誰に褒められるべきでもない。


 ──飛鳥の前では素顔でいられるようになった今も、わたしの本質は同じだった。





 こちらの返答を叩きつけて、飛鳥を置き去りにした後。

 夕暮れの廊下でひとり、溜息を吐く。



『駆け落ちでもするか?』



 ふと。

 彼の冗談を思い出し……


「〜〜〜っ!!」


 勢いのまま、壁を殴った。


「……痛っった!?」


 関節バキッて言った! バキッて!


「はぁー……ばかっばかっ、もうばか!!」


 廊下に誰もいないのをいいことに、ひとりで呻く。


 飛鳥が急にあんなことを言い出した理由は、わかっている。

 わたしたちは、あからさまに喧嘩を売らなくなった今も勝ち負けにはこだわっていて、普段の会話もその延長線上にある。

 勝敗の判定は単純、言い返せなくなった方が負け。


 だから、『勝てればなんでもいい』と思ってる飛鳥は、なんの恥ずかしげもなく爆弾を放り込む。

 それでこっちの反応を楽しんでるのだ。


 アイツは時々、すごく意地悪だ。

 そしてわたしは、口喧嘩レスバに弱すぎる!


「……て、いうか」


 わたしは駆け落ちの定義を思い出す。

 駆け落ち、すなわち『許されない関係の二人が、追手を振り切り、逃げて共に暮らすこと』


 ……なんだか、見に覚えがあった。


 わたしたちの現状を思い浮かべる。


 許されない敵同士の関係なのに手を組んで。

 裏切った異世界の追手から逃れて現世に落ち延びて。

 お隣でほとんど一緒に暮らしている。


 これ……実質の駆け落ちじゃない!?



「う、うわぁぁ…………わ、わ、わーー…………!」



 気付いてしまった。

 気付いてしまった!

 なんてことに!!


 熱い頬を押さえて、廊下の冷たいガラス窓に熱の出た額を押し付ける。

 頭からぷしゅぷしゅと蒸気が出そう。


 ああ、本当に。

 わたしは弱すぎる。




 ──だけど。


 窓に映った火照った顔、情けないその表情を客観視して。

 わたしの理性の部分は、スッと冷えていく。


 大丈夫。これはただの動揺。

 驚きで平静さを失っているだけだ。

 こんなもの……こんな感情に、なんの価値もない。


 恋なんて──恋人、なんて。



「わたしには……許されていないわ」




 額に触れる窓ガラスが、とても、冷たかった。





 ◇





 気もそぞろに、バイトを終えた後。

 喫茶店の休憩室のテーブルで、笹木が言った。


「ねえ日南。『なんか落ち込んでるみたいだから相談に乗る』って言ったのは、確かにおれだけどさ」


 バイト中ミスこそしなかったものの、俺の様子がいつもと違うことに気付き、親切にもこれまでの経緯いきさつを聞いてくれた、同僚兼同級生の笹木は。


「……何言ってんの?」


 はてしなくしょっぱい相槌を打った。


「だから、喧嘩の流れで『人生くれ』って言われたから、俺は『いいよ』って言った」


 これまでのいきさつ、以上である。

 ちなみに笹木は現世のファンタジー事情について一切知らない、と芽々から確認をとっているので、その辺は伏せてある。


 笹木は「??」と目を細めた。


「プロポーズじゃん」

「だよな?」


 そして、今日の放課後。

 咲耶に言われたことを要約すると『あんたと恋人とかムリだから』だ。


「え……なんで今更、フラれてんの?」

「知らないよ。おれに聞かれても困るよ」


 いや、確かにあの時、咲耶は正気ではなかったけれど。

 あれは酔っ払って出る本音のようなもののはずだ。

 反省会での様子を見るに、咲耶の記憶もばっちり残っていた。

 おかしい。なんでこんなことに。


「俺の純情を弄ばれている……」

「自分で純情とか言うのキモいと思うよ」


 笹木が辛辣だった。


「もしかして。文月さんって、相当……」

「相当ヤバくてアホで面倒なヤツだよ」

「好きな子の悪口言うのもどうかと思うよ」


 これでも悪態を吐かなくなった方なのだが。


 笹木が半目でこちらを見る。


「おれさ、正直路地裏でのあの時からずっと、剣のこととか聞きたかったんだけど? それがなんで意味不明な痴話喧嘩の話を聞かされてるんだよ。わかんないよ」

「俺も女心がわからん……」

「そういう話じゃないよ。聞けよ」


 遠慮がなくなってきた。


「はーあ……まさか正体がこんなやつだとは思わなかった」

「え、ごめん。……なんだと思ってたの?」

「浮世離れしたカッケー非日常の住人」

「そっか、普通の人でごめんな」

「日南は変だよ」


 そんなことないだろ。



「まあおれも。相談には乗るとは言った手前、力にはなりたいけど。でも正直、特殊な例すぎて何も言えない。何も」


 お手上げ、という無常感を漂わせて、首を横に振る笹木。


「いや、大丈夫だ。とっとと本人に聞くことにする」


 同じ轍は踏まない。

 悪い推測を巡らせる前に、わからないことは直接確かめる。


 つもり、だが。

 おそらく。これは異世界とか魔女とか関係のない問題だと思う。

 咲耶自身の……文月であった頃からの、何かだ。


 魔女だのなんだのを抜きにしたって、あいつは根本的に面倒なのだ。

 演じて生きていたのが昔からだと言っていた。

 普通の人間は、そんな生き方をしない。

 価値観が初めから普通じゃないから……普通じゃない振り方をする。


 異世界むこうの問題ならば、こちらも当事者だ。前回の反省もあるし、聞くことに躊躇はない。

 だが人間としての彼女に踏み入るのはやはり、躊躇いがある。

 ……果たして、俺に立ち入る資格があるのかどうか。


 とか、一応考えはするものの。


「いややっぱりあれ、どう考えてもプロポーズだったろ!! 俺結構緊張して返事したんだけど!? もう話はあれで終わりだろうが! 言ったじゃん、好きって! 確かめたじゃん!! なんで振り出しに戻ってんだよクソが!!!」


「……うん、同情するよ」

「あいつ、ほんっと面倒くせぇ!!」


 ああ、クソ! 本人に対してでなければ恥じらいがないから、プロポーズだのなんだのも言い放題なのに!

 冗談でもなく真面目に、咲耶に直接『そういうこと』を確認しようとすると脳味噌がバグる。

 だから明確な合意を取らずにここまで来たのだが。

 それが完全に、仇になっている。

 あいつも面倒くさければ俺も面倒くさい。


 もっとシンプルでいいのに。

 人生なんざ、生きてさえいれば全部上手くいくくらいの難易度でいい。


 頭を掻きむしる。

 本当に、ハゲたらどうしてくれよう。




「まー、喧嘩の仲裁には呼んでよ」


 テーブルに頬杖をついて、笹木はさらっと言った。

 大分厄介な話を聞かせたにも関わらず、だ。


 ……こいつ、いいやつだな。


 と思ったのも束の間。


「あれでしょ? 喧嘩って、バチバチやり合うんでしょ?」


 ニコニコと、いい笑顔。


「笹木おまえ……」


「見たいだけだろ」

「あはは、そんなこと……」


「あるよ」

「あるんだ」


 まともと見せかけてこいつ、やっぱり芽々の幼馴染だな。




 ……さて。明日からどうするか。

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